0-2 終焉へのプロローグ3
妹へのプレゼントを購入し、桃色を基調としたファンシーな店内から表へと出た出雲は暗くなり行く空を見上げて大きく息を吐いた。
「……すっかり暗くなっちゃったなぁ」
結局、あの後しばらくの間常群の雑談に付き合わされてしまい、予定していた時間から盛大に遅れてしまった事を携帯の液晶画面と空模様で確認した出雲。
だが、携帯を仕舞う際に鞄に仕舞った妹への誕生日プレゼントに触れて、思わず表情が和らぐ。
妹もとうに帰宅し、そろそろ両親も帰ってくるころだろうかと頭の中で帰宅時間を計算し、遅れたぶんを取り戻す為の道筋を立てながら歩き出す。
出雲が現在歩いている繁華街から、家のある住宅街までは大通りを歩いていくとだいぶ時間がかかってしまうが、ビルの間の裏路地を通って直線的に進めばその時間を大幅に短縮できる。
経験上その事を熟知していた出雲は、迷うことなく人通りの少ない路地裏へと進路を向けた。
人工建材の冷たい情景と機械のファンが回る音が強くなり、人の生活している雑踏の音が徐々に遠ざかる。
空の光を遠ざけ人工の明かりに満たされた現代において、その人工灯すらもまばらな路地裏はただただ不気味で、無味乾燥とした静けさの中、出雲が足早に歩む音だけが反響していた。
「一人だけ別世界に迷い込んだみたい」
早く大通りへ抜けたい。そう思い口にした戯言は闇に溶けて消える。
出雲の少年らしい声はか細く、すぐにシンとした静寂が戻ってくる――はずだった。
「――?」
大気を揺らして出雲の耳へと届いた微かな音。
それはすぐ前のT字路。その左側から聞こえてきていた。
段々と近く大きくなってくる獣めいた唸り声に、出雲は全身が粟立つ様な錯覚を覚えて足を止める。
「……ッ」
立ち止まっていた視界の先、ビルの角を掴んだ手がのぞいた瞬間、出雲が思わず息を呑む音が荒い吐息に混ざった。
角にかけられた手はまるで御伽噺に出てくる狼男のように毛深く、鋭い爪がコンクリートの壁を易々と削る。
続いて顔を出した姿に、今度こそ出雲は言葉を失ってしまった。
暗い路地裏にあってギラギラと存在を主張する金色の瞳孔には暴力的な光を強く宿し。その顔は体毛に覆われ、突き出した鼻は常にヒクヒクと獲物を探すように動いていた。
出雲は、どこか現実味のない浮遊感の様な呆然とした思考の中で、映画の狼男の様だと思ってしまう。
「グルルルルゥルルゥ」
先ほどから出雲の耳に聞こえてきていた音は、やはり唸り声に相違なく。
人間の大人と大差ない位置につきだした獣の口元に並ぶ牙の狭間から漏れ出した音は、出雲の心を鷲掴みにするようで。
「――」
逃げなければ。
ここにいてはいけないと言う本能と理性が合致した警鐘が頭を駆け巡る。
激しくなる動悸の中で、ただ、足を後ろに下げて、相手が気づかない内に一歩でも遠くへと逃げなければと全身の細胞が悲鳴を上げているようであった。
じりじりと足が後ろへと向けられるほんの僅かな時間ですら途方もなく感じる体感の中で、出雲はようやっと踵を返すことに成功する。
あとはそのままゆっくりと足を動かし、元来た道を戻るだけ。
異形から顔を背け、現実味の帯びた景色が広がる自身が歩いてきた道が視界に映し出される事で、少しばかりの安堵を浮かべ……
――カランコロンカラ……ン。
出雲の足元で、つい先ほどまでは気にも留めなかった空き缶が転がる音がした。
「――ッ!?」
ハッとなり足元へ目を向けた出雲は、自身が靴の先で缶を蹴ってしまった事に遅ればせながらに気づく。
しかし、それはあまりにも遅かった。
「グルァアァァァアァッ!!」
背後を轟いた耳を劈く。
その瞬間に、出雲は本能的に弾かれる様に走りだした。
「はっ、はぁ……はぁ、はぁっ」
鞄を抱きかかえ、少しでも身体のふり幅を小さくして走る出雲のすぐ後ろを、獣が駆ける重く速い足音が追随する。
迫る吐息が段々と近づいてくるのを気配で感じながら、自身の息が上がるのも気にせず走るうち、出雲はすでに自身がどこを走っているのかもわからなくなってしまっていた。
「ひ、ひっ、う……はぁ、はぁ……はぁ……っ」
恐怖から自然と零れて来る涙に滲んだ視界の中、どこまでも遠く感じる大通りへと唯一の希望を託して走る背中に強い衝撃が奔る。
「ッ……な、に?」
地面へと転がり倒れた出雲の視界の端で、同時にぶちまけられたゴミ箱が音を立てて中身を撒き散らす。
その表面に刻まれた鋭い爪跡と、そこから零れ出す残骸に、捕まればそれが自身の身体で再現される事を再認識した出雲は痛む身体に鞭を打って立ち上がる。
転んだ際に擦り剥いたであろう手や膝が痛む。
何故自分がこんな目に。
そう思わずに入られなかった。