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11-16 四仙

 枯崙の西側。上層に堂々と位置するランドマークとも言えるホテルの一室、カーテンに光を遮られた暗い部屋の床が揺らぐ。


「――ぐ、う……!」


 水面に石を投げ入れたように広がった波紋からぬるりと出てくる人の腕。

 それが床を掴むと、ずるりと残り(・・)が引きずり出されるように姿を現した。

 現れたのは艶やかな黒髪を撫でつけたキツネにも似た鋭い眼光を持つアジア系の顔立ちの男。

 つい先ほど、商売敵を暗殺しようとして失敗した影潜り――キム・ミンソクであった。


「くそ、アレが【黄泉渡】……噂以上の化物か」


 じくじくと痛む脇腹の傷を片手で押さえ、こういう時を想定して備え付けていた医療道具を纏めた箱をひっつかんで雑にベッドに腰かける。

 当然、配慮に欠いた座り方の代償は傷口に痛みという形で負担を訴え、その瞬間に顔を顰めるが、誰が見ている訳でもないこともあって取り繕うことも無く服を脱ぎ散らして傷口の消毒を始める。


「(能力もないガキひとり仕留めるだけのつもりだったお陰で毒を使わなかったのが幸いだったな。……どっちにしろ、あの【黄泉渡】(バケモノ)に毒が効くかは怪しい所だ)」


 自身のナイフを投げ返されるという屈辱極まりない方法で退けられたミンソクだが、撤退した今から思えば腹の傷ひとつで相手の戦力ふたりの能力を暴けたのだから十分以上の成果であると納得していた。

 あとひとり、暗殺対象の崙幇盟主の隣に居はしたものの……。


「(あの程度で腰を抜かす素人がなんでいたのかは分からないが、まぁ、捨て置ける雑魚だ。気にする必要もないだろう)」


 あの場で全く役に立たないどころか、見ようによっては黄泉路の足を引っ張っていたとすら言える遙に評価を下したミンソクは手早く治療を終えると、未だ痛む傷口を庇う様に新しい服を着こみ、折られたナイフをザラザラと足元の影の中へと落とし込んで補充を終えた後に部屋を出る。


「(ともあれ、まずは飯だな。血が足りん)」


 傷自体はナイフの大きさもあってさほど大きい物ではない。だが、そこそこの深さまで刺さってしまい、派手な出血をしたこと自体は無視できるものではなく、後で組織の治療能力者の手を借りるにしろ、今は食事で体力を回復させたい。

 加えて言うならば、このような失態を“他の幹部(・・・・)”に知られるのを嫌った為であった。

 普段であれば何という事もない廊下も、傷を庇いながら歩く現在では長い道程に思えてしまう。

 エレベーターに乗り込み、上階のレストランへと足を運ぶ中でも普段以上に神経を尖らせるミンソクの所作は、上層に足を踏み入れることを許された限られた構成員――当然、戦闘力や貢献度で選ばれている為組織内でも指折りの者達だ――ですら何事かと道を開ける。

 レストランへと辿り着いたミンソクは一歩踏み入れるなり、道中の警戒が全くの無駄に終わったことに内心で歯噛みした。


「オイオイオイ、下手打ったって聞いちゃいたが、何時間かみない内に随分と老いた(・・・)じゃねぇか!」


 レストラン入口に現れたミンソクを、普段ですら煩いと感じる大声が隠しもしない嘲笑でもって出迎える。

 ただの大声であるにも関わらず大気を震わせ、傷を揺らす様な錯覚にミンソクは内容以上に顔を顰めて相手を睨みつけた。

 声を掛けて来たのは4人掛けの丸テーブルに腰かけた3人の男女のうちのひとり。

 売り文句を買う様にミンソクは口の端を引き攣らせる。


「マーキス、貴様であれば撤退も出来ず死んでいただろうよ」

「あ゛ぁ˝?」


 見るからに堅気ではない雰囲気の――どちらかと言えば、マフィアというよりもギャングであるという言い回しの方がしっくりとくる大柄の黒人であった。

 頭の後ろへと編まれた短めのドレッドヘアにサングラスという、あえてステレオスタイルを踏み抜くという意志すら感じる出で立ち。先の発言からも決して礼儀正しい性質ではないとわかる男が、真っ白なクロスの敷かれた丸テーブルに行儀よく座っている姿はある種のミスマッチを引き起こしていたが、それも同席している面々を考えれば当然と言えるだろう。


「犬同士のじゃれ合いをする場ではないんだがな」


 次いで、ミンソクを、というより、先に発言したマーキスと呼ばれた大柄な黒人まで含めて失笑するのは、アメリカ系のマーキスとも、アジア系のミンソクとも違う、ロシア人らしい赤みの強い茶髪と垂れ気味の青い瞳をした偉丈夫であった。


「イグナート。テメェはもう少し賢いと思ってたんだがなぁ? ロシア熊の剥製ってのはいくらになるんだったか?」

「貴様の席が空けば座りたがる輩もさぞ多かろうな」


 イグナートと呼ばれたロシア人に対し、纏めて侮辱されたミンソクとマーキスの額に青筋が奔る。

 並の構成員、否、指折りの戦闘員ですら震えあがるその威圧を前にしてなお、余裕を崩すことのないイグナートはナイフとフォークで器用に肉を切り分けながら溜息を吐く。


「できもしない事を大口で言うものじゃない。同格とされてしまっている私達の格まで下がるだろう」

「――んのッ」

「貴様――!」


 ふたりが今にも能力を持って殺意を顕現させようと、そして、イグナーツもまたそのふたりと対峙せんと空気が張り詰める、その瞬間。


「いい加減にして下さらない? 同士討ちをするような愚か者と手を組んだ覚えはなくてよ?」


 先ほどまで、男3人の煽り合いに我関せずを貫き、同じテーブルで優雅に紅茶を嗜んでいた女が呆れに苛立ちを滲ませた声音で3人に制止を呼び掛けた。

 それぞれに武力を感じさせる見た目の男達とは違う、ともすればモデルかと思えるような華やかなスタイルの英国人らしきドレス姿の女性の一言によって威圧の嵐がぴたりと制止する。


「チッ」

「さ。Mr.キム。こちらにお掛けになって。ランチに立ち話なんて無粋ですもの」

「ああ……」


 マーキスが舌を打つのも無視し、女が唯一空いている席へとミンソクを促せば、イグナートもこれ以上茶々を入れるのは自身の株を下げると理解しているらしく黙って肉を口へ運びだす。

 席に着いたミンソクへ、先ほどまでは怯えて姿を現さなかったウェイターが早歩きで駆け寄り注文を取ると、レストランのホールには4人のみが残された形となった。

 無論、誰かが人払いをしたという理由ではない。彼らには暗黙の了解でそう配慮されるだけの力があった。

 彼らこそ、枯崙に参入し瞬く間に勢力を拡大させた四異仙会の4人のトップにして同盟者。組織の名にもなっている、中華における能力者――仙人の名を持つ4名の卓越した能力者達なのである。


「……それで? Mr.キムほどの手練れが手傷を負わされて帰って来たのですから。お相手はどれほどの戦力を雇い入れたのかしら?」


 助け舟を出したのだから、答えてくれるのだろう、と。言外に要求するような女の言葉に、ミンソクは僅かに沈黙した後に口を開く。


「【不朽】――貴様らには【不死者(イモータル)】と言った方が良いか。崙幇のガキはとんでもない奴と手を組んでいた」


 【黄泉渡】迎坂黄泉路の能力は日本の能力解剖研究所にて最初期の驚異的な再生能力についてだけは国外にも――それこそ裏に限った話ではあるが――広く伝わっており、その希少性や有用性に他国はどうにか自国で似たような能力者を作れないか、または日本からその“検体(・・)”を連れだせないかと一時期は躍起になっていた。

 再びその名を聞くこととなった3名は大きく表情を変えこそしないものの、各々の反応がその名を知っていたことを告げていた。


「【不死者】……しかし、噂では単なる再生能力者だったはずだが?」

「……」

「Mr.キム?」

「即死するほどの致命傷を受け、何事も無かったかのように反撃に転じる奴を再生能力者と呼ぶのならそうなのだろうな」

「ヒュー。マジかよ」


 各々思惑はある中で集まった面々の中、比較的オープンにギャングをしているマーキスが口笛を吹いてミンソクの証言を誇張ではないかと茶々を入れるが、ミンソクの態度から3人を謀る様なものではないと判断して口を噤む。


「【不死者】の外見は黒髪黒目。ティーンエイジほどの男。もうひとり、かなり練度の高い物質変異能力者の女が居た。こちらも歳は似たようなものだが、あれが恐らくは近頃此方を妨害していた【鉄華】だろう」

「刃の花を咲かす能力者ですわね? Mr.キムほどの方が練度を称賛するとなると」


 自分達に匹敵する可能性がある。

 そう判断した3人は内心で厄介な話だと舌を打った。

 ややあって、空気を入れ替える様に女が疑問を呈する。


「そういえば、Mr.キム。崙幇が雇い入れた傭兵は3人だと小耳にはさんだのですけれど。残りのひとりについては何かございませんの?」


 互いの行動に過度な干渉はしないとはいえ、幹部はそれぞれ自身の持つ手練手管でもって情報収集を行っている。

 当然、この情報はマーキスやイグナートも手にしており、あえて触れなかったミンソクへと視線を向ける。

 隠し立てするつもりの情報を突かれたミンソクがどんな反応をするのか、そういった稚気が混ざる視線を受けたミンソクは何という事はないと鼻で笑い、


「使えて後方支援。戦力と呼ぶのも烏滸がましい小物だ。そのような些細なものにまで気を配らねばならないとは、さぞ毎日がスリリングなのだろうな」

「――んだと」

「Mr.キム?」

「どちらにせよ、忠告はしたし、同盟者として共有すべき情報は全て出した。これ以上は貸しと取るが?」

「……そうですわね。これ以上気になるのでしたら各々で。取り決め通りとするのが無難ですわね」

「チッ」


 一瞬だけ張り詰めた空気も、普段通りの――とはいってもそれでも日常とするにはあまりにも緊迫したものだが――雰囲気へと落ち着くと、見計らった様にウェイターが料理を乗せた盆を片手にテーブルへと近づいてくる。

 漸く来た、というよりは、大事な話をさえぎらぬ、聞かぬように配慮した末の配膳を終えたウェイターが女の傍へと寄り、耳元に顔を寄せる。


「ケイシー様……」

「……そう。ありがとう。下がってくださって結構よ」

「はっ」


 何事かを囁いたウェイターにチップを握らせた女――ケイシーが席を立つ。

 既に紅茶は空になっており、心得ているとばかりに配膳に使った盆に茶器を回収して下がったウェイターを横目で見送ったケイシーは席にテーブルへと目を向ける。


「それでは、私はこれで。次は定期会合でお会いしましょう」


 優雅に立ち去るケイシーを見送った男達もまた、用事は終わったとばかりにぽつぽつと席を立つ。

 ひとり残ったミンソクは漸く気兼ねなく食事ができると、鉄分豊富なレバーを口へ運びながら、控えているウェイターに治癒能力者を呼ぶように命じるのであった。

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