幕間7-4 我部幹人の■世界■■計画2
お待たせしました。なんとか更新前にPCが返って来たので滑り込みセーフです。
10月の最終週は先週まで続いた強い秋風が凪いだ穏やかな日差しが長く続いていた。
大陸側から吹く冷たい風は山を越えて乾燥し、東都へと抜けてくる頃には秋の匂いよりは冬の気配を強く感じさせる。
そろそろ冬支度を始める場所も増え始め、紅葉も見納めが迫る中、東都の郊外に近い料亭のこじんまりとした個室にはふたりの男の姿があった。
共に、若いとは言えない年齢でありながら、かたや閉じた窓ガラスの向こうに見える庭園を彩る紅葉の見納めを眺める余裕とも言える雰囲気あるのに対し、もう片方の男性は出された料理に手を付ける様子もなければ、外へと目を向ける対面の男性の様子を窺うような、焦燥に駆られている様な様子で僅かな所作で視線を向けていた。
余裕を醸しだす白髪の男性――我部幹人は、対面に座った男性へとゆったりと声をかける。
「どうなさいましたか? 時の人ともなると人目が気になるでしょうからこの場をご用意させて頂きましたが、お気に召しませんか?」
「い、いや、そういうわけでは」
「的井先生との歓談とあらば、こちらも相応の用意が必要になりますからね。先生は日本酒派とお聞きしておりましたので、口に合うと思いますよ」
我部が流暢に語り掛け、的井の手元に置かれたお猪口へと徳利を傾けるが、その間も的井の表情はどこか早く話を切り出したいと目が語っているようで。
「(政治家であれば顔芸くらいは身に着けているはずなんですがねぇ。そこまで切羽詰まっているとは情けない)」
以前の的井であれば、表向き、我部とは比べ物にならないほどの権力を持つ政治家として我部をご意見番として重用する事はあってもここまで物腰の低い対応などしてこなかった。
だのに、今この場では表向きの主導権すらも我部が握ってしまっているという現状に、我部は内心で嘆息しながらもゆっくりと落ち着かせる様に自らのお猪口にも徳利から日本酒を注ぎ入れて口を付けて見せる。
「ふむ、辛口と聞いていましたが、中々ですね。先生も、どうぞお飲みになってください」
「あ、ああ……」
促されるままに酒に手を付けた的井。だが、すぐにお猪口を机へと置くと、漸く決心したらしく、周囲をちらりと一瞥した後に口を開く。
「計画はどこまで進んでいるんだね?」
「御心配には及びませんよ」
我部がさも、共感しつつ労わる様な物言いで応えれば、的井は安堵する様に息を吐く。
元々やつれ気味に痩せていた的井の顔は昨今の外圧からくるストレスでより疲労感が強く出ており、隣国に根を握られた一部メディアから度々槍玉に挙げられている事もあって気の抜けない日々を送っている事がありありと想像できた。
本来であれば我部が気にするようなことではないが、それでも今的井に倒れたり失脚されても困るのは我部である。
「だ、だが。このまま一切を秘したままというのはさすがに不可能だぞ。先日とうとうアメリカから非公式ではあるが協力関係が築けないのであれば我が国との関係を見直さざるを得ないとまで――」
「なるほど。それは確かに由々しき事態ですね。曲がりなりにも友好国、同盟国であるアメリカが、既に日本国内の闇組織の一部に成り代わる形で工作員を潜り込ませていることも含め、ですが」
「っ! そうだ、その問題もある! 聞いた話では対策局の掃討作戦の所為で国内の非合法組織が多数外国の工作組織と入れ替わってしまったらしいじゃないか。それについてはどう対処するつもりなんだ!」
「ええ。ええ。ですから、それらすべてを含めて、御心配には及ばない、と申したのですよ」
思わず語気が強まる的井に対し、あくまでも穏やかに私的な会食の席であるという姿勢を崩さずに告げる我部は、的井が多少落ち着くのを待つ様にお猪口を傾け、口の中に辛口の日本酒を招き入れる。
目の前で悠長に酒を飲まれては的井としても手元の酒に口を付けて濁すほかなく、口から鼻へ抜ける豊かな米の風味にほんの僅かばかりか緊張がほぐれるのを感じた。
そこへ、我部が更に的井の懸念を解きほぐす様に朗報だとばかりに柔らかな語調で語り掛ける。
「先ほども的井先生が仰られたように、対策局は戦力を拡充して可及的速やかに活動を行いました。お陰で、本来であれば有象無象に紛れる形で追跡も発見も困難になる潜入工作員の所在も、随分と見晴らしよく、纏まりが出来ています」
「つまり、先に大々的に掃除をする事で隠れる隙を減らしたと?」
「ええ。加えて、元々の勢力が跋扈している所へと参入するとなれば大なり小なり衝突が起こり得ますが、日本は今、対策局と公安が目を光らせている。であれば露見を恐れた他国の工作員は、既に対抗勢力が駆逐された空白地帯に新たに拠点を設ける、いや、設けるしかないのですよ」
「そしてその空白地帯は君たちが意図して作り出したもの、と?」
「ええ。今の彼らはいつでも捕らえる事の出来る餌に過ぎません。表向き、同盟国として名を連ねている大国、そのスパイが見つかったとなれば」
「良い交渉の札にはなるな。だが、そんなことが可能なのか? それに、捕らえたとしてどう証明するんだ? シラを切られれば現行の日本では対処が難しいぞ」
懸念材料の好転を示す内容に多少なり気を持ち直したらしい的井は、軽く酒が入ったお陰で滑らかになった思考で我部の方策に疑問を投げかける。
「ええ。それだけでは難しいでしょうね。とはいえ、しらを切るのであれば此方が此方の法に則って処理をすればいい。幸いにも、登録されていない違法な能力者は対策局が捕縛してもよいことになっているのですから」
「……まさか、工作員を能力者と認定して捕まえるつもりかね」
「人工能力者の発現傾向も以前とは比べ物にならない程に正確になりました。適当な能力を植え付けてやることを引き換えに捕縛すれば、本国としては能力者を得たい、または、日本が持ちうる能力者を生産するノウハウの手がかりとして引き取ろうと交渉のテーブルにつくでしょう」
「……それならば確かに。だとして、素直に工作員を返すわけにはいかないだろう? 能力者となっているならなおさらだ」
尤もらしい的井の指摘に、我部はゆったりと頷いて持ち込んでいたジュラルミンケースを手元に引き寄せて蓋を開いて的井へと中身を見せる様に向ける。
「ええ。ですから、こちらを装着して送り出して差し上げればよろしい」
「これは?」
我部の狙い通り、興味深げに覗き込む的井の目に映るのは、つるりとした金属質の輪だ。
能力者を人為的に作り出す為の能力結晶などによく似た結晶が飾りの様に埋め込まれたそれは、一見すると以前にも見たことのある覚醒器とも呼ばれていた能力者生成装置の亜種のようにも思えた。
問う様に視線を再び我部へと戻した的井に、我部は口の端に淡く笑みを浮かべて短く答える。
「【能力拘束具】。我々はそう呼称しています」
「能力拘束具……それは、だが、良いのかね?」
名前から効果を類推した的井が問う。
その名前が示す効果が本当にあるとするならば、それは人工能力者発生装置――覚醒器と正式に決まった――と対を成す世紀の発明と言って過言ではない。
それを引き渡す前提の工作員に装着するということはつまり、装置がそのまま他国へと渡るということを意味していた。
故の懸案。だが、我部はそれも織り込み済みだと笑みを深めて頷いて見せる。
「ええ。こちらは元々、外国向けに輸出したほうがウケが良いと考えて居ましたからね。特に中国とアメリカは喜ぶでしょう」
「……ああ、そうだな。彼の国の能力者事情からすればそうなるか」
群雄割拠時代から統一された後、一党独裁となり強い統制が敷かれている中華連合共和国や、移民時代のネイティブ迫害に始まる人種間能力抗争が未だ根強く社会問題として横たわるアメリカ衆央国からすれば、能力者を封じる事の出来る道具というのは喉から手が出るほど欲しいものだろう。
「的井先生にはこちらを含めて諸外国との交渉に役立てていただければと」
「それは当然構わない、だが、何を引き出す?」
「そうですね……口約束にはなるでしょうが、秘匿技術ですので我が国からの専売であること、彼の国からの潜入工作員達の順次撤退、それくらいでしょうか」
「……本当にそれだけでいいのか?」
「ええ」
あまりにも利が無さ過ぎる、と、思わず呆気にとられた声を上げてしまう的井に、我部の含みを持たせた笑みと共に告げられた言葉にハッとした表情を浮かべる。
「私の役目はあくまで能力者――能力の普及と法整備。諸外国からどのような利を勝ち取るかは、研究者である私よりも政治家たる先生の領分でしょう?」
「……ふ、ふふふ。そうでした。そうでした。我々はあくまでお互いの分野で目標を定める、そういうお話でしたな」
「ええ。ただ、あえてひとつ提案をするとすれば、お隣に対しては今まで以上に強く出る事をお勧めします」
「だが、国民感情や野党が黙っていないぞ?」
隣――中華連合共和国は度々日本の国益を掠めようと、隙あらば侵略しようという意図が透けて見える大国だ。そんな国であるからこそ、世界中に工作員やシンパを抱え、特に近い日本も中枢にいくらかの侵入を許してしまっているのが現状である。
現在の対能力者法案にしても、中国と繋がっている議員やメディアに対して少なくない約束を取り付けており、それに対して強く出るというのは的井の政治生命を危ぶませる行為であった。
とはいえ、ふたりきりの会談であってもそういった裏事情は告げず、表向きに行うだけの影響力を訝しむ様に問いかける的井に対し、
「とはいえ、メディアやネットでの根回しの結果、彼の国への国民感情方面はある程度許容されるようにはなったでしょう。付随して、親中国――いえ、ここは媚中派と断言しますが。彼らも保身に長けた連中です。媚中派議員の方々もそうした国民感情を背景に説けば静観せざるを得ないでしょう。それに――」
我部はすっと声量を落として、さも極秘の話であるというアピールと共に僅かに身を乗り出して机の上にそっと言葉を溢す。
「推し進める際の障害の“撤去”はこちらが引き受けます。その為の対策局ですからね」
「――」
隠喩にしてもあまりにも包みが薄い、世界の中でも平和とされる日本にあって、中々聞く機会のない恐ろしい例えに、的井はふるりと背筋に冷たい物が奔り、僅かに目を見開く。
だが、その眼に映る我部は既に机から身を引いており、貼り付けた様な笑みを浮かべていた。
「かつてもお話したように、平和を享受できる国作りこそ、私の目的なのですよ」
「……ああ、そうだ。そうだったな……うむ、平和な日本、何者にも侵されない国」
「ええ。これからも的井先生の役割は重くなりますが、どうぞ、世界の為の重圧とお考え頂きたく」
的井は、我部の言葉にかつて若かりし頃、正義を抱いて国政に踏み込んだ時の情熱の残り火が刺激されるのを感じていた。
力が無ければ世界は動かせない。現実を前に穢れ、汚濁を良しとしてしまっていた今までの自身の中から、今ならば力も立場もあるのだからという使命感が顔を出し、それが的井の内心で大きくなってゆく。
「我部先生。私もこの歳になって漸く目が覚めたようです。これからも親密なご協力をお願いいたしますよ」
「はい。こちらこそ、的井先生のお力があってこそ、私の描いた理想図が現実となるのですから」
互いに固い握手を交わすふたり。
だが、その手の温度は同じ部屋にいたというのにあまりにも違っていた。
誤字脱字報告、非常に助かっております。
ありがとうございます。