3-3 夜鷹の止まり木3
はじめに目に飛び込んできたのは大きな瓦屋根。
濃紺の光沢が日光に反射して凹凸が作り出す濃淡がよく映えていた。
続いて見えてくるのはその建物の規模の大きさであった。
出雲たちが乗る車は一般車両ではあるものの、どちらかといえば大型に分類される様な、大人数で乗る事を前提に設計されたタイプの車である。
それが十数台とまっても有り余る程の駐車スペースと、そこに乗せた人員をすべて収容してもなお余裕があるだろう建物といえば、その規模がどれほどの物かは推して知るべしである。
とはいえ、駐車している車の数はさほど多くなく、空きの目立つ駐車場のなかへとカガリは慣れた調子で車を走らせる。
緩やかに減速する車の窓から建物へと向ける出雲の視界に、建物の名前だろう看板が目に留まった。
【夜鷹の止まり木】
入り口に大きく掲げられた看板とは別に、『日帰り入浴可』や『食事可』などといった立て看板を見つけ、ここがどうやら旅館であるらしい事を理解する。
それと同時に、カガリ達の言う“夜鷹支部”とは、この旅館の名前である【夜鷹の止まり木】からとった物なのだと理解して、今までのカガリの曖昧な受け答えに至極納得してしまった。
何のことは無い。旅館という形をした支部なのであれば、そこを住処にするという言葉も、衣食住に問題が無いという点もすんなりと飲み込む事ができる。
程なくして車が止まり、美花とカガリが下車するのを見て出雲も後を追うように下車すれば、自然に囲まれた、都会では味わった事の無い空気が肺を満たした。
空気とはこれほどまでに澄んで、味があるものなのかと、出雲は思う。
「おーい、出雲ー。どうしたー?」
「あ……、今いきますー」
旅館以外、木々に覆われた山しか視界に映ることのない大自然に圧倒されて半ば呆然としてる出雲へと、すでに旅館の入り口前まで移動していたカガリが手を振っているのを見て、出雲は小走りで後を追いかける。
駆け寄る出雲を待ってから、3人で旅館の扉――このご時勢にしては珍しく自動ドアなどではなく、年季を感じさせる木製の横スライド式であった――を潜る。
途端に柱などに使われているのだろう檜の香りが出雲たちを出迎え、それと同時にカランカランと扉に取り付けれていた木鈴が軽快な音を奏でた。
「ようこそおいでくださいました」
鈴の音を聞きつけてきたのだろう、緩やかで趣のある所作で現れた女性が柔らかな笑みと共に3人を出迎える。
その女性は黒い髪を朱色の簪で纏め、臙脂色のシンプルな着物の上に割烹着を付けた如何にも和風美人といった風体の、恐らくはまだ30には届いていないだろう容姿でありながらどこか成熟した雰囲気を纏っていた。
旅館の人間であろう女性に、カガリはひらひらと手を振って答える。
「おう。戻ったぜ“皆見”さん」
「ええ、お帰りなさい煤賀さん」
にこやかに応対する女性――皆見に、カガリは思わず顔をしかめる。
「俺たちこれでもまだ任務中なんだから、本名で呼ばないでくれよ」
「あらあら、うちは皆さんの第二の故郷だとおっしゃってましたから……帰宅するまでが遠足だという言葉に倣ったつもりだったのですが、失言だったかしら」
「あー……いや、こっちにも雰囲気っつーか、なぁ?」
「その流れで私に振らないで」
穏やかな物腰は変わらずコロコロと笑う皆見に、たまらず助けを求めるように視線を美花へと向けるカガリであったが、露骨にその話題に乗る事を拒否され味方なしと理解してがっくりと肩を落とす。
そんなやりとりを目を丸くしていた出雲へと皆見はやはり柔らかな笑顔のまま声をかける。
「こうしてお会いするのは初めてですね。私、この旅館の女将を勤めます南条果と申します。遠路遥々お疲れ様でございました、道敷さん」
「え、あ、はい……え? えっと?」
未だに皆見――果の前でまともに喋ってすらいなかった出雲は、自身の事を知っているらしい果に思わず当惑した声を返してしまう。
無論、出雲と果が以前から知り合いだった、などということはない。
都内からほぼ県外に出かける事もない元高校生と山奥の旅館の女将に接点があるほうが不思議なくらいである。
困惑した出雲の様子に、果はくすくすと鈴を転がすような笑みを含んだ声で、気持ち程度声を潜めた風に出雲へと片目を伏せる。
「……私、三肢鴉では【夜目の効く鷹】の皆見と呼ばれてますの。主な役割はオペレーターさんとセットでの後方支援を行っておりますわ」
オペレーターとセットでの後方支援という単語に、出雲は施設脱出中にオペレーターがちらりと口にしていた“ミナミ”とは目の前の女性の事かと思い至る。
「まぁ、その辺の話は追々って事で、さっそくで悪いが一部屋用意してもらっていいか?」
出雲が納得した様子を見て取ったカガリが声をかければ、果は堂に入った所作で一礼する。
「畏まりました。では道敷さんをお部屋へとご案内させていただきますので、どうぞ此方へ」
「え、あの、カガリさんと美花さんは一緒じゃないんですか?」
「ええ、お二人は既に別に宿泊されていますから、これからご案内するのは道敷さんがお泊りになる部屋になります」
柔らかな所作のまま出雲へと声をかける果に、出雲は不安げにカガリと美花を一瞥する。
カガリと美花は既に引継ぎは完了したとばかりに、目に見えて纏う空気がやわらかいものへと変質しており、美花が目で頷くのをみた出雲は少し先で待っていた果の後へ続いて旅館の奥へと向かった。