11-46 東都崩壊戦線-破ノ六
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日本の中枢にほど近い中央区、オフィス街の中に紛れる様に――あるいは、日本という国の治安機構を嘲笑うかのように――その密会は行われていた。
『成果はこれだけか?』
『申し訳ありません。他と比べて厳重に管理されているようで、最近発足した部署もそのためのものらしく』
『……不法能力者対策局。能力全般に対する日本政府のカウンター部署だったか』
『はい。どうも管理・運営が既存の行政から分離しているらしく、こちらの協力者も深く潜り込めないようで』
『わかった。良い』
外を吹き荒ぶ砂嵐などはまるで縁がない地下3階に作られた空間は、窓が一切存在しないという1点を除けば地下であると忘れそうなほどに真っ当な内装をしていた。
華美というほどではないものの、貴賓室や応接間と呼ぶに相応しいだけの清潔感と、その場に居合わせるものをもてなそうという意識を持って整えられた華やかさ。しかし、地下にあるという現実がそうした真っ当さを差し引いて余りある程に、その空間は異質であった。
普通の会社であれば応接室などは地上階の一部に作られるもの、わざわざ客人を地下などという人目につかない場所に案内しようというのは、取引を隠したいか、その来客を隠したいか。そう疑われても仕方がないだろう。
事実、表向きは国外に本社を置く国際貿易企業の日本支部として届けだされているこの企業の実態はこのような機会に使われているという時点で真っ当な企業であるとは言い難い。
数多ある犯罪組織などが表に掲げるダミー企業と一味違うと言えるのは、表向きの企業もしっかりと存在感のある知名度のある企業である、という点だろうか。
それ故に、東都中央区という日本の政治中枢のすぐ近くに会社を構えていても警戒されておらず、東都が未曾有の混乱の最中にあるこのタイミングで最大のアドバンテージを確保して受け渡しの場として機能していた。
『そちらのケースの中に日本で行われている能力開発に関するデータと、能力に干渉・阻害する拘束具の実物が収められています』
『欲を言えば拘束具のデータも欲しかったが、そちらは難しかったか?』
『はい。実物は配備されている数も配備先も合わせてそれなりに出回っているものでしたが、肝心の理論や製造過程に関するデータは厳重に守られてまして……』
取引相手――日本に潜伏して活動を続けていた仲間の釈明とも謝罪とも取れる言葉を聞き流し、イグナートはケースの中身について思案する。
拘束具の現物は既に国外に対して輸出を、それも、能力者に対して否定的な世論を持つアメリカなどをはじめとした国々へ――能力犯罪に対する抑止力という名目でだが――行い始めていた。
現実的に考えて、能力者が完全に消えるということはない。であれば、そうした道具を欲する国は今後とも末永い取引が、輸出が望める相手ということになる。
日本は能力抑制の道具を産業にするつもりなのだろうかと考えたイグナートはしかし、天井から壁、足元を伝って身体を揺すられる感覚に思考を現実へと引き戻された。
『上階で何かあったようだな』
『――失礼します!』
通路の側から早口で聞こえた声に応じるより早く開かれた扉にイグナートは眉を顰めて入室した相手を見据えるが、飛び込んできたロシア連邦人の男はそんなイグナートの態度に気を向ける余裕もないのか、扉を開けてそのまま報告を口にする。
『上階で襲撃発生! 現在部隊が展開して防衛に当たっていますが状況は芳しくなく、長くは持たせられないだろうとのことです!』
『そうか。ご苦労。防衛に戻れ』
『ハッ! ……は?』
伝令の男がいつものように返事をし、きょとんとした声を上げる。
その顔には疑問がありありと浮かんでおり、イグナートはそんな男へと再度告げる。
『聞こえなかったか? 防衛に戻って良い』
『ハ、しかし……』
『どうした。命令が聞こえなかったか?』
繰り返すイグナートに、男は今度こそ信じられないものをみるように目を見開いた。
今しがた男が報告したはずなのだ。襲撃は激しく突破は時間の問題だと。その状況で伝令ひとり戻ろうがどうしようもないことは想像に難くない。
その上で、無慈悲に戻れと告げるイグナートに硬直していた男に対し、イグナートはどうしようもないものを見る目を向けた後に取引相手へと向き直る。
『部下がこれとは質が落ちたのではないか?』
『……申し訳ございません』
『求めているのは謝罪ではないのだが?』
『ただちに防衛に向かいます』
『よろしい』
圧力に耐えかね、取引相手の男が立ち上がると伝令の男がハッとなったように目を行き来させた。
イグナートの対面に座っていた男とて、日本に潜伏していた組織のトップとして活動していた男だ。その部下である伝令役はイグナートの存在はせいぜい本国からの催促役くらいにしか考えていなかったこともあり、完全な上下関係があることに――それも自身の生死がかかっていることに――驚きを隠せなかった。
伝令の男の肩を叩き、現実へと引き戻した取引相手の男が部屋を後にする。
イグナートもまた、かれらに遅れてトランクケースを掴んで通路へと足を向けると、通路には数名の部下が待機しており、先を歩いてゆく日本支部のふたりには目もくれず、イグナートが歩く脇を固める様に付き従って移動を始める。
『状況は』
『ハッ。先ほどまで上階からの映像が繋がっていました』
『見せろ』
軍隊のようにきびきびとした短いやり取りの後に脇から差し出された端末に残された映像を一目見て、イグナートは表情にこそ出さないものの心臓が冷えるのを感じてしまう。
『……』
そこに映し出されていたのは艶やかな銀髪を振り乱し、天変地異の化身が如き暴威を身に纏う魔女。
高らかに哄笑しながらその身振りひとつで災害を引き起こし、防衛に当たっている屈強な男たちが木っ端の如く吹き飛び、切り裂かれ、焼け落ちてゆく様は質の悪い映像作品のようですらあり、未だ壁を伝う振動が映像の中の出来事がすぐ真上で起こっていることを理解させる。
画面越しに見ても分かる。この魔女は不死者と同類の化け物だと。
イグナートは決して弱者ではない。能力者として場数を踏んだ自負があり、本国から信頼されるに足る軍人であるという自覚もある。
だが、それがなんだというのだろう。決して殺せぬ、殺せるイメージを抱けない不死の能力者と、森羅万象を嘲笑する無軌道の魔女の前では、災害に晒された無辜の民と何の違いがあろうか。
『何分経った?』
『もうじき5分が過ぎます』
即座に自身が身を晒して得られる勝算と、祖国から与えられた任務を頭に描き、天秤に乗るまでもないそれらを踏まえて部下たちへと冷徹に言葉を紡ぐ。
『3名残せ。それ以外は防衛に向かわせろ』
『了解』
イグナートの言葉を受けた部下が短く周囲を固める人員に声をかけ、
『では、往きます』
『ああ。ご苦労』
短い応答と敬礼に足を止め、イグナートも足を止めた部下に敬礼を返して送り出す。
今生の別れになるだろう挨拶を交わした部下が足早に走り去ってゆく。
イグナートは残った3名の部下を引き連れ、日本支部の面々や部下が向かっていった上階への直通階段とは別、地下1階に通じる階段へと向かう。
非常用階段に偽装された狭い螺旋階段は4人分の足音をカツカツと響かせ、上階に近付くにつれて地響きにも似た音と振動が否応なく脅威の近くにあることを実感させる。
緊張が高まる中、付き従う部下のひとりが先頭に立って非常扉を押し開ける。
微かに重たい金属が擦れる音を響かせて開かれた扉の先は電気が止まっていることで非常用電灯のみがほんのりと緑色に周囲を照らす薄暗い地下駐車場。
その光景は極端に暗い以外は平時と変わりないもので、出入り口付近から砂が吹き込んでいることから、今なお外と通じていることを証明していた。
『車を確認してきます』
部下のひとりが巧妙に他の車に紛れる様に停められた、戦時下でも運用できるほどに厳重に防護機能を搭載した、いっそ乗用車の形をした装甲車とも言うべきそれへと近づいて行き――
――ひゅん。
弦が引かれる様な風切り音が響くと同時に、足がふらりと傾ぐ。
『っ!』
部下の身体が不自然に止まり、崩れ落ちるとともに首から上が接続を失って転がる様を見たイグナートと護衛は咄嗟に陣形を組んで周囲に厳戒態勢を敷く。
その判断の速さはプロとしてなんら瑕疵のあるものではない。ただ、彼らは運が悪かった。
「あはっ」
駐車場にからっとした笑い声が短く響く。
小銃を取り出した部下が銃口を正面に構え、1秒、2秒、3秒と沈黙が、戦場の緊張を孕んだ静寂が辺りを支配する。
『車は破棄する。警戒を厳に。ブービートラップを避けて徒歩で地上に上がる』
『了解』
このまま暗闇の中に立ち止まっていては相手が飛び道具を持っていた場合ただの的でしかない。イグナートは短く決断すると部下に指示を出し、それぞれがお互いをかばう様に立つ部下の中心で罠に警戒しながら駐車場を後にしようと歩き出す。
だが、襲撃者もイグナートも、それをただ許すつもりがないというのはわかり切っていた。
『ッ!』
『がっ!?』
地下駐車場を支える太いコンクリートの柱を通り過ぎた時だ。
イグナートの背後を守っていた部下が短い断末魔と共にその姿を晦ませ、咄嗟に振り返ったイグナート達は目の前の頭上から降り落ちる粘液の雨に咄嗟に身を引いた。
一拍遅れ、それが頭上に吊るされた部下だった死体から垂れ流された大量の血液であることを理解すると同時、振り返ったことで前後が反転し、先ほどまで先頭を歩いていた部下の膝裏が強い衝撃を受けてかくんと落ちる。
『あっ――』
『後ろか!』
膝を付かされたことで下がった等身、その首筋にするりと滑り込んだ鈍い煌きが薄暗い闇の中で一閃され、短い声に振り返ったイグナートの前で鮮血が上がる。
一瞬にして部下が葬られたことに対する驚愕、同時に、そこに下手人の姿がなかったことに対して思考が散乱する。
それは偏にイグナートが対能力者戦闘に対して経験豊富であったことが故のものであった。
最初に首を斬られた部下や、つい今しがた吊るされた部下はまだブービートラップに引っかかったとすることもできたが、今まさに首を斬られた部下だけはその論では語れず、であるならば、イグナートが振り返るまでに身を隠すことのできるもののない目の前の出来事を処理するにはどうしたって能力が必要であると考えるのは仕方のないことで。
それ故に、イグナートは横合いから部下が庇う様に飛び出してきたことに驚いてしまう。
『(何を――)』
『がはっ!』
突き飛ばされ、よろけたイグナートが背後の血溜まりに足を突き入れ、靴が血を跳ね飛ばした音が、正面で響く銃声に呑み込まれる。
銃弾は元々イグナートの立っていた位置ではなく、飛び出した最後の護衛の喉を正確に打ち抜く位置を駆け抜けて貫通して瞬く間にひとりの命を奪った鉛がイグナートのすぐそばを通り過ぎる。
あまりにも一瞬。油断も隙も与えた覚えのない中で行われた鮮やかすぎる暗殺にイグナートは内心で舌を巻きながらも、今度こそ姿を見せた下手人を見て目を見開く。
『また子供――!』
「あはっ。運がいーね」
右手に拳銃、左手にコンバットナイフを逆手に構えた青年――日本人はとりわけ幼く見えるからだろう、イグナートには少年にしか見えなかった――行木己刃は、暗がりの中でさえ目立つ淡い桃色と水色が混じった白髪にも似た髪を揺らして幼く笑う。
その手にした凶器が凶弾を吐き出したばかりの煙を上げておらず、刃にべっとりと血がついてさえいなければ愛嬌すら感じるその笑みが、イグナートには逆に悍ましいものにしか見えなかった。
『あの化け物共の仲間というわけか』
もはやイグナートは目の前の男が尋常な相手だとは考えもしない。自身が生きてこの場を脱するには、ケースを死守して祖国にたどり着くためには、どれだけ困難であろうとこの場でこの男を殺さねばならないと決意する。
決死とも、悲壮とも違う覚悟を固めたイグナートの視線に射抜かれた己刃の口元が歪む。
それはご褒美を得られた子供のようでもあり、餌を前によしと言われた猛獣のようでもあり、
「いーねいーね、最高にキラキラって感じだ。あんたがイグナートって人でオーケー?」
『……狙いは俺か』
「ごめんロシア語はさっぱりなんだー。ま、とりあえず殺すから。後の事はゆっきーにお任せってね!」
あふれ出した殺意が互いの間で交錯し、善人の居ない無益な殺し合いが幕を開けた。
どうでもいいことですが、ふと投稿予約を行った際に、今日が4月4日でこの回が444話であることに気づきました。