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2-7 ホームシック5

 意識が闇から浮上する。

 暗い天井を映す視界は何度か瞬く事で次第にはっきりとして行き、そこがもはや懐かしき自身の部屋である事を理解した出雲は一瞬、これは夢なのではないかと思ってしまう。

 それほどまでに長く監禁され、目が覚めれば真っ先に真っ白な天井が視界に飛び込んでくるのが当たり前となっていたのだ。

 呆けた様に、もしくは、これが現実であると恐る恐る確認するように、出雲は再び目を瞬かせる。

 何度も何度も繰り返し、漸く出雲はこれが夢でも幻でもなく、実際に自宅に戻ってきているのだと認め、ベッドから身を起こす。

 電気はつけたままのはずであったが、いつの間に消えていたのだろう。電源は消されていないところをみると、タイミング悪く電球の寿命が終わったようであった。

 死んだ息子の部屋をあえて片付けないままというのは良く聞く話である。部屋の主が永久に帰る事がないのだから電球の交換とてされているはずもない。

 後で電球を変えてもらわないとなどと、寝ぼけた思考で考える出雲の耳が階下の音を拾う。

 それは、男性と女性の言い争うような声であった。

 何事だろうかと足音を忍ばせて出雲は自室の扉を開けて廊下へと出る。

 部屋よりやや鮮明になったやりとりの最中に自身の名前が含まれている事に気づき、それが自身をめぐっての言い争いである事に遅ればせながら気づいた出雲は、思考がすぅっと冷え込むのを感じる。

 2階の端からでは、おそらくは1階のリビングから聞こえているであろう声の内容を明確に聞き取る事はできない。

 だが、どうやら声の主の片方、女性のほうは母親の奈江であろう。そう仮定すれば、必然的に男性の声のほうもおおよその予測はつく。

 道敷家は両親と出雲、そして出雲の妹の穂憂の4人家族だ。その家の中で出雲以外の男性の声があるとするならばそれは当然出雲の父、(ゆずる)のもので間違いないだろう。

 ともかく降りてみなければはじまらない。そう思考を中断させた出雲はそろりそろりと階段を降る。


 「――アレが出雲だとッ!? 馬鹿を言うな!!!!」

 「馬鹿はアナタよ!!!! どこをどう見ても出雲じゃない!!!!」


 階段を降りきったと同時に二人分の怒声が出雲の耳に刺さる。

 肩が跳ね、動悸が早くなるのを感じながらも、出雲はその目で確かめるべくリビングへと緩やかに歩を進め、扉に手をかけた所で再びあがった怒鳴り声に思わず動きが止まった。


 「出雲がいなくなったのは4年前だぞ!! だのにアレはあの時の出雲のままだ、あんなモノが出雲であるはずがないだろう!!!」


 呆然と立ち尽くす出雲の耳に、この距離では聞き違いようもない父親の言葉が刃物の様に突き刺さる。

 4年、出雲が監禁され、一切変化を得られなかった歳月。

 残酷な宣告のように父親の言葉が幾度も胸中で木霊して、出雲は自身の身体をおもうように動かせなくなってしまう。

 その間にも奈江と譲の口論は続く。


 「姿が変わらなくても出雲は出雲よ!!!!」

 「第一出雲は死んだ事になっているんだぞ!!! 警察が俺たちに嘘をついたというのか!?」

 「そんなのわからないわよ!!! でも出雲はああして生きてたんだからそれでいいじゃない!!!!」


 奈江の言葉で出雲はハッとなり、体の硬直が解けたように感じた。

 少なくとも、母親は自分の事を受け入れてくれているのだ。話せば父も理解してくれるに違いない。

 そんな、冷静に考えれば根拠に乏しい穴だらけの理論で自身の心に鎧をかぶせ、出雲が手をかけたドアノブを回そうとした瞬間であった。



 ――プルルルル。プルルルルルルルル。



 あれだけヒートアップしていた二人の口論がピタリと止み、それと同時に出雲の手も再び止まる。

 様子を見ようという様な打算的なものではない。ただ、誰かの電話中に物音を立てたり移動したりという行為に遠慮してしまうという生来の癖のようなものであった。

 室内ではわずかな間無言で見詰め合っていた奈江と譲であったが、これ以上電話の相手を待たせるわけにもいかず、暗黙の了解で奈江が受話器を取りに電話へと向かう。

 奈江が受話器を握った所で受信音は途切れ、先ほどまで怒鳴りあっていたとは思えない所謂外向き用の少し高めの声で応答する奈江の声だけがリビングに響く。


 「――え? はい、はい……そんな――」


 当初は相槌を打つだけであった奈江の声に驚愕が混ざり、それは次第に困惑へと塗り変わってゆく。

 やがて困惑すら怒りへと変わり、奈江は声を張り上げて電話口に向かって怒鳴り散らす。


 「ふざけないでください!!!! はじめに出雲が死んだとおっしゃったのは其方でしょう!? 何で今更出雲が帰っているかなんて聞くんですか!!!!!!」


 堰を切ったように電話の相手へと罵声を浴びせ始める奈江であったが、次第に声には嗚咽が混じり始め、その言葉は判別不能になりつつあった。

 見かねた譲が奪い取る形で受話器を奈江から引き剥がし、お電話代わりましたという定型句とともに電話先の相手へと用件を問う。

 同じ内容を聞いたのだろう。やがて深い息を吐き出した後に、譲の口からは重く、はっきりとした一言が零れる。


 「それは、本当なんですね?」


 何かの確認。しかし、扉の外で聞き耳を立てていた出雲には酷く嫌な予感が背筋を這い上がってくるのを感じていた。

 どうしていいか分からず、出雲は取っ手を捻ったままの手に力を入れてしまう。


 「――っ」


 ギィ、と。小さな音が鳴った瞬間、空気はおろか、時すらも止まったような沈黙が落ちた。

 出雲の目に飛び込んできたのは、泣きはらした赤い目元で出雲を見る奈江と、出雲に顔を向けながら、表情を硬くして口元を結んだ父親、譲の姿だった。


 「……出雲……いつから……」


 呆然と、奈江の小さな呟きが響く。

 譲の耳元で受話器から相手の声が何事かをささやき、それに対してきつく結んだ口元から深い息と共に言葉が吐き出された。


 「出雲は、ここにいます」


 その言葉を受けた受話器は数秒と間をおかずにプツリと途切れ、後にはツー、ツー、ツー。という切断音が譲の耳元に残されるのみであった。


 「……あ、の……父さん……誰から……?」


 どう声をかけていいかわからず、出雲はおずおずと声をかける。

 そんな出雲の声をあえて無視するかのように、譲は静かに受話器を戻して出雲から背を向け、静かに、言葉を選ぶようにして端的に告げる。




 「……出て行け」




 空気を伝播して伝わる音の意味を理解するまで、出雲は全てが止まった様な気がしていた。

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