11-49 東都崩壊戦線-急ノ三
◆◇◆
ごうごうと遠方にあってなお大気中に満ちた砂が無数にこすれ合って収束してゆく音を響かせる人型の竜巻を見上げていた彩華と菱崎。
地鳴りにも似た轟音の中、先のビルとの衝突で金属疲労を起こしていた合金植物の一部が欠けて他の植物状の金属に当たりながら地面へと落ちる音でふたりは同時に互いの事を思い出す。
「(っと、まずは)」
「(こっちね)」
ビル上に陣取った菱崎が一瞬で転移して姿を消す。直後、一拍遅れて上階が消え去ってむき出しになったオフィスを鈍色の蔦が貪りつくす。
返す刃とばかりに彩華が直感――能力によって副次的に引き上げられた常人離れした構造把握力による空間が歪む前兆を感知したといった方が正確だろう――が叫ぶままに足元の砂を巻き上げて抉り出す勢いで地中へと潜行すると同時、地上スレスレを巻き込む形でぶつりと空間が切り取られ、潜行に際して生み出した地上部分に生い茂る鉄の茨が不自然に断裂する。
互いに再開の挨拶を終えたふたりは視界から外れたお互いにうかつに手を出せない膠着状態の中で息を殺す。
「(転移でいくら隠れ場所を選べたとしても、私を直接狙える位置からは離れられないでしょう?)」
「(あの速度で物であふれた地中に潜まれたらまず当てられない……。かといって僕を探す余裕なんてないだろうし、そんな余裕は持たせないけどね)」
互いに考えることは近く、如何に相手に先んじて決定打となる奇襲をかけられるかという暗殺戦にも似た静けさが戦場を支配する。
とはいえ、両者には明確に違いがある。
形式上は東都という全体を対処領域として、出来る限りの対応を求められている菱崎ではあるが、それは逆に言えば目の前の敵を見逃すも見逃さないも自由であるということ。
逆に彩華は元より対策局と戦闘を行うこと自体が不毛であることに加え、既に黄泉路が遠方に見える大規模な災害と言って差し支えない脅威と交戦状態になっていることを直感しており、可及的速やかにこの場を制するなり脱するなりして援護に向かいたいという気持ちが強い。
「(……いっそこのまま無視して向かうこともできなくはないけれど。あまり良い手ではないのよね)」
互いに互いの正確な位置が把握できていない今、地中という、本来であれば身動きすら困難な環境を自在に組み替えて自らの領域に作り替えることのできる彩華であれば、自身を探す菱崎を放置して砂嵐の巨人と戦う黄泉路の下に駆け付けることもできなくはない。
だが、そうした場合、いつ菱崎が彩華の不在に気付いて追ってくるかというリスクが絶えず付きまとい、巨大な敵を相手にしている間に空間断裂という予兆がし辛く当たれば大抵の人間は即死という驚異の横槍を警戒し続ける必要がある。
黄泉路だけならば問題にもならないのかもしれないが、もし戦場に他の人間がいた場合、その被害は計り知れないというのが彩華がこの場を撤退できない懸念であった。
とはいえ、それは菱崎にも言えること。この場で彩華を放置して目に見えて脅威となっている砂嵐の対処に向かったところで、現在の消耗度合いからしてあの規模の砂嵐を一手に片付けるだけの余力は持ち合わせておらず、また、砂嵐が激化しているだろうあの場所で今回の様な転移を繰り返すこと自体がリスキーと言わざるを得ない。
「(先輩どっちかなら相性良いんだろうけどー……)」
頼りたくない、と。菱崎の年相応な自意識がポケットに差し込まれた通信端末に手が伸びるのを拒む。
これまで菱崎はその希少かつ有用な能力によって対策局の物流面や機密保持に多大な貢献を果たし、組織になくてはならない人物として評価されるだけの実績を積んでいるのは間違いない。
だが、一方でその性質から夜鷹で言う姫更のように、前線に出して戦果をというポジションにはどうしても配置されづらく、その実績は華やかとは言い難い。
組織になくてはならない縁の下の力持ちというポジションは決して悪い立場ではない、悪い立場ではないが、15歳という若さでその渋すぎる役回りに納得できるかと言われれば否だ。
ましてや、自身と同じ立場で年上の能力者である渡里悠斗や瀬河裕理のような最前線で力を揮う能力者が組織の顔のような活躍をしているとなれば、振り向いて欲しい人物がいる菱崎満孝という少年からすれば、その先輩たちに縋るという選択肢は取ることができないのも無理からぬことであった。
「(僕がやるんだ。僕が、ここで、このチャンスで!)」
駅ビルの中層に身を隠した菱崎が小さく手を握りこむ。
今もずきずきと頭痛で頭が割れそうになるが、それは相手となっている彩華としても同じはずだと菱崎は心を奮い立たせる。
そんな中、意識の外に置こうとしていた携帯がマナーモードでの着信を伝える。
「っ。 (なんでこんな時に――ッ!?)」
振動すら気持ち悪いと片手で頭を押さえつつ携帯を取り出して着信を確認すれば、それは菱崎が敬愛する上司の名。
「あ、はい! 菱崎です! どうしましたか穂憂さん!」
思わず頭痛も忘れそうなほどに声を上げて応じてしまった菱崎は、即座にずきりと頭に奔る痛みに顔を顰め、次いで、声が広く響いてしまったことにハッとなって息を潜めて通話に応じる。
『菱崎君、今取り込み中だった?』
「大丈夫。穂憂さん以上に優先することなんてないし」
『ならいいんですけどー』
通話口から聞こえてくる声に努めて元気そうに振舞う菱崎だが、その言葉の中で真実なのは本音の部分だけだ。
それをわかっているのかいないのか、通話口から聞こえる少女の声はちょっと困ったような、苦笑交じりの曖昧な笑いを含んだ音で菱崎に要件を告げる。
『たぶんどこからでも見えてると思うんで簡潔に言うとね。一旦東都から撤退しておきたいから菱崎君の力が必要なんだ。今から帰ってこれそう?』
「はい! 今すぐ帰ります!」
直前の菱崎の思考からはありえないような急旋回した手のひら返し。しかし、それが穂憂の指示とあらば恋する男子にとってなんら矛盾はありはしない。
『うん。待ってるね』
ぷつりと途切れる通話、しかし、菱崎の胸には喜びが満ち溢れていた。
互いに身を隠して隙を窺う長期の緊張を求められる奇襲戦の中、功を急いていずれは致命的な隙を晒しかねない菱崎少年を引き留めた着信はまさに運命的な一手と言えた。
「(穂憂さんが待ってる。こんなところで時間食ってる場合じゃないや。よし!)」
即決即断の菱崎は勢いよく立ち上がると、未だ収まらない頭痛を我慢してビル構内から飛び出してゆく。
そして、時をほぼ同じくして彩華の下にも標からの念話が頭に響いていた。
「(――そう。状況把握したわ。ただ、今すぐに行動に移すのは難しいわね)」
『交戦中っぽいですしねぇ……大丈夫?』
「(ええ。今は互いに居場所もつかめないでしょうから――) ッ!?」
バキバキバキ、と。
地表部の茨が削り取られ、それが宙から地表に降り注ぐ音が響く。
念話を脇に置いて地表へと意識を尖らせた彩華の耳に敵対者である少年の声が何かを言っているのが聞こえてくる。
「おーい、リコリスー! 聞こえてるー?」
「(……罠にしては思い切りが良すぎるけれど。何のつもりかしらね)」
地表の声を拾うべく、蔦の残骸の間から地表部に飛び出す様に空洞の筒を通した彩華の耳に菱崎の語り掛ける声が響く。
突飛なことをはじめたとばかりに警戒を解かずに様子を窺うに徹する彩華だが、菱崎の次の宣言には思い切り拍子抜けしそうになる。
「僕、呼ばれてるんで帰るから! 今日のところはこれでおしまいね!」
「……一々宣言する必要あったのかしら。それ。というか信じるとでも?」
「あ、よかった聞こえてたんだ。どこにいるかは相変わらずだけど今はもういいや。大事な大事な用事が出来たんだよ。だからここで戦うだけ無駄ってね」
「……」
彩華としては、宣言さえしなければ去ったかどうかも分からない相手を警戒して足止めをくらわざるを得なかっただけにその心境は微妙なものだ。
罠と切り捨てるにはあからさますぎるが、かといって本音で話しているのだとすれば意図が読めなさすぎる。
「そういうわけだから。じゃあね【リコリス】。また縁があったら殺りあおうよ」
やがて、無言を返答として様子見を続ける彩華にしびれを切らしたのか、菱崎は再び喜色を隠しきれない声音でそれだけを言い残すと、彩華の耳には砂嵐の立てるざあざあという音のみが残された。
「(どう思う?)」
『んー。どーでしょー、ちょっと待ってくださいねー。何か動きがあったか調べてみますー』
「(お願いね。私はその間に体力回復に努めるわ)」
『了ー解ですー』
会話の流れを標に横流ししていた彩華に対し、標は対策局の方で何か動きがあったかを調べると告げれば、彩華は明かり一つない地中、土の匂いが充満した世界で静かに目を閉じた。
『おまたせー。朗報と言えば朗報かなー?』
「(あら。早いわね。それで何があったの?)」
ややあって、頭に控えめに響く標の声に彩華はのそりと身を起こす。
正確な時間こそ計っていないものの、体感時間としてはたった数分で調査を終えたという標の能力に感心しつつ彩華が話を促せば、標はやや困惑を含んだ調子で結論を告げる。
『どうも、対策局は主要人物の避難を終えたことと、外に見える砂巨人の侵攻をきっかけに東都外周まで一時撤退するみたいなんですよね』
「(……いいの? それ。ああいうのを何とかするための組織でしょうに)」
『ですよねぇー。私もちょっと詳しい内情はわからないんですけど、どうやらそういう決定が上から降りてるみたいで。あーちゃんも消耗してるなら姫ちゃんに回収してもらう?』
「いえ。迎坂君があそこにいるんでしょう? なら私もやれることをやらないと」
思考を声に出し、自身の意志を固める様に立ち上がった彩華は足元に花開かせて地表を睨む。
「まだ終わっていないということは、迎坂君ひとりでは手に余るという事でしょうし。私なら砂とも相性は悪くないもの」
『……わかりました。無理しないでくださいね。私にとってはあーちゃんも大事な仲間なんですから』
「ええ。わかってるわ」
心をつないでいるからこそ、絶対に折れることのない彩華の意志を汲み取った標が名残惜しそうな声で健闘を祈り念話が途切れる。
そんな心遣いを心地いいと思いつつ、地表にせり上がった彩華は遠方に見える砂嵐の巨人へと向かって走り出すのだった。