11-14 枯れ山の賑わい
枯崙の主、李子軒の館にて歓待を受けた翌朝。都会とは違った静けさの中で目が覚めた遙は薄暗い部屋の中でぼんやりとする頭を覚醒させる様に瞼を擦る。
一瞬、見慣れない室内の様子に自分はどうしていたんだったかと考えるのも束の間、すぐに自分が生まれ育った日本を離れ、中華の山奥に流されるまま、考えなしに乗っかってしまったままにやってきてしまった事を思い出す。
「……あー」
寝起き故の擦れ気味な後悔が小さく洩れる。
隣を見れば、既に身支度を終えて出て行ってしまったらしい黄泉路が寝ていたはずのベッドがあり、彩華のオマケ程度にしか考えて居ない黄泉路がいないことに僅かながらに不安を抱く。
本来ならば、黄泉路の強さを知った後であればオマケなどとは口が裂けても言えないだろうが、幸か不幸か遙が同行することになってからは一度として黄泉路が直接力を揮う機会はなかった。
というのも、黄泉路と彩華では得手とするシチュエーションが微妙に違うことに由来する。
彩華は屋内戦、とりわけ、物質が潤沢にあり、敵が質量武器を手にしている際に猛威を振るう能力者である。
周囲にあるすべての物質は彩華の能力によって刃へと変わり、相手が持つ武器の構造すら、その能力柄物質構造に精通した彩華にとっては対処に易いものでしかない。
黄泉路と出会う前の彩華であっても能力の発動速度と生成速度は飛びぬけて高く、ましてや黄泉路と別れた後に専門的に――実戦的に訓練を重ねた今の彩華ならば、銃弾が吐き出される指の動き、銃が発射された火薬の弾ける音、それらを認識した瞬間に自身を守る盾となる刃を足元から急速に生やす事すら可能になっていた。
加えて元より彩華の能力は広域を対象に取る事の出来るものだ。故に、武器に頼らざるを得ない非能力者を相手取る屋内の集団戦こそ、彩華の最も得手とするシチュエーションであった。
対して黄泉路はと言えば、今でこそ集団戦もこなせこそするものの、やはり本来通りの強大な力を持つ相手との1対1による被弾無視の前のめりな殺し合いこそを得手としている。
そうした事情を知らない遙が黄泉路を下に見てしまうのは致し方ない事と、元より序列を気にしていない黄泉路はスルーする姿勢であったが、その分付きまとわれる彩華の機嫌はそこそこに悪く、黄泉路が朝早くから抜け出しているのも、彩華が起き抜けに遙と対面するよりは、自分がクッションになった方が良いだろうという配慮からであった。
「(何でこんなことに、ってのは言えねぇよなぁ)」
ベッドに腰かけた姿勢のまま、大きく伸びをしてから立ち上がった遙は彩華に作って貰った簡素な――しかしそれでいてワンポイントが安物と思わせない――シャツに袖を通す。
旅行に偽装するため、最低限の荷物は持っていた黄泉路と彩華とは違い、完全に着の身着のままの格好だった遙を見兼ねて用意したそれは無論、彩華が船の中で適当な端材を使って作った1点ものの服である。
刃を作る事こそを本質とするものの、だからと言って別の物が一切作れないという訳ではないのが彩華の汎用性の高い所であり、能力を器用に扱える才能であろう。
ごく一般的な感性を持っている遙は自分の状態を理解した上で、仕方なく用意してもらったものであるという事実を理解してはいるものの、それでも憧れの女性から貰った1点ものの服という特別感に思わず頬が緩む。
無論、昨晩にはしっかりと入浴も済ませている為、今の遙は誰がどう見ても清潔感のある若者だ。
「……よし」
ずっと部屋に閉じこもっていても仕方がない。手伝うと言った、決めた以上、何かしら役に立つところを彩華に見せなければ。
そう意気込んで着替えを済ませた遙が部屋の外へ出ると、昨晩案内された道を辿ってキッチンと食卓が繋がった大部屋へと顔を出す。
昨晩案内された応接室よりは聊か落ち着きがある、それでいて館そのものの質は落とさない食卓の上には揚げパンや具が覗く白っぽいスープや肉まんが乗っており、席には黄泉路と彩華、子軒の姿があった。
「おはよう。遙君」
「……おう」
いち早く気づいていたらしい黄泉路に声を掛けられれば、遙は僅かに間をおいてから気まずそうに応じて空いている席へと腰かける。
「おはよう、リコリス」
「ええ、おはよう真居也君」
彩華のそっけない挨拶も遙にとっては貴重な会話である。
少しばかり機嫌を良くした遙は小さく手を合わせて頂きますと呟いてから手近な肉まんらしき白くふっくらした饅頭へと手に取り、大口でかぶり付いた。
「……!?」
「如何しタ?」
口の中で溢れた想定とは違う味に思わず目を見開いて固まる遙に、子軒が首を傾げる。
熱を通した野菜特有の仄かな甘みと香辛料の辛みが混ざり合った味自体は悪くない。しかし、遙が想像していたのは所謂肉汁滴る肉まんの味。その落差が口の中を混乱に陥れ、始めて食べる野菜だけの――野菜まんともいうべきそれに目を白黒させている遙に、黄泉路が苦笑交じりに声を掛けた。
「野菜まん、って言うらしいよ。肉の代わりに野菜が包んであるんだって」
「さすがに豆乳スープと揚げパンと肉まんだけじゃ栄養が偏るもの。私は食べやすくて好きだわ。これ」
「そウか。嬉シい」
「軒軒、そういう時は“それなら”が良いですよ」
「なるほど、“ソれなら、嬉シい”。虚哥、これで良いするカ?」
「はい。お上手です」
キッチンから顔を出した虚己に指摘され、言い直す子軒とそれを褒める虚己の呼び方はそれぞれ親しい年下に向けるものと年上に向けるもの。そこに確かな信頼性が見える様で、客人3人組はしばし黙ってその様子を見守っていれば、先に気づいた虚己が追加の肉まんを食卓へ置き、
「どうぞ、気にせずお食事を続けてください。こちらは肉包――肉まんでございますので」
「おう、さんきゅーな!」
既に黄泉路と彩華はある程度食事を進めていたこともあり、あとは豆乳スープのみで満足だという彩華や、元より付き合いで食事をしていた黄泉路を差し置いて腹へと収めて行く遙の食べっぷりは気持ちのいいもので。
朝から量を食べれるのも若者の特権であろう。満腹だという様子の遙が一息ついていると、食事を終えた他の面々がゆっくりと立ち上がる。
「どっか行くのか?」
「昨日は直接ここまでやってきて地形を全然知らないから、虚己さんが僕達の拠点を見繕ってくれるまでの間、李さんがこの町を案内してくれることになったんだよ」
どうやら自身が食卓に顔を出すより先に話し合われた事らしいと理解した遙は、このままでは自分が置いて行かれると慌てて席を立つ。
別に町を案内して欲しいわけではないが、見知らぬ人しかおらず、家人も不在の他人の家にひとりきりでお留守番、というのは――これが暇つぶしのゲームでもあれば少しは違ったのだろうが――ゾッとしないと、遙は即決で黄泉路達についていくことを決める。
外は相変わらず、空が狭いと感じるほどに屹立したコンクリートの四角い灰色が視界を埋め尽くしており、朝、とうに陽が昇っていてもおかしくないはずの時間にも拘らずどこか薄暗い印象を抱く。
どことなく都会の路地裏に燻っていた時のことを思い出して空気が重いように感じてしまう遙を他所に、子軒が勝手知ったると言った具合に歩き出せば、その隣を黄泉路が、すぐ後ろを彩華が付いて行くように続く。
数歩出遅れた遙は早歩きで彩華に追いつくと、前を歩く子軒を窺うように声を潜めて問いかける。
「李……さんは、ボスなんだろ。そんな簡単に出歩いて良いのかよ」
「地元住民に私達の顔を見せておく必要があるのよ。それに、護衛なら私達がいるもの」
「なるほどなぁ」
遙の意図に合わせて声を潜めた彩華の返答に納得しつつ、逸れたらまず自力では戻れないだろう入り組んだ道だなと前日も抱いた不安を振り払うように子軒の後をついて歩く内、昨晩は見られなかった光景が現れ始める。
昨日、虚己の案内の下、無人かと見紛うような廃墟然とした道を通って館でやっと人の気配を感じる程度だったのが嘘の様に町全体が賑わっていた。
元はただの通路だっただろう路地の壁沿いに露店が並ぶ。開け放たれた扉からはどこから電波を受信しているのか、日本のバラエティ番組が垂れ流され、明らかに型落ち品の機材で営業されているらしい散髪屋。
日本であったら食品衛生法に引っかかりかねない環境であろうと逞しく商品を並べる立ち食い専門店。
乾燥された植物の葉や実、根を木棚から取り出し、客の前で調合して見せる怪しい漢方屋。
子軒に案内されて歩く枯崙は枯れていると皮肉られているとはとても思えない程の活気に満ち溢れていた。
単純に昼だから賑わっているというのもあるだろうが、主な要因は案内人の存在だろう。
『軒老板! 連れは流れものですかい?』
『いや。僕達が招いた剣客だよ。全員能力者だ』
『へぇ! そりゃすごいねぇ! 能力者は見た目に寄らないってほんとなんだねぇ』
『うん! 虚哥が試したらしいんだけど軽くあしらわれたって!』
『そりゃあ安心だ。ほれ、兄ちゃん達、流れて来たばかりの果物だ。持ってき!』
子軒が通りに顔を出すなり、大勢の身なりも年齢も性別もバラバラな民衆に囲まれ、中華言語が飛び交い、まるで全員が家族の様に子軒を取り巻いて元気よくやりとりが成されてゆく。
崙幇が枯崙を守るために生まれた地域密着型の義侠であるという昨晩の言は真実なのだとわかるやりとりを一歩離れて眺めていた黄泉路達もまた、中年女性に果物を押し付けられたところから輪に巻き込まれ、中華語のわからない黄泉路達は勢いに目を回さんばかりだったが、声を掛けてくる面々の雰囲気から害意は無く、異邦人である黄泉路達すらも仲間として歓迎しているようであった。
下町情緒ともいうべき暖かな絆で繋がった子軒と枯崙住民に壁はなく、本来人混みの中でこそ張り付いて護衛しなければならない黄泉路達も彼らであれば大丈夫だろうと思わせる光景。
不意に、年相応の笑顔を見せる子軒の顔がすっと引き締まる。
「どうかした?」
黄泉路が問いかければ、丁度近くに寄ってきていた青年と何事かをやり取りした後、先程の態度とは打って変わった崙幇の主としての顔を黄泉路達に向ける。
「四異仙会の手下ラしき余所者を、見た」
「!」
その一言で黄泉路と彩華の意識もスッと戦闘に準じたものへと切り替わる。
「どうするカ。我、でキたなラ、倒し行く、したい」
「構いませんよ。お互い、何が出来て何が出来ないか、知っておくほうが良いでしょうし」
「分カった。案内すル」
黄泉路と短く意見のすり合わせを終えた子軒が未だ黄泉路達の周りで何事かと見守っていた住民たちへと声を張る。
『僕達はこれから四異仙会の末端の討滅に向かう! 本体を潰すのは暫くかかるだろうが、この前哨戦に勝利して皆にその証明を示す! 僕達の新しい仲間の力を見て、信じて欲しい!』
演説にも似た子軒の声は通路に響き、一拍遅れて歓声が沸き上がる。
崙幇がどれだけ住民たちに信頼されているか、そして、四異仙会が脅威とされているかが如実にわかる光景に、黄泉路達は熱を直接浴びたような感覚を抱いた。
「さァ。行くまス。ついてきて」
波が引くように拓けた道を歩き出す子軒の背中はとても年下の子供には思えないだけの気迫が滾っており、その後をついて歩く黄泉路と彩華の姿に何とも言えない表情を浮かべた遙は慌てて後を追うのだった。