8-25 白壁
第3・4回戦を安定して勝ち上がった黄泉路は、続く第5回戦が始まる闘技場の前にいた。
勝ち上がるにつれて試合数も少なく、展開もスピーディでありながら見ごたえのあるものが揃ってきており、黄泉路が事前に対戦の中継で確認した相手候補もそう多くない。
ここまでくるとゲストに対して情報を渡さないように仕組まれている大会の全容にもある程度想像がつき、黄泉路は最初の人数から換算してこれが準決勝であるとあたりを付けていた。
「そろそろ試合開始です」
「はい」
「ご武運を」
短いやり取りだが、この数回で慣れてしまったのかお互いの言葉に気負いはない。
最初は憐れむ様な感情が見え隠れしていた案内人の男も、これまでの危なげない試合内容から黄泉路に対して信頼の様なものを覗かせており、黄泉路はそれがなんだかくすぐったい様な、期待されている以上は応えてみたいというような心持ちを密かに抱く。
無論、依頼が最優先ではある。けれど、それ以外の部分では夜鷹に迷惑が掛からない程度には自由にできるのだから。
「(よし)」
数度程の使用で到底なれたとは言い切れない籠手の感触を確かめ、黄泉路は眩いスポットライトの下に身を晒す。
『さぁさぁやってまいりました!!! 皆様、もうご存知でしょう! 北側より現れるは蒼の貴公子、涼やかな衣装にあどけない体躯、その戦績は鮮やかの一言! 謎のゲスト、ブルーマスクの入場だああぁああぁぁああ!!!!』
――ワアアァァァァァ!
文字通り、喝采が割れる。
会場中の女性、それといくらかの男性の声援は黄泉路の勝利を願う者の声。純粋に娯楽として見ている者と黄泉路に賭けているが故の応援が入り混じった声援だ。
声援と相反する形で響くヤジの主たちは、主にこれまで黄泉路の対戦相手に賭けて大金をすり減らした者、または、スカした態度をとっている様にも見える少年が無様に敗北する姿を見たいという趣向を持つ者。
それらが入り混じり会場中が熱狂する中でも、マスクの奥にある黄泉路の視線は凪いだように対戦相手の登場を待っていた。
続けて、対面の扉が開く。
『さぁ、そんな快進撃を止める事が出来るのかー!? 蒼の貴公子に対するは黒! 今日も彼の世界は凍ったままなのか!! 前回から引き続きの優勝候補、白壁の登場だー!!!』
再び湧き上がる歓声。黄泉路に対するそれと勝るとも劣らない音量に出迎えられたのは、黄泉路よりも聊か年上――の様に見える――青年だった。
さらりと流れる襟足まである黒髪。輪郭からしてしゅっとした印象のある顔は、目元を色の深いサングラスで隠しているのみで、どこかで見た様なモデル顔を隠す気は更々ないとでもいうかの様で、身を包む黒のスーツは喪服のように見える物の、どちらかといえばビジネススーツに身を包むSPという方が近いだろう。
サングラス越しに、黄泉路は突き刺さる様な視線を感じた。
「お前が、例の」
「……?」
小さく呟かれた言葉、けれどそれは距離もあり、観衆の声に遮られている事もあって黄泉路の耳に届く事は無い。
両社が向かい合ったのを見計らった司会の声が響き――
『決勝へのキップを手に入れるのは、果たしてどちらだ!!! それでは試合……開始ぃ!!!』
ゴングと同時に駆け出す黄泉路と、その場に直立したまま手の平を黄泉路へと向けて翳す白壁の視線が交わり、
「“凍て付け”!」
「――ッ」
咄嗟に、黄泉路は踏み出そうとしていた軸足へと込める力の向きを変えて真横へと跳ぶ。
ピシリと世界に亀裂が走る様な音を、黄泉路は聞いた。
しばらく前にも聞いた覚えのあるその音に、背筋に冷たい物が奔るのを感じつつも黄泉路の足は止まらない。――否、止まれない。
『でたああああ!! 白壁の代名詞ォ!!! 一瞬にして作り出された白銀の世界を辛くも避けたブルーマスクはどう立ち回るのかぁあああ!?』
駆けまわる黄泉路の口元から白くなった息が漏れる。
踏みしめた靴の底がシャリシャリと音を立て、地面を覆う雪を踏み散らして足跡を残す。
「(この範囲の広さが厄介だ……!)」
森の奥、能力者達の隠れ里で交戦した銀冠の魔女の魔法を彷彿とさせる白壁の能力、当然ながら出力面では及ぶべくもないが、それでも極力能力を隠すという縛りの上であれば十分に脅威だ。
加えて魔女とは違い、広範囲を纏めて攻撃し続ける事が出来る盤面制圧力の高さは黄泉路のバトルスタイルとは非常に相性が悪い。
「(それに――)」
身体の向きを変えて手を翳す。それだけで吹雪が噴きつけてくる中を縫うように、片時も白壁から視線をそらさない様に駆けまわりながら黄泉路は思考を続ける。
これまでの対戦はすべて中継で見ていた。トーナメントという性質上、勝ち進む度に視聴する回数は減り質は上がる為、当然当たるであろう候補の考察を進めてきた黄泉路であったが、
「(トリガーが手を向けるだけっていうのが、こんなにやりづらいなんて)」
口元には不敵な余裕を貼り付けたまま、内心の渋面を押し隠して黄泉路は走る。
人工能力者は何らかの文言や動作に能力を紐付けている。今までの対戦経験や三肢鴉に纏められた情報からそう結論を出した黄泉路はトリガ―とも呼べる動作や文言を重点的に観察してきた。けれどベスト4まで勝ち上がった黄泉路を含む他3名に関しては、そうした特定動作をほとんど見つけられていない。
唯一判明している白壁にしても、本来ならば指向性を敵に見せてしまうという弱点を範囲の広さでカバーしてしまうのだから弱点というには聊か弱い。
現時点で直撃していないにも拘らず、黄泉路の身体は既に冷え切っているのが良い証拠だろう。これが普通の人間であればとうの昔に寒冷障害によって行動できなくなっていただろう。
恐らく、白壁も黄泉路の挙動に変化がない事に気づき、訝しんでいる。
もう暫く観察に徹して居たかったものの、これ以上膠着状態を長引かせるのはさすがに不味いと判断し、黄泉路は降り積もった雪を蹴り散らしてジグザグに距離を詰める。
『おおっとここでブルーマスク攻勢に出た!!』
実況が行動を喧伝してしまうのも、この戦場でのやり辛いところだと、物理的に冷え切った空気を裂く様に駆けながら黄泉路はすっと息を止める。
「(最速で懐に入る……!)」
呼吸や代謝に回していたリソースを、全て行動に。生と死を自在に行き来できる黄泉路だからこそできる、ただの再生能力者には決して出来ない身体能力の先鋭化。
降り積もった雪を蹴り散らし、吹き付ける白銀の帳の中でも目を見開いたまま――
「くっ!」
迫りくる黄泉路をサングラス越しに捉えていた白壁が初めて数歩飛び退きながら手を翳す。
遠距離からの面制圧を得意とする能力者である白壁はやはりといえばやはり、接近戦がそこまで得手ではないのだろう。
身のこなしからある程度は動けるのだろうと推測する黄泉路だが、だからと言って身体能力に特化し格闘術を用いる能力者と何の下駄も履かずにやり合えと言われれば黄泉路であっても拒否したいもの。その選択自体は妥当と言えた。
逃がすつもりもない黄泉路はさらに深く踏み込み、姿勢を前傾に落としてとうとう白壁をその間合いに捉えることに成功すると、下半身のバネを使い姿勢を起こしながらの拳を白壁の鳩尾へと向けて突き出す。
「こ、れは!」
白壁の驚嘆するような声と、咄嗟に引き戻された腕と空いていた腕、両の腕をクロスさせて黄泉路の拳をガードする音が混ざる。
ミシリと、人体が軋む音が籠手に痺れる様な感触として黄泉路に伝わる。
インパクトの際に後ろに飛んだらしい白壁が数瞬ふわりと浮き、ガードした姿勢のまま足元の雪に軌跡を残しながら数歩分の距離が開く。
逃げられては厄介と即座に追いすがる様に踏み出した黄泉路だったが、
「(――え)」
ふと、突き出したばかりの右手の動きに違和感を覚えて視線を向ける。
装飾が施された籠手、その表面は照明を乱反射する雪によって白く輝いていた。だが、
「(いつの間に凍って……!?)」
直前に突きを出した際には確かに凍えるほど冷えていた物の、籠手はおろか肘に達するまで氷に覆われてはいなかった。
思わず、接近しようという足が鈍ってしまった黄泉路を追撃する様な肌を撫でる兆候に、咄嗟に横へと跳ぶ。
直後、吹き抜けた吹雪に取り残された左足がぴしりと音を立てて固められるのを感触だけで理解しつつ、黄泉路は左足を庇う様に右足で跳ぶように走りながら思考を巡らせる。
「(今は――手を突き出してる。でも右手のこれはそれじゃ説明がつかない……)」
一撃入れられた事で箍が外れたか――もしくは、本気を出しても問題ないと判断したのか。
吹雪によって積雪を作り、凍て付く風で体温を奪う様な攻撃から直接的に部位を凍結させる攻撃へと移り変わった白壁の凍結能力は、黄泉路が見た所線だ。
「(基本は直線的に飛んできてるから、避けること自体は何とかなってるけど、種を割らないとこのままじゃ攻めきれない)」
現在飛んできている凍結の能力と、先ほど黄泉路の右腕を気づかぬうちに凍らせたそれは恐らく同一のもの。だとするならばそれ以前との差異は。または何か思い違いをしているのではないか。
黄泉路は回避に専念しながら思考を続ける。考える事をやめること、それはすなわち取り返しのつかない敗北につながるということを、黄泉路は嫌というほど知っていた。
持ちうる手札で何をすべきか。どう動くべきかを見極める。無尽蔵のスタミナだからこそ許される持久戦こそ黄泉路の得手とする戦術だ。
しかし、右腕左足という四肢の半分を凍らされた状況は十全とは言えず、直線で飛んでくる目に見えない凍結の力が徐々に黄泉路の身体を掠めるようになってくるにつれ、黄泉路はぴたりと足を止める。
「……もう、終わりか?」
油断なく、手を翳した状態で声をかけてきた白壁に、黄泉路はふるりと首を振る。
「いえ。もう仕方がないかな、と」
「何を……?」
意図が読めず、サングラス越しでもわかる様な怪訝とした顔をする白壁を前に、黄泉路は凍った右腕を振り上げ――
「よい――しょっ!」
「!?」
ビキッ!
膝下までを覆う様に凍り付いた左足の氷と、右腕の氷を強かに打ち合わせた。
氷にヒビが入り砕ける音と共に、恐らくは足の骨だろうものが軋む音が響く。
籠手という金属の武具を、何の遠慮も無しに叩きつけたのだから当然と言えば当然だが、観客はその加減のない鋭い拳と音に悲鳴を上げる。
「な、何をしている――!!」
思わずと言った具合に白壁が声を上げる。誰だってそうだろう。まさか、凍っているからと言って自らの足を砕かん勢いで物理的に氷を砕こうとすれば、たとえ凍結から解放されたとしてもそれを覆って余りある負傷が付いて回る。そんな選択肢を真っ当な思考で選び取る者がいるとは思えない。
純粋な身体強化能力者か、芸達者な非能力者――黄泉路がその程度に見える様に振舞ってきたからこその驚愕。
「……ふぅ。これでまた動ける」
「なっ、まさか、お前!」
しっかりと両足を地面に付けた黄泉路が、顔上げる。
その口元に浮かんでいる笑みに凍り付いたような表情をするのは白壁だ。
「凍結、させないんですか?」
「ッ」
あからさまな挑発に、白壁はハッと我に返って改めて手を翳す。
直線で飛んでくる凍結の力を、黄泉路は先ほど氷から解いたばかりの左足で跳んで避ける。
負傷などない。そう主張する様に、右手が凍らされる以前よりも速度を上げて走る黄泉路に、白壁の手が追いかけるように動かされる。
「(――なるほど)」
速度が出てしまえば避ける事は容易い。そしてそれを追うように壁面が凍結する様を見れば、それまで持っていた違和感が繋ぎ合わされるようにして答えを浮き彫りにしてゆく。
「はっ!」
「何!?」
追いかけてくる凍結の線に、黄泉路は跳ぶ為ではなく、蹴り上げる為に足を動かす。
ばさっと地面に降り積もった雪が舞い、彼我の視界を煙幕の様に一瞬で遮る。
「しまっ――」
雪の帳の中に身を潜める様に姿勢を低くした黄泉路は白壁の声を聴きながら確信する。
「(やっぱり、あの手はブラフだったんだ)」
本来、本当に手から発せられて直線に駆け抜ける凍結の力ならば、雪程度ならばまとめて貫通ないし凍結させて黄泉路へと命中していただろう。
だが、雪によって作られた薄く脆い壁は貫かれる事無く、彼我の視界を遮っている。
「(あの時、確かに腕は使われなかった。だとするならば、腕と一緒に動いていた部位で、なおかつ此方を向いていても不思議ではない物――つまり)」
――視覚が発動キーになっている。
サングラスも、乱反射する雪景色を想定して光を遮る為のものや、顔を隠すためのものではなく。視線を隠す目的があったとしたら。
そう仮定すると全てがぴたりとハマり、手の動きと凍結の順序が時折おかしかったことや、此方の動きに手だけが追い付いて凍結が追い付かないことも、発動から凍結まで、目という始点と突き出した手のひらという始点の分のラグと考えれば納得がいく。
「(あとは……!)」
再び雪を蹴り上げ、煙幕替わりにして姿を眩ませつつ、前傾姿勢のまま走り出す。
その向かう先は白壁ではない。むしろ、白壁を囲う様に盛大に雪を巻き上げ、蹴り散らして視線が通る範囲を狭めながら、その円を狭めて行く。
「くそっ、見破られるとは!」
手あたり次第に、もはや手というブラフすら使わずに視線を巡らせる白壁の右斜め後方から、雪の帳を破って飛び出してくる。
「そこだ!!」
至近の音を拾った事で咄嗟に顔を向け、勝利を確信した白壁、だが――
「なっ、雪!?」
飛んできたそれは白。雪を雑に固めただけの玉に気を取られてしまった白壁は、今度こそ背後から飛び出してきた黄泉路への対応に遅れてしまう。
「しっ!!」
「が、っ!?」
籠手を纏った右拳が振り返った白壁の額に突き刺さり脳を揺らす。最後の最後にカウンターとして放った凍結も、黄泉路の右こぶしを再び凍らせるに留めて白壁の黒いスーツが雪に沈んだ。
「……ふぅ」
残心するように倒れた白壁を警戒していた黄泉路だったが、雪の煙幕が落ち着くと同時に響くゴングを合図に警戒を解くのだった。




