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幕間1-1 ホーム・シック1

 斜陽もとうに沈み、空を覆う闇を刳り貫いたような月と均等に道を照らす街灯に、現在の空の色を落とし込んだような黒髪が照らし出される。

 大きく息を乱して駆ける姿は濃紺のセーラー服を身に纏った極一般的な女学生のものだ。

 高い位置で束ねたポニーテイルの毛先が背の中ごろで揺れる。

 反動が邪魔だとばかりに鞄を抱えて走る少女は目的地へと向かって全力疾走していた。


 「はぁ……はぁ……っ、はぁっ」


 息苦しそうな吐息を漏らして走る少女の耳に、さほど離れていない距離から鳴り響くサイレンの音が聞こえて、少女はわずかに足を緩めて音の方向へと意識を割いた。

 サイレンの音はどうやら自身が向かう先と同じ方向から聞こえているらしいと判断すれば、少女は嫌な胸騒ぎを押さえつけるように再び全力で走り出す。

 人目を憚らない、年頃の女性としてそれはどうなのかとも思われかねない走り方であったが、幸いにも人通りは少なく、いるとするならば少女のように何事かの用事によって帰宅が遅れてしまったものくらいである。

 それぞれに帰路へとつく数少ない目撃者とて、忙しなく駆け抜けていく女子高生などすぐに忘れてしまうことだろう。

 少女の足は体力の消耗に伴って速度が目に見えて鈍ったのは目的地である自宅が目と鼻の先という所まで近づいてきた頃であった。

 駆け足が緩やかに歩く速度に落とされ、肩で息をしながら少女はある違和感に気づく。

 この時間ならばすっかり静かになっているはずの住宅街でありながら、今日という日に限って何故かひどくざわついている様な印象を受けたのだ。

 少女は違和感を拭い去ろうと大きく深呼吸して呼吸を整える。


 「……」


 額に滲んだ汗を裾で拭い、少女は覚悟を決めたような顔で『道敷』と表札の書かれた自宅の門を潜った。


 「ただいまー」


 勤めて明るい声を出して玄関のドアを開ける。

 リビングに人がいるという事だけは廊下へと漏れ出してくる光によって把握する事ができたものの、普段であればキッチンから聞こえてくるはずの母親の料理の音も、リビングで寛いでいる筈の父親のつけたテレビの音も一切しない。

 だが、今日の少女にとってはそれすら些細な事に過ぎなかった。

 玄関口で目に留まった目新しく、そして懐かしい一足の男子用学生靴に、少女は胸が期待で溢れて来るのを感じながら、靴を揃える時間も勿体無いという様に靴を脱ぎ捨ててリビングへと急いだ。


 「――お父さん、お母さん、“いず(にぃ)”は!?」


 開口一番、リビングへと小走りで駆け込んだ少女――道敷穂憂(みちしきほうき)は、その髪と同色をした大きな瞳で期待を前面に押し出して尋ねた。


 「……(うき)、どうして今更出雲の事を?」


 ソファに座り、娘が帰ってきたというのに一切の反応を示さず、電源もついていないテレビのほうをじっと見つめている父親――譲の代わりに、穂憂と並べばなるほど親子だと納得する程度には顔の似た母親、奈江が、うっすらと血の気の引いた顔で娘に問い返す。


 「常群(つねむら)さんが、教えてくれたの。朝、いず兄を見たって……帰ってるんでしょ? いず兄はどこ?」


 4年前に死んだと聞かされてきた兄が生きていた。

 そう聞いた時、穂憂は常群の冗談かと思った。だが、穂憂はすぐにその考えを打ち消す。

 無駄話で引き止めてしまった事、あの時一緒について行ってやればと、出雲が死んだと聞かされた日から兄離れ出来ていなかった穂憂の兄代わりとなってくれた。

 そんな常群が、その様な種類の冗談を言うとは穂憂にはとても思えなかったのだ。

 穂憂の確信めいた強い眼差しに見据えられ、奈江は諦めた様に震えた声で告げる。


 「……出て行ったわ」

 「――は?」

 「だから、出て行ったのよ……いいえ、追い出したのよ……父さんが」

 「どういう事、それ……?」


 怒気の籠もった声音で穂憂がソファに座る譲を睨み付ける。

 怒りが自身へと向いている事に気づいたのだろう。譲は大きく息を吐き出す。

 穂憂にも、奈江にも視線を向けず、穂憂が――出雲が家を飛び出してから、一度も口を開かなかった譲は漸く口を開く。


 「家族を守るためだ」

 「……何よそれ、ちゃんとわかるように説明してよ」


 譲の端的な言葉に、穂憂の声には思わずといった具合に冷たさが宿る。

 普段から無口で言葉が足らない父親ではあったが、元々家庭や子供に対して何かを言うという事も稀であった為、穂憂も今までは気にした事がなかった。

 だが、今回に関してだけは、穂憂は看過する事ができなかった。


 「出雲が帰ってきてから、警視庁特殊能力対策課を名乗る男から連絡があった」

 「特殊能力対策課……それって、4年前にいず兄が死んだって報告しに来た人の部署だよね?」


 ぽつぽつと語りだした譲の言葉に、奈江と穂憂は徐々に顔色を悪くしてゆく。


 「出雲は4年前に能力者(ホルダー)に襲われ、覚醒した事で一命を取り留めたらしい。……だが、保護した先で職員を傷つけて脱走したそうだ」

 「でも……いず兄が死んだってはじめに言ったのは警察じゃない、私たちに嘘ついたって事でしょ? そんな奴の言う事が信用できるの!?」

 「――もし家で事情を知らずに匿っていたなら引き渡してほしいと言われた」


 憤る穂憂を遮る様にして強い口調で言い放たれた譲の言葉が、しんと静まり返ったリビングに木霊した。


 「それで、いず兄を売ったの?」


 それから数秒、漸く言葉を吐き出した穂憂の顔には、信じられないという思いがありありと浮かんでいた。

 その表情は、10人いれば7、8人は将来美人になるだろうと評価する程度には整った穂憂の顔を歪ませるに十分な迫力があり、娘がここまで本気で怒っている様を見たことの無かった奈江は言葉を失ってしまっていた。


 「……家族を守るためだ」


 再び紡がれた譲の言葉は重く、苦渋の末に吐き出した言葉であった。

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