11-34 砂と骸の水面3
最低限の調度品のみがカーテンが閉め切られ仄暗い室内の中で陰影を描く室内。
ひとり掛けのソファに深々と腰を下ろした黒人マフィア、マーキスは受話器を耳に当て、喧騒に耳を傾けながら問いかける。
『経過はどうだ?』
『多少の問題ありますが、最低限の仕事はできてます』
『そりゃ何より』
同じく米国訛りの英語が受話器から届く。
長らく付き合いのある――それこそ、マーキスがマフィアとして身を立てた頃からの腹心――部下の返答にマーキスは口の端を仄かに吊り上げる。
『計画を次の段階に移す。細かい指図はしねぇぞ』
『了解。こちらは任せてください。ボスに神の祝福を』
『ハッ。俺達に微笑むとしたらそりゃ悪魔の類だろうさ。……生きてたらまた俺の右腕として使ってやる』
『楽しみにしてますよ』
信頼からくる言葉に僅かに声音が変わる通話口の部下の声が耳を打つ。
一拍の余韻の後にぷつりと通話が途切れ、余韻の様に電子音が規則正しく響く受話器を耳から放したマーキスは画面を暗転させた端末へ視線を落とす。
『……どうせ俺達は地獄に落ちるんだ、落ちる先を前もって作ってやろうじゃねぇか』
決意表明の様な呟きが暗い室内に溶けて消え、立ち上がると共に放り投げた端末が宙を舞う。
端末がくるくると回転しながら落下する最中――ザリッ、という、細かな粒子が擦れ合う様な音が響く。
空中で寸断された端末が短くスパークして一瞬だけ室内を淡く照らす中、部屋の外へと歩き出したマーキスの背後で床を転がった端末の残骸がまばらに床を叩く音が鳴った。
『さぁ、野郎共。クソッタレな祭りをはじめようじゃねぇか!』
部屋の扉を押し開け大声を張ったマーキスに応じる様に、大きな爆発音が響き渡った。
◆◇◆
背後に津波の様に押し寄せる砂塵を引き連れ船内通路を駆ける黄泉路は、足元から伝う鈍い揺れに僅かに眉を顰めた。
海上を往く船である以上、多少の揺れは当然の事。その程度であれば黄泉路も気にも留めなかっただろうが、波の揺れでは決して鳴らないであろう破裂音が伴っているともなれば嫌でも意識が引っ張られざるを得ない。
「(位置的に船倉? 偽装してた時も違法品を詰め込んでた場所に――今は何を積んでる?)」
ステップの度、靴裏を通じて感じる波のそれとは違う振動に意識を傾けつつ、銀の槍を胴に引きつけた状態で器用に回して通路という狭い屋内で長柄を振り回してぞろぞろと立ちふさがるマフィアをなぎ倒す黄泉路は、ふと、開け放たれた客室の奥に見える窓が視界の端に映り、思わずそちらへと視線を向ける。
「これは、ちょっと派手すぎない?」
本来であれば冬の快晴ということもあり、突き抜けるほどの青い空と同化するような果てまで続く広々とした海が広がっているはずのはめ込み窓。
だが、黄泉路の視界にはもはや見飽きた、こうしている今もすぐ背後に迫り、黄泉路を磨り潰さんとしている砂塵の黄土色が窓の向こうの景色を塗りつぶして存在していた。
黄泉路は切り崩した敵陣を槍の石突を使った棒幅跳びの要領で飛び越え、以前乗船した際に確認していた内部構造を頼りに吹き抜けと螺旋階段の設置された開けた立地まで駆け込むと、手摺を飛び越えて階下へと飛び降りる。
その最中、元々船旅を演出するために多くとられた窓全てが砂塵に曇っている光景を見やれば、黄泉路は現在の船の周囲がどうなっているかを確信して、この船にそれを可能にするだけの能力者がいるという事実に気を引き締める。
着地の音がカーペットに吸われてなお吹き抜けに響く振動、だが、それすらもかき消す様な二度目の炸裂音が響き、黄泉路の背後、スタッフ用の通路から砂が溢れ出す。
間欠泉の如く鋼材を貫いて吹き上がった砂、そこから吐き出される固形物に、黄泉路は仮面の奥で僅かに顔を顰めた。
「ぅ、あ、ぁ……」
「一般人……とはもう言えないかな……」
微かなうめき声を砂渋きの立てるざりざりという音に混じらせながらのそりと起き上がった人型のそれは、一見するともはや偽装の体を成していないとはいえ客船らしい内装のこの場にふさわしいとは言えない粗雑な衣服を纏ったやせ細った中華人の男性だが、その様子は尋常とは言い難いもので――。
『ひ、ぁ、は、ひぃ……す、な、砂、すな、スナ砂砂砂砂砂砂……』
焦点の合わない目は宙を泳ぎ、その視線を追う様に身体に纏わりついた砂塵がのたうつように船の内装をえぐり取る。
マフィアには見えない風体と出てきた場所、そのふたつから、黄泉路は船倉に何が積まれているのか、かなり高いであろう予想が脳内で紐づく。
「――薬漬けにした使用者を積んで……!」
ますます持って、この船で何処へ、何をしようというのかと思考が先へと伸びかけた黄泉路。だが、思わず呟いてしまった声が男の耳に――理性が残っているとは思えない雰囲気だった為、黄泉路もさほど問題になるとは考えていなかったのだが――届いたらしく、こけてくまの色濃く目立つぎょろっとした瞳の焦点が黄泉路に合う。
『砂、すな、すな、すな、スナ、ころ、殺し、擂り、潰、潰、潰、潰潰潰潰潰潰潰潰潰潰潰潰――!』
「ッ」
ぶわりと男の身体から溢れ出した砂が黄泉路へと鋭く差し向けられる。
「刷り込みか」
正常とは言い難い男――しかし、黄泉路はそんな見た目よりも、その身体の奥から感じる気配に静かに呟き、砂の礫を槍の穂先で切り払い男へと駆けだす。
黄泉路が普段感じている魂とも呼ぶべき気配、本来であればそこに在ると感じられる程度のもののはずだが、目の前の男からは黄泉路自身形容しがたい異質な雰囲気を感じ取っていた。
まるで本来ならば無重力下の液体の様に揺らぎつつも一定の形を保つはずのものが、無理矢理別の鋳型に押し込まれた様な不自然さ。
思えば上海から偽装客船、ここに至るまで、ずっと似た様な気配を追いかけてきたことに気が付いた黄泉路は、それが何なのかわからないまま、ただ、目の前のこれはもう救いようがない程に壊されてしまっているという直感に深く息を吐く。
「――シッ!!」
柄が二股に別れ、細く鋭く先端へと捻じれ集った槍の側面が、屍者でもないのにふらりふらりと重心も覚束無い男の首を正確に捉え、銀の軌跡を遺しながら駆け抜けた黄泉路の背後で男の身体が大きく傾ぐ。
『かひゅ……っ』
男の制御下にあったらしい砂が雨の様に降りしきる床へと投げ出された拍子に男の首がぐりんとねじ曲がり、うつぶせでありながら黄泉路を見つめる様な向きで転げたそれにちらりと視線を向けた黄泉路は言葉を発することなく男が吐き出されてきた砂の間欠泉によってできた穴へと飛び降りる。
「――やっぱりそうなんだ」
カツン、ではなく、ざり……。
本来船倉で響くはずの堅い音とは程遠い柔らかく曇った音と共に着地した黄泉路が周囲を見回せば、先程の男と同様にむりやり船倉に押し込まれていただろう元浮浪者が自らをも鎮める勢いで砂を吐き出し続けていた。
既に腰の高さまで砂に埋もれた船倉に置いて、唯一高く詰まれたコンテナの端に腰かけていた男へと、黄泉路は見上げる様に視線を向ける。
「能力を固定化して植え付けたのは、この状況を作る為?」
「あァ、そうさ。生きてるだけでも迷惑な社会の塵共も、こうしてやれば役に立つだろ?」
ざぁざぁと砂の雨が降りしきる船倉は海上という本来であれば戦場に相応しくない立地、それを無理矢理戦場に変えるだけの仕掛け。これがあればどこに向かっていようと独力での最高のスペックを発揮し続けられるだろう。
黄泉路の問いに肯定した浅黒の肌にサングラスをかけたスーツの男は両手を広げて黄泉路に皮肉気に笑いかける。
「――特に感想はないよ」
「ほう?」
ひどく端的で、感情のこもらない黄泉路の返答は男としても予想外だったらしい。
仮面越しで表情が読み取れない黄泉路の言葉を待つように沈黙した男へ、黄泉路は槍の穂先を突きつけ、
「この程度でどうにかなると思っているのなら、君たちの想定は温過ぎだ」
「言うじゃねぇか。なら、証明して見せろよ【不死者】!!」
男がコンテナから飛び降りると同時、足元の砂が爆ぜる様に黄泉路の全周囲から覆いかぶさるように立ち上がった。