11-50 東都崩壊戦線-急ノ四
マーキスが歩く。
もはや歩行という行為そのものが災害と呼称すべき暴力の塊として、東都という世界有数の大都市を構成する建造物たちを薙ぎ払い、削り砕きながら侵攻する。
1歩1歩が埋めがたき差となって距離が遠のいてゆく中、黄泉路は地面を埋め尽くした厚い砂を踏みしめて全力で後を追う。
全身をばねに、足の骨が自らの出力に耐えかねて砕ける端から再生し、無理やりに出力された怪力が不確かな足場というハンデを押しのけて黄泉路の身体を前へと押し出す。
砂の巨人とも言うべきマーキスに近くなるほどに激しくなる砂飛沫が仮面を絶え間なく叩き、全身を打ち付ける砂は個々が微細であろうとその被弾面積と彼我の速度によって凶器としか表現しえない激しさで黄泉路の行く手を阻むが、痛みを遮断した黄泉路の身体から噴き出す修復のための赤い塵がまるで防護膜かのように黄泉路の身体を包み、砂礫の嵐の中でも黄泉路のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。
マーキスの足が川を踏みしめ、その多大すぎる質量が川をせき止めて無理やりに渡河する。
だが、水を吸った砂はマーキスとしても操りづらいのだろう。僅かに進行速度が遅くなる間に離されていた距離を詰めた黄泉路が足の根本、残骸と化した橋の上で槍を構える。
「――銀砂の槍よ」
そのフォームは投擲。槍投げの選手のように片手に槍を構えて深々と身体を捻った黄泉路が吼える。
「理を穿てぇ!!!」
裂帛と共に撓んだ竹が戻るような勢いに乗って射出された槍は、マーキスの巨体からすれば針程度のものだろう。
だが、その針が超常の結晶たる想念因子結晶であり、その使い手が世界でもふたりといない特異な能力者の深層領域と繋がった、次元すら超えた超存在であれば。
『ぐおおああぁああああっ!?』
理は容易くねじ曲がる。
痛覚などなくとも、人型という形で制御するための支柱となっていた片足がもがれてしまえばマーキスは驚きと困惑に叫ばざるを得ない。
マーキスの叫び声が砂嵐の中に木霊する中、粒子の集合体たる砂の柱を容易く食い破った槍が対面の建物を大きく穿って銀の粒子と化して砂塵に溶ける。
だが、その理外の一撃は決して容易く放てるものではない。
「はぁ、はぁ……ッ」
疲労とは無縁のはずの黄泉路の口から荒い息が漏れる。
肉体的な疲労とは違う。身体の内側、とても大事なところから何かがごっそりと抜け落ちた様な気持ちの悪さにも似た疲労感に仮面の奥の顔から血の気を引かせながらも、黄泉路はゆるりと姿勢を正す。
「(足止めにしか、ならないか……もう一度やるにはもう少し時間がかかる、けど――)」
視線の先では吹き飛ばしたはずの巨人の片足が徐々にではあるが修復の兆しを見せ、それに伴って傷口に吸い込まれるように砂塵が渦を巻いてとてつもない勢いで収束を始めていた。
当然、近場に立つ黄泉路もその余波ともいえる暴風に煽られて姿勢を崩しそうになる。
姿勢を低くし、出来る限り砂塵の影響を受けないように橋を構成していた鉄骨に指を食い込ませて耐えていると、頭上からマーキスの声が降る。
『今のはビビった……が、それだけだ! その程度じゃ俺達は止められねぇ!!』
「うわっ」
ずん、と。
修復も終わり切っていない足が持ち上がり、川向うの家屋を踏みつぶす様に地面へと突き刺さる。
全身が粉砕機のように絶えず流動して砂のすり合わせによってあらゆる物質を微塵にする巨体の踏み下ろしに抗える様な構造にはない家屋は一瞬で細かな欠片へと砕かれ、それらの中から砂と認識されたものが巨体へと巻き上げられて修復が早まる。
それを遠目に目を凝らして理解した黄泉路は口をきつく結んで状況の悪さに、相手のなりふり構わなさに歯噛みする。
「本当に、東都を更地にするつもり……?」
黄泉路の呟きがマーキスに拾われることはない。マーキスにとって黄泉路はただの障害でしかなく、目的に邁進するためにはもはや戦闘すら必要ない。
多大なる質量によって黄泉路の不死性を乗り越え、戦略的な視点にたったマーキスと黄泉路の立場は逆転していた。
「(どこにマーキスがいるかわからないことには狙い撃ちもできない……)」
河から離脱し終えようとしているマーキスを追って橋の鉄骨を経由して対岸まで飛んだ黄泉路は天を突くような砂の塔を見上げる。
マーキスの能力によって練り上げられたそれは、都内に散った無数の能力使用者や部下たちの作り出した砂と密に絡み合っており、黄泉路の魂を知覚する索敵でも本体の位置を割り出すことができない。
人型であることにこだわりがあるかは定かではないにしろ、ご丁寧に胸や頭の位置に本体が居る保証もない。
先ほど足を吹き飛ばした一撃が連射できるのならば本体がどこに居ようとまとめて吹き飛ばしてしまえばいいのだが、黄泉路はあれを1発撃つごとに数分はインターバルを挟まなければならないと認識していた。
「(まさか、銀砂があれだけ目に見えて持っていかれるとは思わなかった。次撃つときはもっと慎重にやらなきゃまずいね)」
砂嵐吹き荒れる現実とは打って変わり、音一つない仄暗い水底の銀の砂丘にぽつりと佇む黄泉路の意識。
その視界に広がる荒涼とした砂漠は普段であれば大小無数の砂丘が流れのない水の中にどこまでも続いているが、今に限ってはその環境に大きな変化が訪れていた。
切っ掛けは現実の黄泉路が銀砂の槍を振りかぶり、その槍に自らの内側、現世とは隔絶した、次元すら隔てた力を宿して放った瞬間。
槍の本体とも言うべき、水底に立つ黄泉路が手にした銀砂の槍に周囲の水と砂が穴が開いたように吸い込まれていったのだ。
本体はその制御に必死になるあまり膝を付き、元は小高い砂丘だったはずの窪みから現世を見つめていた。
全体量から見ればさほど多くはない。けれど、これを無秩序に乱発した先は何が残るのか。
根源的な恐怖から一層の疲労を感じる黄泉路はそれでもと再び槍を構える。
「倒す、って、言ったからね」
口の端に乗せるのは、今の黄泉路というあり方を作り、肯定してくれた人たちへの約束。
銀砂に槍を突き立てた黄泉路が再び現世へと意識を注力し、現世に出力した槍に力を注ぎこむ。
ただし、今度は投擲はしない。
「銀砂の槍よ、境界を開け。……《無掌幻肢》!」
砂嵐の裂いて、黄泉路の背から翼にも似た赤黒い塵でできた6対の巨大な腕が生える。
同時に槍が肥大化し、その刃が黄泉路の身の丈の倍ほどにもなる。常人であれば持ち上げる事すら困難にみえるそれを赤い掌が包み、残る4対の腕が地面を掴み、黄泉路の身体が宙釣りになったように浮かぶ。
「力を貸して。結乃さん」
自身ごと槍を包み込むような赤黒い塵で形成された掌にそっと語り掛けた黄泉路が、4対の翼めいた巨腕の跳躍によって空を駆る。
その速度は先ほどまでの黄泉路の全力疾走に勝るとも劣らず、切っ先を構えた槍の巨大さはマーキスの目にも嫌でも留まるほどの大きさがあった。
『ぐっ、いくつ隠し技を持ってやがる!!』
「これ以上先には進ませない!」
黄泉路の槍が砂巨人の脇腹辺りを裂いて抜け、赤い巨腕を駆使してビルの上を飛び回りながら巨人の周りを銀の閃光の如く駆け抜ける。
幾度もの交錯の合間、黄泉路は巨人の足止めとして効果があることを確認すると同時に先ほどの疲労感が収まり始めていることを認識して戦略を組み立てる。
先の投擲は一撃としての威力は絶大だが連射ができず、今行っている高機動戦闘による斬撃は現状足止めこそできているものの打倒には程遠い。
その証拠に、マーキスは鬱陶しそうに黄泉路を振り払おうと巨人の手を振り回してはいるものの、つけられた傷は黄泉路が切り付けて離脱し、反転している間にも塞がり切ってしまう程度のもの。
散らしてもすぐに修復される様は黄泉路の不死性にもどこか似通ったものがあるが、こうして敵として相対した場合の厄介さは黄泉路が初めて体感するものだ。
「(倒すには足らない。もっと、もっと良い手を考えなくちゃ。じゃないと僕は――)」
侵攻を緩めているとはいえ、その足が完全に止まったわけでもなければ黄泉路が足場にするために飛び回っているビル群は目に見えて数を減らし始めており、大技を打つならば本体に当てなければという焦りから黄泉路の思考が過熱する。
目の端から赤黒い塵が尾を引き、全身を包むような巨大な塵の腕がさらにどす黒く、禍々しい造形の歪な手となって伸びて地面を掴み、根本でつながった黄泉路を空中で振り回す。
さながら尺度の狂った四足動物の様な、それでいて、関節など持ち合わせていない流体に近い腕の無秩序な軌道によって巨人の周囲を暴れ回る銀の角を持った1匹の獣の様な有様になっていることに、黄泉路は気づかない。
「もっと、もっと、もっと……!」
認めてもらえる僕であれる様に。
それは黄泉路の根幹を占める思想。誰かに必要としてもらう為に積み上げられた、迎坂黄泉路という少年の根本。
収束した思考がそこにたどり着くのは自然の流れと言え、周りに手を取られ、背を押してもらい、自分自身の願望や欲望と向き合い始めた黄泉路の背にべったりと張り付いた強迫観念に近いモノが黄泉路の思考を奪ってゆく。
同時に周囲の目を憚らない禍々しいフォルムへと変貌してゆく黄泉路の姿に背筋を凍らせたのは、他ならない敵対者であるマーキスだ。
これほどまでに混じりけのない、悪意無き殺意とも言うべき獣が自身の周囲を這い回り、弱点とも言うべき本体の位置を探る様に全身を切り裂いてゆく現状は悪夢以外の何物でもない。
マーキスに恐怖はない。この作戦を決行すると決めた段階で、それらはすべて置き去りにしてきた。そのはずだった。
『(なんだ、コレは……! こんなモノが、俺達と同じ能力者……!?)』
だが、目の前のこれは。自身の尊厳や生死といった人間として持ちえる全てを貪ってしまいそうな化け物はなんだと、マーキスは知らず自身の身体が恐怖に冷えている事に気づいてしまう。
『ふざけるんじゃねぇぞ!! 俺たちをお前と一緒にするんじゃねぇ!! 化け物が人間の邪魔をするなァ!!!!』
「――ッ」
ビリビリと大気が震える。ごうごうと砂嵐によって洪水のように鳴り響く音すら背景にするような咆哮が黄泉路の耳に届くと、黄泉路の狭まっていた思考にぎしりと歯止めが差し込まれた。
同時に自身を包むどす黒い掌が、無軌道に、角を振り乱して暴れ回る自身という名の化け物がそこにいることを自覚し、それがどのようにみられるかを理解した黄泉路は空中でピタリと身動きを止める。
「あ、あ……っ」
誰かに必要とされたい。それは黄泉路の中でどうしようもなく変えられない根っこであり、そのこと自体悪いことではないと、最近の黄泉路は考えていた。
同時に、誰に必要とされたいかが大事なのかもしれないと考えていた黄泉路が心の支えにしていたのは、自らをそうと理解した上で受け入れてくれている夜鷹の面々。
そんな彼らとの繋がりは、仲間であるという積み上げの以前に能力者であるという共通点があると、黄泉路は思っていた。
だが、この姿は。今の自分は。
同じ能力者からも――それも都市をまるまる一つ潰しかねない巨大な能力者に――化け物と呼ばれる自分は。
果たして彼らに認められる存在なのだろうか。
ずっと思考の外にあった無自覚な信頼にピシリと怯えという名のヒビが入るのを自覚する。
一度認識してしまえば、もうそう振舞うことなどできはしない。
この場は東都のどこからでも観測できるだろう。これだけ立派な目印があれば、嫌でも目についてしまうだろう。
黄泉路がこれまで箍を外したのは数度。それも、自分が必要としてもらいたいと決めた人々の目から届かない場所で無軌道に振舞った時だけだ。
今の姿を仲間に、標や姫更、彩華に見られたら。
もしかしたら廻あたりは苦笑するだけで済ましてくれるかもしれない。けれど、黄泉路の目から見ても真っ当な他の面々がどう思うかは、黄泉路にはわからない。
途端にこみあげてくる拒絶されることへの恐怖や喪失感に血の気が引く。
薄く明滅するようにどす黒く染まった6対の手が赤黒く、薄くなってゆく。
だが、黄泉路がそれに危機感を抱くよりも先に、狂乱気味とはいえ状況を座視するつもりも、目的を忘れたわけでもないマーキスの拳が飛来する。
『潰れろぉおお!!!』
「ぐ、あああっ!?」
フォームもなにもあったものではない力任せな薙ぎ払いが黄泉路の身体を真横に貫き、大質量の削岩機めいた砂の拳が黄泉路を槍ごと殴り飛ばす。
衝突の瞬間、一瞬だけ拮抗した赤い掌も散らされ、遠方まで吹き飛ばされた黄泉路のぼろきれの様な身体がビルの屋上を転がる。
「っ、く……」
勢いよくバウンドしながら屋上のフェンスにたたきつけられてようやく止まった黄泉路が修復とともに身を起こすと、先ほどまで至近にあった巨人は遠く。
黄泉路という最大の障害から解き放たれたことで理性を取り戻したマーキスがずしんと地響きを響かせて歩き始める。
「待て――!」
慌てて立ち上がり、槍を構えて再び飛び立とうとする黄泉路だったが、
「……」
はたと、吹き飛ばされる前まで頭を占めていた恐怖に足が止まる。
「どうしよう」
ぽつりと零れた言葉。
それが今の黄泉路の状況を、心境をこれ以上ないというほど表していた。
約束したからにはマーキスを倒してこの破壊を止めるという意志はある。だが、手段はどうするのか。あの巨体を、ないし本体を妥当しうる戦術が手元に見いだせない黄泉路は、しかし、現状有効であった先までの戦術を取ることを魂が拒絶していた。
進むことも退くこともできない停滞に足が竦む。
言い訳の様な理由ばかりが頭を過り、内世界で立ち尽くした黄泉路も槍を握る手に力が入らない。
どうしたらいいのか、どうすればいいのか。そればかりが空転するまま、ぼんやりと巨人の侵攻を見つめていた黄泉路はふと、巨人が向かう方角に何かがあることに気づく。
「……あ」
遠目からでも、その象徴的なシルエットはわかりやすく黄泉路に何の施設であるのかを認識させるそれは、この非常時下においては避難所としても機能する――
「が、っこう……」
黄泉路の知覚が、学校を認識すると同時にその場にとどまった多くの命を認識する。
ふわり、と。黄泉路の身体が気づけばビルを飛び降りて、先端へと捩じれ縒られた巨大な銀の槍の穂先が巨人を向く。
「(何が正しいとか、悪いとか、そういうのは一旦後。だって、こんなの見過ごしたら、それこそ僕は――誰にも認めてもらえなくなる!)」
それは義務感や使命感などでは決してない。ただの矮小な恐怖心に背を押されての行動だった。
けれど、黄泉路が戦線に立ち返るきっかけとしては十分すぎるもの。
「もう一度、力を借ります。《無掌幻肢》!」
黄泉路の背後から伸びた赤黒い塵の巨腕がビルの外壁を強く押し、黄泉路の身体は再び宙を舞った。
穂先を前に、巨人へ向けて、再び銀閃が飛翔する。
さながら流星の様なそれは東都の町を突っ切って巨人の肩口へと盛大に突き立つ。
『グッ、て、めぇ!!』
「まだ、終わらせない!!!」
銀の穂先を引き抜いた黄泉路が、巨人を見据えて大きく吼えた。