11-2 やりたいこと
全員の視線が自身に集まることに、これから口に出すのは掛け値なしに自分の感情のままに思い浮かんだ願望であることも含めて気恥ずかしさを感じる黄泉路は、それでもこうして自身を待ってくれている面々に対して真剣に向き合おうと小さく深呼吸する。
「……一番最初に浮かんだのは、リーダーのことなんだけど」
黄泉路はちらりと、視線を姫更へと向ける。
目が合った姫更は実父の話題であること以上に、その中身をある程度予想できているからだろう、やや申し訳なさそうな色を瞳に宿したまま沈黙を保っていた。
「リーダーが僕を夜鷹に預けた理由、真意が知りたい。すぐには無理そうなのは、わかっているんだけどね。それでも、皆見さんや操木さんが何を思って僕達を守ろうとしたのか、それだけは、知らなきゃいけないと思うんだ」
視線を再び、この話題を最初に持ち出した廻へと向ければ、廻は黄泉路の視線に込められた意図を引き受ける様にコーヒーカップに口を付けて視線を切る。
「今は三肢鴉自体が解散状態で各々に潜伏して自衛している状態ですからね。リーダーの行方なんて最たるものですから、僕も今どこにいるかまではわかりません」
「そっか……じゃあ仕方ないね」
「ええ。現状は後回しにするしかないでしょう」
黄泉路も、現在の状況を作り出せるだけの情報アドバンテージ――未来さえも見通す能力――があれば、もしかしたらリーダーの現在の潜伏先などもわかるのではないかと淡い期待を抱いていただけに、廻が視線を切った時点でそれはないと悟って肩をすくめる。
だが、そんな、自身の願望をあっさりと割り切って捨てようとする黄泉路に、廻はあえてまだ捨てずに持って置けとばかりに後回しにはするが、追うことを諦めないと言外に告げる。
廻からすれば、これは黄泉路に対するリハビリのようなものだ。
生まれてから一度も、自分自身の欲求に従って行動をしたことがない。常に誰かから寄せられる“こうあれと願われた自分”という虚像によって突き動かされてきた黄泉路に、自分自身の目的意識を持たせる。その最初の工程。それを否定から始めることはあってはならない。
わからなくとも、後回しにしても、それは持っていていい物なのだと考えさせることが大事なのだ。
「……うん。そうだね。じゃあ、えっと。これも、たぶん後回し、というか、他のついでにするしかないんだけど」
そうした廻の心情をおぼろげながらに察せられた黄泉路は小さく頷いて次の願望を口に出す。
今はあくまで、黄泉路のやりたいことを言語化する場で、その実現の可否や時期などは終わってからでいいだろうと黄泉路は気を取り直して、連動して浮かんでいた言葉を口に出す。
「美花さんとカガリさん。……僕は、まだふたりが死んでるって、思いたくない。考えたくないんだ。だから」
「ふたりの情報を集める、ってことね。私は構わないわ。面識はないけれど、貴方がお世話になった人だもの。物のついでで探すことが悪いわけないもの」
「うん。ありがとう」
かしこまる必要はないとばかりに、手にしたパンの残りを口へと押し込み、その手で口元を押さえながら咀嚼する彩華に黄泉路はゆっくりとコーヒーに口を付けて次に言語化すべき、表に出したい望みを整理する。
これまでとて整理できていたかは怪しいが、こういったものは無理に長々と言語化するよりは、根本的に何がしたいかを告げる方が大事かもしれないと、コーヒーの熱さが喉を過ぎる感覚と共にほっと息をついて、これまでの三肢鴉や夜鷹に関係した目的ではない、完全に黄泉路――いや、道敷出雲個人の願望を吐き出す。
「常群に、会いたい」
「あのときの、逃げ道の人?」
「逃げ――ああ、うん。そうだよ。僕の幼馴染……親友なんだ」
仄かに寂しさを滲ませる黄泉路の表情に、歩深はそれ以上何を告げるでもなく頷く。
歩深が何を思っているのかは歩深にしか分からないが、その生い立ちから歩深に幼馴染や親友と呼べる相手はいなかったのかもしれないと思った黄泉路はどうしようと視線を彷徨わせる。
すると、視線を受け止めた姫更が頷き返し、
「あとで、一緒にゲーム、しよ?」
「――? 何するの?」
歩深を遊びに誘う姿はどこかぎこちない、だが、以前の姫更であれば言葉をかける事もしなかっただろうと考えれば、いつのまにか大きく成長していたのだと実感させる。
黄泉路はそこに時間の流れを感じると共に、自身の変化の無さと、あの日再会した常群の姿を思い浮かべてしまう。
あれから7年も経ってしまった今、何を話すべきなのか。否、何を話したいのか。
常群がどんなふうに過ごして来たのか。どうして、危険を冒してまであの日あの場所に居てくれたのか。
聞きたい事も話したい事もたくさんあり過ぎて、どれから手を付けたら良いのか分からない。もしかしたら、何を話すかすら、本当の意味では決まっていないのかもしれない。
それでも、と。黄泉路は不安をあの日助けにきてくれた常群の姿で掻き消す様にして、最後に残った、疑問とも、確認共つかない願いを口にする。
「あとは、あの日。夜鷹からあの場所に、妹が居た。穂憂に、会って確かめたい。どうしてあそこにいたのか。なんで、対策局の私兵に守られる位置に――立場にあったのか」
「でも、その妹さんとも随分あってないのよね。よくわかったわね」
「髪飾りが、あれは、僕が誕生日に送ったもののはずなんだ。僕を出雲って、兄って呼ぶ子は、穂憂だけだ」
「そう。でもあれね。もしかしたら私、初めて迎坂君の本当の名前を聞いた気がするわ」
どんな経緯があったにせよ、現在は対策局に身を置いているであろう妹と接触するからには相応の危険が伴う。
おまけに、長い間会っていなかった妹となればどんな成長をしているかも定かではないのだから、今黄泉路が挙げた願いの危険度は先に挙げた総てを合わせてもなお余りあると言える。
そんなリスクを承知の上で、あえて空気を紛らわす様に彩華が茶化せば、黄泉路は今気づいたという風な顔になる。
「……別に良いわよ。コードネーム名乗る理由が身バレ防止以外にもあるのは知ってるもの」
「あえて隠していたわけではないんだけど……」
「何でも良いわ。私にとって迎坂君は迎坂君、名前がどうだろうが中身が一緒なら同じでしょう?」
「……うん。僕が今やりたいって思ったのは、これくらいかな」
彩華の割り切った考え方は黄泉路にとって心地いいものであった。
その他にも色々と浮かびはしたものの、結局、黄泉路自身が感情に従って
「良い傾向だと思いますよ。では、整理しましょう。まず手を付けられるところから」
「リーダー探しも美花さんたちの捜索も、現状はそれだけをっていうよりは、広く活動しながら情報を集めた方が良いよね」
「はい。だから、まずは――」
黄泉路と廻が中心となり今後の活動方針を決めようとしていたタイミングで、リビングの扉が小さく音を立てる。
『おはよー。いやぁー。昨日はちょっと熱中しすぎちゃってー。朝ごはんまだ残ってるー?』
扉を開けて挨拶を頭に響かせるのは、このメンバーの中では順当に見れば最も年齢が高いはずの藤代標だ。
しかし、その恰好はお世辞にももうすぐ20歳を迎える女性とは思えない、よれよれのパジャマに方々に跳ねた寝癖、袖で擦る目元は寝不足らしく、顔全体が寝起きという具合の野暮ったさを醸し出している有様で。
そんな同姓の年上に対しては改めて敬う気も無いのか、彩華が仕方なしとばかりに首を振って応える。
「おはよう藤代さん。起き抜けなのは仕方ないけれど、顔くらいは洗って来たらどうかしら。慣れてるからとだらしない姿ばかり見せていると異性として見て貰えなくなるわよ」
『うげっ。それは乙女として大ピンチですねっ。しゅばっと顔洗ってきます!!』
「……パン、温めてくるわ」
「あはは……」
この1ヶ月、幾度となくあった気の抜けるやりとりに黄泉路が苦笑を浮かべていると、洗顔に向かった標からの念話が頭に響く。
『あ。そうそうー、あゆあゆ経由で話聞いてましたけどー、折角なんで正義の味方みたいなことでもしながら探してみません?』
「え……?」
「ああ。なるほど。良いかも知れませんね」
文字通り頭に降って来た提案に目を白黒させる黄泉路と彩華を置き去りに、廻はひとり納得したように小さく頷く。
「どういうことかしら」
「まず、リーダーの居場所。これは三肢鴉の中でもごく限られた人しか知らされていない、下手すると誰も知らない可能性すらありますから一旦保留で。次に、美花さんやカガリさんの捜索ですが、あのふたりの価値観からすると、今の日本国内の情勢ってあまり見られるものじゃないんですよ」
「あ、なるほど。だから、対策局が更地にした後に参入した裏勢力を叩いて回る事で僕の存在をアピールする……?」
「ええ。リスクはありますが、これなら恐らく裏情報に精通しているであろうお兄さんの親友の方も、黄泉兄さんの情報から何を目的にしているか察するでしょう」
「後は対策局に居る妹さんだけれど。そっちはリスクの塊よね?」
「ですね。ですが、それについては閉じこもって嵐が過ぎ去るのを待つ以外の選択肢をとった時点で平等に抱えるリスクなので、ある程度割り切って動くしかないでしょうね」
突飛ではあるが、現実的な活動指針としては悪くない提案に、真面目に思案し始めた黄泉路達の下へ洗顔を終えて多少の身嗜みを整えた標がやってくる。
そのまま流れる様に空いた席へ座った標に、彩華がコーヒーとパンを差し出せば、目が覚めたらしい標は手を合わせて早速朝食に取り掛かってしまう。
とはいえ、食事をしながら喋るのが行儀悪いとされる、口にモノを含んだまま発声するといった事のない標からすれば、当然の様に会話に混ざってくるのだが。
『で。ですねー。ちょうどお手頃、対策局も公安もまだ検挙に踏み切ってない、それでいて治安によろしくない勢力をいくつかピックアップ出来たんですけど。どうしますー?』
もぐもぐ、と。頬を膨らませる勢いでパンを口につっこんだ標が念話で問いかける。
その様子がどうにも内容と釣り合わないことに僅かに口元を緩ませつつ、黄泉路は話題が始まった時から決めていた返答を口にする。
「もちろん。……皆が良いなら、だけど」
ここで断言できない所が黄泉路が黄泉路たる由縁なのだろうが、その理由が仲間にリスクを背負わせることからくる遠慮である事を知っている面々は一も二もなく頷くのだった。