3-4 夜鷹の止まり木4
【夜鷹の止まり木】の中は外観に違わず純和風で統一されており、壁に掛けられた掛け軸や照明によって照らされた生け花などがただの廊下に華を持たせ、旅行客の目を飽きさせない為の工夫が随所に凝らされていた。
柔らかな間接照明によって背面から照らされた生け花は出雲のような素人の目から見ても調和の取れたすばらしい作品だと判る出来栄えに思わず目を奪われる。
出雲のような反応をする客が少なくないのだろう。出雲がゆっくり鑑賞してもついてこられるように、果は慣れた調子で歩調をさりげなく緩めて口を開く。
「珍しいですか?」
楽しげな調子で掛けられた言葉に、出雲は自身が見られていた事を理解して仄かに顔が赤らむのを感じ、しかし、ほめる事が悪い事ではなかろうと素直な感想を述べる。
「はい。すごく綺麗ですね」
「うふふ。それを聞いたら誠さんも喜ぶと思いますよ」
「誠さん、ですか?」
「ええ、うちの従業員で、専属の庭師なんです。生け花や中庭の整備、近くの森の管理などもしてくださっているので、とても感謝しておりますわ」
「へぇ……全部その人一人でやってるんですか?」
「力仕事は男の仕事だからと、手伝わせてくれないんですよ?」
くすくすと、信頼関係を滲ませる様な調子で含み笑う果に、出雲も釣られて微笑を浮かべる。
幾度か通路を曲がり、雑談をしながら歩く事数分。通路の奥、突き当たりに配置された部屋へと通されれば、出雲は自分がここに一人で泊まっても言いのだろうかと不安になってしまう。
なにせ、古き良き高級旅館という雰囲気を醸し出している【夜鷹の止まり木】の客室はどの部屋を取ってみても出雲が家族旅行や修学旅行などで泊まったことのある部屋を凌駕していた。
それに加え、今はカガリや美花といった同行者もなく、家族連れが余裕を持って宿泊できるような部屋を純粋に一人部屋として宛がわれてしまっているのだ。
まさか料金を請求されはしないだろうかなどと、今更過ぎる不安が鎌首をもたげ、思わず果のほうへと不安げな視線を向けてしまう。
「あの、こんなにいい部屋、泊まってもいいんでしょうか……」
「ご心配なさらずとも、何泊宿泊して頂いても道敷さんから料金を戴く事はございません。三肢鴉関係者の宿泊費用は全て三肢鴉が負担していますから」
「えっと、僕、まだ正式なメンバーじゃないんですけど……」
「それでも、私達が保護したのですから費用やリスクは織り込み済みでなければならないでしょう?」
「それは……」
確かに、もっともな理由ではある。
しかし、人一人の戸籍を偽造する技術、伝手もそうであるが、この様な旅館の費用を長期間において賄い続けるという資金力というものも、出雲のイメージするレジスタンスという単語からは程遠く感じ、今更ながらに底知れない組織に身を寄せているのだと思ってしまう。
そもそも、現実的な意味でのレジスタンスも、フィクションの中に存在するレジスタンスも、どちらも経済社会の中で活動している以上、資金の調達や人脈の根を張る行為などは組織を運営する為には必要不可欠な要素である。
尤も多くのフィクションの世界ではそうした裏方の細かで地味な事情にスポットが当たること自体珍しいのだから、ついこの間まで何も知らない高校生であった出雲にそれを理解しろと言うのも酷であろう。
「それでは、どうぞお寛ぎ下さい。当旅館には源泉掛け流しの大浴場に露天風呂もございますので、よろしければ一度足を運んでくださいませ」
「あ、わざわざすみません」
「いえいえ、職務でもあり、これから同胞となる方ですからね。これくらい当然です」
それでは、と。営業用ではないにこやかな表情を浮かべて一礼し部屋の戸を閉めて離れていく果の足音を聞きながら、部屋に一人残された出雲は気が抜けたように大きく息を吐いた。
施設に監禁され、月日の感覚が麻痺するような停滞した日々から一転。
ここ数日はそれこそ止まっていた時間が一気に流れてきたかのような怒涛の展開の連続で、出雲は気づかぬうちに自身が気疲れしていた事を今更ながらに自覚する。
とりあえず腰掛けようかと思ったところで、ふと、出雲は自身の格好の惨状に気がついてしまい、腰を曲げた所で動きが止まる。
自宅でボロ布よりは幾分かマシというレベルの制服だった物からパーカーに着替えたはいいものの、結局その後で大暴れしてしまった返り血やら銃弾による穴によって、もはや純白のパーカーは見るも無残な状態となっていた。
それに気づいてしまえば、果が最後に温泉を勧めた意味もまた違ってきてしまう。
「……なんにしても、まずはお風呂かな……」
一度気になってしまえば、お風呂好きの日本人としての欲求が見る間に大きくなってゆき、肉体的疲労はないのだからと戸棚に仕舞われていた浴衣を汚さないように手に持って風呂場へと向かったのだった。