8-28 決勝戦2
対戦相手の少年が捕獲を警戒する立ち回りをしている事に気づいた葉佩であったが、多少の被弾を恐れず捕まえに行く姿勢を見せた途端に少年の立ち回りが殊更慎重になったのを見て内心で舌を打っていた。
幸い、少年の態度から察して葉佩の内心にまでは達していないようではあるが、それにしても疲れを一切感じさせない相手との無限に続くとも思える様な乱打戦は骨が折れる。
「(実戦でないのが幸い――いや、殺意がないのが幸いというべきか)」
これが実際の戦場であれば心が先に折られていただろうと葉佩は疲労が積み上がりつつある自身のコンディションを冷静に把握しながら、一度仕切り直す様に距離を開けた少年を観察する。
「(身体強化系統の能力であるのは間違いない。だが、なんだ……? あそこまで疲労が少ないのは異常だ。間違いなく隠しているな)」
身のこなしから実戦に――対能力者戦闘に対して他の出場者とは隔絶した知見と技量を持つことは映像越しでも理解していた葉佩である。実際に対面してその想定が正しかった事を噛み締めると共に、改めてこの場がただの娯楽である幸運に感謝を抱いていた。
葉佩は自らの出場経緯からして、対面の少年も恐らくは何処其処の別組織の存在であろうと、終夜の持つ技術を買う為の契約条件として出場しているのだと、当たらずとも遠からずといった推察していた。
であれば、互いに娯楽の為という表向きの理由など信用するはずもないことを葉佩はよく理解している。この場は実験場であり、データ採取のためのモルモットに志願した外部の能力者が、そうやすやすと自身のすべてのデータを売り渡す等とは考えるだけで愚かしい。
事実、黄泉路は自身の能力の中でも広く知れ渡っている再生すらも、準決勝の場で目敏い物が見抜ける程度にしか発揮しておらず、葉佩すらも能力の本質を見誤っている事からもその推察は的を射ていた。
互いに様子見、その中で葉佩は優先順位をどうつけるかに思考を傾ける。
「(勝利しただけ提供する品を増やす契約だが、戦闘回数を増やしてデータを採る機会を増やすのが目的だろう。……優勝賞品とやらは惜しいが)」
互いに攻めあぐね――という体を取り繕った情報整理を行う葉佩はこの対戦相手とこれ以上戦う事へのリスクとメリットを描き出す。
リスクとはそのまま、黄泉路に体力を削り切られて順当に負け、対戦相手からは何も得られずに骨折り損をすること。現状ではその気はない様子だが、気が変われば殺される事も有り得る為に危険度は相応といった所だろう。
対してメリットとは、いずれ敵対するかもしれない相手を安全な条件で見極めることが出来るという点。能力者戦闘に置いて相手の能力を1でも知っているのと知らないのでは生存率に多大な影響を及ぼす。
――葉佩宗平は傭兵である。
傭兵とはすなわち、数多の戦場、数多の人間を相手に生き残ることに特化している兵士だ。今の雇い主の関係がいつまで続くのか、もしくは雇い主がこれから先目の前の少年と敵対しない保証はあるのか。そのような曖昧な物よりも、いずれ戦う可能性を考慮して身の安全が多少なりとも保証されている遊戯の中で相手を暴き出す方に利があると葉佩は結論付ける。
「ならば此方から仕掛けるとしよう」
「っ」
戦場では驕りにしかならない攻撃の宣言をするのは、葉佩の目的が黄泉路を倒す事ではなく、黄泉路の能力を暴き出して自然に降参するため。
傍目に見ればエンターテイメント性を考慮したとも取れ、司会や仕事相手にも悪い事ではない。
一声かけると共に、立ち止まって呼吸を正した事である程度回復した肉体を駆動させる。
葉佩の能力は身体強化系ではない――だが、それに近しい効果を得ることは可能だ。
本来ならば集団戦でこそ輝くその能力を自身に向けて発動させた葉佩の身のこなしは熟練、それ以上の機械的とも言える正確性を以って黄泉路との間合いを瞬時にして詰めると、握った拳を貫手の要領で鳩尾目掛けて捻り入れる。
「動きが――!」
「それだけ本気という事だ」
互いに手を抜いている、それは両者における共通認識だろうことまで踏まえ、本腰を入れて攻め込んだ葉佩に黄泉路は一瞬躊躇するように動きが鈍る。
「(やはりか)」
「くっ」
それは能力者戦において、あくまでその場で仕留めることは余裕があればという様な、次を想定している際の迷いだ。能力者にとって自身の能力の詳細が外に広がる事はそのまま寿命を縮めることに等しい為、多くの能力者は自らの最大能力を発揮するか否かの意識的な境界を持っている。
その境界――判断基準はすなわち、能力を全力で揮う時に相手を殺し切れるか否かだ。
普段の黄泉路であれば、制限なく能力を使用してでも葉佩を仕留めることは可能だっただろう。しかし、状況が違う。
本気は出せない。ならばどこまで出すのか。その段階的な判断を下すには、黄泉路の場数は葉佩のそれに劣っていた。
故に葉佩はバレても構わない範囲での全力で――それまでの動きを緩とするならば急でもって、黄泉路へと強襲をかけたのだ。
「(地力は高く、能力も底が知れない。だが、それだけだ)」
葉佩からすれば黄泉路の立ち振る舞いはバランスに欠くものと言えた。この場で暴ききるには難しいだろう能力、それを扱うだけの土台がありながら、状況に応じた咄嗟の判断を下すだけの経験が不足している。
経験に勝る葉佩だからこそわかる黄泉路の欠点に滑り込み、牽制として放つ全力には程遠いだろう、けれど当たれば負傷は必至の反撃をあえて受ける。
自身の骨がみしりと音を立てるのを意図的に無視し、葉佩は自身の身体に命じる。
「(優先目標、対象の拘束無力化。損害の許容値を修正。行動継続)」
先にもまして鋭く、そして自身の負傷を度外視した猛攻により、先ほどまでの攻守が完全に逆転する。
寸分も狂いなく、まるで黄泉路の動きに合わせるが如く突き入れられる拳は隙あらば捕えようと開かれ、その動きのためらいの無さに黄泉路は慎重な防戦を余儀なくされてしまう。
……とはいえ、黄泉路とてただ攻められるばかりではない。
「(ペースは持っていかれたままだし、相手の能力もわからない。けどこの動きは本当に生身で出来る物……?)」
受け手に回っていようと思考は続けられる。身体能力にブーストをかけている黄泉路の方があらゆる身のこなしの素早さ、力強さにおいては上を行っており、その余裕を思考に当てることが出来るからだ。
如何に相手がスペックの許す限りの性能を遺憾無く発揮できるからと言って、元の性能に開きがあればその差はどうしようもない。
図らずも、自身が今まで苦労してきた身体的なスペック差による優位を感じつつも黄泉路は葉佩の能力がその身のこなしにあるのではないかと思いつき、折角互いに殺し合う気がないのならばと相手の攻め手に殺意がないのを良い事に少しばかり踏み込んだ手を使うことに決める。
「しっ!」
「――!」
黄泉路が行ったそれは奇しくも、葉佩が実行する防御をある程度捨てるという戦略の上位互換。
すなわち、一切の防御行動を切り捨てたクロスカウンター。
170cmにも届かぬ幼さの抜けきらない少年と、180cmを優に超える逞しい身体を持つ傭兵の拳が交錯する。
呼吸が、空気が停止し凍て付く様な瞬間的な殺気が駆け抜け――
◆◇◆
VIP用の観客席の箱の中、始まった当初こそ浮足立っていた月浦当主とその跡取りは決勝戦と銘打たれた殴り合いを観戦しながらも、その高い技術には感心しつつも内心では物足りないという欲を抱いていた。
さしもの大企業のトップとその跡取りと言えど、能力者などという埒外の人材がこうも揃い踏みし、それらが自身の身に宿した神秘を全開にしてしのぎを削り合う様は平常心では見ていられなかったのだ。
そんな、押し隠しても余りある興奮をすぐ傍で手ごたえとして感じた終夜司は最終戦の様子にこそ目を光らせて注視していた。
何せ片方は飛び入りとはいえ恐らくは生粋の能力者同士の戦いである。何らかの能力を使用しての立ち合いだろうと推察するに容易い高度かつ高速の乱打戦に時折目が追い付かないのも承知で食い入るように見つめていれば、室内に踏み込んできた使用人が斜め後ろに控える。
その仕草は司に対して内密の話があるという時の合図であり、司は惜しむ気持ちを一旦隠して何事もないという風に使用人が耳打ちしやすいように姿勢を変える。
「御観覧の所失礼いたします。取り急ぎお伝えしたい事があると闘技場管理職員からの言伝がございます」
「聞こう」
「何でも、特別雇用枠が我儘を言い出して止めようがないと……」
特別雇用枠。その単語を聞き、資料に読んだ社会不適合者の事を思い出して司は思わず眉を顰める。
「何と言っている?」
「それが……少年の方のゲストと試合をやらせろ、と」
何がそこまで琴線に触れたのか。それを推察するよりも早く、会場の歓声が思考を一瞬吹き飛ばす。
と、同時に――
「――ッ!」
娘の息を呑む様な声に思わず司が其方へと目を向ける。
口元を隠す様に手を宛てつつも、視線は試合が行われている闘技場、その上部に取り付けられた特大のモニターに向いている事で、司も其方へと目を向け、娘がどうしてそこまで取り乱しているかの理由を知る。
そこには、クロスカウンターの際に僅かに内側に踏み込んでいた黄泉路の拳が葉佩の顎を捉えて吹き飛ばしたであろう光景と、代償として仮面を砕かれて片目のみを隠す様な歪な仮面をはめた少年の顔が映し出されていた。
唯陽がとうとう少年の正体を察してしまった。その事実はすぐに唯陽の睨む様な目つきによって司に突き刺さる。
それを見てしまえば、先ほどまで特別雇用枠の我儘を利用して黄泉路のテストを続行するかと悩んでいた事など吹っ切れてしまう。
「唯陽さん、どうかしましたか?」
「あ……。いえ、すみません、私もすこしあてられてしまったようで、お父様、すこし席を外してもよろしいでしょうか」
「構わん。少し安静にしてくると良い。……そういうわけですので、娘は席を外させる事にします」
何事かと声をかける瑛士の存在に慌てて自身が今居る場所を思い出した唯陽は取り繕って僅かに悪くなった顔色のまま微笑みを作る。
社交界ではそうした表情の機微を作る事は当然の芸当である。司も娘の内心とボロが出かかっている現状を鑑みて許可を出せば、唯陽はそそくさと観戦席を出ていく。
退出際、試合終了のゴングとアナウンスで黄泉路が勝利した事を理解した唯陽は安堵を抱くのも束の間、部屋から自身の姿が見えなくなるなり足早に歩きだす。
向かう先は分からなくとも、手近にいた使用人から聞きだせば事足りる。自身の中に渦巻く混乱に任せ、唯陽の足は闘技場の裏へと向かって行く。
「(黄路さん――いえ、黄泉路さん……)」
会いに行かなければ。その決意だけが纏まり切らない思考の中で燦然と輝き、唯陽の足取りを確かな物へと変えていた。