11-21 四人の仙。四つの目的。
外側から見た古びたビルの一室とはとても思えない応接間にて、黒髪の少年の対面に座った妖艶な美女、ケイシーはゆったりとほほ笑む。
「既に私の雇い主まで把握済みなのは驚きましたわ。どのような伝手がおありなのかしら」
「さぁ。調査担当は僕じゃないので。こういうのはお互いの領分を守る方が上手く行くでしょう?」
ジャブのように黄泉路側の情報網に対するひっかけを行うケイシーに、黄泉路は人好きのする柔らかな笑みを浮かべてティーカップをテーブルへと戻してハイティースタンドと呼ばれる、アフタヌーンティー、またはハイティーという英国文化におけるお茶会で出される縦積みの食器に乗せられた軽食と菓子から、最下段のサンドイッチを一つ手に取って口元へと運ぶ。
ケイシーは自国文化にも理解があると言外に告げる――高校生程の外見からすれば交渉相手の用意した異国文化を把握しているのは十分に評価、警戒に値する――黄泉路の所作に瞳の奥で僅かに感心と、事前に仕入れていた【不死者】の能力の有用性と戦闘力に重きを置かれた調査結果に修正を加えつつ、自身も軽食に手を伸ばす。
その様子に、黄泉路は彩華がこういった洒落た文化を好む関係から朧気に身に着けていた知識が役に立ったことに内心安堵しつつも、顔色には一切出さないまま、切り返す様にケイシーへと問いかける。
「お互い慣れない環境での活動は気を使いますし、単刀直入に行きましょう。ヘップワースさん、貴女は僕達に何を提示するおつもりですか?」
交渉という場を作り出し、黄泉路をおびき寄せたのはケイシーである。であるならば――黄泉路という埒外の戦力を把握していながら、交渉という文言を持ち出した以上は、互いに利益を生む、ないし、損害を回避するための話し合いの場であるのが前提だ。
互いにとは言いつつも、黄泉路はこの場に居る事に制限がある訳ではなく、崙幇とも良好な関係を築いている時点で活動に支障はない。対してケイシーは仮にも四異仙会という多国籍組織の大幹部の一角であり、この場に居るケイシーが四異仙会のひとりとしてではなくMI6のケイシー・ヘップワースであるという事実を否定しなかったことからも、この交渉はケイシー本人の独断、もしくは四異仙会ではなくMI6としての立場で臨んでいる。そう分析した黄泉路の言葉が意味する事は単純だ。
悠長な会話は其方を不利にするリスクが高まるがそれでもいいのか、という、確認である。
「……私から提示したいのは、私との不戦協定ですわ」
「ヘップワースさんとの、ですか?」
「ええ。私達、四異仙会がどのような集まりか、どこまでご存知?」
「――日本の突出した能力関係の研究や成果、人員の横奪。それを国としてではなく、一個人または犯罪組織という体で行わせようという思惑で複数国が手を組んだ、海賊連合、という認識ですが、合っていますか?」
歴史的に、海賊行為を容認または背中から後押ししていた国の出身者に対するには相応しい皮肉だが、黄泉路の表情からは嫌味を言ったという風はなく、ただ事実を確認する為に分かりやすい表現をしたという意味合いが強く出ていた。
ケイシーは僅かに口の中で舌が動くが、あくまで表面上は平静にカップから紅茶を啜る事で口元を隠す。
「概ね、その認識で間違いないですわね。ただ、私達はどちらかというと他国への牽制の意味が強いんですのよ?」
「へぇ……?」
「私達英国と貴国は同じ島国、古き同盟の間柄ですもの。いざとなればこうして内部の情報をそちらに提供し、私達は手を引くつもりでしたわ」
事態が上手く転べばそのまま利益を掠め取り、今の様に頓挫の兆しが見えたならば早々に手を引いて同盟者として協力する為に潜り込んだのだと言い張るつもりだった。そう主張するケイシーに、黄泉路は英国の闇の深さ――というより、身の置き方の上手さに僅かながらに感心してしまう。
ひとまずは話を一通り聞いてからという姿勢を崩さない黄泉路の様子を観察するケイシーは、外見の幼さとその表情から読み取れる情報の少なさという玄人らしい立ち振る舞いのギャップにやり辛さを感じつつ、こうしてテーブルについている以上はと事前に考えて居た内容を口にする。
「既にご存知の様に、私共はひとつの組織というにはあまりにも頭が多すぎますわ。――それこそ、それぞれの頭が独自に思考をしてしまう程に」
他の幹部の独断専行。それによるいち組織に収まらない規模の被害について思考を巡らせるように目を細めた黄泉路に、ケイシーは流れを掴むべく更に言葉を添えて行く。
「私の事情を存じているならば、既に予想もついていると思いますが、四異仙会はそれぞれの国から派遣されたダミー組織――当然、その構成員達も、主に国から何らかの命令や取引によって配された者達ですわ。そして、彼らは雇い主である国の意向に沿って動く。私がそうであるように、彼らもまた、国の密命を受けて動いているのです」
「ヘップワースさんは他の幹部についてはどの程度知っていますか?」
「そちらの諜報担当の優秀さを鑑みれば、恐らく期待に沿えるものではないかと」
「いえいえ。こういうのは生の情報を持っている人から聞くのも大切だと、諜報担当も言うでしょう。それに、そちらは専業のはずですよね」
「お恥ずかしいながら。……ですが、ふふふ。私の素性をこの短期間に調べ上げるほどの腕を持つそちらの方と比べられては自信を無くしてしまいそうですわ」
協力態勢を取りたいなら情報を吐けと告げる黄泉路と、のらりくらりと情報を出し渋り、今後の協力の天秤を吊り上げようとするケイシーの攻防。だが、ケイシーの側としては探り合いを長く続けることは難しい。
今は独自の動きとして崙幇の盟主暗殺を再度企てているキム・ミンソクだが、あまりにも長い間ケイシーの所在が揺らいでいては嗅ぎつけられる危険性もある。
そうなれば現在は枯崙に居ないマーキスとイグナートにもミンソクから情報が回るだろう。彼らは決して味方ではなく、互いに互いの得るパイの取り分を掠め取る為なら水面下で足を蹴り合い、机の下で銃を向け合う仲なのだから。
ケイシーは口元に近づけたカップで溜息を隠し、ゆったりと、本格的に自分たち側から身を斬らねばならない覚悟を内心で固めてカップをテーブルへと戻す。
「……わかりましたわ。武力で劣り、時間も此方に味方しない以上、Mr.迎坂まで敵に回す事は出来ませんもの。お話いたしますわ。ただ――」
「ええ。話して貰う以上、取引の考慮にはさせてもらいます」
信じるしかないとはいえ、ケイシーは外面だけは完璧に、それこそ祖国の貴族階級の紳士と遜色のない誠実そうな表情の黄泉路を見つめ、何から話せば心象がより味方として立たせやすいか、最悪、敵対せずに済むかを順序だてて口を開く。
「とはいえ、本当に私が知っている事はそれほど多くありませんわ。調査をするにも異国の地、加えて土地勘も人脈も持つ者が傍に居ては悟らせずに動くにも限りがありますもの」
そう前置きし、ケイシーは脳に糖分を回すべくテーブルに立ったスタンドの中段からフルーツを自身の取り皿へと取って口へ運び、
「マーキスと名乗っている彼――大柄の黒人の彼ですが、雇い主はアメリカ衆央国ですが、私のように国家に属する物ではありませんわね。当然ですが、曲がりなりにも日本と最大の同盟国ですもの。国に属するものがこのようなことに加担していれば角が立ちますもの。米国に居る仲間からの情報では、彼の正体は米国でも有名なマフィアのボスだったらしいの」
「ボスだった、ですか」
「ええ。公にはまだ健在として知られているけれど、その実は既に政府と取引をして政府黙認――お目こぼしを貰う代わりに今回の仕事を引き受けたという話ですわ」
「失敗すれば国内のマフィアが勝手に画策した事に出来るから、ですね。……それで、マーキスという人やそのマフィアにとって利点はあるんですか?」
「さぁ。そこまでは私も知りませんわ。ただ、会って話してみた所感としては、彼自身は米国政府の意向なんて知った事じゃない、と考えて居そうだというくらいかしら?」
仕向けた政府すら制御の出来ない狂犬、そんなイメージが黄泉路の頭の片隅に浮かぶ。
釣られるように中段のフルーツへと手を付けた黄泉路の様子をそれとなく観察し続けながら、ケイシーは次の話題を切り出す。
「イグナート・ヴェネジクトヴィチ・ガルマショフについてはどの程度ご存知?」
「ロシア系マフィアでロシアの特殊部隊崩れ、ですが、恐らく元ではないでしょう。違いますか?」
「ええ、正解ですわ。Mr.ガルマショフは確かに元スペツナズ所属で現在は除隊済みですが、先のMr.マーキス同様、いえ、むしろより確実な手段として用意された立場だと推察できますわ」
「一時的に除隊して、今回のことが終われば再び、と、そういう形の取引ですね」
「おそらくは。彼はマーキスとは違って肝心な情報を漏らさないようにする周到さがありますし、部下も現在のマフィア組織から連れて来たというには統率が取れすぎています」
「……最悪、ロシア軍の非正規部隊と交戦するくらいの覚悟が必要、と」
「ふふ、Mr.迎坂ならば懸念するほどでもないのでしょう?」
「さぁ、どうだろう? 僕も今の自分がどれだけやれるのか、計りかねている所もありますからね」
「あら怖い」
つらつらと出てくる他の幹部の情報に黄泉路側で既に仕入れていた情報を擦り合わせて行く作業はケイシーの言葉の運び方や黄泉路の態度によって一見するととても和やかな茶会のそれでしかないが、その実、内面でやりとりされる牽制や腹の探り合いは百戦錬磨のケイシーが本気の緊張度を保たざるを得ない程に油断ならないものであった。
「では、あの中華人については?」
「キム・ミンソクですわね。Mr.キムは朝鮮マフィアという肩書でこそありますが、実際は中華連合共和国の指導層――恐らくは現政権のNo.2と呼ばれる人物の子飼いの能力者ですわ。私達の調べた要警戒リストの中で、彼に近い能力を持つ中華人は他に居ませんもの」
「僕としては、そちらの方が気になりますが、まぁ、主題ではないので今は良いでしょう。朝鮮マフィアをクッションにしているのは他と同様の理由で?」
「恐らくは。中華はただでさえ自国領土を貸し与えていますもの。露見した際の批難が集中するのは目に見えておりますし、今の中華にそれをはねのけるだけの力があるかと言われれば怪しいですわ。中華指導者層の大半はまだ能力による国力や武力の飛躍に関して過小評価していますから、もし露見してもこれまで通り強硬に抗弁すれば日本は黙ると考えているようですけれど」
「……英国は今の日本は違うとお考えで?」
「ここ最近の外交の傾向やその裏で糸を引く誰か。隠そうとしても痕跡は出る物ですわ。……ただ、今の反応を見るに、Mr.迎坂はその件に関しては無関係のようですけれど」
「ええ。これでも国ではお尋ね者の身ですので」
「よろしければ我が国に招待いたしましょうか? 我が国は実力と献身には報いる国ですわよ?」
「嬉しいお誘いですが、僕を大切にしてくれる人がいる国なので」
「ふふ。フラれてしまいましたわ。気が変わったらいつでも仰ってくださいね。私という窓口がいつでも歓迎いたしますわ」
社交辞令、とするには聊か熱を帯びた誘いをすげなく断る黄泉路に、ケイシーは喉の奥に小骨が痞えるような違和感を覚えつつも、断られる事を前提としていたこともあって違和感を押し流して本来の用件へと手を掛ける。
「ここまで内部情報を明かしたならば、本題についても取引頂けるという事で構わないかしら」
「彼らの能力については?」
「残念ですが、私達は元々潜在的な敵同士ですわ。いつ背中から刺されるかもわからない相手に手の内を明かす事はできませんもの。知っていたとしても、奥の手まではお互いに知り様もありませんわ」
「そうですか。仕方ありませんね」
「ですが、Mr.迎坂が絶対に取引してくださる情報は手にしてますわ。先に協定を締結してからでないとお話するわけにはいかない、それだけの情報を」
「協定の内容によりますね。不戦協定、といっても、英国の密命を受けた貴女がどう動くかによっては飲めません」
「あら。この場では飲むとは言わないのですね」
「取引相手、なんでしょう? だったらお互いに、取引においては誠実であるべきでは? 僕は少なくとも、貴方がたから裏切りにあたる行為をしない限り、取り決めは守りますよ。まぁ、それを信じる信じないは其方次第ですし、こちらの対応は変りませんが」
黄泉路という突出した武力に対応する力がない以上、ケイシーはこの提案を飲むしかない。
元より黄泉路に利用されても最低限の仕事はこなせるようにとこの取引を持ち掛けた以上、黄泉路側から提示された誠意ある取引という提案に乗らない理由もない。
ケイシーは最上段に乗ったデザートを自身の皿へと盛り付け、ゆっくりと口へ運び回答を悩む様にもったいぶらせてから承諾を返す。
「……では、私もMr.迎坂の誠意に期待するといたしましょう。私が提案する不戦協定、これは先に触れた彼ら独自の計画に起因するものですわ」
「それぞれの利益の為に動いている内容がわかるんですか?」
「Mr.ガルマショフとMr.キムについては憶測でしかないので取引の場にはまだ上げられませんが、Mr.マーキスについては既に掴んでいますわ。私、あくまで忠誠は祖国にありますの。逃げ遅れたネズミになるつもりはございませんわ」
「なるほど。マーキス一派の今後の動きによって四異仙会そのものが危ぶまれる、だからこそ、リスクとリターンを天秤にかけて日本から利益を盗み出すよりも、一足先に四異仙会とは無関係の立場に戻りたい、そういうことですか?」
「日本語ではこういうの、泥船、というのでしょう?」
妖艶な仕草で微笑むケイシーに、黄泉路は納得しつつもやはり食えない人だなという思いを強めつつ、彼女から提供される条件と情報を吟味する。
「……事情は分かりました。こちらとしても敵が減るのは喜ばしい事ですから、貴方がたが素直に手を引くというのならば態々追いかけるつもりもありません」
「Mr.迎坂が話の分かる方で助かりましたわ。できれば今後とも、良き隣人付き合いが出来ると嬉しいのですけれど」
「それにはまずは目の前の問題の片づけが必要ですね。引き続き、引き際まではそちら側の協力者としてよろしくお願いします」
「……ええ。こちらこそ」
立ち上がった黄泉路が差し出す手を柔らかく握り返したケイシーは、去って行く黄泉路を見送る様に見つめ続け、その背が扉から外へ消え、部下が立ち去ったと報告を持ってくるその瞬間までテーブルから立つことが出来ずにいた。
緊張とも違う、これまでにない危機感とも言うべき警鐘が握手した手の先から伝わる様に腕を這いあがる悪寒から漸く立ち直ったケイシーは既に冷めてきてしまった紅茶を流し込み、マナーも無視した雑な仕草で最上段の一口サイズの菓子を口へ運んで一息吐く。
「……【不死者】。再生能力者の究極点なんて生易しいモノじゃないわね。アレ。……全隊に通達なさい。取引は成った。“誠実さこそ身を助ける”」
「畏まりました」
黄泉路が立ち去った報告と、茶会の片づけの為に入室した部下に通達を出したケイシーは、この拠点も破棄しなければと追加で部下に指示を出した後に、忙しなくなるであろう今後への備えをするべくビルを後にするのだった。