11-12 枯崙
ホテルへ到着して早々、当初よりも更に丁寧な物腰に――本当のお客様扱いということなのだろう――なった虚己の先導によってロビーへと逆戻りした黄泉路達は、ホテルの前に停められていた車を見て一同沈黙する。
「こちらにお乗りください」
「……失礼します」
辛うじて返答した黄泉路が助手席に乗り込んでしまえば、後に続けとばかりに後部座席に乗り込んだ彩華と、それを追って慌てて遙が乗り込み、全員の搭乗を確認した虚己が一度ホテル側に振り返る。
『私はこれから協力者の案内をする、此方のことは任せる』
『はっ』
声の調子から、身内に対しての物言いなのだろうと中華言語で何を言っているかはわからないものの、ある程度のアタリを付ける黄泉路の隣、運転席へと乗り込んだ虚己がキーを回す。
ぐるるん、と。やや年季の入った音と揺れがシート越しに伝わる。
「念のため、窓は開けないようお願いいたします。防弾仕様でないにしろ、壁があるのとないのでは多少違いますから」
「わかりました。それにしても、随分と年季の入った移動手段なんですね」
「……(言ったわ)」
「……(よく言った!!)」
後部座席で沈黙している彩華と遙の抱く感想が初めて一致した瞬間だった。
しかし、それほどまでに黄泉路達が乗り込んだ車は古臭く、とてもではないがホテルの一室を顔見知り感覚で借り上げた上で複数の男に銃を持たせて試すような回りくどい事をする集団が使用する移動手段としてはイメージが違いすぎる。
皮肉にならぬよう、世間話の体で尋ねた黄泉路に虚己は苦笑交じりに顔を前に向けたまま答える。
「これは手厳しい。しかし、先程皆様を試させて頂いた際の彼らと合わせれば、何となく想像がつくのでは?」
「……ああ、そういうことですか」
短いやりとりでどうやら納得してしまったらしい黄泉路はこれ以上追求せず、また、必要以上に語るつもりのないらしい虚己までも沈黙してしまえば、話に置いて行かれるのは一般人の遙だけであった。
「――って、説明になってねぇじゃん! リコリス、今ので判んの!?」
「耳元で騒がないで。確証はないけど、想像くらい出来るわ」
「えぇ……わかんねぇのオレだけかよ……」
「あはは……虚己さん、推測ですが。いいですか?」
「ええ。到着すれば隠し通せる事でもありませんので」
一応とばかりに尋ねた黄泉路に、虚己はさほど隠し立てするつもりも無かった様子で小さく頷く。
「まず、ヒントになったのはホテルで僕達を囲んだ人員の立ち振る舞いが本職じゃなかった所」
「本職?」
「全員、拳銃の扱いも気配の消し方もなってない素人ってことよ」
思い返すように指を一つ立ててホテルでのことを挙げる黄泉路に首を傾げる遙だったが、すぐ隣から彩華の補足が入ったことで今度は別の意味で驚きを顕わにする。
「はぁ!? あいつらが素人!? 証拠でもあんのかよ!」
「部屋に入った時点で虚己さん以外の潜めた息遣いとかがうっすら聞こえて来てたし、本当にプロだったら室内であの人数は悪手だってわかっているはずだよ」
「ついでに言うなら、何人かセーフティ外し損ねてたわね。あとは、パッと見ただけだけど、いくつかの銃は整備不良で打てた物じゃなかったわよ。持ち主の手を吹き飛ばさない内に点検するなり処分するなりをお勧めするわ」
「……御忠告痛み入ります」
次々に挙がる判断材料が、このふたりは本気であの場、あの状況下でそこまでの思考を持っていた事に、遙は今更ながらにプロというものと自身の違いを見せつけられたような気がした。
だからと言って、黄泉路という存在を素直に認められるかどうかという点に加味して判断できないあたり、遙が未だ一般人で子供だという証左なのだろうが。
「んで、この車と何の関係があんだよ」
「プロって、雇うのもそうだし、所属させ続けるのも大変なんだよ」
「あ? 普通一度入った組織は抜けられないとかそういうんじゃねーのかよ」
「普通はね。ただ、何らかの事情で亡くなったり、前線に出せない状況だったりした場合、新たに育てるには多くのお金と時間がかかる」
「対して、その辺の貧困層の素人に銃を渡して日雇いで使うだけならはした金で済むわ」
「――ひとつ訂正を。彼らは別にお金で雇ったわけではありません」
彩華の推察に対し、それまで運転に集中するという体で耳の痛い話に口を挟まないようにしていた虚己が口を挟む。
「彼らは私達に対する恩義を返すべく、自主的に協力してくれたに過ぎません。ですから、あの場で皆様が彼らを傷つけなかった事について、私は深く感謝しているのですよ」
自身の属する団体が金銭的に困窮しているという事実を脇に置き、善意の協力を申し出てくれた者達への仁義を優先した虚己の言葉に、黄泉路と彩華は口を閉ざす。
元より、あまり触れない方がいい類の話であったこともあり、車中の会話が途切れて窓の外を流れる風の音ばかりが強く耳に残る沈黙が広がる中、遙は遅ればせながらようやっと車のボロさと素人を使っていた理由についての点と点が繋がり、声には出さない物のなるほどと納得していた。
「(つまり、何かしらで元々居たプロが居なくなってる、もしくは最初からプロなんて居なくて、雇ったり育てたりするだけのお金もないから素人を使った。で、その困窮具合は移動手段すらも新調できないほど、ってことか……おいおい、大丈夫かよ)」
逆に言えば、それだけ困窮していながらも男達の手に1丁ずつ拳銃を支給できるのだから、一角の裏社会の組織と言えるのは間違いないのだが、遙にしてみれば港の倉庫に忍び込んでからこっち、非日常の連続で思考が麻痺してしまってそれについて意識が伸びる事はないのだった。
加えて、窓の外に広がる景色も、遙たちのそうした推測を裏付けている様であった。
「(見事に何もねぇ……町からどんどん離れていくし、大丈夫か? これ)」
当初こそ人の往来が激しい町中、東都育ちの遙をして遜色ないと思えるだけの人の波を映していた窓も、今となっては閑散とした田舎の喉かな畑が広がる光景ばかりが目に留まり、どこまで人気のない場所に連れていかれるのかと不安になり始めてしまう。
その懸念を裏付ける様に、とうとう車は田舎町を通り過ぎて前方に高々とそびえる山々の中へと突入しだせば、ろくに整備もされずじまいの凸凹道がシートを強く叩いて臀部が痛みを訴え始める。
「……リコリスは――」
「これくらい我慢しなさい」
ばっさりと切り捨てる様に答えた彩華の横顔を見れば、決して堪えていない訳ではないのだろう。
けれど極力表情に出さないよう、細く、車1台通るのがやっとという峡谷沿いの道から見える山の斜面を見上げている姿に、女性の彩華が我慢しているのだから自分が根を上げるわけにはいかないと、逆に追い詰められた心境で遙の側から見える谷底へと目を向ける。
さすがに音までは聞こえない。だが、何かの拍子に車が転がれば一発で死ねるだけの高さをもった崖の底に流れる川は見ているだけでもごうごうと音を立てているような流れの速さが感じられ、見入ってしまった遙は見なければよかったと早々に後悔するのだった。
対して、黄泉路はと言えば、そうした悪環境を気にした風も無く眼を閉じてすうすうと寝息を立てる始末で、これには運転手としてこの道に慣れた虚己ですら僅かに驚いたように横目でちらちらと黄泉路のことを観察する有様であった。
「長旅お疲れ様でした。あれが我らが本拠地、豊崙でございます」
高かった陽もすっかりと暮れ落ちて高い山々の彼方に夕焼けが消える間際。虚己の丁寧ながらもどこか誇らしげな声が沈黙を破る。
応じて眼を開けた黄泉路が、後部座席から視線を投げかけた彩華が、退屈と気まずさ、臀部の痺れにも似た痛みから挙動不審になりかけていた遙が、それぞれ視線を正面――その上方へと向ける。
「おおお……!」
「すごい立地ね」
「明かりが――」
山の合間から顔を出したのは巨大な城――を思わせる、山の斜面をそのまま利用した様な巨大な縦詰みの人工建造物群。
家屋やビルが複雑に絡み合い積み重なった建物の群体は夜の暗がりによってシルエットをぼやけさせ、あたかも一つの構造物の様にすら見える。
それだけであれば不気味な巨大廃墟に過ぎないが、闇にぽつぽつと灯った人の気配を感じさせる明かりが照らし出す光景が、そこに確かな人の営みを感じさせる。
興奮した様子で身を乗り出す遙を若干鬱陶しそうにしつつも、それでも強く文句は言わない彩華も同様に感心した様な声を漏らす。
細い道が吸い込まれるように建造物群の前に繋がり、その巨大さと入り組んだ地形、廃墟染みた劣化具合が如実に見て取れる。
程なくして、巨大な門を思わせる建物と建物の間に通った比較的大きめな道の前で車が緩やかに停車すると、虚己が車を降りるよう告げた。
「ここからは車での移動はかえって遅くなりますので、申し訳ありませんが徒歩でお付き合いください」
「この斜面以外にも理由が?」
「……」
問いかける黄泉路には応えず、全員が車を降りたのを確認した虚己は近くの扉を数度叩くと、何らかの符丁らしく扉の奥からカチャリと音が鳴って開かれる。
『車の処理を頼む』
『へい。そちらの方々は――』
『異国からの我らの客人だ。この事はくれぐれも内密に』
『了解しやした』
いくらかの会話の後、扉を開けたみすぼらしい風体の男が外へと出て来て虚己から車のキーを受け取って離れて行く。
男を見送ることも無く扉の奥へと歩き出した虚己は土地勘が無ければ確実に迷子になるだろう入り組んだ通路をすいすいと進む。
その後を追う黄泉路達が逸れないように歩幅に配慮した歩みである事もあり、黄泉路達は虚己の後ろを歩く傍ら周囲を観察していた。
事情を考慮しないならば、スラムとも言える荒廃した通路を大人が子供3人を引率するようにも見える。
階段を上り、空中に架けられた簡素な回廊を渡り、黄泉路達が自分が今、あの巨大な構造物のどのあたりに居るのかを把握しきれなくなった頃。
「お疲れ様でした。この中で我らの主がお待ちです」
恐らくは館だったのだろう、他よりも立派な扉の前で立ち止まり、扉に手を掛けた状態で告げた。
「(時々感じた視線は監視かな。この地形で土地勘がある構成員が動き回ってたら情報は筒抜けだね)」
「(やべぇ、今になってドキドキしてきた……。主ってやっぱマフィアのボスとかだよな……)」
それぞれ、別々のことへと思考を回しつつも虚己が扉を開くに合わせて館の中へと目を向け――
「ようこソ。日本のお客ジン」
虚己と比べるとぎこちないが、確かに日本語での挨拶が黄泉路達を出迎えた。