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11-20 呉越同舟の背教者

 遙のなけなしの勇気が子軒を救い、眩い光が夜の枯崙を照らしていた同時刻。

 黄泉路は東西に二分された枯崙の対面――西側中層のとある一角に足を踏み入れていた。

 一見、他と変わりないように見える斜面に台地を築いたうえに建つ縦長いビル。だが、そのすぐ近くの道路や建物の様子から、その土台がつい最近拵え直されたものだと読み取れる。

 黄泉路はいつもの闇に紛れる様な黒の学生服に、白く浮いた無貌の仮面といった出で立ちで足音もなくビルの敷地の中へと踏み入り、呼吸を整えるほどの意識の切り替えもなくビル内部へと入って行く。

 内部は枯崙の常とでも言うべきか、雑多な――何に使うかもわからないガラクタに面積を取られ、本来ならばそこそこの広さと見通しが出来るはずのフロアを複雑怪奇な迷宮の様に仕立ててしまっていた。

 とはいえ、枯崙の中にあるビルだ。日本のビルとは比べ物にならない程に個々の敷地が狭く、都会の猫の額のような狭い立地に乱立する小規模商社ビルの様な面積しかないのだから、探索の時間は自ずと少なくなる。

 加えて黄泉路は元より目的の場所が何処にあるかを知っている。

 埃の被った道を避ける様に、真新しい足跡だけを追ってがらくたに囲まれたフロアの一角に辿り着いた黄泉路は足元の規則正しいタイルの一部を革靴のつま先で突く。

 すると、本来返ってくるであろう鈍い音よりもだいぶ軽い――まるでタイルの向こう側に空洞が広がっているかのような反響音が小さく響き、黄泉路はその場にすっとしゃがみ込んだ。



 ――カチリ。



 黄泉路の後頭部、そのすぐ後ろで金属が噛み合う音が鳴る。


「その登場の仕方は、まるでこの先に不都合があるみたいですよ」

『日本語は上手じゃないんでな。さっさと死んでくれ』


 ガンッ、と。撃鉄が降りると同時に小さく乾いた爆発音が黄泉路の脳髄をかき乱して熱せられた金属が後頭部の頭蓋を抜けて額からはみ出した所で止まる。

 ――即死。普通であれば、否、どのような再生能力者であろうが、脳を直撃し、頭の後ろから前へ抜ける様な軌道で弾丸が通過すればどうあっても再生などする暇も、出来るだけの思考も持ち合わせる事無くこの世を去るであろう絶対の一撃。

 だが、それは下手人の目の前でしゃがんだ姿勢のまま微動だにせずにいる少年を別にすれば、の話だ。


英語(・・)なら多少は喋れます』

『っ!』


 立ち上がるなり、振り返り様にたどたどしいながらも襲撃者と同様の言語を挨拶の様に投げかける黄泉路に、襲撃者は慌てて後方へと飛ぶ。

 警戒も顕わな相手を気にする素振りもなく――いっそ、その程度の距離を警戒のために開けていようが無意味だという様に――仮面を下へずらし、額から角の様に突きだした弾丸を指先でつまんで引き抜いた黄泉路は襲撃者に傷口が治る様を見せつける様にしてから再び仮面をかぶり直す。


『素直に喋ってくれれば助かる。だけど、喋らなくても良い』

『……』

『ここはついでで潰しに来ただけだから』

『ハッ』


 あまりにも端的、それでいて問答の余地のない黄泉路の通告に、襲撃者の口から失笑めいた息が漏れる。

 暗がりの先で銃口を向ける西欧系の顔立ちの男に、黄泉路は流れる様に重心を落として前のめりに転ぶような初動でもって距離を詰めると、そのまま照準を合わせようとする男の手ごと拳銃をかちあげた。


『ぐあっ』

「シッ」


 勢いよく上へと吹き飛んだ拳銃――そして、手が上がったことでがら空きになった男の胴へ、黄泉路の左拳が突き刺さると、男は身体をくの字に折り曲げて後方へと吹き飛び、ガラクタの山に盛大に衝突した事でその動きを止める。

 男が意識を手放したらしいことを察した黄泉路は再び先程手を付けていたタイルへと向き直ると、ベリッと、まるでシールをはがすかのようにタイルを剥き取ってしまう。


「あったあった」


 そこへ見えているのは、ハッチの様に垂直へと下る為の蓋と、地下へと通じる鉄梯子であった。

 襲撃も撃退も既に日常の一部となってしまった黄泉路にとって、襲撃者の体調など気に留めることのものでもない。それが成長故か慣れ故か。黄泉路が自覚したならば、本質故と答えるのだろうが、当の黄泉路は梯子を降った先に広がる小部屋に乱雑に置かれた紙束をひっくり返す方が重要なようであった。

 本棚に戸棚、小さな金庫と、最低限の保管所としての機能しかないように見受けられる室内を一通り見まわした黄泉路は落胆した様子もなく踵を返す。

 梯子を上り、来た道を引き返す――ことはせず、そのまま先ほどは無視した上階への道を進み、雑に埃が払われた後のある階段を上り、がらんとした会議室を想定して作ったのだろう部屋へと足を踏み入れる。


「……そろそろ出てきたらどうかな」


 部屋の中心で立ち止まった黄泉路が廊下へと背を向けたまま声を掛ければ、しんと静寂に包まれていたビルの通路にコツ、コツ、という小さな足音が響いた。


「あら。どこでお分かりに?」


 やがて、艶を纏ったような女性の声が空気を絡め、その声に応じる様に黄泉路はゆっくりと振り返る。


「最初から。僕、こう見えて気配には鋭い性質なんですよ」

「それはそれは。さすがは【不死者(イモータル)】とお呼びすればいいのかしら」


 冗談めかした黄泉路の言葉に含んだ笑みを返すのは、モデルも顔負けのスタイルを前面に押し出す様な、場所が都会の一等地であればさぞ馴染んだだろう質のいい赤いコートに身を包んだ英国人女性であった。


「それとも、ヨミジ・ムカエザカ、そうお呼びした方がよろしくて?」

「どちらでも。そういう貴方は四仙のひとり、で間違いないかな」

「ええ。お察しの通りですわ。私、四異仙会にて一角、ケイシーと申しますわ」


 優雅に微笑んで見せるケイシーに対し、黄泉路は僅かに沈黙した後、


「ケイシー・ヘップワース。英国に本拠地を置く能力秘密結社【Stargazer】の幹部……という肩書を持つ、MI6(・・・)の潜入捜査官さん(・・・・・・・・)?」

「――」


 仮面を外しながらさも当たり前の様に裏の裏まで涼しい顔で指摘する黄泉路に、ケイシーは目の前の少年が事前情報以上に一筋縄でいかない事を理解させられる。

 どこで知ったのか。否、どこまで(・・・・)知っているのか。ケイシーは冬の冷たさとは違う感覚に首の裏に冷や汗が沸くのを感じつつも、長年の経験によってそれを悟らせることなく溜めたように口を開く。


「ふふ。そこまで把握しておられるならば話はスムーズですわね。此度の私のお誘い、お受けして頂いて喜ばしい限りですわ」


 黄泉路がこの場に居るのは、そしてケイシーがこの場に居合わせているのは偶然ではない。

 今日、崙幇の盟主である李子軒が単身で外出するだろうという情報を手に、先の失点を巻き返すべく襲撃を画策しているキムを頭に置く中華系一派。

 それぞれ他幹部を出し抜くために独自の計画を走らせるべく、加え、黄泉路という突出した戦力と万が一鉢合わせてしまわぬように枯崙を出ているマーキスとイグナート。

 それらによって四異仙会の枯崙におけるパワーバランスが緩むこの日この瞬間を狙い、ケイシーが手勢である英国人たちを使い、枯崙の民に目撃情報を崙幇へと――最近になり、その伝手でもって四異仙会の拠点を襲撃して回っている黄泉路を釣り出す為に仕組んだことであった。

 当然、黄泉路もこのビルに足を踏み入れる前から、1階にひとり、上階に複数の気配がある事は理解しており、既に重要な情報は引き払われた後の地下の様子を見て、今回のタレコミが誘導であったことは理解していた。

 黄泉路を誘導した理由についても、襲撃者がひとりであったこと、なんら特殊な戦術をつかうことなく撃退されたことなどから、本気で黄泉路をどうにかしたいわけではないと当たりを付け、であれば、なにがしかのアクションがあるのだろうと誘いに乗ったのが今の状況であった。

 そこで顔を出した相手がケイシーであるというならば、それは四異仙会として、ではなく、


「今日は崙幇――というよりは、Mr.迎坂。貴方個人へと取引に参りましたの」


 何らかの交渉。それも、黄泉路達にも利のある何かを携えてのものであろうと予想した黄泉路の想像はケイシーの妖艶な声によって肯定される。


「上階に相応しい席を用意させましたわ。席に着く意思があるならばどうぞ、こちらへ」

「ええ。お邪魔しますね」


 敵としてではなく、交渉相手として、礼儀を払う様な言葉遣いに直した黄泉路の物言いから機微を察したケイシーはそっと笑みを深めて黄泉路を上階へと誘ってゆく。

 一つ階を上がっただけの先ほどのフロアは埃が薄らと残っている、良くも悪くも廃墟に相応しいものであったが、その印象はケイシーについてひとつ階を上がった瞬間に払拭される。

 明らかに今日の為に整えたのだろう、汚れを隠すためのカーペットが敷かれた小部屋に至るまでの通路も、清掃されたばかりの様で汚れらしい汚れもなく、交渉用に誂えられた室内は赤を基調としたカーペットの上に深い色の木目が主張する艶やかな丸机、挟む様に配置された質のいい革張りの付いた椅子が据えられていた。

 ケイシーが椅子の片側に腰かけるのを見て、黄泉路が対面に腰かける。

 すると、先程黄泉路達が入室した扉からワゴンを押したスーツ姿の男が入室し、てきぱきと紅茶と軽食の乗った皿を積み上げ、よく見るアフタヌーンティーの形式がテーブルの上に再現されてゆく。


「このような時間ですので、軽食でも摘まみながらと思いましたの。お気に召して頂けまして?」

「マナーには詳しくないので大目に見て頂ければ嬉しいですね」

「うふふ。会談の場で口にするほど狭量ではございませんわ」


 注がれたばかりで湯気が立ち上る紅茶に、ソーサーを片手に口を付けるケイシーに倣い、黄泉路も紅茶へと口を付ける。

 その様子をティーカップ越しに見ていたケイシーはゆったりとソーサーとカップをテーブルへと戻し、


「さすがは【不死者】。毒を警戒する素振りすらありませんのね」

「“交渉(・・)”の場なんでしょう? それとも、僕を毒殺するのが目的でしたか?」

「いいえ。少しばかり冗談を口にしたまでですわ。少々長話になりますし、我が国の文化を堪能頂きながらお話といたしましょう」

「互いに利のある交渉が出来ると期待してますよ」


 敵同士とは思えない穏やかな会話に反し、探り合いを隠しもしない緊張感が場を支配する中、先に口を開いたのはケイシーであった。

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