11-32 砂と骸の水面
彩華が足止めを買って出た港への主要道路から進んで暫し。
常人の域を出ない彩華に合わせていた歩幅から逸脱し、疲れ知らず、損傷無視の本領を発揮した黄泉路は車両もかくやという速度で沈黙した都市を突っ切っていた。
他人に必要とされたい、他人が居なければならないという価値観を持つはずの黄泉路が、彩華という隣人が居ない事によって自らにとって最も最適な動きが出来ているのは皮肉というほかないが、幸いにして黄泉路がその事実を自覚する事はない。
ただ速く、目的地へ。先行した自分が成すべきことをなすためにひた走る黄泉路の視界に、煙を上げるビルや瓦礫の合間からコンテナが立ち並ぶ光景がうっすらと見え始め、鼻腔に届く空気に焦げ臭さの混じる潮の香りが強くなる。
「(待ち伏せ――じゃない、本隊かな)」
同時に、既に一般人は残っていないだろう湾岸部に屯する数多の気配に黄泉路の意識が引き締まってゆく。
魂を知覚する――自らの能力を正しく自覚した事によって明確になった異能による感知は以前よりも詳細な情報を黄泉路に伝え、
「(……何だろうこの違和感。人数は朧気に分かるのに、全員が同じような膜がある様な……)」
港を占拠する一団が持つ独特の気配に、黄泉路は警戒を強くする。
次いで、尖らせていた感覚に黄泉路とはまた別方向から近づく集団が引っかかる。
規則正しく塊になって移動する統率のとれた気配は軍隊を想起させ、進行方向から、その集団の目的地が自身と同じであると察した黄泉路は先行すべきか、あちらの衝突を待つべきか逡巡する。
中華軍と思しき集団に黄泉路が見られるのは出来れば避けたい。黄泉路はあくまでも日本国籍の能力者であり、密入国の末にマフィアと手を組んでこの場に居る紛うことなき無法者である。
そんな黄泉路が正規軍と対面してしまえば、黄泉路は先に手を出すわけにもいかなければ、向こうとしても不審者として黄泉路に攻撃を加えざるを得ない。
そうなってしまえば得をするのはこの事件を起こした四異仙会だけだ。
「……混戦になるのは避けたいし、何とかするしかないか」
海際の整備の整った町中にも拘らず、徐々に深くなる砂埃の中、黄泉路の姿勢が深く沈む。
踏み込んだ靴底が地を砕き、コンクリに深々と学生靴の足跡を刻み、次の瞬間、足から噴き出した赤い塵があたかも推進剤かのように、黄泉路の黒一色の姿が地を這う様に加速する。
数メートルおきに深々と刻まれる足跡のみがそこに存在したという事実を残し、黄泉路の姿はメインストリートを踏み越え、カラフルなコンテナが立ち並ぶ港へと勢いよく踏み込んでゆく。
『止まれ!!』
『絶対に通すな!!!』
コンテナ街とも呼ぶべき開けた港の入口に砂塵に混じって赤を纏う黒い疾風が飛び込めば、当然の如く警戒に当たっていた男達が左右から飛び出してくる。
一目見て、彼らがこれまで街に散らばっていた浮浪者や末端の構成員などではないと察した黄泉路は進路を塞ぐ様に飛び出して来た男達の眼前で一度急制止を掛け、
「邪、魔」
本来ならば立ち止まる事すら困難だろう速度からの停止を見せた黄泉路は低い姿勢のまま右手を胸へ、何かを引き抜く様な仕草で掬い上げる。
「――だよ!」
黄泉路の右腕が男達の手前で斜めに振り抜かれるのと、宣言にも似た声が男達に応えるのは同時であった。
『がッ!?』
『ごォッ!?』
一瞬遅れ、男達が次の行動を起こすよりも早くその口から嗚咽を響かせ、胸元からどぽりと赤い液体をまき散らしながら後方へと吹き飛ばされ、振り抜いた動作に合わせて立ち上がった黄泉路はひゅんっと風切り音を響かせる。
先ほどまでは移動のしやすさを考慮して無手だった黄泉路の手には、気づけば砂塵で遮られた陽光を一身に受ける様に煌く捻じれた銀槍が握り込まれていた。
「ふぅ……。よし」
一瞬にしてマフィアらしき男ふたりを倒した黄泉路が軽く息を吐く。
槍の扱いにも少しは慣れてきたなと自己評価を下す傍ら、先程の男達の怒声によって既に襲撃が露見したのだろう、コンテナ街に散っていた気配が波打つように騒がしくなるのを感じ、黄泉路は再び走り出す。
貨物船に積み込む為、高く重ねられたコンテナたちが遮蔽となった立地は身を隠すという意味においては優秀だが、もはや隠密と言っていられない黄泉路は手近なコンテナへと駆け寄ると最後の一歩で深く膝を折ってその進行方向を上方へと修正し、砂によって陽光の遮られた空へと高々と跳び上がる。
「見通しが悪いけど……」
仮面の奥で目を凝らし、砂に邪魔されながらも海の方へと目を向けた黄泉路は、貨物船とは趣の違う大型の船舶が港に横付けされているのを見つける。
と、同時に、コンテナを跳び越すほどの跳躍は襲撃に巣をつついた騒ぎとなっていたマフィア達の目からも容易に発見できるものであるため、地上の方々から怒声にも似た指示が飛び交っているのが聞こえて来ていた。
とはいえ、黄泉路は錯綜する地上の指示には気にも留めず、着地点を見定めて槍を構え、
「(見つけちゃえば後は走るだけだからね)」
着地に向けて穂先を落下点に待ち構えたマフィアへと定めて滞空時間の終わりを待つ。
しかし、
「――うわ」
着地を見据えた姿勢が、急激に何かに引き摺られるようにして見出され、黄泉路は空中で姿勢を崩して思わず声を漏らす。
見れば、もはや風景の一部としか認識していなかった砂塵の一部が鎖の様に黄泉路の足に絡みついて、その根を辿れば、着地点――そして、目的地からやや外れた位置にて待ち構える様に布陣を敷いたマフィアの集団が黄泉路へと大小無数の重火器を構えているのが見て取れた。
『遠慮はいらねぇ! ミンチにしてやれ!!』
指示が先か、マズルフラッシュが砂塵に紛れて爆ぜるのが先か。
もはや指示も通らない程の銃声の大合奏がコンテナ街の空へと響き渡り、その集中砲火を受けた黄泉路は足に絡みついた砂に巻かれるままに引きずり降ろされて地面に引き寄せられてしまう。
「――急いでる時に限ってこう、仕方ないと言えば仕方ないんだけどさ……」
咄嗟の事で足を解くことも出来ないまま引きずりおろされた黄泉路はどうにか着地こそしたものの、本来の着地点から大幅に逸れてしまった事で船までの道のりが若干の遠回りになったことに内心で焦りつつ、しかし、集中砲火を受けたとは思えない平然とした調子で立ち上がると、自分を引きずりおろして待ち伏せていた集団へと視線を向ける。
『噂通りのバケモノかよ……!』
「一応、英語はギリギリ聞き取れるんだけど」
バケモノだなんて心外だな。などと、呟いた声を置き去りに、静止の状態から一瞬にして最高速に乗った黄泉路の姿が集団の視界から一瞬消失し、直後、男達の中心に影が落ちた事で戦闘慣れしたマフィア達は即座に上を取られた事を察して身を投げ出すように着弾地点から退避する。
直後、ズン、という小さな地響きと、コンクリートの床がバラバラと砕ける音と共に黄泉路の姿が陣の中心に現れ、コンクリの床を刺し貫いた槍を軸にその身を翻して周囲の逃げ遅れへと蹴りを見舞う。
『クソッ――』
少年の矮躯から放たれる赤い塵の軌跡を描いた蹴りが軽々と重装甲の成人を吹き飛ばす光景はいっそ笑えるほどで、先程悪態を吐いた男はその悪態でも足りないと、今更ながらに死地を悟って覚悟を決める。
どちらにせよ、今この場で少年の形をした化物に殺されるか、後で中華軍によって拷問の末殺されるか、はたまた、自分達のボスか、雇い主に殺されるか。どの道退路は既にないと理解している男は破れかぶれに授かった力を振り絞る。
「また砂――!」
『ウオオオオオオァッ!!!!』
天を覆う様な大規模な砂嵐、その一部が空中で針の様に押し固まって黄泉路の頭上に降り注ぐ。
とはいえ、黄泉路は不死身が売りの能力者。あえて受けに動作を割くことなく、その身を刺し貫くがままにさせながら槍を引き抜いてリーチを最大限に活かす様に横薙ぎに揮って流れる様に手近なマフィアのアーマーに守られていない腋を切りつけ、取り回した石突で隣にいた男の銃器を持つ腕ごと叩き折ってくるりと身を翻す。
天から降り落ちる砂の針が周囲の仲間ごと黄泉路を刺し貫いて行く中でも、黄泉路は舞いを披露するがごとく槍を操っていた。
もしこれが砂の針を全て防ぎ、無いし回避しての行為であれば、あるいは称賛に値する美麗な舞のようにも見えただろう。
しかし、現実には黄泉路の身は砂の針によってズタズタに引き裂かれ、穴の開いた学生服から赤い塵が止めどなく溢れ出しながら戦場を舞い踊る姿は見るものに根源的な恐怖を抱かせるには十分すぎ、攻撃しているはずのマフィアはもはや自分の周囲に仲間が居ない事にすら気づかず恐怖のあまり砂の針の密度を限界を超えて振り下ろす。
『アアアアアアアアアッ!!!!!!』
「――これで最後」
『ッ、ガ……』
ずしゃり、と。銀槍の穂先が駆け抜けた軌道に赤い液体が飛び散り、男の重い身体が地面へと転げる。
遠方からはまだこちらへと駆けつけようという気配や騒がしさがあるものの、この場においては全てを制圧しきったと断言できるだけの惨状を創り出した黄泉路は傷を修復も待たずに駆けだし、立ちふさがる不幸なマフィアを文字通り鎧袖一触の勢いでなぎ倒し――
「あー……仕方ないか」
港の終わり、海に面した区画へと飛び出した黄泉路は、既に船が港を離れて海原へと走り出して海面にしぶきを上げている後ろ姿に小さく呟く。
『居たぞ!!』
『残念だったなぁ!!!』
僅かに遅れてやってきたマフィアが黄泉路を海と挟む様に包囲する中、黄泉路は手に握られた槍を手放し、
「この距離なら、まだ間に合うしね」
銀槍が宙へと掻き消えていくと同時、その姿がふわりと、蒼い塵へと変わって霞んで消える。
『なっ!? 消えたぞ!?』
『何処行きやがった!!!』
目の前で襲撃者が掻き消えてしまった事にマフィア達が動揺して顔を見合わせている中、コンテナ街の入口から事態の制圧に乗り出した中華軍がすぐそこまで迫っているという報告が齎されるのであった。