11-19 覚悟の差
一瞬にして張り詰めた空気は冬の冷たさとは関係なく肌を突き刺す様で、遙がちらりと視線を巡らせれば、通路で挟み込む様に前後に散らばった男達は既に拳銃を取り出しており、何かがきっかけで発砲されるかもしれないと考えた瞬間、風邪をひいた時にも似た寒気が背筋を撫でる。
『末端を嗾けるだけ嗾けて本人は隠れたままとなると、よほど先日の失敗が堪えたらしい』
『何だと?』
『いや何、貴様らの上役らしい臆病さだと思ったまでだよ』
『良く回る口だ……』
言葉は分からずとも煽っていると理解してしまった遙は低く含んだ笑いを滲ませる子軒に思わず小声で呼びかける。
「お、おい、何言ってるかわかんねぇけどやめとけって」
「我が注意引くする。逃げる良い」
「ッ!?」
慌てる遙を遮る様に口元を小さく動かして言葉を被せた子軒に、思わず目を見開いて言葉を詰まらせる遙は思わず安堵しそうになった自分を恥じて口を開く。
「バッ、ふざけんな! オレは――」
「護衛じゃない。知ってマスした」
「!? (……気づいてたのか)」
上辺だけの理由を取ってつけたように、この期に及んで自分の態度を固める事も出来ないまま反論しようとした遙の言葉は再び子軒の確信めいた短く、それでいて小さな言葉に封殺される。
初めから、子軒に護衛として認識されていなかった。その事実に遙は愕然としてしまう。
同時に、複数の思考が緊張で張り詰めた脳内に雑多に投げ込まれ、闇鍋の様に掴みようのない言語の断片として頭の中を埋め尽くす。
「(いつからだ、いつからオレが護衛なんかできないって知ってた!? 初めから? だったらなんでオレを連れ回して――何が目的……なんでオレを逃がそうと。――今日まともに話したばかりのオレなんかの為になんで命を掛ける!? 何でだ、どうしてだ!? 意味わかんねぇ! 違う、そうじゃねぇだろオレ! 何で。どうしたら? 助かりたい! どうすれば!? 見捨てたくねぇ……オレは――)」
遙の頭に浮かんでは消える、煩悶とした思考。それらが纏まりを見せるよりも早く、状況は動く。
『お別れは済んだか?』
はじめに声を掛けて来た正面の男――おそらくこの場で最も立場が高いのだろう――が銃口を見せつける様に向けながら再び口を開いた。
思考の海から呼び戻された遙が身動ぎひとつが命に直結するような緊張感に不規則な白い息が漏らしていると、銃口の直線状にいるにもかかわらず、子軒はあえて大きく溜息を吐いて見せる。
『どうやら少し勘違いしているようだな。貴様らはこの場で我を殺すつもりなのだろうが、我を殺した所で計画は止まらん』
『計画だと?』
『ふっ。末端は何も知らされていないとはな。飼い主にでも尋ねてみればどうだ? まぁ、要らぬ詮索をする捨て駒の結末なんて知れているだろうが』
大仰に肩をすくめ、鼻で笑う様に子軒が銃口を睨み挑発すると、周囲の男達が色めき立つ。
逸り出しそうな気配が滲み始めたのを抑える様にリーダー格の男が視線を巡らせ、
『時間稼ぎならやめておけ』
『それを判断できる立場ではないだろう?』
嗤って見せる子軒と、言葉に詰まる男。やりとりは理解できずとも、遙はもしかしたらという淡い期待を抱く、だが、すぐにそれは勘違いだと、子軒の握り込まれた後ろ手に気づいてしまう。
「(――李さん……震えて――)」
『んなガキの戯言なんざ信じる必要ねぇだろ』
『ッ』
横合いから入った茶々に、子軒の表情が凍る。
『ボコってボスの前に連れ出しゃガキがいう事が嘘でも本当でも変わらねぇよ』
『……だ、そうだ。反論はあるか?』
「くっ」
ニヤリと嗤う男達の様子に、交渉が決裂した事を理解した遙はハッと息を呑む。
「……合図する。スグ走る、良いカ」
「李さんは!?」
「豊崙、我の庭ヨ。心配ナイ」
遙に対して顔だけを向いた子軒、その表情は強張っていて、暗い路地の中で見返してくる瞳には恐怖が宿っていた。
「なんで――」
そこまで気に掛けるんだ。自分だって怖いくせに。なのに、なんで。
遙の思考が再び混乱と恐慌に支配され、子軒の視線をまともに受け止めることすら出来ず、眼を逸らした先で自身と子軒へと向けられた銃口と刃物へと視線が収束する。そして――
『あ?』
「なっ!?」
気づけば、半歩前へ出ていた子軒を庇う様に、遙は男達の向ける銃口の前に身を晒していた。
「何してル!」
慌てた子軒の声を背後に、遙は薄く笑う。
「(何してるだって? ――オレが聞きてぇよそんなこと!!)」
内心の恐慌を覆い隠すべく被った笑顔の仮面はしかし、目の前の男達にとっても奇矯なものとして捉えられ、不可思議なものはとりあえず警戒するという裏で生き残る上での法則にしたがった男達は僅かに動きを鈍らせる。
『おい。一度しか言わねぇぞ小日本。そこを退け。ブラフのつもりか知らないが、お前が戦えないのはもう割れてんだよ』
とはいえ、リーダー格の男だけは上からある程度情報が降りてきていたらしく、要注意人物としての特徴を持ち合わせない遙を一緒に居た非戦闘員だと推定していた。
「李さん、何て言ってるか分かるか?」
「戦えない、把握サれるいる」
「……ハハッ」
思わず零れた笑いに、リーダーの男が怪訝な表情を浮かべる。
うるさいくらいに跳ねる心臓によって押し上げられた血液が鼓膜付近に通う血管を激しく流れるドクドクという音が嫌に大きく聞こえる、笑うしかない状況の中で混乱が一周回って現実感が遠のいたような冷静さを得た遙は考える。
「(ほんと、何やってんだろーな……。こんなことしたって死ぬのが早くなるだけかもしれないってのに……)」
でも、と。遙は自身に向く銃口を見据えて、混乱の中――否、黄泉路の殺し合いを見たあの日からずっと考えていた疑問に意識を向ける。
「(どうして、オレよりも小さいはずの黄泉路や李さんは立ち向かえて、オレには出来ないのか。ずっと考えてた)」
そして今、子軒に庇われ、その背の後ろで震えていただけの自分を振り返って、遙は思う。
「(オレには命がけで何かをやろうって勇気はない。きっと死にそうになったらみっともなく泣き喚くし、馬鹿みたいに後悔することくらい自分でもよく分かってる。それでも……それでもさ……。だからって何度も何度もガキの後ろに隠れたまま、守られたままなんて――)」
すぅっと、息を吸う。
冷たく刺すような空気が肺を満たし、その分だけ頭が冷えて行く様な感覚の中、遙は自分が思う最高に格好いい笑顔を浮かべて口を開く。
「ダッセェ真似できっかよ!」
その笑みを子軒が見れば、どこか黄泉路に似ていると思っただろう。
無意識に格好いいと認識していた自覚も無いまま、遙はすべての感情が一周回り、自棄にも近い高揚が内から溢れ出すのを感じていた。
遙の右手が自らの耳に付いたピアスに触れる。かじかんだ指が更に冷やされる刺すような刺激が、今立っている場所が現実なのだと遙に告げていた。
自分にはない勇気を、外付けの勇気で補おうというような祈りにも似た所作で覚悟を決めた遙は、子軒へと声を掛ける。
「李さん! 通訳頼めるか!」
「わ、わかっタ!」
すっと、笑みをひっこめた遙は右手をピアスから放し、銃を構える様に人差し指を立てて男の銃口へと合わせて口を開く。
「“――オレが戦えないなんて誰が言ったんだ?”」
『ッ!?』
「“オレが戦わなかったのは、被害規模が洒落にならねぇからだよ”」
『出鱈目を……』
わずかに遅れて子軒が通訳する中華語に応じる様に引き金に指を掛ける男達を前に、遙は更に言葉を紡ぐ。
「“知ってるか? 工業用のレーザーカッターってのは高熱で金属だって溶かし切るらしいぜ?”」
『それが一体何だと――』
「“お前等の武器、それどうやって使うんだ?”」
瞬間、遙の指先から迸った閃光が闇に染まった路地を眩く駆け巡り、蛇行して不規則な軌道を描きながら男達が構えた銃やナイフを貫いた。
あまりにも早すぎ、そして、あまりにも一瞬の出来事に呆然とする男達の前で、彼らの持つ銃の銃身や刃が赤く輝く切断面に従ってずるりとズレる。
『なっ!?』
「“退きな。次はこの場に居る全員の脳みそを焼き切るぜ”」
焼き切られた銃身の先がコンクリートの地面に落ちる音が嫌に大きく響く中、遙の言葉が翻訳されて伝わったのだろう、男達の表情に戸惑いが生まれる。
いけるか、そう期待を抱く遙だったが、
『落ち着け! 能力使用者がそんな強力な攻撃を連続で使えるわけがない! 狙いを定めるよりも先に殺せば問題ない!』
『けどあのガキを殺しちまったらマズいんじゃ……』
『んな事よりも俺達が生き残る方が優先だ! ボスだってガキを殺して持ってこいとしか言ってねぇんだ問題ねぇよ!』
「不味いナ、効き過ぎた様ダ」
「げっ」
先ほどまでのある程度秩序だった様子が嘘の様に騒がしく、無秩序に新たな武器を構えだす男達の様子を通訳した子軒の言葉に遙は思わず顔を顰める。
「だったら――」
指を天高く掲げた遙が再び光を収束させようとした、その時だった。
――さりさりさりさりさりさり。
子軒と遙が聞き覚えのある、金属が擦れ合う音が周辺に満ち、
『ぐげゃ!?』
『なんだこ――ぎぇッ!!』
立て続けに男達の悲鳴が上がり、連なる様にどちゃりと水溜まりに重い物が打ち付けられるような鈍い音が響く。
子軒と遙がハッとなって視線を巡らせれば、ふたりを挟み込む様に布陣した男達が次から次へと倒れ伏し、通路に広がった赤黒い池の向こう側、先ほどまで男達で見えなかった暗がりに、ひとつのシルエットが佇んでいるのが見えた。
「やっと見つけたわ。無事でなにより」
「リ、リコリス……!」
人影がゆったりと歩み寄ってくるにしたがって、良く知る少女であることが分かり、遙は思わず声を上げてしまう。
散歩道を行く様な気軽さで現れた彩華の靴が歩くごとに床を叩くたび、床や壁が鈍色の花に変質してゆく。
彩華が遙たちのすぐ前までやってくる頃には男達は全て刃の茨に絡めとられ、床や壁に半ば埋まる様に縫い付けられていた。
「どうしてここが……?」
「李さんがひとりで出歩いてるって聞いて、貴方も戻らないから、虱潰しに探しただけよ」
枯崙の規模を考えれば、子軒の体力や行動範囲を考えてもあまりにも広く手間のかかる行為であったはずだが、何でもないという風に告げる彩華は話しながらの片手間に倒した男達を見回した後、警戒を解いて小さく鼻を鳴らす。
「後は私が片づけるから、貴方は李さんを送り届けて」
「――」
遙はぷつりと緊張の糸が千切れるのを感じ、後を追う様に緊張による精神的疲労にめまいを覚える。
踵を返した際にふらりと転びそうになる遙を案じ、子軒が寄りそうのを横目で見ていた彩華はふと、思い出したように遙へと声を掛けた。
「そうそう。さっきのは少し見直したわ。真居也君」
「えっ――!?」
風に乗って背後から聞こえた言葉に、遙はハッと振り返る。
だが、彩華はすでに身体ごと背を向けてしまっており、問い返すだけの元気も勇気もないまま、遙は子軒と共に帰路へ着く。
帰り道は廃墟さながらの道ということもあって非常に暗く、互いに緊張による疲労から足取りもゆったりとしたものだ。
襲撃された現場からどれくらい離れただろう。迷いなく歩く子軒が隣を歩く遙へとぽつりと声を掛ける。
「先ほどは、すまなかっタ」
「……何の話、っすか」
「戦えナイなど、お前を侮っタいた」
「いや……」
そんなことはない、と。遙は言葉を濁しつつ苦笑を浮かべる。
「オレのなんて手品みたいなモンだ。……それより、さ」
「?」
謙遜する――というよりは、本気でそう思っているらしい遙の口振りに怪訝な顔をする子軒だったが、話題の転換に小さく首を傾げる。
「これ、聞いても良いのかわかんねぇんすけど、質問していいっすか」
「ああ。我に答えられるものナラ」
何を聞くつもりだろうかと子軒が言葉を待っていると、遙は先を見るように僅かに顔を逸らして道の先に広がる暗がりの中へ視線を向けて、気まずそうに、言葉を選ぶように口を開く。
「……李さんは崙幇のボスって言ってもまだ子供だろ。どうしてそんなに頑張れるんだ」
それは何事にも本気で取り組んだことのなかった遙の、自分自身に対する問いかけにも近い物だ。
自分とは対極の、平和ボケした世界とは縁遠い子軒からならば、自分にない答えを埋めてくれるのではないか。そんな期待からの問い。だが、
「そんなに、とは」
「ほら、今日だって、一日かけて色んな人の所に行ってさ。皆忙しいから自分に出来る事をって言ってたけど、子供なんだし、出来なくても仕方ないって思わねぇのかなって」
首を傾げる子軒にさすがに言葉足らずだったらしいと、遙が自分自身の感じたことを補足する様に付け足して行けば、子軒はわずかに悩んだ後、拙い日本語から適切な言葉を選ぶようにぽつぽつと言葉を紡いでゆく。
「我は、豊崙で生まれ、育った。豊崙は貧しイ。皆、自分に出来るすること、必死にやるます。だから、我も崙幇。血族の役目を果たす、です」
責任感から、という答えに思わず眉を顰める遙に、子軒は淡く笑って付け足す。
「でも、一番の理由、とても簡単。豊崙の民、皆家族。大事な人、場所、守りたいする。不思議カ?」
たとえ自分の命が掛かってでも、そうしたいのだと言う子軒の言葉に、遙はこれまでもやもやしていたものが僅かに解れた様な感覚を抱いた。
これがアニメや漫画の受け売りの様な、実体験の伴わない薄っぺらな言葉であれば決して響かなかっただろう。
だが、二度の命の危機を乗り越え、かたや、半ば自棄になっていたとはいえ自らの手で切り抜けようとした今の遙には、その言葉の重みがしっかりと理解できていた。
「そう、っすか……」
「納得するした?」
「一応は」
短く応えた遙はしかし、噛み合わない要素を今更ながらに思い出して再び口を開く。
「……でも、じゃあ、どうしてさっきオレを庇おうとしたんすか。オレは別にここの住民じゃねぇし……」
「それは――」
言葉を探す様に短く区切った子軒が、ポケットから出した手で遙の冷え切った手を握る。
その手は仄かに暖かく、ほんの少し前までカイロによって温まっていたのを忘れてしまう様な経験をした遙はびくっと手を震わせる。
「親切、優しい。返す当然する」
「いや、そんなの命かけるほどじゃねぇだろ……」
「暖宝宝――カイロではなく。一緒に来る、言うした。それ自体。嬉しかっタ」
「……」
真っ直ぐな眼差し、崙幇の盟主としての顔ではなく、ただ、年下の少年としての表情で感謝を告げる子軒に、遙は手に伝わる暖かさが耳まで上がってきたような錯覚に慌てて口を開く。
「その程度で命なんて賭けるかよ普通!」
「あ、ええと、違う、我、盟主として未熟。虚己や、皆の力、借りるしないと、崙幇、守るナイ。お前も戦うナイですのに、ついてくるしてくれた。その恩のこと」
「――つまり、同じ戦えないヤツ同士で親近感がわいたってことか?」
「……」
「……はぁ。でも、普通ボスならオレを囮に逃げるくらい言うだろ」
「崙幇の盟主、仲間見捨てない!」
「仲間て……いや、助けてもらったのはオレだから、言い返すのも違ぇか。……ありがとな」
遙の短い感謝に子軒が小さく頷く。
それっきり、黙り込んでしまった遙に合わせ、子軒も無言で歩く夜の道は考えを深めるためにある様な静寂に満たされていた。
「……」
理解はした。納得もした。だが、翻って自分に当てはめられるかと考えると、途端に分からなくなってしまう。
自分にはそんなものがあるのだろうか。あったとして、自分は果たして、命をかける事が出来るのだろうか。
黄泉路と彩華も、そんなものを抱えて戦っているのだろうか。
そんな思いが、子軒を邸宅に届けて拠点に戻る間もぐるぐると遙の頭の中を埋めていた。