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8-24 快進撃

 もうひとりのゲスト――葉佩宗平が堅実な勝利を収めて暫く。

 2回戦すべての試合が終わるかという頃、“Mrs.スパイク”こと風戸(かぜど)愛里(あいり)はいつもの様に自身に宛がわれた控室で寛いでいた。

 まだ試合も控えている事もあり、恰好はステージ衣装でもある網タイツに露出の高いボンデージと言った――本人の趣味ではないが、運営側の要望として提案されて断れず定着してしまった――SMクラブに進出すればそのまま客を取れそうな過激なもの。

 人目がない事を良い事にソファーにぐったりと両足を投げ出して横になった姿勢のままテーブルに立てかけたタブレットを眺めていると、会場を映し出す画面に割り込む様に表示される着信に姿勢を正して通話ボタンをタップする。


『次の対戦相手はゲスト、司会の彼がブルーマスクと名付けた少年の方だ』

「はい」

『少年側に殺意は無い。いつも通りで構わないが、是非ともゲストの底力を暴く様に責め立ててみてくれ』

「了解しました」


 健闘を祈る。と、手短に連絡事項を告げた上役との通話が終われば、再び画面は試合を映し出す。

 愛里からすればもはや慣れてしまった連絡と試合光景。だからこそ、愛里は何度目かもわからない、最近では癖になってしまったため息を吐いて再びソファーに仰向けに倒れ込む。


「はー……。あたしってば、なーんでこんな所にいるんだろ」


 自問自答の内容は地下闘技場に雇われるようになってから、試合の度に考えるいつものもの。

 風戸愛里は一般人である。

 それも法外な借金をしただとか、非合法な仕事をしていただとか、そういった事情の一切ない、正真正銘の一般人だ。

 身の上としてはさほど珍しくもない、中高は一般的な公立校に進学し、大学進学と同時に上京。元々片親だった事もあって無理に進学したツケを払う様に夕方以降の時間に働ける風俗店でバイトをするようになった。地方から出てきた女子大生としてはまぁ無くはない経歴と言えよう。

 それがどうしてこのような社会の闇スレスレの場所まで堕ちてきてしまったのかといえば、単純に運が無かったとしか言いようがない。

 とはいえ、この場所に落ちる前までの経緯での運の良い悪いで言えば、恐らくまだ運がいい。

 偶々働いていた風俗店――これも所謂ホワイトな部類で、違法な性接待などはむしろ禁止されていた程だ――で顧客についてくれた上客が終夜グループの系列企業のお偉いさん。ある程度信頼できる役職でもあったその客の勧めでいくつかランクが上の同様の風俗店へと移籍したまでは良かったものの、そこからさらに上役の目に留まって紹介された仕事が……地下(ここ)だった。

 たしかに1回の開催における報酬は風俗で一晩話し相手をするのとは比べ物にならないくらいの多額だ。契約も運営側の指示で賑やかしとして同様の契約で雇われた対戦相手と命の取り合いではない試合(ショー)を見せるだけ。

 ……とはいえ、だ。


「地下闘技場で能力バトルって何よ。漫画じゃないんだからさぁ」


 風戸愛里は一般人だ。地下闘技場に推薦されたのも、中高で護身用にちょっとだけ柔道を齧っていたということを客との会話で披露したのがきっかけなだけの、ただの女子大生なのだ。

 それがどうして間違えたのだろう。そう思い悩むだけの材料は、この地下には腐る程転がっている。

 画面の向こう側では殺し合いの組み合わせ(・・・・・・・・・・)が迫力満点に映し出されているのを眺め、血しぶきが舞った瞬間に愛里はびくっと肩を跳ねて目を逸らす。

 嫌に大きくなったように感じられる――実際に大きくなったのだろうと経験で知っている――歓声からも逃げるように両手で耳を塞ぎ、愛里は嘆息する。


「もーやだ、やめたい。辞表出したい。でも……」


 恐ろしいのは、こんな能力を植え付けられた自分を終夜が素直に野に帰してくれるかという懸念。

 あそこでああして殺し合いをさせられている人の中には、やめようとして無理矢理条件を課された人が居るという噂もあり、愛里はこの狂った職場から逃げ出せずにいた。

 それでも、愛里はまだ運がいい。


「運営側があたしを華扱いしてくれるだけ、まだマシよね」


 愛里はこの闘技場における華。それは現在雇われている(レギュラーメンバー)の中で唯一の女性であるという点や、雇われた経緯が穏当だった一般人だという事もある。それ故、愛里はこの仕事が始まってから一度として、本当の意味で命の危機に瀕した事はなかった。

 むしろ愛里は勝つ側として常に女王の様に舞台で演じる事を求められており、事実その様に振舞っている間は愛里は一種のスターの様に喝采を浴びていた。

 ぬるま湯の様な闇の淵。だからこそ、愛里は今日という日までこの職場に引き留められ続けていた。


「……ゲストの子……せめて優しくギブアップさせてくれないかなぁ……」


 画面の向こう側で2回戦最後の試合が終わるのを塞いだ耳越しにも聞こえてくるアナウンスで理解した愛里はのそのそとソファーから起き上がり、目元を隠すマスクをつけて部屋を後にする。


 内心辟易と緊張が入り混じっていようとも、慣れというのは恐ろしい物で。

 指示された入場タイミングで先入りし、パフォーマンスにと手に持った鞭(・・・・・・)を地面へと叩きつけて見せれば、野太い声援と――それから少しの黄色い声援が返ってくる。


『さぁさぁ皆様お待ちかね! シード参戦から華やかに初戦を勝ち上がった戦場の貴公子! 若々しい風体にパワフルな立ち回りで観客を沸かせたこの男! ブルーマスクだー!!!!』


 続けてアナウンスと共に再び闘技場のスポットライトを浴びる華やかな方の飛び入りゲスト、迎坂黄泉路ことブルーマスクと相対しながら、愛里は口の中で愚痴をこぼす。


「(ほんと、こんな子に鞭打たなきゃいけないって最悪!)」

「……」

「なによ?」


 目元を隠すマスクとお互いの距離のお陰で表情なんて見えもしないはず、にも拘らず、無言で愛里を見つめてくる蒼い仮面の少年が何かを言いたそうにしているように見えて、愛里は思わずといった具合に問いかけていた。

 騒がしい会場の中、愛里の言葉が届いたとは思えない。だが、少年は愛里の口元が動いたことで何かを言った事には気づいたようだが、


『それでは試合、開始ぃい!!!』

「っ」

「――!」


 試合が始まってしまえば早々に戦闘を始めないのはかえって不自然、そう判断した愛里は声高に叫ぶ。


「痛い目見ないうちに、さっさとギブアップしちゃいなさい!」


 同時に高々と挙げた手に持った鞭を振り下ろし、見えない的を叩く様に地面へと叩きつける。

 撓った鞭の先端が乾いた音を響かせて地面を打てば、同時にブルーマスクの足元で空気が渦を巻く。


「わっ!」


 突如発生した風――膝下だけを攫う様に渦を巻く極小規模な竜巻――に足元を掬われそうになったブルーマスクだが、よろけた大勢のまま器用に地面に片手をつき、腕の力だけで側転の要領でその場から飛び、


「(ちょ、躊躇なくコッチ来る!?)」


 振り下ろした鞭を回収している愛里のもとへと一直線に駆け寄ってくる。その迷いのなさには度肝を抜かれるものの、慌てて再び鞭をパシンパシンと振り下ろしてブルーマスクの足元を掬う風を起こす。

 “Mrs.スパイク”風戸愛里が得た能力は【風使い(エレメント・エア)】――風、大気の流れを発生させ、または停滞させる事が出来る能力である。

 とはいえ、そこはやはり人工能力者。先程から繰り返す様に足元に風の渦を起こしているのも、愛里にはそれくらいしかできないからという点に由来する。

 “Mrs.スパイク”の戦闘スタイルは相手を風で転倒させ、地面をはいつくばっている敵を鞭で打ち、専用に加工された踵の高いピンヒールの鋭いトップリフトで相手を踏みつけ、リタイアを促すというもの。

 言ってしまえば過激なSMショーなのだ。

 未だ良心の残る愛里はゲストと呼ばれる、みるからに少年な風体の相手をその様に扱わねばならない後ろめたさもあった。

 だが、結果的に言えばそれは杞憂に終わる。


「――」

「え、なっ!?」


 風の渦を器用に飛び越え、距離が近づいた事で怯えから思い切り振るってしまった鞭すらも籠手で防ぎ、少年は愛里を間合いに捉える。

 直線的に進んでくる少年の速度は恐怖を抱くに充分であった。


「いっ!?」

「っ」


 慌てて距離を取ろうとした愛里の身体がぐらりと揺れる。

 見映え重視で機動力に乏しいピンヒールで咄嗟に動こうとしたからか、愛里は自分の足から伝わる嫌な痛みに思わず小さく悲鳴を上げていた。

 痛みから、そして接近する少年から目を逸らす様に硬く目を閉じた愛里であったが、1秒、2秒と経っても一向に地面に転げた衝撃は無く。


「……?」

「あの」

「――!?」

「大丈夫ですか?」

「え、あ、えぇ!?」


 気づけば、愛里は少年に支えられていた。

 地面に倒れるとも、自身の足で立つとも違う、宙ぶらりんで少年に体重を預ける様な姿勢で愛里は目を白黒させるも、すぐに足元の痛みに顔をしかめる。


「降参してくれますか?」

「……」

「足、痛めてますよね。これ以上続けるのも、難しいと思うんですけど」


 見た目に違わない、声変わりしたかどうかという少年の慮る様な声に、愛里は思わず頷いていた。

 あっけなく終わった試合に黄色い声援とブーイングが入り混じり、それを宥める様な司会の大声が響く中、出てきた時と同じように扉へと戻って行く少年の背を見送りながら、愛里はふと気づく。


「(あれ……あたしの鞭)」


 いつの間にか――恐らくは愛里が転んだ時だろう――取り上げられていたらしい。手元から遠くに投げ出されている鞭を拾いに行く気力もなく、愛里は片足を庇う様に扉へと引き返しながら強く思う。


 取り返しのつかなくなる前にこんな仕事は早くやめよう、と。




 ◆◇◆


 試合前の最終控室――武具が並ぶ小部屋の中で、“ボルトナックル”井沢(いざわ)伝太郎(でんたろう)は呼吸を整え出番を待っていた。

 目を閉じたまま身に沁みついたシャドーを繰り返す間にも、自身の控室で上役から命じられた命令が頭に蘇る。


『間違っても殺さないように』


 時折、そういった指示が下る事があった。それは例えばショーとしての役割を負った同僚とのマッチングであったり、出向(・・)目的で能力を与えられた人材のデモンストレーションであったり……運営側が特別に配慮をする相手であったりしたときだ。

 今回でいうならば、相手が飛び入りゲストのブルーマスクという事もあって最後の理由である事はほぼ間違いないだろう。

 如何なる事情からの飛び入りかなど、末端の剣闘士もどきでしかない井沢は知る由もない。だがひとつ、はっきりしている事実に、井沢のシャドーが無意識の内に鋭くなる。


「(チッ。ウザってぇな)」


 上層部から(・・・・・)目を掛けられている(・・・・・・・・・)

 暴力事件を皮切りにボクシング界を追われ、グレーな警備会社の社員として働いていた所を引き上げられた井沢からすれば比べるべくもない幸運の持ち主だ。

 それ故に、そんな相手に接待をしなければならないという事実がこの上なく気に入らなかった。

 殺しても罪に問われない――いうなれば、好きなだけ殴っても許される――環境で、それを抑制される。

 繋がれた犬である自覚を思い起こさせる不快感もあったが、自身の拳から発せられる力の余波を感じればふっと霧散する。


「(へっ。要は殺さなきゃ(・・・・・)良いんだろ!)」


 温まった身体を確かめる様に腕を回し、リングならぬ闘技場へと足を踏み入れる井沢の目に敗北の意識はない。


「(ブルーマスクの試合は見た。多少齧ってる様だが能力使ってアレなら俺の勝ちは硬い)」


 身体強化系の能力者であろうブルーマスクとは、自身は相性がいい。その認識が井沢に余裕を持たせていた。

 ……それが、ほんの数分前の話。


「ち、っくしょう!! なんなんだテメェ!?」

「ふっ!!」

「ごっ、ほっ……!」


 小柄な体躯からは想像もできない程に鋭いボディブローに井沢の身体がくの字に折れ、しかし経験から打たれる事にも耐性があった井沢は数歩後ろによろけるのみで態勢を維持して対面の少年を睨む。

 井沢は油断していたわけではない。その証拠に、試合が始まってすぐの打ち合いの段階から能力は惜しまず使っていた。

 【電気使い(エレメント・エレキ)】――自身の身体から電気を発生させるその力は肉弾戦に置いては非常に強力な攻防一体の鎧、そのはずであった。

 しかし、眼前の少年に感電した様子はなく、


「――試合、見させてもらいました」

「……アァ?」

「電気を遮れば、あとは地力勝負ですよね」


 井沢は気づく。これまでブルーマスクはずっと籠手部分だけで井沢と接していたことに。そして今少年が口にした遮るという意味は、籠手の下に絶縁体を仕込んできたという宣言である事に。

 それだけではない。態々声をかけたという事が少年側からのハンディキャップ――つまりは、井沢の事を下に見ているからこその言葉だと受け取ってしまえば、元より短気寄りだった井沢の思考が熱を帯びるのは仕方のない事であった。


「な、めんじゃねぇぞガキィ!!!!!」


 鋭いステップと能力による放電、二つによって視界を奪いつつ間合いを誤魔化す、ここぞという時の切り札でもって攻め込んだ井沢が顔面を狙った拳を突き出し――


 ガンッ、と金属がぶつかり合う音が木霊する。


 拳に対して正確に拳を突き返す。二重にフェイクをいれた一撃が完全に対応された事に井沢の足が止まれば、ブルーマスクは突き合わせた状態の拳を流す様に払って更に踏み込み、


「はっ!!」

「が、はっ――!?」


 顎を揺らす強い衝撃が井沢の頭に突き抜ける。

 薄れて行く意識の中、残身するように見下ろす蒼い仮面だけが暗転する視界にやけにはっきりと見えていた。

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