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11-1 蚊帳の外の平穏

 どこまでも続く銀の砂丘が広がり、暗い水によって水没した死の領域。

 天上――どこまで昇れば辿り着くか分からぬ遥か先の水面から降る一筋の光はか細く、大地を照らすにはあまりにも弱い。

 足元に広がる砂の起こす蒼い光は砂に固着しているが如く周囲を照らすことなく、ただそこに立っている者にだけ、足場があるのだと教えることができれば十分だというようで。

 光は確かにあるにも関わらず、果てを見渡す事は叶わない。闇の先はどこまで続いているのだろうか。そんな疑問を抱かせる、美しくも恐ろしい静謐の世界。

 動くものがないがために水流すら発生しない停滞の庭、その中でも一際小高い砂丘の上に、独りの少年が片膝を立てる形で腰かけていた。

 視界の彼方に見える暗闇の様に黒い髪。薄白く、死者の様に血の気を感じさせない作り物の様な顔立ちの少年、迎坂黄泉路は、反射に必要な光源すら乏しい環境にあってなお、艶かしくその表面の輝きを変遷させる1本の槍を抱くようにして目を閉じていた。

 淡く蒼に輝く銀色の砂の上で微動だにしない姿は一見すると出来の良い人形の様にすら見えるが、時折、口が動くと共にこぽりと気泡が上がることでその印象を命無き者から静寂に佇む生者に上書きしている。


「……。――。……、……」


 こぽこぽと上がる気泡が頬を撫で、前髪を弄んで頭上へと抜けて行く。

 黄泉路の口は何かを語っている様に動いたかと思うと、一旦の静寂の後に再び動き出してはまた止まる。

 誰かと会話をしているかのような仕草。ひとりきりの砂丘でどれくらいの時間そうしていただろうか。ふと、黄泉路が瞼を開ける。

 遥か彼方を覆い隠す暗い水と同じ黒々とした瞳を頭ごと上へと向け、真っ直ぐに差し込んだ光に目を細めながらぽつりと音を溢した。


「あ……。もう夜明けなんだ。そろそろ動き出さないと」


 静寂の水底に溶ける様な柔らかく静かな声音が気泡に包まれて上へ上へと上がって行くのを見つめていた黄泉路は、抱えていた槍を杖代わりに砂丘の上へ立つ。

 その意識がどんどん光の方へと登って行き、黄泉路の意識は現実へと向かっていった。


「……」


 目を開けると白い天井が黄泉路の視界に映り込み、寝返りを打てば、枕元に近い窓に掛かったカーテンの下部から洩れた日差しが丁度顔に当たる位置に来る。

 期せずして日差しを直視してしまった黄泉路は目元を擦る様に手で顔を隠しながら上体を起こせば、日ごろ使っていた安物のパイプベッドよりはやや質が良いシングルベッドが重心の変化で僅かに沈む。

 アラームをセットしていない目覚まし時計は朝の6時30分を指しており、この季節の日の出――正確には陽がやや上り始め、窓辺を照らすようになる頃合い――ならばこのくらいの時間だろうと黄泉路は納得する。

 毛布から足を抜いてひやりとするフローリングに降り立った黄泉路は、市販の寝間着姿そのままで扉へと向かう。

 この後、階下で食事の支度をするなり、既に始まっているならば手伝うなりしつつ、その日その日の同居人達(・・・・)の用事に合わせて予定を立てるのが、ここ1ヶ月の間の黄泉路の習慣であった。


「(ああ。今日は日曜日だった)」


 廊下へと出た黄泉路は階下の生活音や隣室の気配から、この場に居てもおかしくない人物の数を照らし合わせて全員揃っている事を理解するとともに、その理由を察して内心で納得しながら階段へと足を向ける。

 ここで隣室の少女(・・・・・)を起こしに行ってもいいのだが、昼夜逆転気味の彼女のことである。寝付いたのはつい先刻という事もあり得る為、特に用事もないのであればあえて起きてくるまで待つというのが黄泉路のスタンスであった。

 翻り、階下から聞こえてくる生活音は朝食の支度なのだろう。階段を通して上がってくるコーヒーの香りは目を覚まさせるには丁度良く、これから始まるであろう平和な朝を感じさせる日常的な物だ。


「(平和なのは良いこと、なんだけど……)」


 つい、そんな状況に――それこそ、今まではそれなりに望んでいたシチュエーションであるにも関わらず――罪悪感にも似た抵抗が芽生えた黄泉路は内心で呟きつつ階段を降る。

 黄泉路が本部から“死体漁り”の拠点を襲撃しに向かったあの日、迎えに来た廻たちが案内したのがこの場所であり、廻が私費で(・・・・・)用意していた(・・・・・・)隠れ家(セーフハウス)

 東都の中でも自然が豊かなことで知られる県境に近い区域に建つメゾネットが黄泉路達の現在の生活拠点であった。

 黄泉路すら――というよりも、恐らくは三肢鴉ですら把握していなかった、完全に朝軒(ときのき)(めぐる)という、数ヵ月前に14歳を迎えたばかりの少年の個人所有物件であるこのメゾネットへと連れてこられた黄泉路は当時、過去最大級に精神にショックを受けたばかりであったこともあり、盛大に混乱した。

 だが、その衝撃すらも直後に齎された三肢鴉本部への対策局と警察の共同戦線による包囲摘発という爆弾によって吹き飛んでしまい、名実ともに行く当てのなくなった黄泉路はそのまま廻の所有するメゾネットに滞在することとなったのであった。

 ベージュの内壁に天窓から差し込んだ日差しが柔らかく反射する2階から1階へと降りた黄泉路は、そのままテレビの音が聞こえるリビングへと顔を出す。


「おはよう。手伝おうか」

「おはよう迎坂君。座ってて良いわ。もう出来上がる所だもの」


 ラフなシャツブラウスと深緑色のロングスカートの上からエプロンを掛けた戦場(せんば)彩華(あやか)がフライ返しを手に振り返りながら応える。

 彩華が視線で示す先、キッチンのカウンター傍に備え付けられた長めのテーブル席には、テレビを耳でとらえつつ新聞に目を通す廻と、その隣でコーヒーをちびちびと飲んでいた神室城(かむろぎ)姫更(きさら)、テレビに顔を向けてニュースの合間のペット紹介コーナーに見入っている水端(みずはな)歩深(あゆみ)の姿もあった。


「おはようございます。黄泉兄さん」

「黄泉兄、おはよう」

「おはよう、死なない人」


 空いている席へと足を向けた黄泉路へとかかるふたりの挨拶に黄泉路もまた同様に返し、席に座ると横からことりとカップに注がれたコーヒーが差し出される。

 砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーだが、黄泉路はそのまま口をつけ、口の中に広がる熱い苦みを喉に流し込んで一息吐く。

 その様子を見ていた、コーヒーを差し出したばかりの彩華はスッと目を細めて嘆息する様に離れて行くが、黄泉路はそうされる心当たりが思い浮かばず首をかしげてしまう。


「僕、何かした?」

「この間コーヒーを飲んだ時は何で飲んだか覚えてます?」

「? ミルクが入ってたよね? それが?」


 きょとんとした顔で、ミルクと砂糖が溶けて味がまろやかになったコーヒーを啜る廻へと問いかける黄泉路に、廻は諭すようなゆったりした声音で答えを提示する。


「黄泉兄さん、出された物は全部そのままですよね。言い換えると、そこに本人のこだわりがない」

「……」

「悪いとは言いませんが、黄泉兄さんの好みを知りたかった戦場さんとしては張り合いがないでしょうね。何を出しても人並みに美味しければ美味しいと言い、本来好んでいなくとも問題が無ければ流してしまう黄泉兄さんのスタンスは」

「ちょっと!」


 最後の方には悪戯じみた調子が混じった廻の暴露に、スクランブルエッグを盛った大皿を手にした彩華が抗議の声を挙げながらやってくる。


「こうでも言わないと黄泉兄さんが気にしますから。戦場さんだって黄泉兄さんを困らせたかった訳ではないでしょう?」

「――そ、れはそうだけれど。……もう、さっさと食べなさい。パンも好きに取って」

「あ、うん。いただきます」


 照れ隠しというより、旗色が悪い話を無理矢理畳む様に席に着いた彩華に気おされ、黄泉路は言われるままに手を合わせて朝食に手を付ける。

 やや遅れ、姫更と廻も同様に朝食を摂り始めれば、会話が乏しくなった分だけテレビの音が自然と良く聞こえるようになり、その内容が黄泉路達の耳に届く。


「……こんなにゆったりしてて良いのかな」


 ぽつりと溢す黄泉路の耳には、昨今の能力者関係の動きに連動して荒れ始めた国際情勢や日本の治安を危ぶむ報道が届いていた。

 それはこの1ヶ月の間に頻度を増して繰り返し報じられている今の世情を表すものといえ、つい先月まで能力者達と裏社会でしのぎを削り、打倒していた黄泉路は、この隠れ家に移り住んでから過ごした平和そのものの生活とのギャップをつい口に出してしまう。

 本来であれば暗くもなる話題。黄泉路は慌てて撤回しようと顔を上げるが、


「いいに決まってるじゃない」


 隣から返される力強く短い断言によって、何かを口にするより先に黙らされてしまう。

 言葉を発せない黄泉路に、彩華はふんと鼻を鳴らすように、さもくだらない話題だと、パンを噛み切るついでの様に告げる。


「何から何まで首を突っ込む必要なんてないわ。迎坂君が何を責任を負う話でもないのだもの。それとも、万能無敵の能力者様だから全部を背負わなきゃいけないって誰かに言われでもした?」

「そうじゃないけど」

「まぁまぁ。とはいえ、黄泉兄さん、やってみたいことは何か浮かびましたか?」

「やってみたい、こと……」


 間に入る様に問いかけた廻に、黄泉路は言葉に詰まる。

 黄泉路はこれまで自発的に何かをしたいと、心の底から自分本位の理由でそう願った事は一度もなかったから。

 それを知っている廻は、この1ヶ月の間、黄泉路を心身共に休ませると共に、ゆっくりでいいから自分からやりたいことを見つけることを勧めていた。

 黄泉路はそれが廻の気遣いである事も、黄泉路自身、自分の欲を肯定した以上は自分自身にそういった目的があるだろうことも理解していた。

 だが、いざ自分だけの欲求で何かをしたいかと問われれば、それが何なのか黄泉路は自分の心の整理がつけられずにいた。 とはいえ、そんな中でも自分に関係する、自分が出来る事から手を付ければ良いというアドバイスに従い自分自身の能力と向き合ってきた黄泉路は、ぽつりとこの1ヶ月の間に浮かんだ自分らしい(・・・・・)欲求を口にすることを決める。


「いくつかあるんだけど。良いかな?」


 顔色を窺う様な文言で吐き出される黄泉路の願望に、彩華はあきれ顔で、姫更は相変わらずの控えめな表情に驚きを、歩深は我関せずの様子で朝食に向き合い、廻はゆっくりと笑みを浮かべて言葉を待つのだった。

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