11-39 東都崩壊戦線-序ノ二
姫更の転移によって都内23区の北西、県境にも近く、未だ被害の余波も薄い地区へと飛んだ彩華は、マーキングが埋め込まれた公園の植え込みからそっと周囲を窺う。
災害時の避難場所にも設定されている公園の広場には幾人もの集団が所在なさげに固まっており、その様子は非常事態に際した怯えや混乱はあれど、直接的に被害を目の当たりにしたなどという恐怖は見て取れず、外周地区にはまだ被害は届いていないらしいと把握した彩華は仮面を外して民衆に紛れると、足早に避難所を後にする。
迷いなく避難所から離れていく少女の後ろ姿を見た者もいたが、他人に構っているほど余裕があるものもなく、彩華はすんなりと避難の真っただ中にある慌ただしい街の方へと抜けることができた。
環状線の外側、23区とはいえ住宅地に近いこともあってオフィスビルなどよりは飲食店や雑貨店などが多い路地は当座の荷物を抱えた人が行き交っており、そうした人々の危機意識も差も疎らに感じられた。
「(まぁ、危機も迫らなきゃこんなものでしょうね)」
中には道路脇で少人数で立ち止まり、端末のテレビ機能や動画配信者の映像を通じて別の世界の出来事のように盛り上がっている若者の姿もあり、彩華は彼らが逃げ遅れても仕方ないだろうなという気持ちと、それでも手が空いているにも関わらず助けないというのは自分の矜持はもちろん、黄泉路もあまり印象を抱かないだろうなと打算的に考え、小さく溜息をついて視線を前へと向ける。
未だ日常の残滓が残っている所為でどこか緩い空気だが、彩華はそんな空気が嫌いだった。
日常から理不尽に転げ落ちるような感覚。すでに非日常の側に馴染んでいる自覚があってなお、彩華は自らが能力を手にした際の出来事を忘れない。それは彩華にとって人生の転機であったことは勿論だが、その上で自分が決断した結果の今を正しく受け止めると決めた、彩華なりのケジメであった。
早歩きで商店街を抜け、人が少ないほう、少ないほうへと道行く人の進行方向を逆走する形で進む彩華は、正面の進路上の先で悲鳴が聞こえたと同時に走り出す。
何事かと動揺する避難民の間を駆け抜けながら懐に丸めていた仮面を再度形成して被ると、程なくして彩華は騒ぎの原因を目視圏内に収めて仮面の内で小さく舌を打つ。
ジリリリリとけたたましく警報音が耳を叩き、煉瓦敷きの歩道に飛び散ったガラスとかろうじて扉だったものとわかる金属フレーム。そして――
「こっち来いよ!」
「いやああぁあぁッ!」
「ははははっ」
複数の男たちの耳障りな大声を引き裂くような女性の悲鳴。
割れたガラスの散った通りはかなり大きく距離を開けて遠巻きに人だかりができており、すでにこの混乱に順応したものの繰り広げる暴挙を、その当事者であるという実感のない野次馬が囲む。
あまりにも平和ボケした集団を押しのけた彩華が店舗の前へとたどり着くと、ガラス片に混じって地面を汚す血液が事件性を物語っており、昼間ということもあってまだほの暗い程度で済んでいる店舗の中から物色するような荒々しい物音と女性が抵抗する半狂乱の声、さすがに苛立ってきているらしい男の怒声が響く。
「ああ、もう」
突然外から野次馬の円を割って突入した彩華へと向けられる好奇の視線はまだしも、端末を掲げてカメラを向けてくる輩は諸共にしてやろうかという苛立ちが頭をかすめるも、そのストレスもまとめて目の前の便乗犯共にぶつけてやればいいと意識を切り替えて足を踏み鳴らす。
バキリとガラスを踏み砕く音と、足元から爆発的に発生した鈍色の蔦が店内に躍り込んで行くのは同時であった。
「な、ぎ、あああああっ!?」
「うわあああああッ!!!!」
「きゃああああ!!」
先ほどまで威勢の良かった男も、半狂乱だった女性も、一切の区別なくその声が悲鳴として響く。
一瞬の出来事で野次馬が何事かとリアクションをすることもできないうちにすべてを終わらせた彩華はふんと仮面の奥で小さく鼻を鳴らす。
それから間もなく、店舗の薄暗がりの中を蠢くように蹂躙した金属の蔦が引き上げられ、珍しく刃も棘もない蔦に絡められるようにしてひとりの女性が姿を現した。
男たちに暴行されたらしく、顔を腫らした女性の惨状に野次馬から息をのむような音が聞こえるのも無視して、彩華は蔦をそのまま野次馬の方へと差し向けて女性を遠巻きにする人々の傍に下ろす。
「避難所は向こうよ。貴方達も、こんなことをするくらいに暇を持て余しているのだから、傷心の女性ひとりくらい連れて行けるでしょう?」
軽蔑するような声音を隠しもしない彩華の言葉で我に返った野次馬、だが、その言葉に反感を抱く余裕もなく、また、彩華の見せた特徴的な能力は野次馬の中で連日メディアによって刷り込まれたある情報と結びつく。
「リコリス……」
「リコリスだ……」
「マジ? 本物!?」
俄かに騒がしくなる野次馬、しかし、口で言ってもわからない暢気な野次馬に苛立ちが再加熱されてしまう彩華は無言で足を踏み鳴らして店舗の中へと蔦を侵入させると、勢いよく何かをからめとって乱雑に野次馬の目の前へと放り出す。
どかりと鈍い音を立てて煉瓦道の上を転がって動かなくなるそれは、一般人であれば目にする機会もそうそうないだろう。
全身を切り刻まれて、もはや血に塗れていない個所を探す方が難しいというほどに派手に出血した複数人の男が痙攣しながら横たわる姿に野次馬から咄嗟に悲鳴が零れる。
そうして野次馬の言葉を封殺した彩華は、今度こそ底冷えするほどに苛立った声を民衆へと向けた。
「私は別に、正義の味方になった覚えも、誰かの為に身を削る気もないの。貴方達みたいな自分だけは大丈夫なんておめでたい頭の人たちがどうなろうが、自業自得としか思わないわ。だからこれは最後の親切心。さっさと避難所に駆け込んで警察なり対策局なりに保護してもらいなさい。次に会う能力者が、私みたいに冷静である保証なんてどこにもないのよ」
彩華の本来のスタンスとしては、自分の様に非日常の側から不意に引きずり込まれて平穏を、当たり前の生活を脅かされるような人がひとりでも減ってくれるならば、手を貸すのは吝かでもないという人助けに向いたものだ。
だが、それは今の様に非日常に対して面白半分で首を突っ込み、観客面して悪びれない無神経な輩を無条件で救ってやることとイコールではない。
元々そうした物事の線引きが明確な彩華にしてみれば、この場において救われるべきを救った以上はこの場でアフターフォローまでしている暇はなく、どうせ役に立たないならばせめてアフターフォローくらいは引き受けて見せろという程度の発破のつもりであった。
だが、そんな期待にすら応えられないのが、当事者意識というものが欠如した野次馬たちで……。
「ひ、ひいいい!!」
「うわああ!!」
「押すな、押すなつってんだろ!?」
どたどたと、まるで穢れから離れようと蜘蛛の子を散らす様に散り散りに駆けだして、保護するように告げた女性すら放り出して逃げ出してゆく。
その背中を一瞬呆気にとられ、次に、どうしようもないものを見るような侮蔑を含めて見送った彩華のもとには、かろうじて生きているだけの暴徒と、最低限店舗から連れ出すまでに服を繕っただけの傷だらけの女性だけが残される。
「……はぁ」
もはや言葉もないというのはこの事だろう。どうせこの後撮影した動画に好き勝手な言説を乗せてまき散らすのだろうと思うと殺意すら湧くが、そんな有象無象の為にこれ以上気を割くのも億劫だと感じた彩華は女性とこのままいてもおびえさせるだけだろうと背を向けて歩き出す。
「あ、あの」
「何かしら」
一歩踏み出したところで、女性の意を決したような声に足を止めた彩華が振り返らぬままに応えれば、女性はよろりと震える足で立ち上がる。
「あ、ありがとう、ございました。助かりました」
「気にしないで。私がしたいようにしているだけだもの」
「……はい。それでも、ありがとうございます」
「大通り沿いを進めば避難所に着くわ。暫く歩けば人も増えるでしょう」
悲鳴を上げ過ぎたせいだろう、なおもなり続ける警報に呑まれそうなほどに控えめな掠れた声が告げる礼に明確に応えることはしないまま、彩華は早くこの場を去る様に告げる。
「あの、リコリス……さんは?」
「私はまだやることがあるから」
「……ありがとうございました。その、がんばって、ください。助けてくださったこと、忘れませんから」
彩華に向けて小さく頭を下げてからゆるゆると背を向けて去ってゆく女性の姿をちらりと上半身だけで振り返って見つめた彩華は、この先もこんなことが多くあるのだろうかと早くも陰鬱になってしまう気分を振り払うように小さく深呼吸し、衆目を気にしなくてもよくなったことをこれ幸いと足元から大量の刃の蔦を沸き立たせ、それに乗る形で高速で移動を始める。
「(私は無駄に知名度があるからマシだったのだろうけど。ほんと、能力者って損だわ……)」
まだまだ世間の極端な偏見も抜けきらず、勝手に期待して勝手に失望する外野の存在と向き合おうとする黄泉路の事を思考の隅に上げた彩華は宙に敷かれたレールの如き蔦の上から救助者の有無を見逃さないように目を凝らすのだった。
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