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8-31 Ex match

 地下深くに蟠る闇が再び蠢く様に、何も知らない観客を引き留めながら舞台は急速に整えられていった。


「……アンタも災難だな」

「えっ?」


 選手が最後に控える舞台袖、壁に掛けられた様々な武具の中から、やはり手になじんだ籠手を選んだ黄泉路にそう声をかけるのは、黄泉路の入場を補佐していた作業員の男だ。

 今までの様な業務用の言葉遣いではない――恐らくは地の言葉に、一瞬黄泉路は誰がしゃべったのかと驚く。

 マスク越しに僅かに目を見開いて黄泉路が振り向けば、作業員の男は仄かに苦笑するような空気を纏って口を開いた。


「いやさ。俺、この仕事を始めてから暫く経つから、色んな奴を見てきた」

「……」

「外でやんちゃしてた頃の癖が抜けなくてイキったまま殺されちまう奴。逆に外で許されないと思ってたからこそ箍が外れちまう奴。なんかの事情で無理やり出場させられてあっけなく殺されちまう奴に、逆に何回かは生き残って姿を見なくなった奴とか。まぁ、色々だ」


 つらつらと、貯水槽から水が零れだす様に吐き出される男の言葉に、黄泉路は僅かに首を傾げながらも無言で耳を傾ける。

 試合まで、まだ少し時間がある。それが互いに分かっているからか、これから殺し合いに出向く、送り出すという間柄にも関わらず、どこか緩やかな空気が流れていた。


「その点、アンタは他とはちょっと違う様に感じてた。なんていうか、こう、立ち振る舞いが落ち着いてたし、見ててホッとした。ああ、こいつは生きて帰るだろうなって」

「死ぬかもしれない場所に人を見送るのは辛いですよね」

「まぁな。その場限りの間柄だって、顔見て動いてるのを間近で見ちまったら、やっぱり思う所はある。だから、安心して見ていられると思わせてくれたアンタは、俺、結構推してたんだぜ?」

「それは――」


 ありがとうございます。そう言って良いものかと言葉を詰めた黄泉路に、男は首を振る。


「あー。やめやめ。くそ。何で話しかけてんだろうな。……そろそろ試合だ」

「ですね。行ってきます(・・・・・・)

「……がんばれよ」


 ぎぎっ……。

 錆とは違う重厚な金属が地面を滑る音と共に、室内の照明を上回る光量に照らされた舞台が視界いっぱいに広がる中、背中に受けた控えめな、それでいて虚飾のない応援を背に受けた黄泉路は再び闘技場へと足を踏み入れた。


 ――ワァアアアァアアアァ!


 同時に鳴り響くのは万雷の喝采。本来は予定にない追加試合。この闘技場の仕組みを薄々と理解している常連からすれば異例なことであり、比較的新規に入ってきた客にとっては思いがけないサプライズとして饗された、今日一番会場を沸かせて初出場にして優勝を浚っていった少年を歓迎する熱気が音という振動として会場を揺らす。

 そこには上流階級らしく澄ました顔で座るも、その内心の期待が態度の端に滲んでいる者から、恐らくは二世か成り上がりか、若くしてその場にいるという自負も相まって熱狂に身を任せ声を大にしている者など様々だ。

 しかし、黄泉路が登場した対面の扉が開くと、その騒がしさも自然と波が引く様に鎮まって行く。


「よっ。おまたせーって言いたいとこなんだけど、もーちょっと待ってなー」

「――」


 青年の薄桃色をした髪が照明に照らされて露わになると、黄泉路は同時に視界に入ってきたものに出かかっていた言葉を詰まらせる。

 相も変わらず、鋭い目つきが霞むような屈託ない表情の己刃が両腕で抱える様に持ち込んだそれは――無数の武器。

 鞘に収まった西洋剣の様な見栄えのする武器をはじめ、レイピアと呼ばれる刺突に特化した細身の直剣やショテルのような刀身が大きく半円を描く曲刀のようなものまで、それこそ古今東西の様々な武器の歴史を見るかのような様々な凶器を荷運びの様に会場へと運び込めば、それで終わりではないとばかりにさっと踵を返して控室へと戻って行く。

 会場の誰もが呆然とその後姿を眺めていれば、程なくして再びガチャガチャと音を響かせながら戻ってくる己刃の両腕にはやはり同じように無数の武器が抱えられていた。


「――よい……しょ、っと」


 都合3度。往復を繰り返して運び込んだことで己刃の立つ周囲には凶器が所狭しと転がり、さながら合戦跡の様であった。

 パンパンと、埃を払う様な仕草で手を叩った己刃が楽し気に笑って会場へと手を振る。


「おまたせー! いつでもはじめてどーぞー?」


 武器の持ち込み制限がないとはいえ、これほどまでに武器を持ち込んだのは闘技場始まって以来であろう。加えて己刃はこれまで基本的には自信で持ち込む武器などは数少なく、大抵は相手が持ち込んだ使い慣れていない玩具(・・・・・・・・・・)を奪って使用していた事もあり、この光景は二重の意味で異様であった。

 しかし、司会の男は既にトップからの通達もあったことで抱いていたある種のプライドに従いマイクをオンにする。


『さぁ、さぁ皆様! これより始まりますは世紀の一戦! まずご紹介しますはこれでもかと武器を敷き詰め、その中央で余裕の笑みを湛える我らが処刑人! 闘技場始まって以来の問題児にして戦争の寵児! 行木ぃ――己刃ァ!!!!』


 驚くことに、己刃はリングネームなどを用いずに出場していたらしい――とはいえ、さすがに偽名なのだろうが――と黄泉路が内心目を瞠っていれば、喝采鳴りやまぬ会場の音を引き裂く様に、続けて司会の声が黄泉路の方へと向く。


『対するは闘技場に流星の如く現れて優勝を掴んだこの少年! 決勝では代名詞のマスクが一部剥がれ、隠されたベイビーフェイスに会場中のご婦人が目を奪われたのは記憶に新しいことでしょう! 舞い踊る貴公子――ブルーマスクゥ!!!』


 今度こそ遮るものもない大歓声が会場を揺らし、振動で己刃の周囲に転がる武器がかたかたと小さく音を立てる。

 両者の意識は既に相手へとセットされ、会場の雑音など耳に届いていないかのようなしんとした雰囲気が互いの間に横たわる。

 黄泉路は己刃の瞳に宿る剣呑な光に、己刃は黄泉路の瞳の奥の底知れない沼の様な黒さに、互いに引き込まれるように戦意を練り上げて行く。

 必要だと判断された司会の合図のみを待つように、意図的に音を掻き消した両者の世界に――


『サプライズで組まれました正真正銘本日の最終戦、時間無制限、能力武器制限無し、ギブアップなしのエクストラマッチ、これより試合開始です!!』


 甲高いゴングの音が響く。だが……


「なー黄泉路」

「……?」

「俺さ。ひとつ、確かめたい事があるんだよ」


 両者は動かず、重心も変わらず世間話の様に話す声が、試合開始の喝采の中に紛れて溶ける。

 観客がふたりを不審に思うよりも僅かに早く、地面に転がる武器群を拾うでもなく、何の気なしという雰囲気で黄泉路へと歩み寄る己刃に観客の声がどよめきに変わる。

 歩み寄る姿はともすれば隙だらけで、試合開始は既に開始しているにも関わらず、黄泉路は己刃の戦闘ではない、生態としての間合いを掴み損ね、


「何?」


 ついには目前、手を伸ばせば触れ合えてしまう程の距離で立ち止まった己刃の、覗き込む様な瞳を見上げた黄泉路に、己刃は不思議そうな顔をしたまま首を傾げ、口を開く。


「いやさ……」



 ――どーして(・・・・)死んでねーの?(・・・・・・・)



「え――?」


 ざりっ。


 間の抜けた声と、滑り気の有る濁った気泡の様な音が黄泉路の口から洩れる。

 同時に、自身の耳元――そのすぐ傍から聞こえた生々しい音に黄泉路の思考が一瞬空転し、


「――ッ!!!」


 首からあふれ出す温い液体を抑える様に即座に首に手を宛がいながら蹴りを繰り出せば、早々に間合いの外へと身を引いていた己刃の目の前の空を切る。


「うおっとー。あっぶねー。っつかやっぱ死なねーのなー、あっはっはっ!」


 眼前を通り抜けた鋭い蹴り、それすらも笑い話の様にけらけらと、いつの間にか右手に握られていたバタフライナイフをくるりと回して血を払いながら、更に数歩ステップを踏んで後方へと下がって行く。

 黄泉路は遅れて跳ねる様に動く心臓の動悸を落ち着ける事も出来ず、首元からだくだくと流れ出して高いだろう衣装を黒く濡らして行く血液と共に冷や汗がつうっと下って行くのを感じながらも、思考は今の一瞬で何が起きたのかを分析していた。


「(あまりにも自然すぎて、切られるまで分からなかった……!)」


 黄泉路は事の一部始終を正確に認識し、視界に収めていた。

 それは己刃が先ほどまでとは違う、小型の武器を仕込むにはもってこいな真っ黒のコートを羽織っていたことも。

 コートに片手を突っ込んで、当然の様に何かを握っているだろうことも。

 その上で間合いに踏み込み、語り掛けながら手に持ったナイフで黄泉路の頸動脈を躊躇なく引き切ったことも。

 すべて、全て、黄泉路は戦闘に際し研ぎ澄ました五感でもって把握していた。


 ――けれど、その一切をすり抜けて、対応をさせる気すら起こさず、己刃は黄泉路を(・・・・・・・)殺して見せた(・・・・・・)


「(なんの能力だ!? 認識阻害? 気配遮断? 違う、どれもしっくりこない、これは――)」

「ビビったーって顔してるぜ? あはっ。俺別に何も変なことはしてねーのにな」

「そ、うだ。変じゃない……むしろ、自然すぎる(・・・・・)


 あまりにも自然。今こうして、武器の川を跨いで対面から語り掛けてくる己刃をしても、あまりにも自然体。

 逆に浮き立つような異様な自然体こそが、黄泉路が己刃の試合を初めてみた時から感じていた違和感の元凶だった。


「まさか、己刃は……人を傷つけることに、殺す事に……何も感じてないって言うのか?」

「あっはっはっ。まさかー。俺だって思う所はあるぜー? こーやったら(・・・・・・)死ぬかな?(・・・・・) とかさ」

「っ!?」


 異常を異常と感じられない。それはおそらく、戦いに身を置く者だからこそ感じ得る危機感。

 全身の毛が逆立つのを感じつつ、黄泉路は己刃の言葉が嘘偽りない本心である事を理解し、血の止まった首筋から手を離す。


「――己刃」

「なーにー?」

「さっきの質問に答えるよ。僕は」


 黄泉路が駆けだす。その足元を――否、全身から朱い塵が吹き上がり、砂塵の如くその身を一瞬だけ隠し、


死ねないんだよ(・・・・・・・)!」

()――はァっ(・・・)!」


 武器の川を蹴り飛ばし巻き上げ、一瞬にして眼前にまで到達し拳を繰り出す黄泉路に応じる様に、口の端を吊り上げ、こらえきれない笑みを音にした己刃が蹴り上げた刀を逆手に握り振り上げる。

 突き出した黄泉路の腕、籠手がぎりぎり庇いきれない箇所が剣閃と共にずるりと落ちる。だが、重力に曳かれて地に落ちるより先に腕は塵に飲まれて消え、失った腕の先に塵が集まり腕を形作って行く。

 一介の再生能力者ではありえない現象をさらけ出し、足元に転がる武器に落下した籠手がぶつかる硬質な音が響く中でさらに踏み込もうとする黄泉路に対し、己刃は手にしていた刀を威嚇する様にくるりと回して持ち替えて打ちかかる。


「すげー、すげーよ黄泉路! 俺不死身なんて初めて見た! もっと、もっと見せてくれよ!」

「ッ」

「俺に――命の輝きって奴を教えてくれよ!!」


 死を超越した黄泉路ですら背筋を凍らせる程の、不純物が削ぎ落された純然たる殺意を漲らせた己刃の声と、打ちかかった刀が黄泉路の左腕の籠手と正面からぶつかって弾ける音が重なった。

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