11-44 東都崩壊戦線-破ノ四
黄泉路がマーキスのもとへと向かっている頃。
当初の目的を果たしながら南下していた彩華は人の多いほう、混乱の大きいほうへと向かううち、気づけば東都23区北西側の県境付近から都心部と言ってもいい渋谷にまで足を延ばしていた。
足を延ばす、とはいえ、その道程は一言で済ませるほどに容易くも平坦でもない。
見渡す一面を廃墟と見まがうばかりに割れた窓と吹き込む砂塵で荒らされつくした店舗やビル、避難の際に捨て置かれた車両が時折倒壊したそれらに巻き込まれて爆発炎上した跡。
――避難が間に合わず、または無謀にも立ち向かおうとした防備もなにもない微動だにしない人型など。
彩華が間に合っていればどうにかなったかもしれない。そんなもしかしたらがそこかしこに広がる光景は、ある程度割り切っていると自認していたはずの彩華の心に視界を埋め尽くし、今もなお降り積もる砂塵の如く沈殿して堆積していた。
とはいえ、そこで自責の念や悔悟を行動と切り離せるのが彩華である。
現実としてどうあっても自分だけでは救いきれるものではないし、そもそも、彩華は別に自身が救世主や正義のヒーローになったつもりなど毛頭ないのだ。
であれば、一時の感傷や、ありもしない可能性について考えて足を止めるだけ無駄、そう考えるのが彩華という少女である。
復讐の為に全てを注ぐ覚悟を決めながらも、その間の生活を自暴自棄に投げ捨てなかった少女である。
やるべきこととできることのギャップに折り合いをつけて着実に前に進む、邪魔なものを切り払い、目的に向かって最短距離で突き進むことのできる強さこそが、戦場彩華という少女の持つ特性であった。
「(観光名所もこうなったら形無しね。……事件が片付いたとして、復興にどれだけかかるのかしら)」
ざりざりと足元でなる砂の音も聞き飽きて、ついそんなことを考えながら歩く彩華は、以前訪れたことのある渋谷駅前の有名な大通りに近い位置にいることを地面に落ちた巨大な看板の残骸から見て取り、そっと溜息を吐く。
渋谷駅前と言えば待ち合わせの名所、そして、その場所から見える世界有数の巨大な交差点で有名な開けた場所だ。
本来であれば多くの道行く人々が信号に合わせて一斉に動き、さながら群舞の様な様相を見せる都会の情景が広がるはずのそこは、こうした非常時ではできれば避けて通りたい立地である。
何せ突っ切るにしても障害物がなく、高い建物に囲まれている都会である以上、見下ろしの視点から狙撃などの遠距離攻撃が届きやすい性質を持つ。
砂嵐が吹き荒れる今であれば多少はマシであろうが、一々そんなリスクを冒してまで遮蔽のない通りを無防備に渡ろうとは彩華には思えなかった。
とはいえ、彩華の目的が人助けと暴徒の鎮圧である以上完全に無視はできない。
数分と経たずに大路地の端に出る道に出た彩華は、物陰から覗き見たスクランブル交差点の様子に絶句する。
「(何があったの……?)」
砂塵を含んだ冷たい空気が運ぶ濃密な異臭。
空気を吸い込むだけで肺に鉄が沈殿するのではないかと思うほどに強烈な、夥しい血と内容物が入り混じった悪臭が鼻を突く。
多少時間が経っているのだろう、降り積もる砂が薄膜のように覆い隠そうとしている大路地一面に点々と、しかし隠しきれないほどに大量に散らばるそれを、彩華の認識は一瞬拒絶しかけ、しかし、すぐに現実を受け止めるなり、あまりの凄惨さに思わず仮面越しに口元へと手を当ててしまう。
そこにあるのは人体の残骸。それも、遠めに見ただけでも数人では飽き足らないだけの集団が雑多に、しかし丁寧にもどれひとつとして正常な人体のパーツが揃ったものがない状態でそこかしこに散乱している様は、これ以上ないと思えるほどに異常な光景であった。
以前黄泉路が夜鷹の面々を失って自棄を起こし、単身で壊滅させた死体漁りの拠点も死体の数という点では負けていないものの、あちらは操る関係上、五体満足の状態で館中に転がされていたのに対し、猟奇性と初見のインパクトという点で言えば、無造作にバラバラ死体が大路地一帯にちりばめられているという絵面の方が勝っていると言えた。
復讐の過程やこれまでの経験から一般人よりも人の死に慣れている彩華であっても、それだけの光景をいきなり叩きつけられて平静でいられるほど感性が麻痺しているわけではない。
バクバクと鳴り響く心臓の音を聞きながら、彩華は静かに息を殺して大通りからいったん身を隠す。
「(――大規模な衝突があった? 都心だし大通りもある開けた場所だから可能性はあるけど、あれだけの人数を相手にするにはそれだけの戦力が要るはず……)」
衝撃的すぎる光景に一度は理解を拒否した彩華だが、努めて冷静であろうとする彩華の思考が本能的な忌避感をねじ伏せて得た視覚情報を精査する。
遠目からだったので詳しいことはわからないものの、あの場に散らばっていたパーツは集団と呼んで差し支えがない数が揃っていた。
「(ちゃんと見ないとわからないけど、一目で違和感を抱くだけの何かがあれらにはあった、そこは気に留めておくべきね)」
勘にも似た、無意識下で感じ取った不自然さ。それは時として理屈を上回る真実を端的につかみ取った結果であったり、または自身の人生経験から導き出された言語化できない法則性であったりと様々だが、どちらにせよ、こうした非常事態の中でそれらの勘は往々にして正しいことが多い。
彩華も、黄泉路やかつての夜鷹の面々のように経験豊富といえるほど場数を踏んだわけではないが、それでもそうした経験が全くなかったとは言えない以上、注意しないわけにはいかなかった。
次いで、異常な光景の所為で跳ね上がった緊張からくる心身の強張りが思考の整理によって緩和されたことで、彩華は思考を次へと進める。
「(引き返して遠回りするべきか、迂回して進むべきか。どうしようかしらね)」
あれだけの死体が転がっているということは、少なからずこの場で戦闘ないし虐殺が行われたことは間違いがない。
あの死体が暴徒側のものであれ、東都側のものであれ、それだけは確かな以上、それを成した戦力がこの付近にいる。
降り積もった砂の量は遠目で彩華がそこに血溜まりや死体があるとわかる程度の量である以上、あれらが作られてからまだ時間はそう経っていないことを裏付けていたこともその判断の元となっていた。
暫し、思考を巡らせた後、彩華は実を低くしてセンター街の路地の片側から対面を見る。
「(戦力がどこにいるかわからない以上、遠回りしても鉢合わせするリスクはどうしようもない。なら少しでも都心に近づけた方が良い)」
スクランブル交差点の外壁を形成するビル群を使って迂回する。
そう決断した彩華は極力遮蔽に身を隠す様にしながら、ただでさえ視界の悪い砂嵐に紛れる様にセンター街を横へ突っ切り――
「っ」
ぞわり、と。
全身を囲われたような感覚が悪寒とリンクした瞬間、彩華は後先を一切考えず足元に対して能力を全力で行使する。
ごばっ、と足元の砂諸共敷き詰められた煉瓦やその下の固められた石や土を巻き上げ再編し、彩華を乗せた鈍色の大輪が天高く咲き誇る。
「――!」
そのまま向かい側のビルの壁へと突っ込むと同時、能力で穴をあけて侵入して身を隠そうと考えていた彩華は空中で突如失速した足元に驚愕する。
足元を通じて地面に接続し、地面から物質を巻き上げて急成長させていたはずの茎が、地面とつながっていないと直感的に理解、同時に即座に周囲を舞う砂を能力で繋げてかき集め、空中で寸断されて一瞬の浮遊の中にあった茎から蔓を生やして落下地点を制御し、地面すれすれまで落下する花弁から飛び降りる。
じゃりじゃりと彩華の靴裏が砂を蹴り飛ばして滑り、砂が湿って他とは硬度が変わった地点で止まったことで、彩華は自分が落下先の制御を投げ捨てたせいで交差点の側へと飛んでしまったことを悟り、
「へぇー。やるね!」
「――誰かしら」
砂嵐の中でも聞き違い様のない、はっきりとした日本語に彩華は静かに言葉を返し、声の出どころへと向き直る。
「そういうお前は【リコリス】だよね?」
声は、下手をすると黄泉路よりも幼い少年のもの。
先ほどまでどこを見ても立っている人間などいなかった死屍累々の交差点の中心で、小柄な人影が彩華と相対していた。
防塵マスクで顔の半分を隠し、キャップ付きの帽子と不揃いな前髪で片側の目元を隠した少年、その身なりを見た彩華は無駄と知りつつ言葉を紡ぐ。
「対策局の人間がいきなり民間人に襲い掛かるの、どうかと思うわ」
「民間人じゃないじゃん」
「たまたまでしょう?」
彩華は背後で根本から――それこそ、初めに彩華が身を低く進んでいた場所だ――断ち切られた鋼鉄の茎を後ろ手で示しながら肩を竦める。
「もし一般人だったらあれで死んでたわけだけど」
「その時は不幸な事故だよ。今更ひとりもふたりも変わらないでしょ」
「そういう考え方なわけね。国の組織が聞いて呆れるわ」
「別にー? 僕は言われたことやってるだけだし。だいたい、国のーって言うなら子供を就労させちゃダメなんじゃないんだっけ?」
「それもそうね」
互いに、話し合いでこの場が終わるとは考えていない。
どちらが先に仕掛けるのか。隙を窺うと同時に、互いに能力者であることを前提とした、能力の根幹ともいえるパーソナリティを言動から読み解こうとしていた。
「聞くまでもないけれど、これは貴方の仕業ってことでいいのかしらね?」
「うん。全部テロリストだから安心して良いよ」
「……貴方に安心できる要素、あったかしら」
「リコリスが仲間になるって言うなら守ってあげるよ」
「――結構よ。もう貴方に対して安心できる要素は見つかったもの」
「へぇ?」
マスクの内側で笑う様な、興味深げな声音を響かせる少年に対し、彩華は仮面越しに静かに意識を尖らせて薄く笑う。
「年相応の男の子って感じがして安心するわ」
「――!」
子供に囲われる趣味はない、そう言外に告げた彩華は駆けだすと同時に、大量の砂と地面を惜しげもなく使った茨の津波を引き起こす。
広場を軽快に駆け、的を絞らせないようにする彩華と、自らを飲み込もうと増殖して沸き立つ金属の茨、同時に対処を迫られた少年は初めて苛立ったように声を上げ、
「僕を馬鹿にしたこと、後悔しても遅いんだからな!!!」
少年から何かが放たれた、そう彩華が認識するよりも早く、茨の包囲に不自然な穴が開く。
「手加減はしない。邪魔する奴は皆やっつけて、僕が使えるってことを見てもらうんだ!!」
少年の宣言ともとれる声が彩華の耳に届くより早く、彩華は再び足元に向けて能力を行使、そのまま軽い跳躍と同時に足元に咲いた花が彩華の靴を絡め、滑る様に砂の上を滑走する。
その背後で、再び彩華が最初に感じたナニカが生まれ、消えると同時に残していた金属の花が寸断される。
「――」
その光景に何かをつかみかけた彩華、しかし、思考をまとめる時間すら与えないとばかりに彩華自身を包むような違和感が膨れ上がる。
それが閉じるまでのわずかな時間、彩華は足元の物質再編による押し出しを利用した高速起動をジグザグに、スキー場の起伏がある斜面を滑り降りる様な移動に切り替える。
背後で音もなく花を失った茎だけが残されるのを尻目に見ながら、彩華は実を低く、スケート選手のように地面へと片手を触れる。
「《飛刀牡丹》!」
「こんなの――!」
滑る様に砂を撫でた彩華の指先、その軌跡から瞬く間に咲き誇った大輪の牡丹の花が炸裂して少年へと薄く幅広の刃を殺到させる。
即座に対処すべく、少年が刃へと意識を向け、
「――《鉄線籠目》」
「ッ!?」
直後、大量の細い蔦が少年の背後を取って退路を塞ぐと同時、牡丹の花よりは控えめなものの、直前の攻撃によってそれが何を意味するかが分かる花がいくつも蕾を開く。
「《風車》」
彩華の声が砂塵に紛れる。
前後から挟み撃ちされる形になった少年は僅かな動揺を見せる間も無く、迫る刃を交わす様に一歩後ろへと跳び――
「それが貴方の能力ってわけね」
その姿が一瞬にして籠の目状に編まれた蔓の外側に、まるで自身の位置を入れ替えた様に砂の上に着地した少年の一部始終を観察していた彩華はそう小さく呟くのだった。