11-22 盤外の駒
黄泉路達が中華の地で奔走している同時刻。日本に残る事となった標たちも遠方から現地組をサポートすべく奮闘していた。
とりわけ、黄泉路達が独自に足を使って調べた情報や協力体制を結んだという崙幇から齎される情報を集積して精査、より確度の高い情報へと昇華させる作業は夜鷹時代からの標の専売特許と言っても良く、昼は学業に専念する事を黄泉路に求められている廻とは違い、役割以外では引き籠りと呼ばれても反論できない程の出不精である標は日々パソコンの前に陣取って情報収集に努めていた。
「戻りました。進捗どうですか?」
『あ、めぐっち。おかー。その聞かれ方、原稿催促される作家みたいですねぇ……。ま、ボチボチってやつですよぅ』
「僕に分業して欲しい事があったら言ってくださいね」
丁度、その日の学業を終えた廻が、どうせ食事もとっていないと踏んで軽食を片手に標の部屋に入ってくる。
その流れもしばらく前から定着してしまい、ますます標の異性関係や生活力に不安が募る光景だが、当の標がそういった情緒を一切脇に置いた生活をしている為、異性である黄泉路や廻は言葉を掛ける事を既に諦めていた。
一番口うるさい彩華が現地に飛んでいる事も、現在の標の自堕落さに拍車をかけていると言っても過言ではないだろう。
コンソメスープとこんがりときつね色に焼けたパンを乗せた皿をトレイごと机へと置けば、標は感謝もそこそこにいい値段がするゲーミングチェアに胡坐をかいた状態でパンを浸して頬張り始める。
廻は特段気にしていないものの、その恰好はハーフパンツにシャツ1枚というあまりにも無防備なもので、廻は姫更や歩深がこうならないと良いなぁと淡い願掛けをしつつ、モニターに映し出された標の成果へと目を向けた。
「……」
四異仙会の構成員について内部協力者となったケイシーからの情報も含めた裏取りに加え、近頃中華国内――それも海沿いに集中して目撃例の増えている異国人の動きなどの噂話を、言語の壁に苦心しつつもよく纏め上げた情報が並ぶ中、廻の目当ては片手間として早々に確定して放り出されていたとある情報であった。
『ん。めぐっち、それ気になるの?』
「いえ。気になるという程では」
『めぐっちが気にするってことはもちっと詳しく調べた方が良い系?』
「重要度は四異仙会の方が上だと思います」
『そう……? っと。御馳走様でした。また料理の腕を上げたねぇ。うんうん。これならいつ嫁に出しても恥ずかしくない!』
「ノーコメントで」
『ちょっとぉ!? 私が精いっぱいボケたんだからツッコんでくれないと悲しいじゃん!?』
「じゃあ、お皿片づけてきますねー」
口に出そうと思えばそれこそ、嫁ではなく婿だし、どの目線からなんだというものそう、なんなら、嫁入りを一番気にしなければならないのは肉体的にも最年長の女性である標なのでは、という諸々の地雷ワードを飲み下した廻は、標の食べ終えた食器をトレイごと引き取り、そそくさと退散する。
部屋の外に出てなお、頭に響く標の冗談交じりの癇癪に頭を振りつつ、食器類を片付けた廻はテレビをつけて正面のソファに座ると、テレビを見ている風の姿勢のまま、意識は画面へ。より正確に言うならば、先ほどモニター画面に映されていたひとりの人物について思考の海へと潜ってゆく。
「(この人なのは間違いない……こっちについた意図は? 結果どうなる……? 僕も現地に向かうべき――いや、今は手が離せない。誰かを送ることも出来そうにない……)」
とはいえ、書かれていた事は標のいう様に本当に基本的でなんら不自然なものの無い情報でしかなく、堂々巡りする様に思考の坩堝に嵌ってしまった廻を引き戻す様に、肩に軽く何かが触れる。
「――姫姉さん」
「なにか、気になる、の?」
気づけば、廻の背後から肩に手を置く形で姫更が廻の顔を覗き込む様に見つめていた。
普段であれば、廻がこれほどまでに他人を近い距離に置くことはない。黄泉路が不死性も相まってパーソナルスペースの認識が甘く、一見すると隙だらけに見えるのとは違い、廻は徹底して他人と適切な距離を取りたがる傾向があるのは現在のメンバーも周知の事実であった。
無論、相手側が距離を詰めてくるならば露骨に拒絶こそしないが、自分から積極的に寄り付く、という絵面があまり想像しづらいのが廻という少年である。
その廻が唯一、かなりの頻度で行動を共にしているのが姫更であり、そうした光景から、周囲の人は廻が姫更に対して好意を抱いているのではという憶測すら持っているほど、廻は姫更に対し距離感が緩い。
「ええ、とても」
標からもされた問いに対する、全く逆の肯定を意味する短い返答もまた、そうした廻と姫更の精神的な距離感が成す廻の本音といえばそう見えるかも知れない。
とはいえ、その内実はとてもドライなものだ。
「姫姉さん。出かけませんか」
「ん。いいよ」
刹那、ふっと二人の姿がリビングから消える。
一瞬したのち、思い出したように姫更の姿だけが戻ってきてリモコンをオフにすれば、テレビの画面が暗くなるのを確認した姫更は再び隠れ家から掻き消えた。
そうしてふたりが移動した先はかつての夜鷹はおろか、今の新生夜鷹と呼べる面々にすら明かしていない、正真正銘ふたりだけの秘密基地。
夜鷹崩壊を予知して現在の隠れ家を用意していたように、今後の為に廻が独自に作った隠し拠点であった。
廻と姫更の関係を一言で表すのならば、共犯者。
ある目的の為、未来に見据えた手を打ち続ける必要のある廻と、その手となり足となる為に協力する姫更、少年と少女ふたりによるささやかで堅固な願いの同盟。
ふたりの実質的な保護者である黄泉路すら知り得ない秘密の関係がそこにはあった。
「それで。どうしたの?」
戻って来た姫更が蛍光灯の明かりに目を細めつつ、最低限の家具だけを備えた防衛力と隠密性に特化した窓のない室内で待っていた廻へと声を掛ける。
一面コンクリート張りの、どこか夜鷹の地下を思い出させる室内に鈍く反響する声に応じ、廻は椅子に座るよう勧めながら応える。
「最近、兄さんたちが拾った人のことは覚えていますか?」
「うん。普通の、巻き込まれただけの人、だよね? 気になるのは、その人?」
姫更の相槌に小さく頷き、廻は先ほど画面をちらっと見た際に書かれていた内容を共有する。
「真居也遙。神那川県河崎市出身、本人の自己申告通り、同県内の小中学校を卒業後、都内の工業校へと進学。素行不良や半グレに近い不良グループとの交流があるものの、当人の申告以上の情報はなし。能力については不良グループに出入りしていた半グレが持ち込んだ非正規品の覚醒器によって最近獲得したもので、その能力の詳細は同じ不良グループ内でもよく分かっておらず、ただ、他とは明らかに違うその能力を理由に最近ではグループとも疎遠になりつつあったようです」
「……ん」
廻の口から告げられるのは、彩華が中華行の客船に偽装された密輸船の船底倉庫にて拾ったひとりの少年の経歴だった。
言葉にしてしまえばたったそれだけの調査結果を、たった数日でしっかりと裏取りまで済ませた上で簡潔に纏め上げる標の調査能力は相変わらず感嘆すべきもの。廻も、その標の調査結果に対して疑問を抱いている訳ではない。
であれば、何故廻は直接会ったことも無い遙にここまで意識を割いているのか。姫更がそう疑問を投げかけるような視線を向ければ、廻は小さく絞り出すように、余人にはおよそ理解できないであろう苦悩を吐き出すような調子でぽつりと声を捻り出す。
「……僕は、真居也遙という人物を知りません」
「――」
「しかし、逆に彼がどういう枠にあるのかは知っています」
廻の口から出て来た言葉は、普通に聞くならば何を当たり前な、と一笑に付すようなものだ。
しかし、廻という人物を――そしてその能力を、共犯者という立場を得た際に誰よりもよく知りえた姫更にとっては驚嘆すべきことであった。
【秒針弄り】朝軒廻は未来を知っている。それはつまり、今後関わるであろう人物についても、同様に知っている事を意味している。
その廻をして知らないということがどういう意味を持つか。未来予知能力者ではなく、断片的な未来の情報と、それを阻止、またはより良く遂行する為の動き方を教わるのみの姫更には正確な危機感は分からないものの、当の廻がこうして姫更とふたりきりで話をしているという時点で大事であるという事はよくわかっていた。
言葉を詰まらせ、息を潜めた姫更に、廻は順序だてる様によく知らないが知っている彼について語る。
「特定の時期以降、唐突に現れる特異点。名前も出身も性別も、すべてがその時々で変わる。ただひとつ、共通して“僕達の運命”とも言える流れそのものから完全に脱却している事だけが共通している、いわば盤外の駒。今回の場合、彼がソレで間違いないでしょう」
「複数いるとか、そういうのは?」
「僕の知る限り、僕達の周りに現れるのはひとりきりです。時々により、敵である場合、第三勢力である場合もありましたが、兄さんたちが回収するのは初めてのパターンです」
廻が知る未来。その流れの中に置いて、主要となる――自身達夜鷹にとって関わりのある――人物はある程度限定されていた。
そんな、舞台として整えられたうえで踊る役者達の中に、唐突に現れる異物。
未来という舞台を知り、役者の動きをある程度予測できるが故に、多少の操作が出来る廻をして、全く予想のつかない唐突に降ってわいた役無しの役者の存在は、廻が願う未来にどう影響を齎すか分からない一番の懸念事項であることは紛れもない事実であった。
「時期、特定できるの、何で?」
「――僕が知っている特異点は皆、能力使用者ないし、それに近い経緯で能力を手にした人ばかりでした。恐らくですが、人工能力者生成装置――覚醒器の普及度合によって自然発生する、というのが僕の推測です」
「どうして止めなかったのか、聞いても良い?」
「止まらないから、ですね。僕ではどうあっても阻止できませんでした」
「それは、私が手伝っても?」
「はい」
要点だけを伝え、細かい事情や情緒を省く廻の喋り口をいつものこととして事実の確認を終えた姫更は改めて問う。
「……どうする、の?」
真居也遙という異分子をどうするのか。こと未来のことに関しては姫更はただ廻の決定を待つだけである。
こうして連れ出したということは、やって欲しい事があるのだろうという確信を抱いた姫更の視線を受け止め、廻は小さく首を振った。
「現時点では、最良の流れを辿りつつあります。彼がこちら側に現れたことは懸念点ですが、逆に言えば近いからこそ、その立ち位置や言動に注視する事も出来ます。幸い、兄さんたちの報告では彼は敵対的ではないそうですし、今は置いておきましょう」
「わかった。じゃあ、計画通りに動く?」
「ええ。とはいえ、場合によっては少し早まる可能性もありますから、今のうちに仕込みだけしておきます」
取り出した携帯からアドレスを呼び出した廻が、外部の協力者に近いうちに会える日はないかとメールを送る。
その姿をみつつ、姫更はふたりで抜け出したあとの言い訳をどうしようかと、そして、近いうちに立ち会うことになる協力者からどう廻を守ろうかと、相変わらず表に出辛い表情に僅かに難色を示すのだった。