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11-35 洋上の砂漠

 旅客船と言うには広すぎる船倉、その床一面を覆いつくす砂が間欠泉のように幾本も吹き上がり、黄泉路を巻き込むように重力に従い降り注ぐ。

 黄泉路はすぐさま範囲から逃れ、男に接近すべく足に力を入れるが、


「――っ」


 ぐっと撓めた膝まで届くように砂が絡みつく。

 地形からして予想はしていたため、一瞬の間ののちに力づくで振り払って走り出したものの、一瞬さえあればもともと広範囲を対象に降り注いでいた砂には十分で――


『砂鑢だ! 削れて消えな!!』

「ッ、く……!」


 降り注ぐ微細な粒が黄泉路の全身を叩き、高速で叩きつけられるそれは頭を、手を、服を、轟音を立てて引き裂いて瞬く間に赤黒く染まってゆく。

 外からでは観測できないほどに激しい砂の滝に染み付いた色は内部の凄まじさを物語るようであったが、男はサングラス越しに注意深く赤黒の不定形へと形を崩していく影を見ていた。

 降り注ぐ砂によって攪拌され、足元の砂の色まで赤黒く変色し始めた、その時だった。


『マジかよ』


 ずるりと、黄泉路の左腕が赤黒い砂から飛び出してくる。

 船倉の床を埋める砂は見かけほどの高さがないことを男は知っていた。それゆえ、砂から突き出した腕の角度から、黄泉路が砂の下に潜って砂鑢を回避していたわけではないことを瞬時に理解し、であれば、それ(・・)がどういう理屈で砂の中から飛び出してきたのかと理解を超えた光景に思わず悪態を漏らしてしまう。

 突き出した腕が肘を折って砂に手をつき、そこを起点に下にある身体を引き上げるような動作をすれば、砂に散らばっていた赤黒の塵(・・・・)が吸い寄せられるように腕の根本に集まってゆき、学生服に包まれた左肩が、先ほどまで鑢の雨に打たれていたとは思えないほどに健康的な白い首筋が、夜空のような黒髪と表情の読めない無貌の面に包まれた顔が順々に砂から生えてくる。

 ――そう、文字通り、生えてきていた。


『登場の仕方がジャパニーズホラーだぜ……!』

「なんて言ってるかは、なんとなくしかわからないけど」


 そのまま、足を引き抜くような動作で体を再生した黄泉路は強く踏み込んで間合いを詰めながら槍を振るう。


「人を鑢掛け(・・・)した奴が言うことじゃないよね!」


 重心を後ろへ、頭を最小限の動きで後方へと下げれば、一瞬遅れて男の頭があった場所を槍の穂先が通り抜ける。

 会話と呼ぶにはあまりにも殺意の高い一撃に内心ひやりとしたものを感じた男だったが、槍を振りぬいた隙をふいにするほど初心ではない。

 素早く踏み込み、もぐりこんだ黄泉路の鳩尾へと引き絞った拳を突き出した男の拳に足元から舞い上がった砂がまとわりつく。


『ッ、ラァ!』


 男の拳をコーティングするように砂が渦を巻き、先ほどの砂鑢の縮小版を形成して黄泉路の胴部へと突き刺さる。

 一瞬で千切れた学ランの切れ端とボタンが飛び散る中、黄泉路は槍を引き戻すと同時に男に蹴りを見舞って距離をとる。

 穴の開いた胸は赤く血が滲み、それすらも内側から修復されるように傷口が消えてゆくが、男もそれを承知の上で、さらに追撃すべく体勢を立て直す。


「(普通に強い……! まともにやりあってると持久戦になる)」


 仮面の裏で唇を結んだ黄泉路は間髪入れずに再度距離を詰めてくる男に槍の穂先を合わせ、牽制として細かな払いで懐へと潜り込ませないように立ち回る中、ボクシングスタイルの男がステップを踏んだ足元から沸き立った砂が槍の穂先をわずかにそらす。


「――またッ」

『ハッ!』


 砂のからめとる力事態の瞬発力は低いものの、一瞬の引っ掛かりが力加減を誤らせることに違いはない。

 必要最低限、その場その瞬間で求められる最適な力を出すことに慣れた者ほど、こうした搦め手による奇襲のズレは大きくなる。

 小刻みな牽制をすり抜けた男が再び拳を構え、しかし、黄泉路を間合いに捉える直前、男は服のポケットから何かを取り出して握りこんだ。


「(何を)」


 もはや槍は間に合わないと、自らの体そのものを軸に強引に槍のリーチをズラして引き戻し、男の拳を払うように黄泉路が石突を払う。


『ッ』

「(また砂――!)」


 石突が捉えるはずだった男の腕にまとわりついていた砂がクッションとなり槍の勢いを緩和、完全に受け止め切ったわけではない様子で男が顔を顰めるが、しかし、鈍い音を響かせながらも男は拳を黄泉路の身体へと到達させる。

 何かを握りこんだ拳が黄泉路の腹部へと突き刺さり、直後、今度こそ皮膚を貫通して臓器そのものを貪るように体内へと砂が入り込む。


「うっ、く……、でも、これで」


 常人であれば致命傷、それも一瞬でショック死しかねない攻撃を受けながらも、黄泉路は不死身の名の通りに自らの身体そのもので食い込んだ男の拳をつなぎ止め、実質的に男を捕獲してみせる。

 だが、この場にいるのは黄泉路と男だけではない。


『お前ら!! ご褒美が欲しけりゃコイツを殺せ!』


 男が吼えるように声を上げる。

 空気が振動する錯覚すら抱くほどの声量に黄泉路が瞠目するのも一瞬、男の声をかき消すような重奏が響く。


「う、ぁ……あぁあぁあ」

『あ、ああ、あれの匂い、甘い、アマイ、におい――!』

『よこせよこせ寄越せよこせ寄越せヨコセェー!!』


 それは砂に半ば埋もれるように積まれたコンテナの中。

 コンテナや砂の遮蔽になっていた物陰の奥。

 半ば砂に埋まるように倒れていた床。

 船倉のいたるところに散らばり、ただ茫然と砂を生み出しながら虚空を見ていた使用者達が、一斉に理性を取り戻したかのように反応して動き出す。


「っ!?」


 ただ暴れるでもなく、一直線に砂をかき分け、砂をまき散らして黄泉路へと群がってくる姿はさながら上階で黄泉路が仕向けた屍者のようですらあり、一目見て理性を感じられない血走った瞳が一斉に黄泉路をとらえていることに本能的な怖気を感じてしまう。

 とはいえ、それしきのことで支障をきたす黄泉路ではない。


「麻薬で刷り込みでもしたの?」

「さぁな、だとしたらどうする?」


 なおも逃がすまいと男の腕を掴んで問う黄泉路に、男は口の端を釣り上げてあえて日本語で返答する。

 その間にも、もっとも近くから駆けてきていた痩せぎすの中華人らしい男が背後から黄泉路に掴みかかり、黄泉路の身体が後ろへと引かれる。


「――どう、と言われても」

「!?」

『薬、薬どこだよ、寄越せ、薬を寄越』


 ひとり、ふたりと、まだまだ増える気配のある中毒者達にこのまま囲まれてしまうのも手間に感じた黄泉路は一旦男の腕を拘束することを諦めて自身を引き倒そうとする中華人の腕をとり、そのまま力任せに引きはがして投げ飛ばす。


助けられないもの(・・・・・・・・)まで助けようとは思わないよ」

「げ、ぷぁ……!?」


 投げ飛ばされた際、あまりの膂力に元は栄養失調気味だったらしい浮浪者然とした中毒者の男の身体では耐えきれなかったのだろう、黄泉路の掴んだ腕が肩口から千切れ、男の身体が放物線を描いて砂の上へと投げ出されて動かなくなる。

 黄泉路は手元に残った腕を放り出すと、右手に持った槍を素早く振るって先頭を向かってくる女を袈裟に切り付けて転倒させ、そのまま槍の遠心力に軸足の回転を乗せて大きく跳んだ。

 すでに男は黄泉路からある程度距離をとっており、中毒者達の中に紛れるように砂を操る方針に切り替えたようだ。

 空中から陣容を大雑把に認識した黄泉路は着地と同時に足をとられるのもお構いなしに向かってくる中毒者を槍でなぎ倒して仕留める。


「起きて」


 ついで短い言葉を紡げば、先ほど切り殺されたはずの中毒者がふらりと身を起こし、いまだ血も乾かぬ身で先ほど以上に虚ろで人としての重大な何かを欠落させた様相となって近くにいた中毒者につかみかかって押し倒す。

 間も無く倒れた中毒者の首元から血しぶきが上がると、さすがに薬で理性を薄められていた廃人たちにも動揺が走った。


「オイオイ、ヒデェことしやがる」

「君たちが麻薬で廃人にしたりしてなきゃこんなことやってないよ」


 男と黄泉路との導線、その最中に立っていた不幸な中毒者をまたひとり切り伏せて屍者に変えながら淡々と答える黄泉路はさながら死神のようで。

 実際、黄泉路の目には彼らの魂の状態がはっきりと見えており、正常とは程遠い、決められた型に押し込められてゆがめられたように見えるそれらは黄泉路が救えないと断ずる理由にもなっていた。

 例えば、仮にここに遙などがいれば、黄泉路とて死体支配の能力を自重することもあっただろう。

 だが、この場には黄泉路を見る人物は敵しかいない。自重も投げ捨てた黄泉路が躊躇う要素は残されていなかった。

 男もようやく、黄泉路という少年の異常性を目の当たりにしたことを実感したのか、その顎筋に冷や汗が伝う。

 とはいえ男も無策で黄泉路をこの場に誘い込んだわけではない。


『――しょうがねぇ! テメェら!! (ゴミ)(ゴミ)なりの価値を示せ!』


 躊躇に足が止まっていた中毒者達の身体に、沸き立った砂がまとわりつく。

 悲鳴を上げるもの、呆然と立ち尽くすもの、屍者と必死の格闘を続けるもの、それらすべてを飲み込んで、隆起した砂がそれぞれを核とした人型を形作る。

 大きさにしてもととなった人物の1.5倍程度まで膨れ上がった砂塵の怪物達が、薄くなった砂の上を駆けて黄泉路へと殺到する。


『これがオレの最後の切り札だ! どう超える【不死者】!』

「槍は――通りづらいか。それに」


 黄泉路は冷静に槍の穂先、浅いところで先陣を切る砂の腕を切り付けるが、表面を覆う砂塵は最初の鑢のように高速で旋回しており、滑るように槍が逸らされる。


「(ひとりひとりがグラインダーを纏ってるようなものか。銀砂の槍じゃなきゃダメになってたね)」


 普通の武器であればその時点で削られてもおかしくないだけの回転を纏っていることを柄越しに伝わる感触で理解した黄泉路は、先ほど屍者に変えた中毒者までもが砂塵の鎧に包まれて黄泉路に向かっているのに気づき、振りかぶられた腕を身を屈めてかわしながら脇をすり抜ける。


「(動きは素人だけど、この大きさの全身凶器がこれだけ居ると割と邪魔だ)」


 スルーして通り抜けようにも横幅が広く大回りせざるを得ないことも相まって、男との距離は直線以上のものになっていた。


「塵共も集まればそれなりに使えるだろ?」

「さてね。目的は時間稼ぎ?」

「だとしたら?」


 砂塵の人型の後方で砂塵の人型の制御でその場から動けないらしい男の挑発めいた言葉に、黄泉路はちらりと視線を天井――客船としての偽装部分の方へと向け、


「時間稼ぎが終わるのは、僕の方が早かったみたいだ」


 黄泉路の言葉と同時、船倉の天井が崩れ、屍者の群れが降り注いだ。


「何――テメェまさか!?」

「この船には君たちしか乗ってない。それなら、屍者達に無差別に襲わせてゴーストシップにしても問題はない」

「こ、の――!!」

「君の力じゃ、この数の屍者を砂で操作するのは難しい。違う?」


 黄泉路の確認に沈黙を返す男の態度は何よりも雄弁な返答であり、屍者の群れが砂塵の人型に群がり、四肢を摺りつぶされながらもその砂塵を赤黒く湿らせてその摩擦を鈍らせてゆく。


『くそ、こんなデタラメな』


 思わず悪態をつく男の前へ、槍を構えた黄泉路が低い姿勢のまま駆け寄り、


『――悪い、ボス(・・)。これ以上はむり、そうだ……』

「っ、やっぱりか」


 斬り上げる穂先に赤色の軌跡を描いて血しぶきを上げた男の口からこぼれた言葉に、黄泉路は半ば推測していた内容が正しかったことを確信する。


「やっぱり、この船自体が偽装だったんだ」


 ざぁぁ、と、砂が力を失って船倉にぶちまけられ、屍者も中毒者も一緒くたに砂に埋もれ積み重なる音が背後で響く。


『へっ、さぁな……っつっても、もうわかってんだろ……』

「君がマーキス、じゃあないよね」

『なんでわかった……って聞くのが礼儀か?』

「何で分かったか、かな? ……だとしたら、君も他の部下も、中毒者と同じ魂の形(・・・・・)をしてたから」


 黄泉路の返答に、男は一瞬呆けたように口を開き、やがて諦めたように乾いた声で笑う。


『魂、魂ときたか。……ははは、なんだそりゃ、意味……わかんねぇ』

「そろそろ限界みたいだけど、最後に、自発的にマーキスの居場所を話すつもりは?」

『……嫌な、聞き方だな』

「僕には屍者を縛る力がある」


 静かに告げた黄泉路に、男は諦めたように小さく息を吐いた。


『ボスは……日本だ(・・・)


 男の小さな声は、波に揺られる船の軋む音の中でも嫌にしっかりと黄泉路の耳に届いた。

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