8-21 実戦競売3
大きくとられた曇りひとつないガラスの先に広がる光景に唯陽は思わず瞠目し息をのむ。
規模としてはそこそこ、コンサートや映画の先行上映会にも似た観客席はしかし、それらのどれともつかない静かな熱気が充満していた。
大きな声はない。なのに雑踏を行くが如く大音響となった囁き声に含まれた熱はどこかねっとりとへばりつくようで、席に着くことでそれらの一員に引き摺り込まれるのではないかという錯覚に足が踏み出すことを躊躇する。
けれど、それもほんの僅か数秒のこと、すぐに自身の父である司の視線に気づいた唯陽は目で頷いて指定された席へと腰を下ろした。
程なくしてマイクによって拡張された司会の声が会場に響けば、抑え込まれていた熱気が膨れ上がるのを肌で感じた唯陽は思わず表情を硬くする。
大会とは名ばかりの非合法闘技場賭博の説明が進むうち、これは正規の賭けではないと唯陽はすぐに理解する。
「(そんな……!)」
第1回戦と称された試合が始まってしまえば、唯陽の意識はすぐに試合へと引き込まれてしまう。
そこにあるのは飛び交う火球、鋭くせり上がる地面、何処からともなく現れる鉄砲水に、何が起きているのか分からないが、使い手が宣言すると同時に遠隔地に切断痕が刻まれる能力。それらを物ともせずに人とは思えない身のこなしで壁を走る人など。
おおよそ現実とは思い難い異様な別世界であった。
観衆の耳障りな――とてもではないが品性を感じられない野卑な――声援が飛び交っているも、唯陽には仕方のない事のように思えた。
試合という名目で行われる遠い世界の出来事はそれだけの華を備えていると、唯陽の肥えた目がそう告げていた。
「(いえ……ですがこれは――)」
もちろん、終夜の跡継ぎとして経営や教養といったものを始めとしたあらゆる学問や審美眼を養わされた身であるが故に、目の前で繰り広げられる闘技賭博が見世物として作られている事を見抜いている唯陽は純粋に楽しむことはできない。
安全と訓練を前提とした見世物であるサーカスなどとは違う、互いに傷つけあうことを推奨されるその過激さから趣味ではない事も確かであるが、そういった血生臭いイベントを能力という華によって加工し、見世物という体裁にラッピングした悪辣な設計手腕、それこそが唯陽を戦慄させるに足る要因であった。
当然、主催は終夜であり、どの部署が手掛けようとこれだけの大掛かりな事業であれば最終的な責任は上層部――ひいては終夜本家や当主である司が持っていることになる。
身内がこのような事業に手を染めていた驚愕。今まで秘されていたとはいえ、こうした事業から上がってきた利益が巡り巡って自身の足元に築き上げられていた土台となっているのだと理解してしまえば、唯陽が外面上だけは冷静さを取り繕っていられたことはむしろ躾の賜物と言えただろう。
「(お父様、お父様はご存知でしたのね。いえ、あの様子からするにお父様直々の指揮の可能性すら――)」
こうした場を会談の席に設けること自体、終夜司がこの事業に深くかかわっている事を示していた。
内心の困惑を隠そうとサイドテーブルに置かれた飲み物に手を伸ばそうとしていれば、隣から司と月浦当主が話している言葉が聞こえ、そこに含まれた内容が唯陽が考えていたこと以上に自体が深刻かつ急速に進行しつつある事に、唯陽は今度こそ動揺からグラスを取り落としそうになってしまった。
「なるほど。これは素晴らしいですな」
「何、まだまだデータ採取が足りないからな。問題点も多い。デモンストレーションも兼ねてこうした催しで経費を浮かそうと細やかな事業で収支を賄っている最中だよ」
「ですがこれだけの完成度。欲しがる所も多いのでは?」
「実際、既に技術移管や提供の申し出が後を絶たんよ。全く愚かな話だ」
暗に、妨害や脅しを受けている事をさらりと口に乗せる司の口元は嗤っていた。
何を言わんとしているのかを思考するも、唯陽が結論に至るより先に月浦当主が軽快に相槌を打ってゆく。
「でしょうなぁ。しかし全く持って価値が分かっておらんようで。私ならそのような戯言よりも前向きな提案をいたしますな」
「ほぅ?」
「そもそも、我が月浦に声を掛けたのもそこが理由でございましょう?」
互いに理解しあっている、その上でどこまで歩調を合わせる気があるのかを精査するような水面下の交渉にも似た言葉の応酬が繰り広げられる。
「(この様な事をしていたなんて……)」
その横で唯陽が必死に頭を働かせていると、逆側から不意に甘い青年の声がかかった。
「大丈夫ですか?」
「えっ」
「先程から顔色が優れないご様子でしたから」
「いえ、大丈夫ですわ。ご心配頂きありがとうございます」
「そうですか。もしよろしければ話し相手にでもと思ったのですが」
「お気遣いありがとうございます。瑛士さんは、その……こういった催しをどのようにお考えなのでしょう?」
声を掛けられた瞬間こそドキリとしたものの、それは胸の高鳴りというよりは自身の内に秘めた思考を読まれたかもしれないという怯えに近く、気遣う様子の中に自身へと気を惹きたいという意志を感じた瑛士の態度にはむしろ安心すら覚えた唯陽は当主たちのやりとりが気にかかるものの、自身の領分は果たさねばならないと意識を切り替えて瑛士に顔を向ける。
月浦当主の持て成しは父の役割であれば、唯陽の役割は月浦の子息――瑛士のもてなしである。それは終夜の看板を背負う者として当然の責務であり、
「(黄路さんとのことで既に私は試されているのですから。これ以上、価値を落とす要素は作れませんわ)」
実の父が切り捨てるということはないだろう。けれど、唯陽の意志を無視して事を進める可能性がないわけではない。
自身の覚悟と価値を示し、当主でさえ納得する結果を出せる人間だとアピールする事。今の唯陽に求められているのはそういうことだ。
表面上は穏やかな顔に取り繕った唯陽が問えば、瑛士はやや考えたように視線を試合へと向けた後に口を開く。
「そうですね。素晴らしいと思いますよ」
「それはどういった観点から?」
「まず、能力者という新たな人的資源を安定して生産できる事をアピールできる点。そしてそれを直接買い手に有用だと認識させることができる実践販売を劇場化する事で娯楽としての側面からの利益を見込める点でしょうか」
命がけで戦っている人が居る。それを平然と資源と呼び、商品として扱う瑛士に唯陽は相槌を打ちながらもすっと心が冷めるような思いがした。
唯陽とて、立場としては人を数字で判断する様に育てられた人間であると言える。学問だけではなく、実際に本社に顔を出して役員との顔繋ぎや業務の査察に同行するなどと言った実務に近い見学をする機会もあったが故に、人情ではなく実益で物を見るという理屈は身に染みている。
「(けれどそれは……決してこのような生命を軽んじる物のことを言う訳では……!)」
「唯陽さん?」
「――っ、いえ。その、買い手ですか。それはどういった方なのでしょう。私、父からはまだ本格的な仕事については任されておりませんのでその辺りに疎く……よろしければ瑛士さんの見識をお聞かせ願えないでしょうか」
「ええ。構いませんよ。唯陽さんはまだ未成年ですから当然でしょう。……父さん、構いませんか?」
唯陽越しに瑛士が声を掛ければ、どうやら話し合いは一旦雑談の方へと向いていたらしい当主たちが揃って子供に顔を向ける。
雑談をしつつも子供たちの会話にも耳を傾けていた辺り、さすがは経済界という魔境の奥底に陣取る者達と言った所だろう。すぐさま視線で目くばせし、司が何も言わない事から了承を感じ取った月浦当主が息子へと許可を与える。
「ああ。お前の予想があってるか答え合わせをしようか」
「わかりました。……まず、私達月浦は国内外でそこそこの規模を持つと自負していますが、それはあくまでそこそこ、終夜グループの様に多種多様な業種は持っていません。だとするならば、ここでこうして終夜グループが月浦と手を取る理由は月浦にあって終夜にないもの――すなわち、我々一族の販路ということになるでしょう」
「月浦――月浦兵器工廠」
自身の知識、そして事前の見合い相手ということで渡された情報の中から導き出した言葉が唯陽の口からぽつりと零れる。
それは目の前の商品扱いされる能力者達と瞬時に結び付き、けれどその内容の恐ろしさに唯陽は目を見開く。
「まさか、能力者を兵器として斡旋するつもりですか!?」
「違う、といえば嘘になるが、今はまだ身辺警護としての斡旋が主だな」
娘の非難するような声音に僅かに顔を歪めつつも、司は強く否定しない。
「ですがこの技術をいつまでも独占する事は出来ないでしょう。であればいずれ世界は能力者を使った紛争、または暗殺といった行為が必ず増えます。その際に終夜グループが世界に対してイニシアティブを取る。能力者事業というシェアを独占する土壌として、この時期に月浦を必要とした。違いますか?」
司があえて触れなかった部分を補足する様に瑛士が確信めいた語調で問う。
問いというよりは確認だろう瑛士の言に司は静かに目を瞑り、やがて唯陽へと重く口を開いた。
「唯陽。これはこれから来る世界で生き残る為に必要な事だ」
「……はい。理解は、していますわ」
今後の将来を決めるであろう反抗。その対価として、認めさせる為の儀式として。
唯陽はこの場に居る事を改めて自分に言い聞かせる。
「終夜のすべてを受け入れてみせます」
たとえ、恋した人が傍に居なくても。
「(私は終夜の唯陽なのだから)」
自分が選び取った道の為に、唯陽は覚悟を決めて会場へと視線を戻す。
話している間にも試合は進み、トーナメント第1回戦が全て終了した事を告げる司会の声。
――第2回戦が始まろうとしていた。