8-27 決勝戦
カガリ達が未だ地下迷宮が如き研究施設をさ迷い歩いている頃。黄泉路はもはや気にならなくなってしまった衆目環境の直中で手を開いては閉じ、籠手の調子を確かめていた。
既に他すべての試合が終わり、一度も負けていないのはふたりのゲストのみ――ゲスト同士のトーナメント決勝戦を前に、観客たちも予想の付かない勝敗に期待を高まらせてその時を待っている様であった。
やがて、黄泉路と対する扉から対戦相手が姿を現すと、ワンマンアーミーとあだ名された男――葉佩宗平は事務的な所作で所定の位置につく。
じっと相手を観察していた黄泉路は軍用ゴーグルに隠された視線が自身を観察しているのを肌で感じ、互いに闘技場の戦いでは感じた事のない、ある種の神経をひりつかせる緊張が胃の奥から競り上がってくるのを自覚する。
『さぁさぁさぁさぁ! 皆様お待ちかね!! これより始まりますは能力者バトルトーナメント最終戦! 応援する選手が勝っても負けても喝采を! 今宵始まる伝説の幕あけでございます!』
既に音のない熱狂と化した観客席へと起爆剤の如く響かせる司会の声に呼応するように、観客の喝采が会場を包み込む。
互いにトーナメントを勝ち上がってきた者同士、それもお互い危うげなく、ともすれば淡々と勝ち上がってきた者同士。加えてゲストであることもあり、その正体や経歴、能力の種も謎のふたりの対戦となれば、どちらが勝つかという純粋な興味で観客を沸かせるのも必然であった。
『まずは皆さんもご存じ。華奢な体躯と侮るなかれ、しなやかでパワフルな立ち回りによって数々の猛者を制し今大会を大きく盛り上げた蒼の貴公子! 身体強化系統の能力を保有しているのではないかと噂されるもその実態は依然謎に包まれたままのミステリアスボーイ、ブルーマスクだぁああ!!!』
再び喝采が、それも以前にもまして比率の高まった黄色い声援が会場に響き渡る。だが当の黄泉路はそれに応じることもなく、むしろ会場の音を置き去りにしたような静けさで対面の葉佩を見据えていつでも動き出せるよう身体に意識を通わせていた。
準決勝までの試合であれば、多少なりパフォーマンスとして会場に目を向ける余裕もあった。けれど、この相手だけは違う。
「(――この人)」
喉の奥で小さく唾をのむ音が聞こえる様な錯覚。相対した時に感じた独特の緊張感に覚えのあった黄泉路は口の中で呟く。
この人は戦場を知っている、と。
ルールも作法もない殺し合いの場を幾度も乗り越えた者特有の重みのある圧に負けじと、黄泉路も同様に口元に笑みを貼り付ける。
すると、無表情に近かった葉佩の口元が僅かに動く。
『対するは激戦のトーナメントを己の技術のみで勝ち上がってきた古強者!! 迷彩装備は伊達じゃない! 巧みな格闘術と技術に裏打ちされたクレバーな戦法がいぶし銀なワンマンアーミーだぁああぁああ!!!』
司会の煽りと観客の怒号にも似た声援は葉佩の呟いたであろう声をあっけなくかき消す。
何を言ったかは黄泉路には聞き取れず、また、葉佩も黄泉路同様自身に向けた言葉だったのだろう、改めて何を言うでもなく重心を低く落として構えをとった。
『既に両者臨戦態勢、相手を決して侮れないというプロのプレイヤー同士の静かな攻防が始まっております! 泣いても笑っても最終戦!! それでは試合――開始ぃいいいいい!!!!』
――カァン!
乾いた音が舞い、音としての意味しかなさない、言語ではなく感情として排出された声援が後追いでゴングの音を飲み込んで聴覚を支配する。
真っ先に動いたのは黄泉路だ。
地を駆ける姿勢は低く、下手をすれば四足歩行にも見える様な地面擦れ擦れに身体を倒した全力の加速の背後を、照明にきらりと反射して散る紅い塵が尾を引く。
接敵する直前、黄泉路はぐりんと姿勢を起こして重心を意図的に崩し、一瞬の失速と共に人体の構造を無視した踏み込みと重心制御による跳躍によって一気に葉佩の頭上へと跳ね上がり、
「はあっ!」
「――!?」
空中で腰がねじ切れるかと思う程に身を捩りつつ蹴りを放てば、側頭部へと抉り込む様に向かう黄泉路の足と自身の頭部の間に腕を挟み、その腕をさらに片手で支える葉佩は受けに使う腕を傾けて配置する事で蹴りを受け流す。
瞬時に的確な――恐らくは現状における人間としての最高峰とも言える模範解答だ――防御に黄泉路は目を瞠りながらも、蹴り抜いた反動を利用して駒の様に空中捻りをして葉佩の脇へと着地すれば、間髪入れずに足払いを狙う。
突進からの跳躍で放った側頭部への蹴りと、即座に狙った足払い、どちらも相手の意表を突き、受けや反撃が難しい状況を相手に強いる狙いで放たれたそれは、黄泉路の葉佩への警戒心の表れであった。
「ふんっ!」
「っ、っと!」
葉佩は足払いを飛び越えることで距離を変えず反撃に転じようとするが、その動きを想定していた黄泉路は残していた軸足に赤い塵を纏うと一足飛びで葉佩の徒手空拳が届く距離の数歩ほど後ろへと距離を空ける。
と同時に、葉佩が次のアクションを起こす、その予兆を潰す様に再び黄泉路が距離を詰めれば、葉佩の無表情が僅かに揺れた。
「む」
「(何もさせない、これが最善手――!)」
常に先手を取り続け、無尽蔵の体力に任せて葉佩の手が伸びれば引き、葉佩が動きを見せるより早く次の攻め手を繰り出す。
こうも苛烈に、息もつかせぬとばかりに攻め立てているのには黄泉路のスタイルと、これまでの葉佩の対戦経緯が関係していた。
黄泉路が途中の対戦で早々に――厳密には違うとはいえ――身体強化系能力者だという推測が立てられる程度には能力を見せてしまっているのに対し、葉佩はこれまでの対戦で一度たりとも能力者らしい動きを見せてこなかった。
もしかすると廻の様に観測し辛い類の能力なのかもしれないと推測するも、廻であればもっと上手く動けたであろうと確信できる場面も幾度かあった。
その為黄泉路はこの場に至ってなお対戦相手である葉佩の能力を欠片も推測できず、ただ理解しているのは身体強化能力者や炎使いといった能力者を相手取っても不足なく、安定して勝ち上がる事が出来る経験に裏打ちされた技術があるということだけだ。
そして、その事実は黄泉路にとって非常に相性が悪い事を意味していた。
黄泉路の真骨頂である不死性、蒼塵モードまで含めれば疑似的な転移にも似て物理現象全てを拒絶できる絶対の無敵性。だがしかし、それはあくまで守りに関しての事であり、黄泉路が攻撃すると言えば数年たった今を以ってなお、徒手空拳ないしその場にあった武器を使うという原始的で物理的な手段に限られている。
多少技術も上がり、修羅場を潜り抜けた事で磨きがかかったとはいえ元はといえばただの少年の矮躯である。平均男性と比べ圧倒的に屈強な葉佩と相対すれば、それは如実にリーチ不足や威力不足という現実が立ちはだかってくる。
自身の肉体の限界値を超える駆動で身体を壊しながら即時に回復を繰り返す事で少年としての器以上の出力を出しているとはいえ、手足の長さや技術の拙さは如何ともしがたい。
加えて先にも触れたように黄泉路は未だ葉佩を能力者として警戒している。能力者でなければ出られない闘技場に自身の他にゲストとして――恐らくは黄泉路よりも先に正規ルートでだ――参加している男が、能力者でないわけがない。
無能力者と想定して虚を突かれるよりは最悪を見積もっての思考でそう結論付けた黄泉路が、まだ見ぬ能力を警戒するのは当然と言えた。
ではどうすれば葉佩との戦いを有利に運べるか、否。葉佩を相手に不利を補って立ち会えるか。
答えは黄泉路が実践し続けている通り、相手に何もさせず、相手に触れさせない。
徹底的に相手からの接触を拒み、相手の予兆を潰して自身の長所を押し付けて削り勝つ。
それが黄泉路に取れる唯一かつ盤石の作戦だった。
『これはぁあああああ!!! 目にもとまらぬ攻防だー!!! 早い、早すぎるブルーマスク!! もはやその姿は陽炎の様に揺らいで見えます! これにはワンマンアーミーも防戦一方だ―!!!!』
あまりの速さに実況をさしはさむ余地のない司会が観衆の声を代弁する様に吠えれば、客席からは驚きと称賛、畏怖にも似た歓声が立ち上る。
鳴りやまない歓声と実況などまるで耳に入れる余裕もない両者の攻防、戦いに疎い観客や司会には黄泉路が圧倒的有利で攻め続けている様に見えるが、実質的には綱渡りだという認識で黄泉路は常に細心の注意を払って動いていた。
黄泉路は既に回復力によるゴリ押しという能力の一部を見せているが、だからといって蒼塵モードまで見せるつもりはない。となれば必然、身体能力だけでなんとかしなければならず、葉佩が最初の戦闘で身体強化能力者との戦いにおいて見せた絞め技というレパートリーを黄泉路は警戒せざるを得ない。
――そのための慎重にも過ぎる一撃離脱戦法。
動きの多さで派手さが出る為観客は楽しんでいる様子だが、仕掛ける側も仕掛けられる側もたまったものではない。
掴まれれば寝技や絞め技に持ち込まれて無力化される可能性があるというだけで、黄泉路からすれば冷や汗ものなのだ。
「(やっぱり、露骨過ぎたか)」
「……もう終わりか?」
そうした高速戦闘が続くうち、その意図に気づいた葉佩の動きが明確に、ガードを緩めてでも黄泉路を捉えようという気配に寄ったため、葉佩から距離を置いて黄泉路は再び足を止める。
互いに有効射程から離れたが故か、捕獲をちらつかせる動きに手ごたえを得た為か、この場においてはじめて口を開いた葉佩が煽る様に言葉を投げかける。
「そうですね。どうしようかな、っと」
「……」
互いに探る様な視線が交錯する。
黄泉路はどうにか葉佩の能力を暴いてやろうと。葉佩は黄泉路の疲労を感じさせない態度を考察する様に。
静と動が入れ替わった闘技場は両者の動きに釣られたように静寂が満ち、しかし再び動き出すだろう両者から目を離すまいとその瞬間を待ちわびる無言無形の熱気が膨れ上がっていた。