11-17 認識の差
黄泉路達が四異仙会の末端と衝突してから3日が経過した午前。
日差しも薄く肌寒い空気が碌な気密もない屋内にまで浸透し、窓の外を眺める遙の息が白く染まる。
遙が今身を置いているのは虚己によって提供された黄泉路達の拠点だ。
枯崙へやって来た際に案内された李子軒の邸宅にほど近い集合住宅は枯崙の違法建築群に呑まれる様な形で、当然、とてもではないが広いとは言えないものであった。
とはいえ、現状の同居人である黄泉路と彩華の姿は今はなく、彩華はともかく黄泉路に関しては在宅時間帯も疎らであることから3人という人数を苦に思う程ではない。
拠点を得た黄泉路と彩華は早速とばかりに――当初よりすぐに取り掛かるつもりであったのだろう――行動を開始していた。
黄泉路は子軒達崙幇の情報網にバックアップを貰いつつ四異仙会の動向を威力偵察をメインに探る動きをはじめ、彩華は彩華で枯崙という地形と自身の相性の良さを活かす為に地形の把握をするという名目で朝から夕方手前まで枯崙を練り歩いており、残された遙は自然と枯崙の住民や崙幇からの黄泉路達への連絡を受け取る“お留守番役”として収まってしまっていた。
「寒ぃ……」
暖房は一応あるにはある。だが、何世代型落ちしたのかもわからない程の骨董品ともいえる電気ストーブは最初に触った際に怪しい音と異音を漏らしており、何の拍子に故障するかもわからない代物――良くてショートして動かなくなる程度、最悪は爆発、炎上まで視野に入れて、だ――のため、移り住んだ初日以降付けようという勇気のある者はいなかった。
彩華はどこから取り出したのか、分厚い冬服に使い捨てカイロなどを大量に持ち歩いており、そもそも黄泉路は暑さ寒さなどはほとんど影響を受けないこともあり、今現在、11月の寒さに直接被害を被っているのは遙だけであった。
なにより、そういった物理的な寒さもさることながら、自身が置かれた状況もまた、遙の内心の温度を酷く下げていた。
「……何やってんだろ、オレ」
口癖、ではないものの、ここ最近よく口に出してしまう愚痴が零れる。
白い吐息となって吐き出されるそれは遙の現状を表現するに相応しい言葉であった。
はじめは、自分は特別なのだと思っていた。他と比べて特殊な能力を得て、それ故に元仲間との折り合いも悪くなったことでますますそう思わねばやっていられないという気持ちも手伝い、とっさの判断で一方的に憧れていた彩華の活動を模倣してみようとし、結果、気づけばその彩華達と共に中華の山間に築かれた廃都とも言うべき巨大スラムに乗り込む羽目になり。
――危うく命を落とすところであった。
「はぁ……」
数日経った今でも、子軒が狙われ、黄泉路が庇って致命傷を負った瞬間が目に焼き付いている。
実際には致命傷でも何でもなかったらしい――黄泉路からはそういう能力なのだとやんわりと伝えられた――が、それでも、今までの一生で喧嘩で血を見る事はあっても、あれほどまでに凄惨に、直接的に人の死を感じる瞬間を目撃した事は、遙にはない。
遙は漠然と、自分が特別なのだと思っていた。自分ならば、何があってもなんとかできると、手にした能力に浮かれて無根拠に、漠然とそう考えて居た。
その考えが木っ端微塵に吹き飛ばされ、今の遙はどうしようもないくらいに宙ぶらりんの状況に立っていた。
「(協力してやる、か。……ははっ。笑える。何の訳にも立たねーじゃん)」
過去の自分の発言を内心で自嘲する。
無根拠に大きく出る癖が悪いという自覚はないものの、だからといって現実に横たわる彼我の実力差や認識の差まで誤魔化す程、遙は妄想の世界に浸れていないというのも、彼が一般人だという証左なのかもしれない。
今にしてみれば、黄泉路と遙とで明らかに対応に差のあった彩華の態度も納得の行くものだ。今までの遙でも、どれほどの付き合いの長さかはわからないものの、仲間として認識している黄泉路と、ポッと出の自身では軽重に差が出ても仕方がないと半ば理解はしていた。だが、現実はそこに張り合いようもない格差が横たわっていたとなれば、それを正しく理解できていた黄泉路と彩華にとって、遙の存在はどれほど滑稽なものであったのかなど容易く想像がつく。
「(クラスの勘違いイキリ陰キャみてー……)」
自分の人生経験上、最も近い物を挙げてしまうのは人間の性とも言えるが、そこで引き合に出されるクラスメイトが自分が内心辟易し、距離を置いていた存在ともなれば、遙はますます自己嫌悪に陥ってしまう。
そもそも、当初黄泉路は遙に対してすぐに帰還できるように取り計らおうという意思があった。だが、遙がそれを軽率にも蹴ってしまった事で、初めから一歩引いていた彩華はおろか、柔和な態度で接していた黄泉路にすらも見放されたのだろうと遙は思う。
でなければ、拠点が確保できた今、遙をここにとどめておく理由がない。帰還させることにかかる手間と、遙が日本で口を滑らせるリスク。それを冒してでも帰還を勧めていた黄泉路が何も言わないという事は。
「(どうでもいい、って思われてんだろーな)」
黄泉路達の内心がどうかはわからない。しかし、事実としてここ数日黄泉路達は遙のことを気に留める様子も無く忙しなく動いており、遙の優先度が低いのは誰の目に見ても明らかであった。
この状況における無関心、それは、最悪死んでも構わないと言われている様な気がして、遙は気温からくる肌寒さとは別の居心地の悪い寒さに身震いする。
1日、また1日と、日が経つにつれて増して行く不安や不信感と、それに反するような平和といって差し支えない拠点内での生活との落差に遙の脳内にここ数日、何度か過った思考が再び浮上する。
「(あー。家帰りてぇ。ゲームしたい漫画読みたいアニメみたい)」
既に自身が何事も言わずに姿を消してから1週間近くが経とうとしており、普通に考えるならばそろそろ失踪届が出される頃だろうか。その様な思考が頭を過るものの、普段の家に寄りつかない放蕩とした生活を鑑みればあと1週間程度は音沙汰無くとも心配すらされないだろうという経験則が淡い期待を即座に切り捨てる。
遙自身、捜索願いが出されたところでどうにかなる段階をとうに超えている事は重々理解しており、そんな事を期待するだけ無駄だと改めて溜息に交えて思考の外へと放り出す。
日本で気ままに暮らしていた時は思いもしなかった自宅の恋しさを断ち切る様に、遙は窓際の席から立ちあがる。
今からでも、遙が帰りたいと口に出せば彩華はともかく黄泉路ならば帰路の手はずを整えてくれそうだという期待はある。だが、その黄泉路に態度悪く接し、自分は役に立てるのだと豪語したのは他ならぬ遙本人であり、前言を翻して泣きつくのはどうかという思いが帰還願望を口に出すことを押し留めていた。
「(今更プライドが、なんつってもダセェのは分かってる。けど、なんつーか、違うんだよな……。このモヤモヤが晴れれば、何か変わる気がするのは、確かなんだけど)」
最低限、自由に使っていいと言われたカイロの封を切ってポケットに忍ばせて表へと出た遙は、頬に吹き付ける建物の間を通る事で鋭くなった寒風に身震いする。
直接冷たい風が当たらないだけ、屋内の方がマシだったことを今更ながらに認識しつつ、特に予定を決めていない散歩へと乗り出した遙の足は自然と知っている道を進む。
遠くに行ってしまえば自力での帰還は困難で、下手をすればどこに潜んでいるともわからぬ四異仙会の構成員に襲われる心配もあるため、自然と遙の行動範囲はさほど広くない。
枯崙へやって来たばかりの頃に一晩世話になった李子軒の住む邸宅の前までたどり着くのは至極自然のことであった。
「あ」
遙がなんとなしに辿り着いた館の前でどうしようかと内心で首を傾げていれば、丁度、邸宅の扉が開き、中から外出用の厚着をした子軒が姿を現した事でお互いの目が合う。
「……ども」
「早上好」
「?」
「ああ、おはヨう、だ」
「おはよう、ございます」
咄嗟に母国語で挨拶してしまった子軒が言いなおせば、改めて挨拶を交わした両者に僅かな沈黙が落ちる。
子軒にしてみれば言い直した事で会話のリズムが崩れてしまった上に、相手が何の用事で家の前に居たのか分からず困惑し、遙にしてみれば、特に用事も無くぶらついていた所を、知り合いとはいえ地元ヤクザのボスが顔を見せて挨拶をしてきたのだから、どう対応したらいいかという所であった。
互いに様子を窺う様な沈黙が数秒続いたのち、遙はとにかく雰囲気を変えねばと口を開く。
「李、さんはこれからどっかへ?」
「あア。【不朽】達が協力シてくれましタお陰様で、作戦の打ち合わせ必要になたのデス。根回し、言うしたカ?」
「へぇ」
ややたどたどしいながら、しっかりと日本語で応えてくれる子軒に、その内容に感心していた遙はふと疑問が浮かぶ。
「李さんひとりで?」
「? 何か問題あるか?」
「いや、崙幇のボスなんだろ。大丈夫なのか――ですか?」
子軒のことを言えないボロボロの敬語だが、子軒はさして気にした風も無く、玄関の戸締りをした鍵をポケットへと戻しながら何という事もないという風に応える。
「虚己は別の用事あるして手が付けられるナイ。他も、作戦の準備かかって貰っていルだから、我も、出来る範囲で準備を進める必要あるマスよ」
それに、動く範囲は崙幇の縄張りの中に限っているから危険はさほどないのだと告げる子軒の様子に、遙は胸の奥に刺さった棘が改めてちくりと刺すような感覚を抱く。
「……つっても、ひとりじゃ危険なのは間違いないだろ。俺で良ければ一緒に行くけど?」
気づけば、遙は護衛とも取れることを口走っていた。
自分の口から出た音を耳で聞いて、自身が発現した言葉を理解した遙が後悔するが、自分よりも幼い子軒すらも、自分に出来る事をと危険を冒して動こうとしている姿を目の前にしてしまえば、撤回や誤魔化しなど出来るはずもない。
子軒は遙の提案に僅かに考える様な仕草をした後、遙の前まで歩み寄って口を開く。
「分かった。今日は、ヨロしく頼むする」
「ああ」
差し出された子軒の手を、遙はカイロで温まった手で握り返す事で応えるのだった。