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2-10 ホームシック8

 頬を伝った涙は、感情の箍が外れてしまった為なのか。悲しみによるものなのか、それすら、今の出雲にとってはどうでもよくなってしまっていた。

 突如狂ったように笑い出した出雲に、武装した警官たちは皆飲まれたように静まり返る。


 「(もう、やだ……)」


 ただ静かになりたい、その一心で、囲まれていることも、凶器を向けられていることも眼中にないまま、出雲は一歩前へと踏み出した。


 「と、止まれ!!!!」


 青年の警告が発され、それと同時に盾の壁の間から火花が弾けた。

 高らかに響いた銃声によって青年の声が掻き消される。


 「――っ」


 空気を裂いて打ち出された鋼鉄の塊はあらかじめ照準を合わせてあった甲斐あってか、出雲の右肩を深くえぐる。

 次の瞬間には傷口から赤黒の液体がどろりとあふれ出し、純白のパーカーが見る間に穢れて行った。


 「――何故撃った!!」

 「す、すみません!!」


 年功序列とは違うのだろう、明らかに年下である青年に対して銃を撃ってしまった警官が慌てて答えている間も、出雲は撃たれたにも拘らず、自身の血液で汚れていくパーカーへとじっと視線を落としていた。


 「(……せっかく着替えたのに。汚れちゃったな)」


 自身の体を見えない糸で操っているような、現実から一歩引いたような冷たい疎外感の中で、出雲は汚れていくパーカーに自身を重ね合わせていた。


 「(血……止めなきゃ)」


 そう考えるや否や、あふれ出していた血液が嘘のように止まり、穴の空いたパーカーから見える傷口が一瞬にして消失する。

 服に付着した多量の血液が粒子状になって蒸発し、後にはパーカーの穴だけが残されていた。

 いまだ乾かない一筋の涙とは裏腹に、感情が殺ぎ落とされた様な無表情で出雲は発砲した警官を見据える。


 「ひっ……!!」


 目が合った武装警官が思わず息を呑み、銃口を再び出雲へと向けたところで先ほどの叱責を思い出してトリガーにかかった指が止まる。

 光の中でなお冥く、澱んだ様にも見える出雲の瞳は虚ろで、無言のままにまた一歩、二歩と足を動かして青年のほうへと歩く。

 それはさながら、冥府から蘇った死者そのものであった。


 「っ、動くな!!! 警告だ、あと一歩でも動けば撃つぞ!!!!」


 無言のまま一歩、また一歩と歩き出した出雲に危機感を覚えた青年は銃を向け、警告を発する。

 だが、まるで聞こえていないとでも言う様に、出雲は反応することすらなく、また一歩、容易にその体を前進させた。

 警告を無視された形となった青年が足へと照準を合わせて引き金を引く。

 サプレッサーつきの消音された銃が火薬の匂いを漏らして鋼鉄を吐き出し、吐き出された鋼鉄が出雲の左太股を抉って骨に達した様だった。

 だが、出雲は止まらない。


 「(……足、撃たれた。邪魔、だな……)」


 ほんの一瞬、着弾した衝撃で身動きが鈍った以外、何事もなかったかのように右足を前へと出して、交互に出された左足が地面を踏みしめた時には、肉によって押し出された弾丸が土の上を転がる小さな音が風に紛れる。

 青年が次弾を発砲しようかと僅かに逡巡し、警官隊が青年の援護をするために銃撃を行おうかとした時にはすでに出雲は青年のすぐそばまで歩み寄っていた。


 「くっ!?」


 距離を取ろうと後退りする青年に、出雲は一歩踏み出す事でさらに距離をつめる。

 とっさに発砲した青年の銃がわき腹を抉った瞬間ですら一切の反応を示さない出雲は、青年の手首を握った所で漸く口を開く。


 「どいてよ」


 ぎりっ、ぎりっ。

 拳銃を握った青年の手首がぎしぎしと悲鳴を上げ、青年の顔が苦痛に歪んだ。

 本来出雲は運動が苦手であるほか、荒事にもなれていない。少年の体躯に相応しい非力さは青年の腕をいかに強く握ろうと、警官として訓練をつんだ青年の顔を苦痛に歪ませる事などできるはずがない。

 しかし、出雲は自身の身を省みない事によって、その領域を超える。


 「は、なせ……ッ」

 「どいて、って。言ったよね……?」


 出雲へと膝蹴りを入れようと片足を浮かしかけた青年を牽制するように出雲はもう一度静かに囁き、ただ、握るという行為のみに全ての注意を傾けた。

 その瞬間、青年の手首と、出雲の指が同時に砕ける鈍い音が風に乗って響く。


 「ぐっ、うぁァ……ッ!!!!!!!」


 銃が落ちるのを確認して出雲が手を離せば、止まった時が動き出したように周囲が激しくざわつきはじめる。

 周囲の雑音が増えてもなお、出雲はぼんやりとした表情のまま地面に落ちた青年の拳銃を拾おうとして、そこで初めて自身の指が折れている事に気づく。


 「(拾えない。治さなきゃ)」


 拳銃に手を伸ばす片手間に、ごく自然とそう思考が認識すれば、かろうじて原形をとどめている程度であった指は瞬く間に修復されてしまう。

 しっかり治ったのを認識した出雲は淡々と銃を拾い上げて、折られた手首を押さえてうずくまった青年の横を通り過ぎようと歩き出す。


 「と、止まれ!!!! これ以上暴れても逃げられはしないんだぞ!!!!!」


 蹲る青年が歩き去る出雲の背中へと声をかけるも、すでに出雲の耳には青年の言葉など届いてはいなかった。

 変わらぬ歩調、揺らめく様な歩みで盾の壁へと近づき、隙間に指を差し込みながら呟かれた声は、不思議と周囲に伝播するように浸透する。


 「どいて」


 出雲が指を掛けた部分から盾が軋む音が響き、盾と盾の隙間は徐々に拡大してゆく。

 それを押しとどめようと銃口が額へと突きつけられてなお、出雲は煩わしげに指にこめる力を強め、再び骨が砕けるのも厭わずに盾を歪ませる。


 「――うるさい。うるさい。うるさい。 ……どいてって、言ってるのにさぁ!!!!!!!!!!!」


 人体の限界を超えた異常な握力によって握り締められた盾が本来の使用者から引き剥がされ、子供の癇癪の様に手当たり次第に振り回される。

 その威力は少年の体躯からは想像もつかない。どころか、出雲の体は盾を握り締めた腕を振るうたびに骨が軋み、折れては治ってを繰り返し、周囲に自身の血肉がばら撒きながら警官隊をなぎ倒してゆく。

 盾に当たった銃身がひしゃげ、側面で殴打された警官が鈍い刃物で切り裂かれたように大きく血飛沫を吹き上げる。

 さながら小さな台風の様に暴れる出雲を取り押さえようとすれば、その人体としては明らかに異常な駆動によって関節技すらも関節ごと折ってすり抜け、返す手によって吹き飛ばされてしまう。

 出雲の暴走が収まったのは、それから約数分後。先ほど着替えたばかりのパーカーが自身の血と返り血によって余すところなく赤黒く染め上げられ、かろうじて原形をとどめているかという程損壊した頃であった。

 正気に戻ったというよりは、行く手を遮る者が存在しなくなったことで暴れる必要性のなくなった出雲は、ようやく端をつかんで乱暴に振り回すだけであった盾を捨てる。

 出雲が振り回していた盾――もはやそれは盾と呼ぶ事すら憚られる程にひしゃげた塊が音を立てて地面へと転がれば、それは折り重なった負傷者たちの墓標のようですらあった。

 多数の重傷者と打ち棄てられた塊を見つめ、真っ先に手首を折られたお陰で戦線からわずかに遠のいていた青年が唇を噛み締める姿だけが、そこに出雲という少年が存在した確かな傷跡として残されていた。

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