3-6 夜鷹の止まり木6
燎が出て行き、暫くして心を落ち着けて久々の長湯を堪能した出雲は脱衣所で浴衣に着替え、髪を乾かせば心地よい清涼感を覚え、鏡に映った身奇麗になった自身をじっくりと見つめる。
そこに映っていたのは16年間連れ添ってきた自身であり、施設に監禁されていた4年間をまるで感じさせない少年の姿であった。
何故、とは思うものの、原因を解明するには手持ちの情報が少なすぎると思考を打ち切った出雲は、自身の着てきたボロボロの衣類の処分に取り掛かる。
処分といっても、どうするかなどはまるで考えていなかったため、とりあえずは部屋へと持ち帰って後で果と相談しようと、できる限り目立たぬように丸く纏めただけであるが、そのまま持ち歩くよりは断然マシであろう。
来た道を戻る間も誰とも遭遇することなく東館2階に割り当てられた部屋へと戻れば、部屋に掛けられた壁掛け時計は既に午後6時を指す頃であった。
【夜鷹の止まり木】へと到着したのが昼過ぎ、午後2時を過ぎるかという頃であった事を考えればどれだけ長時間風呂に入っていたかを物語っていた。
特に持ち込んだ荷物も無い為、部屋へ戻った途端に手持ち無沙汰になってしまった出雲は、部屋を見て回る事にする。
「(……いつまでここを使わせてもらえるかわからないけど、見て回るくらいはしておいた方がいいよね)」
丸めた衣類を汚れが付き難い場所を選んで降ろし、改めて部屋へと目を向ける。
廊下へと続く出入り口から見てまず最初に目に入るのは8畳の一室。
部屋の中央には磨きぬかれ艶やかな表面が照明を反射する足の低い木製の机と、座布団を乗せる事で椅子の役割を果たす木製の背もたれが用意され、机の上には湯呑みと急須、茶葉などのが丸盆に乗せて置かれていた。
奥には木目の枠にガラスをはめ込んだ横スライド式の扉に仕切られた板の間があり、そこから外に見える山間の景色を一望できるようだが、現在の時間は日も暮れてきており、残念ながら絶景と呼ぶには少々明かりが足りない。
8畳の部屋の隣には寝室らしき、こちらも8畳ほどの畳敷きの部屋が襖によって仕切られており、既に一人分の布団の用意が済まされていた。
如何に広いといえど所詮は室内、20分と経たない内に一通り見て回ってしまい、やはり暇をもてあましていると、コンコンとノックの音が出雲の耳に届く。
これ幸いと扉の元へと歩み寄り、相手も確認せずに扉を開ける。
「はーい」
「よっ」
「カ……煤賀さん、と、美花さん。どうしたんですか?」
扉を開けた先には浴衣を着込んだ燎と、同じく旅館で貸し出されている浴衣姿に身を包んだ美花の姿があった。
仕事中だけコードネーム、といっていた燎をうっかりカガリと呼びそうになって慌てて言い直した出雲に苦笑を浮かべる燎に代わり、美花が端的に用件を告げる。
「ご飯」
「一緒に食おうぜ」
足らない言葉を燎が補完するのがこの2人のいつものやり取りの様で、道すがらも似たようなやりとりを幾度と無く聞いていた為出雲はすぐに理解して部屋の鍵を持って廊下へと出れば、施錠してから2人の後ろを歩く。
「いやー。今日の夕飯は楽しみだなー」
「ん。きっと豪華」
「……え、今日、何かあるんですか?」
きょとんと後ろから2人の会話へと参加した出雲へ、いつも通り眠そうで表情が読めない美花と意外そうな顔をする燎の視線が注がれる。
「そりゃあ、お前の歓迎会だから豪華に決まってんだろ?」
「え、え?」
「ご飯、楽しみ」
何をわかりきった事をとでも言いたげな様子で顔だけを出雲のほうへと向けたまま告げる燎に、出雲はますます自分が変な事を言っているのではないかと不安になってしまう。
そんな二人のすれ違いを知ってか知らずか、美花の意識は既に食事に流れてしまっているようであった。
「食事って、他のお客さんも一緒なんじゃないんですか?」
「あん? ……ああそっか」
ようやく自身と相手とで会話に齟齬が生じている事に気づいた燎はなるほどと一度言葉を区切る。
「今ここに泊まってんのは俺達だけだからな。一般客もいねぇし身内みたいなモンだから歓迎会開くのが当然の流れ、って事だ」
「ああ、なるほど……って、え、じゃあこの旅館、今僕たちの貸切ってことですか!?」
燎から説明を受け、一応の理解はした物の、すぐに新しい疑問が浮かび上がって思わず驚きの声を上げる。
驚いた様子の出雲に、燎は楽しげに肩を揺らした。
前を向いた燎の仕草を質問に対する肯定と認識し、出雲はそれ以上問いを重ねる事も無く後ろをついて歩く。
1階へと階段を降り、畳敷きの大きな宴会場へとたどり着けば、そこには既に6つのお膳と座布団が敷かれていた。
出雲、燎、美花で3人分ならばわかるのだが、他にも誰かいるのだろうかと出雲はその数を数えて首をかしげてしまう。
質問しようにも、既に美花は我先にと一番端の座布団へと行儀良く正座して眼を閉じて瞑想するが如く待ちの姿勢で微動だにしなくなっており、燎は燎で食前酒を求めて既に部屋を後にし、厨房の方へと歩いていってしまっていた。
2人のあまりの早業に出雲が目を丸くしていると、閉じていた眼を片目だけをあけて美花に目で隣へと座るように合図され、出雲は戸惑いながらも美花の隣へと腰を下ろす。
「……」
「……」
お互いしゃべるきっかけも無く、シンと静まり返った沈黙が横たわる。
バタバタという慌しい足音が響いてくるまでの間、出雲はなんともいえない気まずさを味わい続ける事となるのだった。