幕間7-2 常群幸也と周辺事情10
秋も深まる10月の第3週。
どこかの誰かが季節感もクソもないと忙殺されそうな過密スケジュールの業務に溜息をもらしているのと近い時期だが、常群はそれとは真逆の時間の持て余し方をしていた。
都内有数のタワーマンション、駅からも程近く、恵まれた立地に都内とは思えない程の広々とした敷地、そこに天を突くように建てられた超高級高層住宅の名にふさわしい威容を誇る建物の最上階。
ワンフロアを丸々占有して平屋として設計された豪邸と呼んで差し支えない家の一室は、吹き付ける高層の強い秋風を一切通さず時折かたりと音を立てる窓ガラスによって守られ、空調によって適温に保たれたリビングから覗く都会の様子は平時と変わりない。
環状線内側の自然が少ない土地柄だ。秋の気風を感じたければ遠出せねばならないのは都内においてはどこも似たような物だが、この場所は更に季節感とは縁遠いと言える。
そんな、人が文明という揺り籠で堕落するには最適と言える室内。
落ち着きと気品を感じさせる家具が彩る広々としたリビングには、それにふさわしくない3人がそれぞれに長いソファを占有してだらけきっていた。
「はぁー……」
気の抜けた様子でリモコンを片手に垂れ流された番組のチャンネルを切り替えて息を吐くのは、赤茶けた髪を緩くセットした人好きのする顔立ちの青年。
鳶色の瞳が半目になって番組を見るでもなく天井の照明へと向けられるが、その意識は現実そのものを見ていない様に虚ろだ。
ほか2人はそんな様子の青年――常群幸也の姿は既にここ数週間で見慣れてしまったらしく、ツッコミを入れるでも心配をするでもない。
むしろ、常群の溜息に乗じてむくりと顔を起こしたパステルカラーの髪色が目立つ青年、行木己刃は俯せにソファに身を預けたままの姿勢で常群に声をかける。
「もー。何度目だよー。溜息吐きたいのは俺の方だってーのー」
「そうだそうだ。我なぞ貴様の策に乗って大立ち回りをしたにも関わらずこの体たらくとは情けない」
気の抜けた様子の常群に、どこか煽るような調子で言葉を投げかけるのはふたりの青年に比べるとやや年下といった具合の美少女、黒帝院刹那。
長く背まで垂れた艶やかな黒髪も、今はごろりと恥も外聞もないだらしない格好でソファに横になっていることで台無しだが、当の本人は気にするでもなく手にした漫画をぱたりと畳む。
「だってさぁ……」
「だっても何もねーでしょ。あれだけ順調だったのに大一番で凡ミスかましたのはゆっきーだろ」
「ああぁあああぁああっ」
己刃の情もなにもない一言がばっさりとメンタルを切り裂き、常群は苦悶の嗚咽を漏らしながらソファの上で転げながら頭を抱える。
とはいえ、彼らも別に険悪な雰囲気ではない。
むしろ弄り甲斐のある獲物を得た子供の様な茶目っ気を持って常群のオーバーリアクションを楽しんでいた。
「やめてくれー……俺だって後からやらかしたーって思ってんだよぉ……! どうしてあの時連絡先渡すの忘れてたんだ……過去の俺に会えるなら一発ぶん殴りたい……」
「ふっ。何であったかな?」
「“また後でな” きりっ!」
「ぐああああああああっ!」
黄泉路と綱渡りの再会を果たした当日、常群の護衛を兼ねて潜んでいた己刃にやりとりの一部始終を見られていたこともあり、当時の常群の発言を再現してキメ顔をしてみせる。
だが、その表情以外は相変わらずのだらけきったもの、しかもここ1、2週間ネタにし続けたこともあり、既に原型を無くしたモノマネのモノマネという有様であるが、それでもそうしたコミカルでオーバーな模倣は余計に常群のメンタルを叩きのめすようで、常群は再現される度に悲鳴を上げる。
常群自身、そうしてネタにされているだけまだマシであるという自覚があり、自身がやらかした凡ミスというのも反論の余地もない事実である為甘んじて受け入れているが、たしかにそろそろ立ち直らねば不味いこともしっかりと自覚していた。
それは弄っているふたりも同様で、ひとしきり弄りが終わった後は流れてくるニュースバラエティの談笑の声をBGMに常群へ問いかける。
「でー? これからどーすんの?」
「どう、って言われてもな」
しかし、それはそれとして今大きく動くことはできないと、常群は催促するような己刃の言葉に気だるげに応える。
「僅かな手がかりから旧友の所在をつきとめ、対策局の魔手と撤退ルートまでをも読み切った汝の手腕を認めていない訳ではないがな。それにしてもここ暫くの汝はあまりにも腑抜けすぎだ」
「……動こうにも都合が悪いんだよ。ほら、今もやってるだろ?」
便乗する様に口を尖らせる刹那の言葉に頭をがしがしと掻いた常群は上体を起こすと、テレビのチャンネルをバラエティ寄りのニュースから社会情勢を伝える硬めのニュース番組へと変更する。
そこから流れてくるのは対策局の運用や日本が世界に先んじて可決した能力者関連法案に対する諸外国の反応や日本政府の動きなどに関する報道であった。
特に外国からの圧力とも言える会見や外交官の発言などは最近では強く取沙汰されており、今の日本は能力者を受け入れようという風潮と、もう少し慎重に、穏便に進めるべきではなかったのかという、現政府の電撃的な法案可決に対する懐疑的な声がぶつかり合う内容が連日テレビや新聞、ネットを賑わせていた。
だが、それらから見えてくるのは表面的なものに過ぎず、精々無関係の大多数の人間がぎゃあぎゃあと騒いでいるなという程度の感想しか持たない刹那にとっては雑音に等しい。
怪訝な顔をする刹那とは別に、終夜という政財界に強い影響力を持つ財閥企業を背景に持つ己刃は常群が言わんとしている事を理解しつつも、それでもと常群に食って掛かる。
「いやさー。わかるよ。俺だって、日本で一番大きかった闇組織が大量の離反者出してズタボロになった所に、マフィア崩れとか傭兵とかが海の外から大量にやってきてしっちゃかめっちゃかになってんのはさ。でもさー。そんなの俺らに関係なくない?」
「この絵図が誰かに描かれたものだとしても?」
「……へぇ?」
漸く、面白い話が聞けると己刃はゆるりと目を細めて常群を見やる。
見れば、蚊帳の外で話をかみ砕こうと沈黙していた刹那もまた、常群が何を懸念しているか。――つまりは、何か面白そうなことを言い出すのではと期待の眼差しを向けていた。
そんなふたりの、自身が抱く警戒とは真逆の眼差しに常群は小さく首を振って答える。
「あくまで、そういう可能性があるって話でしかないけど、それでもいいか?」
「んむんむ。良いぞ。人が思い描く可能性というのはな。何れ到達する未来のひとつであるともいうのだから」
「……普通に、警察上層部とか政治家とか、少しでも裏と関わりがあったり、パワーバランスを考えられる人間なら対策局なんて作る訳がないんだよ。いや、対策局みたいなものはあってもいいかも知れないが、だとして、もうすこし穏便に、ゆっくりと真綿で首を絞める様にじわじわと長い目で裏社会を狭めていくはずだ。こんなにも性急に掃除をして、これ見よがしに空白地帯を作るなんて真似は政治も治安維持機構もリスクを考えたら手が出せるわけがない。……けれど、現実として対策局は、政府は、真っ先に裏社会に生きる能力者達に特赦を与えて自陣に引き込み、裏で蠢いていたやつらを切り崩しに掛かった。その上で、次に手を付けたのは裏社会にあって表社会に対して益を齎していたはずの三肢鴉の掃討戦だ」
常群はずっと疑問に思っていた。
こんな事をすれば海外から横やりが入るのは目に見えていた。
特に日本は最も近い隣国に野心的な国を抱えているのだから、これほどまでにわかりやすい裏のパワーバランス崩壊と精力的空白が生まれてしまえば、今までは政財界連中や報道機関に対するハニートラップや賄賂などで誘導や浸透を行おうとしてきた、見えざる静かな侵略者が活発化するのは目に見えている。
始めこそ、とうとうそこまで蝕まれたかと思いはした。だが、空白地に入り込んだ勢力を軽く調べた限りでは、多国籍も多国籍、とてもではないが秩序だった計画とは思えない混沌としたものが出来上がっていた。
「最近までの動きで、誰が得をしたか。もしくは、誰が得をするのか。財界の連中は諸外国との軋轢で関税まで引き合いに出されて大損だよな。政治家にしたって、支持をくれるのはそういう財界にぶら下がって生活してる一般市民だ。景気が悪くなれば支持率は落ちる。じゃあ日本を陥れて利益が求められる隣国か、といわれれば、それも微妙だ。だって今の日本の裏に参入してるのは中・韓だけじゃない。米露やEU。まぁ、所謂先進国と言われている国のオンパレードだ。こんな状況でどこか1国が勝ち抜けなんて出来ないし、かといって複数国家が結託して日本に集まるっていうのも、そこまで酷い状況になるまで止められないってのは考えづらいしな」
「むむむ……であれば、どうだというのだ」
「簡単だよ。これを仕掛けた奴は、別に日本が、国民がどうなったって知ったこっちゃないのさ。この混沌すらおそらく通過点で、その先に何かを求めてる」
「ふーん。で、何を欲しがってるか、わかんの?」
ようやく、むくりと体を起こしてソファに座り直した己刃や、身を乗り出して厨二好みの陰謀論に目を輝かせている刹那に対し、常群は肩をすくめて首を横へ振った。
「いーや。あくまで、こういう推測ならまだ諸説あるなかでも信用できそう、ってだけ。こんな大規模なことをマジで計算尽くでやってるんだとしたら俺の手には負えないよ」
「なーんだ。結局想像なんだ」
「でも、そういう絵を一番描きやすい立場にいる奴なら心当たりがある」
「え、マジ!?」
ここまでならただの風説、陰謀論の一種だろうが、常群は独自の伝手がある。
それは例えるなら警察の上層部に引っかかっている警察官だったり――対策局のトップ、その側近であったりだ。
他にも大小さまざまな場所に所属する個人的な繋がりが、常群にとある人物ならばという可能性を抱かせる。
「対策局の局長であり、政府に招聘される能力関係の専門家でありながら実質能力関係におけるご意見番。……能力解剖研究所の所長さんだよ」
「ふ、む。それほどの人物ならば……ならばどうなるというのだ?」
「いやいや、せっちゃん。それだけの大物なら政治家とか金持ちとかの伝手を使って色々根回しできるでしょーよ」
「今回の勢力バランスの崩れについても、上には対策局の大々的なアピールの場として使うって事で伝わってるらしいしな」
「へー。それも忍び込ませてる伝手の情報ってやつ?」
「まぁな。……で、そんな風に大きな手が回ってる状態の裏に、俺達がほいほいと遊びに行くわけにはいかないわけだ。リスクが高すぎるし、逆に何を得るかっていうのも難しいしな」
だから現状はこうして世間の動向に目を光らせてるしかないのさ、と。自嘲気に締める常群に、刹那は首をかしげる。
「事情は概ね理解した。が、それが何だというのだ?」
刹那の口から零れた、恐らくはまるっきりの本心、率直すぎる感想に、常群は勿論のこと、己刃すらも一瞬こいつは何を聞いてたんだという顔をして刹那を見つめる。
ほんの僅かな沈黙の後、常群に代わり己刃が仕方ないなとばかりに首を振り、
「だからさー。今は色々こんがらがってるよーに見えて何か大きな作戦が動いてるかもしれねーからちょっと息潜めてよーぜって話。でゅーゆーあんだすたん?」
「……だから、それが何だというのだ。大きな力の流れ? 知らん。我らは元より我が好敵手と再び見えんがため集ったのだろう。であれば、それらがどう動こうが、我らが注視すべきは好敵手であろう?」
何を馬鹿なことを、とばかりに刹那が鼻を鳴らす。
そのあまりにも当たり前のことを言う様な調子に再び青年ふたりが一瞬のフリーズをきたすも、今度はすぐに復帰した己刃は目から鱗とばかりにポンと手を叩いて笑いだした。
「あっはっはっはっはァ! そりゃそーだ! 俺達が動こーがどーだろーが、黄泉路次第だって忘れてたわ。あはっ、おっかしーの!」
「……ああ。そう、そうだった。ほんと、何やってんだろうなぁ俺」
結局、彼らはどこまでいっても自己中心的で。世界の事情がどうだろうがお構いなしに目的だけを見据える集団である。
「で、どうなのだ。旧友である汝の見立てでは、我が好敵手、幽世の王はどう動く?」
「……そう、だな。出雲は、あいつ人に流されやすいからなぁ……。周り見た感じ美少女ばっかで……あれ、なんかめっちゃ悔しくなってきたぞ。出雲あの野郎可愛い子ばっか侍らせやがって」
「おい、話が脱線しておるぞ」
「っと、すまんすまん。そうだなぁ……なんだかんだ言って、アイツの今の居場所は三肢鴉の残党だろう。だとしたら、元々の目的のままに動くか、息をひそめるか」
「ふむ、であれば話は早いではないか。よし、殺人鬼」
「あっはっはっはっはっ――ん? ああ、キラキラ探し?」
「貴様の言う命の輝きとやら、言語が違ったくらいで探せぬものでもなかろう?」
「ああ。キラキラは全世界共通だ」
急に意見が統合し始めた魔女と殺人鬼に、常群はひとりおいて行かれているのを自覚しながら待ったをかける。
「おいおいおい、何をするつもりだよ」
「何とは汝にしては察しが悪いな求道者よ」
「いやいやゆっきー分かり切ってるじゃんよ」
にやりと、悪戯っぽい笑顔を浮かべるふたりに、常群は諦めの境地で問いかける。
「……どこ、襲撃すんの?」
「そうだなー。さすがに初っ端で都内は終夜もキレっかなー?」
「であれば内海側でよかろう。さすれば深き水面にて隔てし赤き大地よりの者どもが蠢いていよう?」
「あー、はいはい。じゃあその辺で適当にピックアップするから。精々目立って囮になってくれ。俺はその裏で適当に網を張ってみるよ」
「んむ。やはり持つべきものは同盟者よな」
「あっはっはっはっ! 久々のキラキラ探し、何持って行こーかなー!」
早速準備だとばかりに部屋を飛び出して行く己刃を見送り、襲撃時の文言をどうすべきかとブツブツ呟きながら部屋を歩き出した刹那を見やり、常群は静かに溜息を吐く。
ノートパソコンを手繰り寄せ、情報を洗い出し始めたその眼は気だるげな様子は消え、力強い光を取り戻していた。




