11-48 東都崩壊戦線-急ノ二
他方から響く銃声と直後に赤色の防御膜が弾丸を受け止めた感触。それに間髪入れず降ってきた己刃の波状攻撃がイグナートの防御幕を散らす。
「あはぁっ!」
『チッ』
振り下ろされたタクティカルピッケルの先端がイグナートの後頭部スレスレで止まると同時、防御膜としていた宙に浮いた血液たちが針のように己刃を貫かんと反発する。
だが、己刃は既にその間合いにはおらず、最初から一撃先制離脱を目的としていたが故の行動の速さで距離を取っていた。
右手にコンバットナイフ、左手にタクティカルピッケルという異色の二刀流を構える己刃の姿は明らかに戦士然としたものではない。だが、それ以上にしっくりくるナニカを感じざるを得ないその立ち振る舞いにイグナートは目の前の相手がまだまだ余力ある、飢えた獣であると認識する。
「どうやってそんだけの血を持ち歩てたんかなって思ってたけど、そーゆーことね」
器用にピッケルの柄を回し、わずかな付着も許さないとばかりに血を振り払いながら、己刃の視線は振り返って正面に向き合ったイグナートの懐、コートの裏側にびっしりとつなぎ留められた輸血パックを見据えて呟けば、イグナートは応じることなく能力で押し固めた血液の刃を振りかざす。
「おっと」
『逃がさん』
互いに踏み込んだことでぐっと近づいた距離、しかし、元々流体であることからリーチなど有って無きが如し血液の刃が先に己刃を射程に捉える。
己刃も、最初の一撃からすでに特性を踏まえて武器で受けるような真似はせず、不測の事態が起きても余裕をもって対応できるだけの距離を空けての回避にて先制攻撃を凌ぐ。だが、
『近づけなければ如何に戦い慣れていようと無意味。能力があるなら使うといい。その上から捻じ伏せてやろう』
「――なーに言ってんのかわかんねーけど、やりよーはいくらでも、ってね!」
『むっ』
舌の上で飴を転がし、繋がった棒を唇の間で揺らしながらにぃっと口の端を釣り上げる己刃の態度に不審を抱くイグナートは、直後にひやりとした直感に従って背後へと血液の防壁を凝縮する。
瞬間、ガァンと大きな音とともに飛来した散弾が赤色の遮蔽を叩き、その表面を疎らに経こませていくつかを貫通させた。
『ぐ、ぬっ!』
「あははっ! よそ見厳禁銃火器元気ってなー!」
防ぎきれなかった散弾のいくつかがイグナートへ到達するも、元々の距離があったこと、防御膜によって大幅に威力を減衰されていたことでイグナート本人の身体を強く叩くにとどめ、礫の投擲を受けた様な鈍痛に思わず小さく呻いたイグナートへ、己刃は実に楽し気に掬い上げる様な軌道でピッケルを振り上げる。
ちょうど背後、それも斜め上部から降り注ぐような形の散弾を受けたばかりのイグナートはそのピッケルに対応するだけの血液を回すことができず、鈍痛に鈍りかけた身体に喝を入れて大きく跳び下がる。
ぶおんと大振りに風を切る音がイグナートの鼻先を掠めたのも束の間、直後には合わせる様に踏み込んできた己刃の手の中で柄が回され、突起が下を向くと同時に先ほどの軌道を逆再生するかのようにピッケルが振り下ろされた。
追撃の振り下ろしを、背後に回していた血液を再度前方へと固めることで受け止めたイグナートは続く右手のナイフによる斬撃をケースで受け流す。
流れるような攻防の中、己刃は相手の手筋からできる事、出来ないことを割り出してゆく。
「(攻防一体って言えば聞こえはいーけど、どっちかに割り振っただけもう一方に回す血の量が減って薄くなるのは予想通り。あとはどこまでできるかくらいかなー?)」
至近距離で血の刃を避け、身を屈めるような低さから足元を払う様にピッケルを薙ぐ己刃に、イグナートは残り少なくなった弾丸で牽制する。
『(先ほどよりも動きが良くなって……興奮が動きのキレに直結するタイプか。重ね重ね厄介だ……!)』
対して狙いもつけずに放たれた銃弾が己刃の薄桃色の毛先の幾本かを焼き焦がしながら通り過ぎる。
引き換えに振りぬいたピッケルもまた、流血をケースごと腕に巻きつけたイグナートが自重を預ける様に宙に浮くことで空を切れば、再び攻勢の主導権はイグナートへ。
自身と己刃の頭上に展開するような血の垂れ幕が下りる。それはイグナートにとっては攻防共に信頼すべき自身の持つ力であり、己刃にとっては差し出した腕を、頭を切り潰す断頭台として、両者に分け隔てなく降り注ぐ。
「っ」
己刃が咄嗟にピッケルを手放し横へと飛べば、その場に己刃が居たらどうなっていたのかを実演するかのようにすぐ目の前で耐久度が自慢の合金製タクティカルピッケルがすぱりと切断されてコンクリートに落ちる乾いた音を響かせた。
猫のように軽やかにしなる受け身で姿勢を起こした己刃が空いた左手を腰のホルスターへと伸ばし、引き抜きざまに自動拳銃を発砲する。
牽制として放った弾丸は当然のように血の壁によって弾かれるが、己刃はその間にもイグナートの視界が血で狭まった隙をついてナイフを握った指を曲げる。
この場を戦場にするに辺り、入念に仕込んだ糸による罠。暗闇では慣れたと言えどあると確信していてなお視認することなど不可能に近い極細の合金糸は己刃の意図通りに駐車場の天井近くにパイプや柱を経由して張り巡らされた本体に繋がるや否や、追って返した糸がイグナートの防壁を叩く。
ひゅん、という、イグナートが駐車場へと足を踏み入れてすぐに聞いた音。直後、血の障壁に走ったナニカが極細の亀裂を作って侵入すると、イグナートの左腕に浅い傷を刻む。
『ッ、能力――いや、暗器の類か!』
思いがけない痛みを押し殺してケースを握り直して銃を構え、しかし、
『(――弾切れッ!?)』
かち、かち、と。先は己刃が起こした弾切れ、しかし、リロードできる環境のないイグナートは即座に拳銃を放り出す。
すぐさま遠距離攻撃手段を能力へと切り替えたイグナートに差し向けられた血液の矢、どうやら凝固など血中細胞の作用まで操作できるらしいそれによって鋼の如く鋭く硬化した矢じりが降り注ぐ。
「(おっとー?)」
その間にも態勢を整えた己刃はその光景に脅威を覚えるよりも先、相手の選んだ択の悪さに疑問符を浮かべる。
思考に意識を惹かれつつもナイフで器用に自身に当たるもののみを軽々と弾く己刃の様子がその疑問の中身を示していた。
「(別に飛ばすだけなら液体のままの方が避けづらいのになーんで固めたりしたんだろー? ……んー。けんしょーすっか)」
弾いた血の矢が地面へ転がり、それが形を変えずそのまま散乱するのを横目に己刃は再び駆け出し距離を詰める。
『切り裂く!』
血の膜が伸び、枝分かれして複数方向から逃げ場を塞ぐように鞭のような刃が振るわれる。
だが、己刃は枝分かれを認識すると同時に急制動をかけ、強く後ろへと飛ぶことで迫る刃の射程の外へと逃れ、横へと跳ぶように駆けだす。
『……』
何度も別の角度から攻め寄せ、都度、枝分かれする血の刃によって射程外に弾かれること数度。
膠着したようにみえる両者だが、その表情の明暗ははっきりしていた。
『(測られたな)』
イグナートは自身の能力の性質、有効射程が己刃に把握されたと確信し、舌を打ちたいのを飲み下して努めて無表情を作る。
露骨なフリとはいえ、迎撃しないという選択肢も、有効射程を誤魔化しての迎撃もできる余裕のある手合いでないのは明らかで、その相手から揺さぶられてはわかっていたとしても最大限の迎撃を行わざるを得ない。
『(だが、奴にもこちらへの有効打はない。懸念すべきは罠と能力……)』
イグナートがそう考えている対面、己刃はといえば、
「(おっけーおっけー。大体理解した。あと2、3手)」
ぺろりと、口の中で小さくなった飴を転がしながら獰猛に笑う。
その顔は日頃の己刃の軽薄な態度からはかけ離れたもの、だが、初見の――しかも見慣れぬ異国人の――表情の変化をイグナートはそうであるという風にしか受け取れない。
『くるか……!』
「あはっ! はっはぁー!!!」
哄笑と共にナイフを宙へと投げた己刃の右手――開かれた五指すべてから糸が伸びたそれを握りこみ、思い切り下へと振り下ろす。
瞬間、びぃぃんと弦がひきつるような音が連鎖して響くと、地下駐車場の方々から金属が擦れ、ぶつかるような音が鳴り――
『なっ』
「ショータイムだ。バレエは得意か? 踊ろーぜー!?」
天井の暗闇の中、糸に絡められ潜められてきた数多の凶器が降り注ぐ。
それは刀剣。それは鈍器。それは長物。おおよそ、個人が持ち歩く、所有するには過ぎたる凶器の群れの雨の中、動揺したイグナートの虚を突いて駆けだした己刃の手には宙に投げたはずのナイフが握りなおされており、突撃を敢行しながら左手に握った自動拳銃の弾をすべて吐き出す勢いで発砲する。
『ぐぅっ』
「そーおれっ!」
正面からあてずっぽうの銃弾が飛んでくる。先ほどまでの正確な狙いはどこへやら、当たっても当たらなくてもいいとばかりに飛来する無軌道な弾丸を血液の防御膜が弾けば、表面を削る様に弾丸が後方へと滑ってゆく。
同時に、弾をすべて吐き出しきった拳銃をイグナートへと投げつけた己刃は宙づりになった武器の中から折り畳み式のスタンロッドを手繰り寄せ、踏み込みと同時に口の中の飴をかみ砕きながら膜を形成したばかりの血液塊へと叩きつける。
――バリバリ、と。違法改造されたスタンロッドが電光をほとばしらせて血液を焼き焦がす。
『ぐ、おおおっ!!!』
「おっとー」
このままではマズいと判断したイグナートは即断でカウンターとして血液の針をハリネズミの如く突き出すが、その予兆を見た己刃はさっさと跳び下がる。
それを追って、針から刃へと形を変えた血流が鞭として複数の向きから軌道を潰しながら迫る中、己刃はあえて下がらず、相手の範囲に収まる様に横へと駆ける。
血液たちが宙づりになった刀剣を砕き、鈍器を弾いて追い縋るが、
『しまっ』
突如、まるでそれ以上動かないとでもいう様にその刃先がピタリと宙で止まる。
イグナートの血液操作距離の限界、直線範囲ではなく、本体からの延長距離の可能性まで視野に入れていた己刃による誘導にまんまと引っかかった形でその仮説の正しさを実証してしまったイグナートは思わず舌を打つが、己刃はそんな反応を笑うでもなく、
「本体薄手になってっけどいーの?」
『ッ』
ナイフをイグナートの頭上へと投擲した己刃の声と同時、イグナートの足元へと落ちてくる丸い影に、イグナートはハッと息を飲む。
それは仕切り直しを強要された際に目に焼き付いたスタングレネード――しかも今回は形状からして殺傷目的の手榴弾であると即座に理解し、
『同胞の血よ――!』
鋭く小さくなった血液塊から伸ばした血流を地面へ、足元で骸を晒す部下の身体へと突き立てた。
直後、死体を突き破った多量の血液が地面に血溜まりとなっていたものまで含めて手榴弾を包み込むと、一瞬遅れて曇った爆発音と同時に血液塊が膨張する。
『――は』
手榴弾の超至近距離での爆発を抑え込んだイグナート、しかし――
「隙あり」
『しまッ――』
イグナートが手榴弾を抑え込むことをわかっていたかのように、血液の刃の内側、手榴弾の抑え込みによって使えない流血の間に滑り込んでいた己刃が新たに握った回転式拳銃をイグナートの心臓へと向けていた。
刹那の間も置かず響く発砲音。
だが、銃弾はイグナートの胸に吸い込まれるも、服の繊維を捩じ切り、皮膚に到達する直前で血液が抑え込んで阻害することに成功する。
『まだ』
「ぷっ」
『ッ!?』
起死回生、ここから反撃をと目論んだイグナートの目へと向け、己刃の口元から何かが飛び出したのを見た瞬間、イグナートは思わず銃弾を止めたばかりの血液塊を――なけなしの自由に扱える手札を――防御に回す。
イグナートの目元を覆う様に守る血液に届く、あまりにも非力で、殺傷能力などかけらも持ち合わせていないプラスチック製の棒。
イグナートがそれを認識するか否かという瞬間、全身を焼くような痙攣が襲い掛かった。
『ぐ、あああああああっ!?』
身体が理性とは無関係に痙攣を繰り返し、自由が利かなくなった身体につられるように血液塊の制御が途切れて地面へと落ちる。
若干の焦げ臭さを発しながら地面へと倒れたイグナートへ向け、意識の有無を確認するようにもう一度スタンロッドを突き付けて銃口を額へと向けた己刃はにんまりと笑う。
「はい、俺の勝ち―。3手目は要らなかったね」
けらりと、いつも通りの軽薄な表情で宣言する己刃は頭上から降ってきたコンバットナイフを器用に口でキャッチして受け止める。
スタンロッドを畳み、回転式拳銃をホルスターへとしまうと、ナイフを片手に意識を失ったイグナートを掴んで上着を脱がせながら血液溜まりから引きずり出す。
その後、器用に糸で間接と指、全身を縛り上げて不審な行動ひとつ起こせないようにしたところで、地下駐車場の地上へと続く出入り口が轟音を立てて吹き飛んだ。
「元凶よ我を恐れよ!」
その直後に響く幼さを残す少女の声に己刃はけらけら笑いながら応える。
「遅ぇ。俺がもう片付けたよ」
「な、なんだとぉ!?」
「雑魚のお相手ごくろーさん」
「ぐぎぎぎぎい貴様ァ!!!!」
吼えるように突撃してきたオッドアイの少女に面倒臭そうな顔を一瞬向けるも、すぐに牽制するようにナイフの切っ先を向け、
「ストップ。俺は言われたとーりにボス仕留めただけだし、ちゃんと主義主張曲げて生け捕りにしたんだからキレられるどーりはねーよ」
「ぐ、むっ!! 求道者の指図か……」
「そゆこと。……で、ゆっきー。この後どーすんの?」
少女の背後、吹き飛んで見晴らしの良くなった出入り口の方へと声をかける己刃につられ、銀髪の少女、黒帝院刹那もまたそちらへと視線を向ければ、この場にいること自体が不自然とも言うべき、平々凡々とした中肉中背の青年が苦笑交じりに現れる。
「とりあえずそこのケースの中身があればこっちで漁ったのと合わせて証拠になるから。身柄は適当に拘束しておいてくれ」
その姿はナイフを構えたユニコーンカラーの青年や赤と金のオッドアイに銀髪ゴスロリ服というパンチの強いメンツに比べれば没個性としか言いようがないが、そのふたりに対して気安く応対できているという時点で普通とは言い難い。
「む。では我らはもう為すべきことはないと?」
「いんや。むしろ刹那はこれからが本番だぞ?」
「何?」
「外見てみ。すげーからさ」
茶髪の青年、常群幸也に促され、気絶したイグナートを伴った3人が駐車場から外へ上がる。
すると、途端に吹き荒れる砂嵐が視界を覆いつくし、都内の様相を著しく変化させて久しい中、少し前までは存在しなかった異常が現在進行形で発生、発展していた。
「な、なんと! あれは遥か古に滅びたとされる巨人――!」
「ああ。しかも絶賛出雲とやり合ってる最中だ。ほら、あそこ」
「っ」
常群が指し示す指の先で、砂嵐が人型を取ったかのような巨大な――それこそビルをも上回る程の――人型がゆっくりと進攻する周囲を銀色の閃光が駆けていた。
遠方からであるが故、砂粒が如き微かな銀の光。しかし、砂嵐の中にあってもひと際輝く流星の如き煌きの存在に疑問をさしはさむ者はこの場には誰も居なかった。
「――ふ、ふふふはははははははっ! それでこそ我が好敵手! 地に有るべき巨人を繋ぎ留めんとする幽世の王! 求道者よ! 我は行くぞ!!」
「ああ。行ってこい。ついでに東都を救えば英雄だぞ」
「ふんっ。名声など我が偉業の後に続く副産物にすぎん! いざ、いざ、太古より連綿と続く戦乱に終止符を打たん!」
ごばっ、と、足元から巻き上がった風が降り積もった砂をまき散らし、銀の髪を振り乱した魔女が砂嵐の彼方へと飛び去ってゆく。
それを見送った青年ふたりは顔を見合わせ、
「相変わらず焚き付けんのうめーのな。扇動者にでもなればよかったんじゃねーの?」
「いいや。俺にはこれくらいしかできないってことだろ。それより、やみっきーは良いのか?」
「あん?」
「出雲との決着、の前に、あそこに参加して一旗揚げるって気にならないのかなってさ」
「あっはっはっ。なるわけねーじゃんあんなの」
無理無理、と、笑った己刃は首を振る。
そう言うだろうと思ったと笑う常群に、己刃はおいしいところをもらった反面、あそこに参加できない八つ当たりを交えて声をかける。
「あ、そーそー」
「ん?」
「地下の仕込みの回収手伝って」
「はぁー?」
語尾にハートマークがついていそうなほど甘ったるい声で頼みごとを口にする己刃に、常群は怪訝かつ不満げな声を上げるも、拒否の選択肢はないんだろうなぁと肩を落として頷けば、ふたりは再び地下へと舞い戻る様に踵を返すのだった。