幕間1-2 ホーム・シック2
『家族を守るため』
そう繰り返すように吐き出した言葉に苦しいものを吐き出すような、痛みを堪えるような感情が篭められている事を、同じ話を電話越しに聞かされていた奈江はひどく痛感する。
しかし、頭に血が上った穂憂にしてみれば、ただの言い訳がましい言葉としか捉えることができなかった。
「――何が、家族を守るためよ!!!!!! いず兄は家族じゃないの!?」
「出雲を家においておけばお前も奈江も安全が保障できないと言われたんだ」
「何が家族よ!!!! 家族だって言うならいず兄も守ってよ!!!!!」
「仕方なかったんだ!!!!!」
「結局は自分が可愛いだけじゃない!!!!!!!!!!!」
悲鳴染みた声で叫び、踵を返そうとする穂憂に、さすがにそれは言いすぎだと奈江が腕をつかむ。
その瞬間、穂憂は衝動的に腕を振り払い、大きな瞳から大粒の涙を零しながら奈江を睨み付ける。
「穂憂!! 父さんに謝りなさい!!!」
「ふざけないで!!!! お母さんも同罪よ!!!!! お父さんがいず兄を追い出すとき止めもしなかった癖に偉そうにお説教しないでよ!!!!!!!!!」
「憂!!!」
怒りの火の粉が奈江へと飛び火したところで、今度は譲が押さえつけるように穂憂の両肩に手を置いて正面から怒鳴る。
しかし穂憂は手に持った鞄で盛大に譲を殴打して、それから一歩距離を取るようにして自らの父親へと侮蔑をこめた瞳を向ける。
「触らないでよ!!!!!!!!!!」
「憂!!!!! 聞きなさい!!!!!」
「いず兄の立場が私やお母さんだったら私もお母さんも売るんでしょ!? 家族面しないで!!!!!!」
「――ッ!?」
乾いた音が響き、わずかに遅れてじんと痛みが穂憂の左頬を赤く染める。
穂憂は自身が手を上げられた事を理解し、譲をじっと見上げた。
譲は穂憂の言葉に反応して思わず手を出してしまった事を後悔する様に、振りぬいた手を見つめ呆然としてしまう。
死ねばいい、その言葉だけは言うまいと必死に堪えた、しかし、隠しようもない怒りと侮蔑を孕んだ瞳を譲へと向け、穂憂は今度こそリビングを後にする。
階段を駆け上がり自室へと飛び込んで鍵を掛けるも、階下から追いかけてくる様子がない事を確認し、穂憂は小さく息を吐いてカーペットの上にへたりこんだ。
「……ぅ、ぅぅ……お兄ちゃん……」
ぽろぽろと零れ落ちた涙に混じってこぼれた嗚咽は年相応の少女のものであった。
走り、怒鳴りつかれた穂憂はしばらくの間座り続けていたが、落ち着いてくるにつれて机の上に何かがおいてある事に気づく。
大好きであった兄が突然いなくなった日、机の上に出しっぱなしになっていた道具に物悲しさを覚えたのがきっかけで、穂憂は出かける際には必ず整理整頓を行ってから出かけるようにしていた。
もはや習慣化していたにも関わらず、何度見ても机の上には何かが置いてあった。
穂憂は自然と机の上のものへと意識が向いて、よろよろと立ち上がって机へと近づいてゆく。
「……こ、れ」
手に取った箱は所々汚れて入るものの、包装紙はその役割を果たしていた。
リボンを解き、中身を確認した穂憂の目に飛び込んできたソレに、穂憂は思わず身動きを止める。
【Happy Birthday お誕生日おめでとう、穂憂】
小さな女の子がつける事を想定している様な、宝石を模したチープな飾りのついた可愛らしいシュシュと、出雲の手書きだろう誕生日を祝うメッセージカード。
それは、4年前、穂憂の誕生日の日に姿を消した兄からの、4年越しの誕生日プレゼントであった。
「いず、にぃ……っ」
溢れ出して来る涙は先ほどまでの怒りを通り越した、行き場を失った感情によるものではなかった。
ただ、熱く。
頬を伝う涙は穂憂の兄への想いによって溢れ出していた。
どれだけ待ちわびても帰ってこなかった兄から贈られたプレゼント。
それは、兄が確かにまだ生きて、先ほどまで此処にいた証であった。
「いず兄、いず兄、いず兄ぃー……ふふふ、ふふふふっ」
階下で先ほどまで激怒した事などすっかり忘れてしまった様子で、疲れを置き去りにして穂憂はシュシュを抱きしめてベッドへと転がる。
抱きしめているだけで出雲の存在を感じる事ができるようだと、穂憂はメッセージカードに何度も何度も目を通す。
何度読んでも簡素なメッセージが変わる事はない。しかし、穂憂にとっては出雲から送られたメッセージであるという一点において、この部屋にあるすべての存在よりも価値のあるものとして映っていた。
穂憂は心地のいい浮遊感に身を任せてうれしげに、子供のように笑う。
それから暫くして、立ち上がった穂憂はメッセージカードを机の上へと丁寧において、シュシュを自身のポニーテイルをまとめるゴムの上から丁寧に身に付け、上半身が映る様にかけられた鏡の前へと立ってくるりと回る。
「ふふふっ、いず兄、憂の事似合うって言ってくれるかな?」
出雲がいなくなり、暫くしてからは一切口に出さなくなっていた、自身の事を憂と呼ぶ癖が出てしまっている事にもまるで気づいた様子もなく。
子供染みたシュシュを身につけた自身を満足げに眺めた後、いまだサイレンが鳴り響く窓の外、遠方へと目を細める。
「待っててね、いず兄、憂が絶対会いに行くから……ッ」
鏡に映る瞳がゆらりと怪しく輝いた事に、穂憂自身気づく事はなかった。