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11-27 “狐憑き”

 遙の首筋に奔った赤い線が裂け、水よりも粘度のある赤い噴水が勢いよく吹き上がる。

 頭と胴体は依然つながったままであれ、その出血は動脈を裂いた致命傷であると誰の目にも明らかで、




 ――ずさっ。




 割れて不揃いになったコンクリートの上へと投げ出された遙の身体が倒れる音がやけに大きく響く中、突き飛ばされ、虚己に受け止められた子軒の目が零れんばかりに見開かれる。


「あ、あ――!?」


 見る見るうちに自分の血液で水溜まりを作る遙はその場から動かず、即死だったとでも言う様に僅かに痙攣するばかり。

 その遙を見下ろす形で、ひとりの男が血が付着した短刀を握ったまま遙を見下ろしていた。


『邪魔が入ったな』

「ッ」


 短刀に付いた血を払う様に振りながら子軒達へと刃先を向けた男――四異仙会の幹部がひとり、キム・ミンソクに対し、虚己が子軒を後ろに庇う様に前へと出て銃を抜き構える。


『幸運は3度続かない。崙幇盟主、消えてもらうぞ』

『盟主! お下がりを!』


 とはいえ、虚己とて目の前の暗殺者を生身の常人たる自身が銃ひとつでどうにかできるとは思っていない。

 子軒が動揺から立ち直り、この場を離脱する時間。それさえ稼げれば良いという決意の下、虚己が油断なくミンソクを銃口で捉えていた。


「遙」


 子軒の口からぽつりと零れた声が、足元で死んでいる少年の名であると察したミンソクは僅かに足元の死体を一瞥して鼻で嗤う。


『バカな奴だ。力もないのに首を突っ込んだ結果がこれだ。コイツも、お前のようなガキを庇わなければまだ生きて居られたかもしれないのにな』


 とはいえ、目撃者であるならどの道殺していただろうが。

 そう、内心で付け足したミンソクはふと、虚己達へと視線を戻す最中、自身の構えた刃に違和感を覚えた。


「(――?)」


 それはほんの僅かな違和感。日頃使い慣れた道具が正しい挙動をした際に残る手の感触と、目の前の現実と自身の経験則が僅かにズレているような居心地の悪さに、ミンソクは狐とも揶揄される細く鋭い目を凝らす。

 影に沈むでもなく静止したミンソクを不審に思いはすれど、遙の献身に内心動揺していたのは虚己も同じ。子軒という絶対に守らねばならない存在を庇っているからこそ、次へつなげるための思考を研ぎらせぬよう意識を研ぎ澄ませていた虚己――だからこそ。この場にいる者の中で、ソレに真っ先に気づくことが出来た。


「(刃に付着した血が少ない?)」


 自分達へと向けられた刃はまさに、遙の首を切り裂いて多量の返り血を浴びたはずのそれのはずだ。

 ミンソクが持ち替える暇も、丹念にふき取る仕草もなかった。にも拘らず、刃は当たり前の様に天から降り注ぐ陽光を受けて鈍く光を反射していた。


「――!」


 虚己の視線が自身の刃先に向いていた事に気づいたミンソクもまた、その違和感に気づき、凝らしていた目を見開くと同時、馴染みのある感覚――明確な敵意を持った意思が自身に向けられているという肌に刺さる感覚――に、虚己の射線から飛びのくようにしながら、敵意の主から距離を取る。


「くっ」


 遅れ、乾いた発砲音が数発、虚己の手元から放たれた弾丸が先ほどまでミンソクの居た場所を通り抜け、路上に放置された車の外装やコンクリートの路面に痕を穿つ。

 虚己が再びミンソクへと照準を合わせようと視線でミンソクを追い――ミンソクの顔の向きが、自分達に向いていない事に気が付いた。

 次いで、本来ならば目を離すべきではないにもかかわらず、


「――ハル、カ……?」


 背後から聞こえた主の声に釣られ、虚己はミンソクが向けている視線の先へと意識を向けてしまう。

 子軒の視線の先、そして、ミンソクが距離をとった対面。遙の死体を中心に虚己とミンソクを頂点とした三角形の一角にあたる位置に、ソレ(・・)は居た。


「……」


 柳の様に、冬の海際にしては緩やかな風を受けて首筋を隠すような長めの金の襟足を揺らし、幽鬼の様に佇む――狐面(・・)の少年。

 かつての日本の縁日で見られたような隈取りの装飾が掘り込まれた鈍色の狐のお面を被り、顔を隠してはいるものの、その姿は先ほど――というより、今もなお倒れている姿が残る死んだはずの少年そのもので、子軒の呟いた名に応じる様に、幽鬼の様に佇んでいた狐面の少年が指を、遙の死体が転がる場所を指さして見せる。

 狐面の意図は分からない、虚己や子軒はともかく、ミンソクがその誘導に乗る理由はない。しかし、全員の中心に倒れた死体は嫌でも目に入る中、それは起きた。




 ――さぁぁ……。




 やや時間が経ったことで噴水の様に勢いよく噴き出していた出血も止まり、割れたコンクリートの隙間へとしみ込む様に赤い水溜まりを作っていた遙の死体が、まるで最初からそこに存在しなかったかのように砂粒に変わって崩れて行く。

 その様子はまるで、映像の逆再生の様に怪我が治癒していく黄泉路のそれのようで、一度暗殺を黄泉路に阻まれ、その光景を見ていたミンソクは自身の失点を揶揄されている様な不快感を覚えた。


「――どうやって生き残った」

「分かんねーならそりゃ良かった」


 眉を吊り上げるミンソクに、仮面の内側で嗤っているのが分かる様な、挑発的な口調で端的に応えた狐面の少年は子軒の方へと顔を向ける。


「ここはオレが引き受ける。ふたりは予定通りに動いてくれ」

「っ、ダが」

「――こういうの、一度言ってみたかったんだよな。っつーわけで、死ぬつもりはねーから心配しなくていいぜ」


 虚勢と意地が入り混じった少年の声に、子軒は一度拳を強く握る。

 その後、拳を開くと虚己のスーツの裾を引く。


「……分かっタ! 虚己! 赶快(いそげ)!!」

我知道了(わかりました)。……御武運を」


 主の決断に虚己がミンソクを警戒したまま、子軒の背後を庇いつつ場を離れようと走り出す。


「行かせると」


 当然それを許すミンソクではなく、即座に影に潜って後を追おうとする。だが、狐面の少年がそれを物理的に待ったをかけた。


「思ってるに決まってんだろ」

「ッ!?」


 ゆらり、と。

 つい先ほどまで見えていたはずの子軒と虚己の姿が景色に溶ける様に滲み、一瞬にしてミンソクの視界から掻き消えてしまう。

 子軒や虚己が能力を使った――とは、ミンソクも思っていない。それが可能なのは、今もなお無傷で佇む、


「貴様……!」

「やっぱりな。黄泉路(アイツ)の予想した通り、お前、飛び出す先が見えてわからなきゃ影に潜れねーんだろ」

「……」

「答えなくていいぜ。オレは別にここでお前を足止めしてるだけで仕事がこなせるんだからな。血なまぐさい事なんてやめて楽しくお話ししよーぜ?」


 冗談なんだか本気なんだかわからない調子で嗤って見せる狐面に、ミンソクは苛立たしく駆けだす。

 どのような能力だろうと関係なく、大概の能力は殺せば消える、即座にそう判断を下して攻勢に出るミンソクの決断力は流石、中華という巨大な裏社会の中で戦い抜いて来たプロと言えるだろう。

 だが、素人が反応するのもやっとという、鍛え抜かれた身体能力で襲い掛かってくるミンソクに対し、狐面はただその場で揺らぐ様に嗤う。


「もうお前はオレを殺れねぇよ。――なにせ」

「疾く死ね!」


 鋭い鈍色が風を裂き、狐面の少年の首が今度こそ胴と別れる。だが、


「オレはもう死んでるからな(・・・・・・・・・)


 首が分かたれたはずの狐面が、血しぶきを上げながらも変わらずその場で幽鬼の様に佇んでいた。


「……!」

「改めて自己紹介するぜ。――“狐憑き(フォックス)”。お前が憑き(・・)殺される相手の名前だからよく覚えて地獄に行けよ」

「ほざけ!!」


 “狐憑き”と名乗った遙の芝居が掛かった調子の宣言に、ミンソクが吼えた。

 刃を素早く切り返し、首がダメならばと今度は仮面ごと額を割る様な振り下ろしをと振りかぶったミンソクの目に、遙の手にいつの間にか手にしていた日本刀が自身へと向けられているのが目に入る。


「ふっ」

「――ッ!」


 咄嗟に、経験則から刃を防御へと回したミンソクの短刀と、遙の切り上げる軌道の刀が交錯した瞬間、ずるり、と、遙の刀が短刀の刃をすり抜け、ミンソクの胴を浅く裂いた。


「ぐっ!?」


 咄嗟に、防御と同時に既に飛びのく判断をしていたお陰で深手を負わずに済んだミンソクが痛みに息を詰める。

 その間も遙は追撃する事もなく、振り抜いた刀を確かめるように何度か片手で振り回す。

 まるで、子供が初めてのおもちゃを振り回すかのような、刃筋も技もないような雑な振りだが、現に切り裂かれたミンソクは鋭く焼けるような痛みに内心で驚愕していた。


「(バカな……!)」


 ミンソクの予想では、遙の能力はただの幻術。幻影を身に纏う程度の能力だと予想していた。

 それは何も遙への過小評価ではない。これ見よがしにイヤリングに覚醒器を付けた、能力使用者(スキルユーザー)の素人であろう少年に対する正当な評価であった。

 通常、生粋の能力者である能力保有者(スキルホルダー)と違い、能力使用者(ユーザー)はその能力に多大な制約や偏りを持つ。

 同じ炎使いを挙げても、その能力を得ている人口の少なさや特殊性こそあれど、自在に炎を産み出し形や熱量を変える事が出来る能力者に対し、誰しもが獲得できる代わりに誰が使っても覚醒器の質によって炎の形や熱量が固定されてしまう使用者ではその脅威度は雲泥の差なのだ。

 互いの能力を推察しながら相手の強みを掻い潜り自らの強みを突き刺すのが基本の能力戦闘において、その幅の狭さは致命的であり、必然、生粋の能力者ほど――それも、裏社会で自らの命を削って生き抜いてきた実力者ほど――能力使用者の評価は低くなる。

 幻術使いというのも中々に珍しい能力で、何をもって幻影を作り出しているのかによってその能力の本質は大きく変わるため、本来であれば警戒に値する能力ではあった。

 だが、それも能力者であればこそ。能力使用者の幻術使いなど、その身に薄い幻を纏う程度、そうと分かっていれば本体ごと殺せるだけの踏み込みをすれば良く、刀にしても、幻術で隠し持っていたならば普通に受ければ。幻術によって作られた偽物であれば無視しても構わない程度のものだと考えていたミンソクは驚愕してしまう。


「(刀は偽物、だが、この痛みは!? ただの使用者ではない、見極める必要があるな……)」


 刀でフォンという風切り音を響かせた遙に、ミンソクは目の前の素人同然の少年の脅威度を大幅に修正するのだった。

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