11-11 異国の土地と混沌の街
窓の外を流れる海原の景色に変化が現れ出したのは、遙が船倉のコンテナから連れ出されて1日と少し経った頃。
水平線の向こうから徐々に姿を現す突起が高層ビルの頂点付近であることを理解した遙は普段被っている斜に構えた態度も忘れて窓の外へと意識を集中させ、それらの姿が明確になって行く様をじっと見つめていた。
やがてビルの上層部の他に形も色も鮮やかな人工の起伏が見え始めてくると、船は波止場へと向けて進路の微調整を始める。
「そろそろ降りる準備をしなきゃね」
「……言われなくても」
船の外へ視線を向け続ける遙のそっけない対応に黄泉路は小さく苦笑し、さほど多くもない手荷物を忘れ物がないかだけを確かめる様に包んでベッドへと腰かける。
遙を保護してからの1日で、大凡ながら遙の対応が分かって来た黄泉路は特に言葉を重ねる事無く下船までの時間を過ごしていれば、船内に間もなく港に到着するというアナウンスが響く。
こんこん、と。扉が規則正しく数度叩かれる音が鳴り、程なくしてカチャリと開かれた扉からふたりにとって見慣れた少女、戦場彩華が旅行用の大型鞄を牽いて入って入ってくる。
彩華がちらりと遙を一瞥すれば、入室してきたのが彩華だった事に気づくなり取り繕う様に窓辺から身を離して扉の方へと向く遙と一瞬目が合い、遙が照れる様にさっと眼を逸らすのと同時に視線を黄泉路へと向けて杞憂にもならない確認を終える。
元々、互いに――主に黄泉路にだが――そういった懸念はないものの、黄泉路も彩華も一応は異性である事を鑑みて着替えや入浴などの都合から2部屋を取っての船旅にしていた。
そこへ、本来予定にない遙を加えた事で、なついているのは彩華であっても危険性や安全面を考慮するならば黄泉路の部屋に遙を預けていた為、合流するならば彩華が出向く方が合理的であった。
「そろそろ下船だから声を掛けに来たのだけど。心配はなさそうね」
「ああ! いつでも問題ないぜ!」
「うん、じゃあ、ふたりとも、後は説明したとおりによろしくね」
元気よく返事する遙を適当に流し、彩華の言葉を引き継ぐ様に黄泉路が告げる。
だが、彩華はともかく遙は黄泉路からの言葉には基本反応が良くない為、彩華は内心で溜息を吐きながら口を開く。
「ええ。真居也くんも、良いわね?」
「――ああ。わかってる」
本当にわかっているのだろうか、そんな言葉が頭を過る物の、そこまで疑るのは逆に拗れるかと言葉を飲み下した彩華はベッドへと腰かけて下船の合図を待ちはじめる。
本を読み始めてしまった彩華に声をかけるのは躊躇われ、やはり気まずさに似た沈黙が支配する中、窓の外に海よりも比率の多くなった街並みが停止し、下船の準備が出来たことを知らせるアナウンスが入った。
「行くわよ」
「ああ」
「また後でね」
立ち上がった彩華に応じ、続けて後を追う様に立ち上がった遙は黄泉路が纏めていた荷物を手にして後を追う。
その背中を手を振って黄泉路だけが室内に残る中、遙は扉が閉まったことで見えなくなった黄泉路に対して少しばかり心配や罪悪感にも似た不安が内心に生まれる。
「(こうするのが一番ってのはわかるけど……大丈夫、なんだよな?)」
「何してるの」
「あ、ああ! 何でもない」
然程重くもない鞄が妙に重い気がして、遙は手に伝う重みをしっかりと握る。
黄泉路への心配も、陸地へと続くタラップと、そこに並ぶ乗客の列やタラップの両脇に控えた船員の姿が見えて来るにつれて下船に際する検閲を潜り抜けられるかへの緊張に入れ替わって行く。
旅行や出張、帰国など、それぞれの目的で下船する一般人の列に紛れてしまえば彩華と遙は未成年である事を除けばなんら違和感のない客のひとりでしかない。
その証拠に、流れ作業の様にふたりのチケットを確認した船員は遙たちを見送って次の客に取り掛かる。
「はぁー……」
「緊張するのは構わないけれど、少し離れてからにしてほしいわ」
「わ、悪い」
「私から、じゃないわよ」
「……」
混乱しているな、と、遙は自覚する。だが、それはそれとして憧れにも近いミステリアスな人物が美人だった上に、誰も知らない異国でその隣を歩いているというシチュエーションは遙の頬を染め、言動を2割増しで不審にするには十分すぎるものであった。
仕方なしに先導する彩華の後を追って、日本と近くありつつも、実際に慣れ親しんでいたからこそ手に取るように感じられる違和感という名の異国の光景に眼を回しそうになりながら、彩華と遙は事前に打ち合わせていた客船の運営をしている会社の店舗からやや離れた飲食店の前で立ち止まる。
「お待たせ」
「いいえ。問題はなさそう?」
「うん。じゃあいこうか」
程なくして、しれっと合流を果たした黄泉路に何とも言えない表情を浮かべた遙であったが、さくさくと打てば響くように進む会話の後に歩き出してしまった両者を見れば、異国の地で置いて行かれないようにと慌ててその背を追いかける。
そんなスムーズに過ぎるやりとりの中でも、合流した際に流れるように遙から手荷物を受け取っていた辺り、黄泉路らしいといえばらしいだろうか。
「なぁ、リコリス。これからどこに行くんだ?」
彩華に追いついた遙が、人混みを縫うようにするすると躊躇いなく進む様子の黄泉路の背を見やりながら問いかける。
「なぁなぁリコリス。悪の組織を叩くって言ってたけど、具体的にはどうやるんだ?」
黄泉路を追いかける彩華は答えず、浮かれた様子の遙に小さく溜息を吐く。
「うん。ここだね」
手元のメモの字を見比べた黄泉路が立ち止まり呟く。
黄泉路を先頭とした3人の前には、観光客向けなのだろう、中華文化を前面に押し出したような外観のホテルがどっしりと建っていた。
立地としては船による日本などの国外からの客が流入しやすい港町の中でもアクセスが良く外観的なアドバンテージと合わせて外国客を多く迎え入れている様子の、国の玄関口などには往々にしてある類の宿といった印象だ。
「ホテルぅ……こんな普通の所を基地にすんのか?」
結局、大手を振って話せる内容から通り過ぎる道なりに見える看板などの当たり障りのない話題にすらろくに反応を貰えなかった遙は、目的地に到着する頃にはすっかりと意気消沈してしまっていた。
しゅんと垂れ下がった尻尾が幻覚として見える様な落ち込みぶりで彩華――というよりは、もはや黄泉路でもいいから答えろという念を乗せた声が遙の喉の低い位置から零れる。
「これから会う案内人に指定されたのがここなのよ」
「もしかしたら泊まるかもしれないけど、ここは最終目的地というより中継地点って感じだね」
さすがに憐れに思った黄泉路と、仕方なしとばかりに応じた彩華がそれぞれに応えてやれば、遙はなるほどと頷くと共に気を取り直し、黄泉路を追い越して前へ出る。
「よし、行こうぜ」
「何で貴方が仕切るのよ……」
あれだけ色々聞くわりには警戒心が薄いのだろうかと、溜息を吐く彩華に黄泉路は苦笑するしかない。
「なぁ! どうすんだ!?」
案の定、受付の前で右往左往する遙に合流した黄泉路は待ち合わせの人物が指定した文言を受付に伝え、ホテルマンの案内を受けてエレベーターで上へと向かう。
ホテルの外観にふさわしいロビーを抜け、乗り込んだエレベーターはホテルマンひとりと未成年3人が乗るにはやや広めで、がらんとした印象を受ける。
さすがに第三者がいる前でまで深く会話をする気がない――というよりは、合言葉と案内人との待ち合わせというシチュエーションを生で見た事による興奮と、今更ながらの緊張によって黙りこんだ遙だが、ふたりはそれはそれとして都合がいいのであえて話題を振ることなく部屋の前へと辿り着く。
小さく礼をしてそのまま去って行くホテルマンを見るに案内はここまでのようで、ホテルマンの姿が通路の曲がり角へと消えたのを確認した黄泉路は扉を数度叩く。
「ああ。お客人。お入りください」
室内から響く流暢な日本語に促され、黄泉路は扉に手をかける。
外観からロビー、通路にいたるまで細かな装飾や彫り物によって、外国人が抱く中華らしさを主張していたホテルにしては落ち着いた特色の薄い内装に出迎えられた黄泉路達は改めて案内人であろう男と対面する。
「はじめまして。貴方が張虚己さん?」
「ええ。観光ガイドを務めます張虚己と申します。そういう貴方は【黄泉渡】でしょうか。どうぞ、お連れの方々もお掛け下さい」
出迎えた男、虚己は20代半ばか、高めに見積もっても30には届かないだろう。長めの黒髪を後ろへ撫でつけたオールバックにビジネススーツといういで立ちで、細身のラインも合わせて、少なくとも自分から活発に動き回るタイプではないだろうと思わせる。
開いているかどうかわからない細い糸目が黄泉路達をぐるりと一瞥するのを気配で察しつつ、黄泉路と彩華が腰を降ろせば、遙もやや慌てたように空いている席へと腰を下ろす。
「この度は僕達の依頼を引き受けていただきありがとうございます」
「いえいえ。私が出来るのはただの案内ですから。……ただ、その前にひとつ条件を付けさせていただきたいのです」
にこやかに会話をしていた黄泉路と虚己。だが、言葉を区切った虚己の目が薄らと開かれ、黄泉路達を値踏みするような視線が突き刺さる。
「あれ? 既に取引は成立していたはずですが?」
「私も命がけになりますから。信を置けるだけの力があるかどうか、確かめさせて頂きたく思いましてね」
力があるならば何も問題はないですよね? と、虚己が告げ、手を叩く。
すると、仕舞っていた室内の仕切りの扉が開き、中からぞろぞろと似たような格好の黒服が雪崩れ込んで、壁際に並ぶように展開して手にした銃を黄泉路達に突きつけてくる。
「うぉ!? お、おいっ」
「うるさいわね。この程度で怯えないで」
拳銃を突きつけられるという、眼に見える形の脅威と非日常に思わず声を上げた遙を、心底うるさそうに眉を顰めた彩華が意趣返しの様に指を鳴らす。瞬間、
――さりさりさりさりさりさりさり。
彩華の足元を軸に、床が、壁が、家具が。
爆発的に増殖する鈍色の蔦へと変容して男達の立つ足に、拳銃を構える腕に絡みつき、自動拳銃の先端を鋭い葉がすぱりと切り落としてしまう。
「動かない方が良いわよ。別に私が動かさなくても、貴方たちが身動きするだけで斬れてしまうもの」
一瞬の出来事。
咄嗟に反応すら出来なかった男達は遅れて身動ぎを仕掛け、しかし、彩華の静かな声が制止すると、言語の壁によって意味を理解しないまでも、その示す意味だけは身をもって理解した男達の身動きがぴたりと止まる。
――ぱちぱちぱち。
静寂を裂くように、自身もまた足を拘束され、首筋に鈍色の葉を宛がわれた虚己の叩く手の音が響く。
「そちらの方がリコリスでしたか。いや、失礼いたしました。敵意はありません。どうか、お力を収め下さい」
いつの間にか再び目を覗けないほどの糸目へと戻っていた虚己が変わらず丁寧に落ち着いた声で告げる。
彩華はちらりと黄泉路を横目で伺い、どの道問題はないかと再び指を鳴らす。
たったそれだけの所作で、部屋中を埋め尽くす様に繁殖した鉄の植物たちが逆再生でもするかのように壁や床に吸い込まれ、総てが戻った後にはまるで新品の様な家具が並ぶホテルの一室へと戻る。
その様子は男達すらも驚嘆させ、改めて虚己を含む男達は能力者という存在が如何に隔絶した力を持つ存在なのかを再認識するのだった。
「それで、お眼鏡には適いました?」
「勿論です。……案内の件は無論了承いたします。ですが……ひとつ、折り入ってお願いがございます」
「それはこの状況に関係することでしょうか」
「はい。皆さんが向かう枯崙――旧名、豊崙という地には、皆さんが敵対する【四異仙会】とは別に古くから存在する【崙幇】という組織がありまして、皆さんには是非、崙幇盟主にお会いして頂きたいのです」
「それが条件ですか?」
「いいえ。これはお願い、ですね。私の立場からはこれ以上はお答えいたしかねますが、皆様にとっても悪くないお話になるかと」
虚己の提案に、黄泉路はなるほどと小さく口の中で呟いた。
詳しい話はその盟主とやらに会えばわかるだろうが、朧気に透けて見える事情を察した黄泉路は頷き、手を差し出す。
「わかりました。その条件で案内をお願いします」
「ありがとうございます。移動の準備は出来ていますので、どうぞついてきてください」
差し出した手を握り返した虚己は、心なしかホッとしたように黄泉路には見えていた。