8-32 Ex match2
正面からぶつかり合った刀と籠手が硬質な音を立て、元より鋳造品らしい量産の刀がピキリと罅割れて欠ける。
腕に伝う痺れに手を離した己刃は武器が折られたにも関わらず、口元に楽し気な笑みを浮かべ鋭い瞳に獰猛な熱を宿した視線を黄泉路から逸らさず、食らい付く様に右手に握り込んだバタフライナイフを黄泉路の脇腹へと突き立てる。
「ぐっ、この――!」
「っづぇ!? 足止めにもならねーって反則過ぎねー!?」
脇腹を抉るナイフは本来であれば痛みで動きが鈍って然るべき痛打。けれど鈍るのはナイフという異物によって筋繊維の伸縮が阻害されているという物理的な事象のみだという様に、構わず殴り掛かってくる黄泉路の右拳を腕で受け止めた己刃が吹き飛ばされながらも非難めいた声を上げる。
その口ぶりは痛みはあれど有効打には程遠い事を意味しており、黄泉路は直前で己刃が自ら飛んだことで衝撃を完璧に殺しきっている事を殴り抜いた拳から感じ取っていた。
ぷらぷらと痺れを取る様に腕を振る己刃、その姿は何らかの能力を使っている形跡はなく、その事実が一層不気味さを醸し出していた。
黄泉路が巻き上げた武器が雨の様に降ってくる様を見上げた己刃が小さく息を吐きだす。
直後、駆け出すとすぐ脇へと刀身から降り落ちてきたマチェットを器用にキャッチして姿勢を低く滑るようにジグザグに距離を詰めてくる己刃に、黄泉路は自らの身体に振り落ちる凶器には目もくれずに迎撃の姿勢を取る。
右手にマチェット、左手には取り出した伸縮性のスタンバトンという変則にも過ぎる二刀流、掬い上げる様な軌道で逆袈裟にマチェットを振り上げ、回避したならばそこに身体がくるだろうという位置へとスタンバトンを置く様に叩きつける。
左右で扱いが全く異なる武器を当たり前の様に振り回す己刃の猛攻を、左手の籠手ひとつを防御に充てる形で捌ききる黄泉路の姿は素人から見れば優勢に見えるだろう。けれど黄泉路の表情が、決して十全に対処しきれてはいないという事を示していた。
「(やり、にくい!)」
口の中で文句とも愚痴とも悲鳴ともつかない不満を呟きながらも、黄泉路は絶えず自身の立ち位置を変え、牽制と本命を織り交ぜ、もはや隠し立てする必要もなくなったことで本来の戦法である“肉を切らせて骨を断つ”様な被弾覚悟の戦術で迎え撃つ。
「あはっ!」
それでもなお、己刃の顔からは笑顔が消えない。
戦いを楽しんでいる――のではないのだろう。その証拠に己刃の攻撃は黄泉路から見ても雑だと言わざるを得ない。戦いそのものを楽しむ気風にある者は総じて自身の強さなり技術なりを誇る傾向にあり、それらを一切蔑ろにしたような現在の立ち振る舞いは到底それらと同一視することは出来ない。
だが、それでも黄泉路が苦戦していると感じるのには理由があった。
「(武器も歩法もめちゃくちゃなのに、どうしてか当たらない……!)」
振り下ろされたマチェットの腹を殴りつけ姿勢を揺らし、空ぶったスタンバトンの下を掻い潜る様に更に距離を詰めた黄泉路の拳が己刃の胴体へと向かう。
己刃は弾かれ、振り抜いた慣性をそのまま利用して右足のみを残す形で左方向へと倒れ込み、黄泉路の拳が脇腹を掠めると同時に左足を踏み出して自身を支えながら足払いを繰り出してくる。
身体の動きも武器の振り方も滅茶苦茶の一言に尽きる己刃に対して、黄泉路はどうしても攻めきれない。
左右で重さも違えば長さも違う武器を全力で振り回している己刃の重心は言ってしまえばブレにブレている。だが、それでもなお姿勢を大きく崩さず――否、崩した所から派生して器用に攻撃の一手に変換してくる様は、実直に一手一手をかみ合わせる黄泉路のそれとは対照的な、ともすれば野生の獣ですらもう少しマシな定石があるとすら思える程に異様であった。
言ってしまえば、己刃の戦法とは子供ががむしゃらに振り回しているだけの様なもの。唯一にして最大の違いは、その一撃一撃が常に致命傷に繋がる座標に的確に置かれているということだ。
「あはっ、あははっ、あっはっはっはっはっはァ!」
けらけらと、自身の内の熱を吐き出す様に己刃は笑う。
ここまでの攻防からもわかる通り、行木己刃は戦闘のプロではない。
それどころか一見して初心者のような武器の扱いから、己刃は何らかの武術を習得しているということもない、身体的には正真正銘ただのゴロツキと大差ない一般的な18歳の青年であると黄泉路には分かってしまう。
では何故、筋力や体格はさておくとしても、瞬発力や判断力に置いてプロの戦闘職と比肩しうる存在と対等に渡り合えているのか。
それは己刃が殺人鬼だからだ。
殺人鬼は人を殺す。そこに見出すのは手段ではなく目的である。
快楽、支配欲、自己顕示欲、憤怒、嫌悪。様々な理由はあれど、殺人鬼が手段を選ぶ時があるとするならば、それは目的の為という優先順位の下に行われる厳然たる目的ありきの凶行となる。
言ってしまえば行木己刃にとって戦闘とは手段であり、殺すための手筋は更に下位の道のひとつでしかない。であるならば己刃が磨くべきは戦闘技術でも、立ち回りの妙でもない。そんなものは己刃のこだわりにとって何の役にも立たない回り道なのだから。
ある意味怠惰で、ある意味自身に対して真摯な己刃に必要だったのは、高い基礎能力を十全に使いこなす人体への理解度だった。
「やっぱその目が良いんだよなぁー! 死んでる癖に何が何でもって生きよーとするその目がさぁー!!」
ギラギラと、常に黄泉路に意識を向け続ける己刃の鋭い瞳が、黄泉路の吸い込まれそうな黒い瞳を捉えて離さない。
己刃の視界いっぱいに黄泉路の一挙手一投足が鮮烈に描き出され、人体の可動域を、道具の射程を、読み取れる思考の偏りを、縒り上げられたそれらが彼我の行動範囲として可視化され、己刃の身体を必然の場所へと導いて行く。
「(まるで先を見られてる様な、未来予知とは違うはずなのに――なんだ、これ……!)」
類稀なる観察眼と直感、そして本能的な生死の境を明確に嗅ぎ取る嗅覚。それらを遺憾なく発揮して襲い掛かってくる殺人鬼の在り方は、黄泉路は未知の生物と対峙するような錯覚さえ抱かせる。
自身が気おされていると理解している黄泉路はあえて素手の右でマチェットを握り、同時に刃を引かれた事で皮膚が裂けて骨まで達する程に切り裂かれるのも構わず、斬られる端から再生する肉体に任せてマチェットをひったくり脇へと投げ捨てながら、防御に回していた左拳で己刃の伸び切った右腕を狙う。
仕切り直しの為の一撃であり、それまでの攻防の中で得た経験から、黄泉路はこれが素直に通るとは思っていない。
案の定、己刃はスタンバトンで狙われている自らの腕を横合いから殴る事で強引に軌道上から逸らし、籠手による一撃が当たっていれば軽傷でも骨にひび程度は入れられたはずの一撃を軽い打撲程度にまで軽減されてしまう。
おまけに自身の腕を殴るという暴挙を、黄泉路とは違い不死身ならざる身で躊躇なく実行した衝撃で僅かに半歩距離が空くのをいいことに、己刃は退くと同時に地面に転がる武器を目もくれず蹴り上げて互いの視線の中へと投じ、
「くっ!?」
恐らく痛みと痺れでまだ機能していない右腕の代わりなのだろう、スタンバトンでもって野球の様に蹴り上げた武器を叩きつけて黄泉路への牽制に変える。
黄泉路は咄嗟に顔を逸らす事で元々投擲武器だっただろう歪曲した刃だけのような形状のそれを紙一重でかわす。
曲芸じみた己刃の行動に目を見開く黄泉路に、己刃は至極楽しそうに回復した右腕にスタンバトンを持ち替えて笑いかける。
「あははっ! 俺さ、今すげー楽しーよ。過去一、最高。だってこんなにもキラキラしてるんだ。もっともっと黄泉路の事が知りてー!」
「――ッ!」
転がった武器の中から、マインゴーシュと呼ばれる刺突に特化した短剣を拾い上げた己刃が手の内でくるりと回して逆手に持ち変え、最速を求める様な直線的な動きで再び近接戦闘を持ち掛けた事で再び至近距離での攻防が幕を上げる。
あまりにも無邪気。あまりにも純粋。まるで恋人の新しい一面を知ったデートの様な声の弾みようで言葉を吐き出す存在が、至極当然のように必殺を旨として襲い掛かってくる。その事実は対面する黄泉路の内心に冷たい風を吹き付ける。
「(さっきから、己刃は一体何を言ってるんだ――!)」
不死であるはずの黄泉路に怖気すら感じさせる行木己刃の殺人鬼としての根幹。それは、命の尊さへの探求心。
幼き日に社会倫理の一環として教え込まれる、現代社会人であれば誰しもが程度はあれど聞きかじるであろうお題目。
その尊厳を傷つけることに快楽を見出している――のではない。
ただ、己刃は興味があったのだ。
はじまりは些細なことだった。
目の前の両親は当たり前のように生きているが、果たして本当に生きているのだろうか。
――だから、殺してみた。
死というものを知らなかった己刃はただ、人殺しは悪い事だと、いけない事だと正しく理解したまま、興味のままに両親を殺害した。
そうして己刃が理解したのは、人は案外簡単に死ぬということ。
ならば生きるとは、同じように簡単な事なのだろうか。己刃には生きるという意味が解らなかった。
“簡単に死ぬのならば生きるのはどうしてなのだろう”
本来ならば、簡単に死ぬからこそ、生きている事を、生きて行く事を大切に思わなければならないのだが、己刃はその接続詞を間違えた。
決定的に、間違え続けて踏み外してしまった。
初めての殺人を犯した後、己刃が抱いたのは両親を殺めたという悔恨でも、しがらみから外れた解放感でも、ましてや血に酔う様な快楽でもない。後始末の面倒臭さだった。
死体を押し入れに隠し、何食わぬ顔で学校へと赴き授業を受け、帰宅した後に己刃は考えた。
どうにか処理する方法を見つけよう。――そうして、己刃は孤独同盟に名を連ねる後処理屋と巡り合う。
一通りの事後処理が内々に済んだ後、己刃は後処理屋を介して自ら闇の世界へと足を踏み入れた。
表で人を殺すのは手間がかかりすぎる。ならば裏の人間なら後始末が楽になるのではないか。その程度の考えで、行木己刃は殺人鬼としての才能を花開かせた。
そうして闇に身を浸し、生という概念を問いかけては解答を得られない日々の中、己刃はある程度の成果を得た。
すなわち、生きることとは、死ねないということ。
言葉遊びではなく、生きる為には死なない事が大前提であり、何が何でも生きようとしている人間は確かな芯を持っていた。
己刃はそれを生きていると、おぼろげながら理解し、翻り自分はどうなのだろうと立ち竦み、自身がそうやって生きるにはもっともっと知らねばならないと、探究心豊富に決意するに至る。
純粋な好奇心。それこそが、行木己刃という殺人鬼の原典であった。
「あっはァッ!」
呼気と哄笑が混ざり合ったような裂帛と共に、黄泉路の視界の端でスタンバトンが手放され、ポケットから取り出された自動拳銃が顔を出し――
「か――ッ」
左目を狙うように吐き出された銃弾から身を庇う、左手の籠手が作る死角の一瞬を突いてマインゴーシュが黄泉路の右眼球を深々と抉る。
弾丸が丸みを帯びた金属の表面を滑る音に遅れて脳髄に直接届くひやりとした感触が黄泉路の中身を乱すが、それでもなお当たり前のように動く黄泉路の蹴りが己刃の腹に突き刺さり、
「がはっ……! ――殺せない! 死なない! 死んでない!! すっげー!!! すっげー!!!!」
武器が散乱する地面を転がり、それによってコートの端々から血を滲ませながらも飛び起きるように上半身を起こした己刃の称賛する声が響く。
突き刺さったままのマインゴーシュを抜き取って後方へと投げ捨てれば、異物が消えた途端に右目が脳と共に再生されるのを感覚的に理解し、黄泉路は追撃を重ねる為に走り出す。
立ち上がるまでの猶予を作るのが目的の牽制射撃を避ける事無く突っ走る黄泉路の四肢に弾丸が食い込むが、その程度で止まる黄泉路ではないのは互いに承知のこと。
「あっはっはっはっはっ! まーじかー!! やっべー!! ――っと!」
「っ」
自動拳銃に一度に装填できる10発を撃ち尽くした己刃は躊躇なく黄泉路の顔目掛けて拳銃そのものを投擲して目くらましにすると同時に、立ち上がる際に拾ったグレイブ――ヨーロッパ圏において使われた片刃の刀剣が括りつけられている様な形状の槍のことだ――を駆け込んでくる黄泉路の足元目掛けて薙ぐ。
小さく跳ぶ事で回避した黄泉路の滞空時間、速度も向きも制御できない空中に黄泉路を追いやった己刃は、両手で握り込んだグレイブを自身の身体ごと回転させるように振るう。
短めに握る事で着弾を速めた槍の穂先が、身を捻る事で作り出された半円状の最小限の回転によって作り出された助走によって黄泉路のガードを貫いて踏ん張りの利かない空中から弾き飛ばす様に炸裂する。
辛うじて刃そのものに宛がうことに成功した籠手も刃の形に僅かにへこんでいることから、直撃していれば胴体を深く裂かれていた事がよくわかる一撃だった。
武器だらけの地面を転げる黄泉路は側転の要領で空中で身を捻りながら手をついて衝撃を和らげて着地する。
「……」
「あはっ。その目、俺は好きだぜ」
長柄の武器によって作り出された一方的な攻撃範囲の差に警戒して足を止めた黄泉路に、己刃はグレイブを肩に担ぐように置きながらぺろりと唇の端に浮いた血を舐めながら笑う。
所々傷が目立つようになったものの、それでも持久戦を続けていれば黄泉路が勝つだろう。
にも拘らず、余裕というよりは、今を全力で楽しんでいる風ですらある己刃に、何か言葉を返すべきだろうかと黄泉路が躊躇している時だ。
――カタカタカタカタ……。
地面に転がる武器が震え、そして。
ジリリリリリリリリリリリ!!!
ゴングではない。大音量の警報があたりに響き渡った。