11-43 東都崩壊戦線-破ノ三
時間はやや遡り、黄泉路と彩華がそれぞれに東都の住民を救助しつつ移動を繰り返していた頃。
視界が一瞬にして切り替わるという、未だ慣れない転移のショックに目を白黒させた遙は、すぐに仮面越しに広がる光景に気を取られ、絶句する。
姫更に手をつながれた状態で遙が転移してきたのは、太多区の中でも空港寄りの駅にほど近い公園の茂みの中であった。
生活圏に被るため、遙も一度は訪れたことのある公園だがしかし、目の前に広がる光景は遙の想像を絶するもので、
「……なんなんだよ、コレ――!」
本来であれば冬場ということもあって葉も落ち切った枝を伸ばした木々の先には本来であれば空に落ちるような雲一つない青空が広がっているはずだが、現在は遠くからも見えた黄褐色の霧とも煙とも言うべき天蓋に覆われ、そこから降り注ぐ砂が枝を覆って視界を塞ぐ。
頭上がそうであれば、当然公園内はおろか、住宅地や商店街などへと続く大きめの車道などは見る影もない。降り積もった砂によって歩道と車道の境は曖昧になり、縁石やガードレールのおかげでかろうじて把握できるというレベルで砂に侵食された道路の先に広がる街並みは更に酷いものだ。
吹き荒ぶ砂埃によって短時間で表面を鑢掛けされた様に細かな傷で曇った窓ガラスがぎしぎしと音を立てる一戸建てが砂の洪水に呑まれるようにその足元を埋め、屋根の傾斜から止めどなく流れ落ちる流砂によって詰まった雨樋が重さに耐えかねて折れ曲がっている程度はまだマシなほどで、ひどいものではうまく流れなかった砂の重みで屋根の一部が剥がれ落ちて家そのものの機能が損なわれているケースもあり、それらが混在しつつも一切の人気を感じさせない街並みは遙の意識に端的に廃墟という単語を想起させてしまう。
それが自身がよく知る街並みの名残を感じさせるのだから、遙にしてみれば堪ったものではなく、一応の覚悟、なけなしの決意が一瞬にして砕けそうになる。
そんな遙を現実に引き戻す、手を引かれる刺激。
「どうする、の?」
「――ぇ、あ……」
猫の仮面が、遙を見上げていた。
絵柄としての猫を模した黒々とした目が遙に問いかけているようであった。何をしにここに来たのかと。
「……」
狐の仮面のお陰で降り注ぐ砂が口に入ることもなく、遙は埃っぽい空気を小さく吸って吐いて、さざなみ立っていた自身の内心を鎮めてから改めて口を開く。
「こんな状況でも、危機感もなんもなくはしゃいでるだろうバカ共に心当たりがある。……そんな奴らでも、オレの大事な友達なんだ。助けに行きてぇ」
「……」
姫更からの返答はなく、代わりに、仮面越しに顔事向いていた視線が外される。
それが何を意味するかを察することができない遙は宙ぶらりんになった絞り出した決意表明をそのままに、何か続けて言うべきか迷う。
「――だから、その、協力してくれ」
「うん。いいよ」
気まずい沈黙をやめてくれという意味も多分に含まれた遙の懇願にも似た言葉に、姫更は端的に応える。
「(めっちゃやりづれぇ……!!!)」
「(……わたしが、守らなきゃ)」
無論、姫更も事前情報があるとはいえほとんど初対面かつ素人丸出しの遙を嫌う理由はない。
どちらかといえば、これまで前線や矢面に立つことのなかった姫更が、ほとんど単独で危険地帯を活動しなければならない現状に対し、一般人――姫更の認識でもあり、身体能力的に言っても事実である――の遙を守りながら遂行しなければならないという使命感を抱いていた。
……つまるところ、姫更も姫更でこのシチュエーションに少なからず緊張していたのだった。
「……行こうぜ」
「うん」
互いにすれ違った意図の沈黙を破り、自身が庇護対象と思われているとはつゆほども考えていない遙が切り出せば、ふたりはようやく砂に煙る公園から足を踏み出した。
じゃり、じゃり、じゃり……。
靴裏が踏みしめる砂が擦れる音がふたり分、少年と少女の靴のサイズを示すような足跡もぽつぽつと残るものの、すぐに降りしきる砂によってかき消され、数分と経たずにこの場に誰かが居たという痕跡はなくなってしまう。
砂嵐の中を行くふたりの間に会話はない。何せ、仮面によって多少なり直接口に大量の砂が入り込むことこそないものの、空気そのものに微細な砂が攪拌されたような埃っぽさが充満しているのだ。そんな中で不用意に口を開けばどうなるかは転移してすぐに体感してからは必要以上の会話はしないようにと互いの暗黙の了解となっていた。
駅から伸びた大通り、取り巻く住宅街、砂塵に覆われ輪郭がぼやけた蜃気楼の如きマンションなどを通り抜けてゆくに連れ、遙もいい加減こうした非日常的で異常な光景にも慣れ――どちらかと言えば麻痺という方が近いかもしれないが――てきて、その足取りは姫更を気遣いつつも早くなりつつあった。
姫更はといえば、最初こそガチガチに警戒していたものの、持ち前の空間認識能力がこの砂塵の中でも正常に機能することを確認してからは半歩前を歩く遙の後についてじっとその背中を見つめ、廻から任された遙の観察に勤しんでいた。
やがて、商店街というよりは歓楽街に近い趣の、大通りからやや裏に入った路地に踏み込んだ頃。
無事だったビルの間は砂嵐も多少マシで、問題ないことを確認した姫更が口を開く。
「宛てはあるの?」
「……ん、ああ。オレたちがたまり場にしてた閉店したスナックがあるんだよ。ビルの地下1階――っつーか、半地下っつーのか? そんな感じの場所でさ」
「よく、入れたね」
「元々流行らねぇ立地だったっぽくてな。同じビルに入ってるのも怪しい人生相談所だのどこの国のだかわかんねぇ料理屋だのだったし、鍵をこっそりこじ開けてやればいい感じに使える広いたまり場だったんだよ」
それにさ、と。
遙は、以前であれば絶対に表には出さなかった内心をぽつりとこぼす。
「地下の秘密基地、って格好いいじゃん」
「そう……?」
ここに、常群などをはじめとした世間一般的な感性を持つ男子が居れば大いに賛同が得られただろう少年らしい思考。だが、この場にいるのは生まれてこの方世間の目を忍び、少年の抱く空想上の秘密基地などではない正真正銘の秘密結社の地下施設を渡り歩いてきた歴戦の少女である。
逆に、日常の感覚がようやく育ち始めてきた姫更からすれば、自分が馴染んだ環境のどこが格好いいのだろうという疑問が湧いてしまい、首をかしげてしまう。
「悪ぃ、やっぱ聞かなかったことにしてくれ」
「……そう?」
ここでも遙と姫更のすれ違いが如実に表れた形であるが、幸いにして、会話がぶつ切りになって再び気まずい空気の中歩くことはなかった。
「狐さん。人、いるみたいだよ」
「マジ? わかんの?」
「うん」
「マジか……。ちなみに何処に?」
「あそこの建物、下の方」
姫更が指差したのは、遙たちが立ち止まっていた路地を出て少し歩いたところにある、東都がこうなる以前からすでにボロボロだったのだろう、コンクリートのあちこちに水による細かなヒビや黒ずみが目立つ3階建ての廃ビル同然の建物であった。
その入り口は建設時には小さな土地故に事務所を想定していたのだろう、階数と部屋分の郵便受けが並ぶ、大人がすれ違うのも厳しいだろうという狭い通路と、その脇に併設された地面に沈み込む形で下る階段。
姫更の指は、その階段の先を指しているようであった。
「……やっぱりな」
「じゃあ、あそこ?」
「ああ」
遙が呻くような、呆れとも自己嫌悪ともつかない声を漏らせば、姫更はどうやら目的地らしいと理解し、そこに屯しているのが敵や火事場泥棒といった脅威ではない可能性が高いことに僅かに警戒度を落とす。
目的地に人が――それもおそらく遙が想定しているであろう面子が――いることが分かってしまえば、あとは躊躇う時間も惜しいと小走りで路地を飛び出した遙に姫更も後をついて小走りで砂嵐の中を突っ切って半地下の階段へと足を掛ける。
扉の前まで来ると、遙は仮面の内側で顔を顰めた。
扉越しでも伝わるほどに響くバカ騒ぎ。その聞きなれた声も、内容のない雑談も、今の状況を分かっていないことが手に取る様に理解できてしまうが故に、遙は苛立ち混じりに扉を蹴りあける。
「何だ!」
「うぉ!? 誰だテメェ!!」
勢いよく開かれた扉から姿を見せた狐面と猫面の男女に中で騒いでいた高校生くらいの少年たちがどよめき立つ。
驚愕と警戒を剥きだしにめいめいに放置されていた座席から立ち上がる彼らを他所に、遙はぐるりと店内へと視線を巡らせる。
仄暗い店内は砂が吹き込むこともなく、遙が知る以前に近いように思えた。
だが、いくつもの携帯ゲーム機やダンボールや袋に詰まったペットボトル飲料や菓子類、テーブルの上に大量に置かれた現金など、以前は存在しなかったそれらを認めた遙は盛大に溜息をついて仮面に手を当てた。
「……オレだよ。真居也遙だ。忘れたとはいわねぇだろ?」
狐面をずらし、額に斜めに掛ける様にして素顔を見せた遙に、色めき立っていた少年たちは目を見開くと同時に警戒を解く。
「おいおい、遙! びっくりさせんなよ!!」
「そうだぜ! お前この頃どうしてたんだよ!! 全然見かけねぇから心配してたんだぜ!?」
「っつーかそのお面何よ? 祭りかなんか行ってたんか?」
口々に遙に対して気安い言葉を投げる、以前と――普段と変わりのない少年たちに、遙は眉を顰めて遮る様に声を張る。
「お前らさぁ! 今がどういう状況かわかってんのか!?」
ピリピリと肌に刺さるような雰囲気を纏った遙の大声に少年たちはぴたりと口を噤む。
以前の遙にはない、迫力の様なものが背後に見える怒声に委縮しかけた少年たちだが、一番奥のカウンターで現金を札束にまとめて数えていた体格のいい少年が空気を押し返す様に、これまでの静観を破って声を上げる。
「お前こそ、ちょっと離れた間にずいぶんオトナになったじゃん」
「沢木、冗談言ってる場合じゃねぇってお前わかんねぇのか?」
「わかってるさ。こんなお祭り騒ぎ、滅多にないってな」
「お祭り騒ぎだァ?」
沢木と呼んだ少年の物言いに、遙の眉間のしわがさらに深まる。
そんな遙の様子を鼻で笑った沢木が演説でもするように手を広げ、背にしたカウンターの上に乗った現金やそこかしこに転がる戦利品を示しながら勝ち誇ったように声を上げる。
「お祭り騒ぎだろ! 大人どもが大慌てで逃げ出して、晴れて俺たちの天下って奴さ。どうだよ。今からだって少し取り分は減るけどお前も参加してかねぇか? これまでの事は水に流してやってもいいんだぜ?」
どうだよ、と言いながら、どこぞから略奪してきた現金をちらつかせる沢木の様子に、遙は目の前が真っ赤になりそうになる。
「お前だって、こんな状況でオンナ連れてんだからそういうことなんだろ?」
だが、沢木のゲスな付け足しによって同行者の存在を思い出し、すぐに冷や水を浴びせられたように頭が冷えるのを感じた遙は呆れと侮蔑を含んだ声音で沢木に返答する。
「わかるよ。オレだって少し前まではそうやってワルぶって外れたコトやってイキるのがかっけーと思ってたもんな」
「あァ?」
「でもさ。冷静に回り見てみろよ。大人が逃げなきゃならねぇ状況ってどんだけヤバいかわかってるか? ここだけじゃねぇ。東都全体がああなってる。それを仕掛けた奴らが散らばって暴れてる状況がよ」
淡々と諭すような遙は気づいていない。
その物言いこそ、自分たちが嫌っていた何でも知った風な口を利く大人そのものであることを。
遙は自分がいまだそちら側――少年たちと同じ視座にいる、少しだけ現実を知って、本物の危険や非日常を得てしまったが故に、日常こそを大事にしなければという意識が芽生えつつある自覚があるだけの、大人に反発する行き場のない子供であると考えていた。
だから、大人よりも、他人よりも、かつて同じように日常に対して鬱屈して、行き場をなくして、バカ騒ぎで忘れようと遊び惚けた仲間は、自分の言葉なら聞き入れてくれると信じていた。
だが、少年たちにとって、今の遙はかつての遙とイコールにはならない。
彼らのコミュニティは行き場のない子供達のもの。日常に浸り、非日常を知らず、その恩恵の上で有難みに唾を吐いて騒ぐ子供達は、一歩踏み出した異物に対して共感意識を持てはしない。
「何が言いてぇんだよ! 良い子ちゃんぶってんじゃねぇぞ!!」
「ちょっと強いからってイキってんのはテメェだろ!」
このままでは話にもならないと、遙はかつて一番ウマが合っていた少年――沢木へと視線を向ける。
無視された形になった取り巻き立ちがいきり立つも、現在の集団の頭である沢木がどう応えるかは気になったのだろう。視線が沢木へと集まると、沢木はカウンターに肘を置くようにして脱力し、双方に肩の力を抜くように示した後に斜に構えた調子で遙に応える。
「ちょっと盗んだくらいでキレんなって。持ち主が逃げ出したんだ、俺たちが保護してやらなきゃ可哀そうだろ?」
「そ、そうそう。お前だって金ないって言ってたじゃん。ほら、ちょっとくらい持ってけよ」
「新作やりたいけど金ねーっつってたんだし現物の方がよくね?」
「外めっちゃジャリジャリしてたしなんか飲むか?」
沢木が空気を引き戻したが故に、とりあえず不和の種は脇に置いて口々に遙を宥めようと声をかける少年たちに、遙は一瞥をくれた後に吐き捨てる様に告げる。
「――で、お前らそんなモンの為に死ぬのか?」
流れ出した緩い空気がピシリと音を立てて凍り付いたような錯覚が空間を包み込み、いい加減フォローするのもうんざりしたという風に沢木が苛立たし気に舌を打つ。
「なんなんだよお前。空気読めねぇの? 死ぬだのなんだの、考えすぎだっつぅの。だいたい俺ら能力者だぞ? んなもんなんか襲ってきたら追い返しゃぁいいじゃんか」
「お前ら程度の能力者モドキ、オレひとりでも全滅させられるのにか?」
「あ゛ァ゛!?」
遙の挑発としか取れない売り言葉に思わずドスの利いた声を上げる沢木の姿は取り巻きの少年たちすら完全に怒らせたと、本気で遙と殴り合ったら被害がやばいと焦りだす。
元々、遙の異質な能力は本質こそ理解されなかったものの周知はされており、その異質さから遙は居心地を悪くしてこの集団から疎遠になっていた。
それまでは素の身体能力が高く喧嘩慣れしていた沢木にかなうはずもない遙が、一方的に沢木を手玉にとれてしまうという事実は遙とそれ以外を切り分けるには十分な溝として機能していた。
その遙が、面と向かって集団のトップに立った沢木に喧嘩を売ったのだ。この先、沢木が手にした能力を自身の身体能力と合わせて使いだしたらこの場にいる周囲の人間も被害を受けてしまうかもしれない。そんな危機感が少年たちの間に広がる中、遙はかつてであれば引け腰が内心に浮かぶような状況になったというのに内心は自身ですら驚くほどに落ち着いていた。
「(……可笑しいな。前ならぜってービビってたっつーのに。アレか? 黄泉路にボコられまくった所為でマヒしてんのかな)」
むしろ、そんな状況がおかしくて、含み笑いの様な笑みが口元に浮かぶ遙に対し、余裕にしか見えないそれを塞ぐために大股で歩き出した沢木が怒声を上げる。
「何嗤ってんだぶっ殺すぞ!!!」
「(ああ。そっか)」
拳を固め、その表面に揺らぐオーラのような淡い光を宿した腕を構えながら、歩きから短距離走へ、駆け寄ってくる沢木の姿を棒立ちのまま眺めていた遙は腑に落ちるような感覚に内心で自身の落ち着きようの理由を理解していた。
「殺すとかさ」
「あ――ッ!?」
「簡単に言うなよ」
一瞬。拳を振り上げた沢木の懐に潜り込むように僅かに身を屈めた遙が沢木の構えていないほうの拳――なんの能力も纏っていないことが明白な無防備な腕――を取って交錯する瞬間に背後に回り込んでねじり上げる。
「グアアアアッ!?」
「動くなよ。暴れると折るぞ」
「ッ!?」
何のためらいもない、ゾッとするほど淡々とした遙の声に振り払おうとした沢木の身動きが止まる。
一部始終を見ていた姫更は沢木と呼ばれた少年の能力は身体強化系のそれであること、発動型であるが故に元の身体機能に掛け算する形で効果を発揮する短期型のものであるということ、その能力であるならば、身体的にはなんら特筆したもののない遙など一瞬で振り払うことができたことまで理解し、その上で言葉の圧だけで沢木を封じ込めた遙の姿に内心で瞠目する。
「こんな状況で冗談言うほどオレも優しくねぇし、変な気は起こさねぇ方が良いぞ」
「っざっけんな! こんな――」
「それとも、ここで死ぬか?」
「ひっ!?」
するりと、いつの間に手にしていたのか、首筋に滑り込んできた短刀の側面が自身の顔を下から映し出しす光景に沢木は思わず小さな悲鳴を上げる。
「お、おいおい!! 得物持ち出すのはねぇだろ!?」
「そうだぜ! さっさと手ぇ放せよ!!」
「お前らもうやめとけって!!! これ以上はやりすぎだろ!?」
一瞬にして決着がついたことに理解が追い付かず硬直していた面々は、遙が持ちだした明確な凶器に我に返って宥める様に、危険人物を見るような目で遙に言い募る。
言い募りはしても近寄りはしない辺り、彼らがまだまだ日常の枠の中にいる少年である証左であろう。
そんな彼らをすっぱり無視した遙は沢木に――そして室内の全員にも聞こえるような声量で語り掛ける。
「外で暴れてる奴らがさ。そんなお子様ルールで相手してくれると思ってんの?」
「ッ!?」
「……混乱するのはわかる。オレだって突然こんな状況になったらお前らと同じようなコトしてたと思う……いや、ここまでひどくはないか?」
同調するような、それでいて最終的には自問するような突き放しともとれる尻すぼみな言葉になってしまうあたり、遙らしいといえばらしいのだが、唯一この空気の中でそれを指摘できる立場にある姫更はそんなことをするつもりはないらしく、微妙な空気の流れを切り替える様に再び声量を戻した遙が面々を見回す。
「とにかく。今東都で暴れてる奴らはそういう奴らなんだよ。お前らだって死にたかないだろ?」
「っんで……お前はそんな知った風な口利いてんだよッ!」
今度こそ、死ぬかもしれないという危険性を遙自身の手にした凶器から感じ取った面々は今更のように身動ぎする。
居心地の悪さ、誰が切り出すかなどの牽制で黙り込んでしまった周囲を無視し、沢木が吼える。
自分はまだ負けてない。認めないと言う様な沢木の声はしかし、しんと静まり返った室内に一通り届いた後は外を吹き荒ぶ砂嵐のごうごうという音のみを残して静寂に溶けてしまう。
「……オレさ、つい最近まで中華にいたんだよ」
「――は?」
「お前らん所離れてから、まぁ、色々あってな。……そこで死にかけた」
「ッ」
死にかけた、という言葉の乾き方は、呟くような声量が砂に染み込む水の様に聞く者の耳に響く。
「首突っ込んだのもオレなんだけどさ。それでも、オレなんかのことを命がけで助けようとしてくれたヤツがいたり、ただの日和ったガキだったオレを戦えるようにしてくれたヤツもいて。……んで、命懸けの殺し合いなんかして」
「……」
平時であれば、嘘こけ、イキんじゃねぇよなどと茶化されるだろうその言葉も、遙の実感のこもった声音や躊躇なく刃を友人の首筋に当て続ける態度も合わせて否定や歪曲の意志をねじ伏せる。
「これもアイツらからすれば月並みなのかもしれねーけどさ。日常って、普通に生きるだけで命の危険がねーって、幸せなんだなって思ったわけよ。……だからさ。オレの言葉を信じなくても、実感できなくても良いから。今は自分の命を大事に避難してくれ」
真剣な言葉がかつての遙とは少し違う、これが成長なのかと思わせる、ある種のカリスマを感じさせる重みとなって不良たちへと浸透する。
あとは沢木さえ折れれば万事解決――と遙が考えていた時だ。
「下がって!」
不意に、扉の傍でこれまで沈黙を保っていた姫更が叫び、その姿が一瞬にして掻き消える。
「うぉおっ!?」
直後、道路側唯一の出入り口だった扉が流れ込んだ大量の砂にもみ砕かれて砕かれる轟音が響く。
遙は姫更の声を聴いた瞬間には咄嗟に両腕で沢木を引っ張って後方へと下がったことで砂に呑まれることなく、姫更もそのすぐそばに転移して姿を現す。
一瞬にして多くの出来事が起きたことで不良たちの思考がフリーズする中、流れ込んだ砂の山が隆起してそこから人が生える。
『ひひ、ははっ、ガキが居る……』
『ひとり、ふたり、さんにん、いっぱい、いっぱいだ――!』
『薬ィ……殺せば……薬ィ……!』
ざらざらとぼろきれの様な服から砂を滴らせて立ち上がった明らかに日本人ではない風貌の男たち。
その正気には見えない視線を向けられた不良たちは生まれて初めて本物の死ぬかもしれないという恐怖にあてられ、蛇に睨まれた蛙の様に硬直してしまう。
「お前ら! さっさと裏口から逃げろ!!!」
「ッ!?」
遙が大声で、注意を引くのも構わず――むしろ注意を集める事こそ主目的として――不良たちに指示を出す。
喝によって我に返った不良たちだが、しかし、言われた通りに逃げて大丈夫かと怯えた思考が足を竦ませ、誰一人として背後のカウンター裏へと駆けだすことができない。
そんな様子に遙はチッと舌を打って沢木を突き飛ばす様に後方へ転がすと、不良たちをかばう様に一歩前へと歩み出る。
『お前がここの頭か』
そこへ、明らかに異常な3人の背後、砂の中ではなく、砂を踏みしめて狭くなった扉をくぐる様に大柄の浅黒い肌の男が呟きながら現れ、その視線を正面の遙へと見下ろすように向けた。
「……なんて言ってるかわかるか?」
「わかんない。けど、私が守るから。下がってて」
「いや、ここでオレが引けるわけないだろ。……けど、手助けしてくれるなら大歓迎だ」
「わかった」
ふたりにしてみれば、倒すべき敵が増えただけ。会話の意志は互いになく、軽口にも聞こえる会話の間、ちらりと視線を向けた遙に姫更が頷けば、遙はこんな見た目でも彩華や黄泉路が頼りにできる能力者なのだと信じて先陣を切る。
「《九重狐火》!!!」
『炎使いが1人――』
宣言と同時、遙の頭上や周囲にごうっ、と9つの爆炎が燃え盛り、それらが鞭のようにうねりながら男たちへと殺到する。
まとめ役らしい黒人は冷静に呟き、足元の砂を隆起させて即席の壁とすることで阻み、
『ぎぇえええッ!?』
『熱い……熱いぃぃいぃ……!!!』
『火ぃ、火ィイィイィ!?』
前を張っていた薬物中毒者らしい3人が一瞬にして炎の鞭に囲まれて飲み込まれてその姿が見えなくなる。
だが、そんな状態でありながら――いや、そんな状態だからこそ、だろうか。
痛みから逃れるため、自身の手にあるものは何であれ使おうとするのは当然のこと。
湧きあがった砂が痛みにのたうつ使用者と同期するように暴れ回り、その一部が遙の後方でしりもちをついたまま固まっていた沢木へと伸びる。
「っ、ぁ……!」
沢木が咄嗟に顔をかばおうと腕をクロスにするが、本人とてそれで身を守れるなどとは思えなかった。
直後、衝撃が走る。
「うっぐっ……」
だが、痛みに呻くような声は沢木の口からではなく、そのがら空きの胴体から聞こえる。
「ぇ……あ……」
衝撃に反して痛みがほとんどないことに驚き、次いで、自分のすぐそばから聞こえた呻き声にクロスにした腕の奥で固く閉じていた瞳を開けた沢木は、自分の腰に抱き着くように自身を押し倒す遙の顔を見た。
その顔は青ざめ、痛みにこらえる様に眉間に皺を寄せたもの、そして、その顔から一瞬目を離した沢木は、遙の肩からどろりとしたものが流れ出しているのに気づいてしまう。
「お、ま、なんで――」
「とう、ぜんだろ」
友達なんだから。と、そこまでは息が続かないのか、口の形だけでそうつぶやいた遙は、沢木の肩を支えにするように手をかけて立ち上がる。
よろりと立ち上がった遙が焼けてもだえ苦しむ男たちへと向き直る背中に守られている沢木の内心はぐちゃぐちゃであった。
どうしてさっきまで敵対していた、仲たがいした自分を助けたのか。そんな怪我で大丈夫なはずないだろう。あれ、あのまま当たってたら死んでた。
自身の安全と死の恐怖、身を挺して守ってくれた友達への感謝と、その友達が今まさに火力を強めて男たちを焼き殺そうとしている場面に混乱する。
最も大きな混乱に振り回されている沢木だが、その光景自体に驚いているのは不良たちも同じであった。
遙の能力はあらゆるものを生み出すが、その火力は当人の暴力性も合わせて控えめ。それが彼らの共通認識だった。では、目の前で生きたまま焼かれて苦しみ悶えているのは何だ。目の前の仲間は、こんなにもあっさり人を殺すことができるほど狂った奴だったか。
そんな恐れ、おびえにも似た思考が渦を巻く間も戦況はめまぐるしく変わる。
『チッ、即席の砂吐きじゃ役に立たねぇな!』
「あなたの相手は、わたし」
『クッ』
遙の隣に立っていたはずの猫面の少女――姫更が転移によって一瞬にして脇に回り込み、その手に握られたものを認識するや否や、黒人能力者は咄嗟に砂の上を転がる様に身を投げ出しながら能力で壁を作る。
そこへ――ガンッ、と、撃鉄が打ち鳴らされ、炸薬が爆ぜる強烈な音が店内を奔り、高速で吐き出された鉛玉が先ほどまえ男の胴体のあった場所を砂の防壁を貫通して抜けてゆく。
一瞬遅れて店の壁に弾丸が突き刺さる音が響いたときには、すでに転がりながらも砂の槍を姫更へと射出する男と、先ほどまで少年たちが戦利品を乗せて騒いでいたテーブルを転移で引き寄せて盾にする姫更の姿があり、あまりの攻防の速さ、流れの滑らかさに不良たちは一瞬自分が危険地帯にいる事すら忘れそうになっていた。
遙とて、一瞬このまま手出しをしない方が良いのではとすら考えてしまうほどだが、炎で包み込んだ男たちが身動ぎしなくなってしまえばそうとも言っていられない。
「ッ、くっ……《御神渡》ィ!!!」
『なッ氷――!?』
派手に炎を見せ、炎使いであると、そしてその炎は自身の砂で防げるものと思っていた男に対し、遙は足を踏み鳴らした動作に連動するように足元が凍結して氷柱の槍が連なり広がる幻覚を叩きつける。
当然、倒れたまま呻くだけだった男たちはそれに呑まれて今度こそ意識を手放し、氷が見えてしまっている黒人も自身が操るべき砂を上書きする攻撃には回避を選択するほかなく――
「終わり」
そんな大きすぎる隙を足場を無視できる姫更が逃すはずもない。
再びの発砲音。しかも今度は連続して鳴り響いた轟音の後、ぐらりと傾いだ黒人が音を立てて転がると、その身体からしみ出した赤黒い液体が砂に染み込んで黒ずんだ湿った砂が後から流れてくるさらりとした砂を巻き込んで範囲を拡大してゆく。
そうして、襲撃者がすべて沈黙すれば、割り開かれた扉の外から吹き込む砂を含んだ冷たい風が奏でる轟音と、肩で息をして座り込む遙の荒い呼吸音だけが響く。
「最後のは、たすかった。ありがとう」
「どう、いたしまして……」
「大丈夫?」
「だい、じょうぶだ。傷が開いただけっぽいし」
いてて、と、苦痛に顔をゆがめ、足元をふらつかせながらも姫更の助けを借りて立ち上がった遙が不良たちへと振り返る。
「ほら、さっさと逃げるぞ。次同じ規模来たらもう無理だかんな」
「……え、あ……」
「んだよ。はっきり言えよ」
遙の声に、びくりと肩を震わせる不良たち。明らかな怯えが見て取れる彼らに、今更ビビったのかと呆れ交じりと未だに行動に移さないその呑気さに痛みからくる苛立ちを含ませた視線で睨んでみせると、不良たちはびくりと震えて互いに視線を行き来させる。
彼らが言いたいことが何か。それがわかり、なおかつここで自分が問わねばならないと理解した沢木が、ゆっくりと立ち上がりながら問いかける。
「……なぁ」
「あん?」
「あいつら、殺した、のか……?」
「――。ああ。そっか」
沢木の問いに含まれた意図――すなわち、人殺しは怖い。という、一般人として当たり前の価値観で怯えられていたのだと理解した遙は、ちらりと自身に肩を貸してくれている姫更へと視線を向ける。
「急所は、外した。生きてはいる」
「……だそうだぜ」
「お、お前は――!」
「殺しちゃいねぇよ。意識トんでるだけだ。だから起き出す前にさっさと逃げんぞ」
あえて言葉を軽くするように鼻で笑いながら答えた遙に、沢木はようやく目の前の少年が自分たちのよく知る少年とつながった気がした。
沢木は無言のまま遙に歩み寄り、身振りで代わる様に頼んで姫更から遙を支える役を受け持つと、不良たちに向けて声を張る。
「さっさと行くぞ。真居也が居なきゃ俺ら死んでんぞ」
「ッ!」
自分たちと立場が同じ沢木にそう言われてしまえば、硬直していた不良たちもようやく現実への理解が追い付いた様子で慌てて裏口へと駆けだしてゆく。
そんな中、自分を支えてくれるとは思っていなかった遙は瞠目したまま沢木へと視線を向けていれば、その視線に気づいた沢木はバツが悪そうな顔をそむけたまま歩き出し、
「……悪かったな。命拾いした。ありがとう」
「……ハッ」
ぼそりと、それこそ遙と、かろうじて姫更に聞こえるかどうかという声量で呟けば、遙は中華に密航するよりも前、沢木達とバカ騒ぎしてた頃に戻ったような気がして思わず小さく笑ってしまう。
その拍子に肩の傷が痛んで呻いたことで沢木が笑ったことに何かを言う余裕もなくしてしまったことで、気づいた不良が遙を支える手伝いに戻ってきたりとだいぶ賑やかになりつつ、遙たちは裏口の非常階段を抜けて建物の外へと向かうのだった。
「……っかわらず、ひでぇ天気だな」
「まぁ、そのうち収まんだろ」
「んだよ。なんか知ってんのか?」
空を見上げようとして、降り注ぐ砂が目に入ることを嫌って目を細めた沢木が口をすぼめて呟けば、返ってくるとは思っていなかった遙の返答に眉を顰める。
その様子に遙は小さく頷き、
「今頃、アイツが元凶をぶっ叩きに行ってるからな」
「アイツ?」
「おう。何を隠そうあの【リコリス】の仲間だ」
「マジかよ!? リコリスにあったのか!?」
「おうよ。マジくっそ美人、あとめっちゃ強い」
先ほどのシリアスが嘘の様な年相応の少年の日常会話に、一応は機密なのだからと口止めしようと姫更が横から割って入ろうとした時だ。
――ズズズズッ、と。遙たちの足元、否。東都全体が揺れるような地鳴りが響く。
立っていられないほどではない。だが、確実に異常事態であるとわかってしまう鳴動に不良たちがうろたえ、沢木も遙を支えるだけに集中する中、声を上げた遙に姫更がある方角を指し示す。
「うぉおおっ!? なんだ!?」
「狐さん。あっち」
「な、なんだ……あれ……!!」
示された先は遠くの空。
ビルの合間から見える砂嵐の天蓋があるはずの空は、今まさに渦を巻くようにその動きを歪に軋ませ、姫更の指し示す方角へと収束しているようにみえた。
さながら、テレビで見るハリケーンのような破局的な光景に言葉を失う面々の足元、降り積もった砂が、巻き上げられるように宙に流されてゆく。
「な、なんかヤバくねぇかこれ!?」
「言われなくてもめっちゃやべぇよ! さっさと避難すんぞ!!」
「任せて。避難先に飛ばす。こっちきて」
沢木の慌てた声に応じる様に声を上げる遙、それに煽られて挙動不審になる不良たちをまとめる様に、今しがた標経由で黄泉路からの情報を受け取った姫更は有無を言わさず少年たちを転送し始める。
次々に転移で消えてゆく仲間に不安を募らせる不良も、その様子を黙認する遙と沢木の圧には勝てずに姫更の手によって安全圏へと飛ばされてゆき、最後に残った沢木を転送した姫更は遙の手を握る。
「……助かったよ、ありがとうな」
「どういたしまして」
一言告げた遙に返答した姫更は、遙ごと自身も転移して撤退する。
転送までのごく短い時間、おそらくは黄泉路が居るのであろう砂の渦へと視線を向けた姫更は、砂嵐の中に巨大な人影と、その周りを飛び回る光を見た気がした。
「黄泉にい……」
無事を祈るほどやわではない。そう理解しつつも、これだけの規模の事件に対して不安を抱いてしまう姫更の声は、ふたりが消え去ってしまえば巻き上げられる砂嵐と共に痕跡すら残さず消えてしまうのだった。