8-19 実戦競売
液晶をひとつ挟んだ向こう側で繰り広げられていた凶行が終わる。
中継が断たれた後も、控室のソファから身動ぎもしない黄泉路は無言のままに画面を見つめていた。
黄泉路が閉口していたのは画面越しでも手に取る様に判る程の狂奔を孕んだ凄惨さ――にではない。
確かに安全圏から殺し合いを楽しむ趣味の悪い催しや、それに嬉々として興じる観衆達への忌避感はあるものの、黄泉路はこれまでにもそれ以上の悪趣味な思考を持つ者達と相対している。
故に、黄泉路が口を閉ざし、思考の海に沈み込みながら、中継が終わると同時に切り替わった何の変哲もないホーム画面を見ているようで見ていない現状の理由は別にある。
「(……サービス、か)」
画面の中で、集音マイクによって観衆が立てる声援を物ともせずに拾い上げられた己刃の言葉を口の中で呟く。
そう、あれは紛れもなくショーを盛り上げる為の余興だった。
己刃の一連の行動を思い返し、黄泉路はそう結論付ける。
殺すだけならば、それこそ相手の初撃をかわした際にそのまま剣を振れなくなる距離まで詰め寄ってしまえばいいのだから。
態々足を止めて会話に興じ、更には序盤はあえて回避に専念する事で相手の見せ場を作る。そしてその上で圧倒的な技術と殺人への躊躇いひとつない洗練された所作にて作業を終える。まさにエンターテイナーといえるだろう。
攻勢に出た際の曲芸は黄泉路の脳裏に控室を出ていく間際に己刃が放った言葉を思い起こさせる。
『俺のめっちゃかっこいーとこ見せてやるからさ』
そう、あれはまさしく黄泉路に向けたパフォーマンスだった。
画面を凝視していた黄泉路には、あの瞬間己刃が何をしたのかが見えていた。
――直前まで手に持っていたスマホを接近と同時に前へと投擲。自身が間合いに入るタイミングと、剣が振り下ろされる瞬間に合わせ、まるで空間に置くような絶妙な力加減によって剣の軌道の真横へと投げ込んだスマホを、掌底で横から剣を弾く際のグローブ代わりにしたのだ。
あの光景を何度頭の中で繰り返しても、その技量の高さと胆力に黄泉路は自分では真似できないと――否、夜鷹で1、2を争う肉体派の美花でさえ、数回に一度成功するか否かだろうと――確信するとともに、それを命が掛かった本番で躊躇なく実行する己刃の在り方に背筋が凍る。
加えて己刃は、あくまで普通の人間としての身体能力のみでそれを成し遂げていた。
黄泉路とて能力を使わずともそれなりに動けるようにはなったと自負していても、結局はどこかで能力を前提に戦術を組み立てている節がある。それは勿論、黄泉路を鍛え上げた周囲がそう仕込んだからというのも間違いではないが、純粋な技量という観点で己刃は黄泉路の数段上に居ると嫌でも理解できてしまう。
自身が己刃と相対した時、どう立ち向かうべきか。黄泉路は先ほどの映像を頭の中で何度も分析に掛けながら思考を走らせていた。
どれくらいの時間そうしていただろう、マスクを外すのも忘れて熟考していた黄泉路を現実に引き戻す様に控室の扉が大きく音を立てて開く。
「たっだいまー! どーよどーよ俺の活躍見てくれたー?」
「っ!? ――やみっきー」
反射的に振り向いた黄泉路の視界に映り込む――薄桃色と空色の髪。
既に赤いマスクは付けておらず、出ていくとき同様素顔を晒した己刃はテストで100点をとった小学生の様な自慢げな様子で黄泉路へと歩み寄ってくる。
どう答えるべきか、僅かに思考するも、ここで己刃の機嫌を損ねるのはまずいと判断し、加えて雑な嘘はすぐにも見抜かれそうな直感めいた予感から、先ほど思っていた事をそのまま口に出す。
「すごかったよ。僕じゃ無理だ。あれってどこまで計算?」
「お? おー? 気づいた? 気づいちゃった? やったぜ! でも計算とかは特にねーなー。スマホ取り出したのは単純にアイツの話が面白くなかったからだし。スマホ投げたのはたまたま手にあったからだし?」
「そう……なんだ」
つまりは。
たまたま手元にあっただけのことで、咄嗟にあれだけの行動をリスクを考えずに出来るだけの自信があるということ。
強がりかどうかを判断する術を黄泉路は持たない。けれど、決して嘘を言っている訳でも、見栄を張っている様にも見えない己刃の自然体の姿は黄泉路にそれが真実であると認識させる。
「(あまりにも変わらなすぎる――っ!)」
はたと、黄泉路は自身が抱いた感想の取っ掛かりから己刃に対する違和感なき違和感ともいうべき存在に思い至り、ひやりと背筋に冷たいものが走る。
「(そう、だ……自然すぎる。あまりにも自然で気づかなかった!!)」
控室という完全な不意打ちでの初遭遇――つまりはお互いの素が漏れ出てしまうような初対面――から、地下闘技場での映像、そして今こうして帰ってきた己刃に至るまで。
それらすべてが一本の直線の様にフラットで、日常と非日常を行き来しているにしてはあまりにも自然すぎた。
黄泉路は勿論のこと、黄泉路よりも裏での経験や年数の長いカガリや美花であったとしてもそうは成れない。否、なってはいけない。
普通の生活をする延長線で人を殺すなど、現代人として真っ当な精神性を持つ人間ならば到達してはいけない極致だ。
覚悟も、悔恨も無く人を殺す。スマホでプレイしていたゲームの続きの様に人を傷つける。
表現しようのなかった空恐ろしさが実像を帯び、目の前で再びお菓子を漁り始めた己刃の自然さが、つい先ほど人間ひとりを見世物の様に殺したとは思えない気負いのなさが、黄泉路はとてつもなく恐ろしかった。
「あ、そーいや、むーちゃん」
「えっ、何!?」
「それ私服だよね? いーの?」
「え……?」
気付いてはいけないものに気づいてしまったような戦慄から言葉を失っていた黄泉路は己刃からの呼び名が変わっている事にも気づかず、ハッとして咄嗟に応える。
続く己刃の問いかけに一瞬何のことだろうと自身の服に目を落とし、それから改めて問おうと己刃へと目を向けてその意図を理解した。
「あ、ああ。あの調子だとすぐ服ダメになりそうだね。やっぱり借りた方がいいのかな」
「そのほーがいーと思うぜー。俺も良いとこ見せたくてうっかりそのまま行っちゃって。終わってから他の控室でシャワー浴びて服貰ったくらいだしなー」
現在の己刃の服装は控室から出て行った時からがらりと様変わりしていた。
そのような分かりやすい変化にすら気づけない程、黄泉路の思考は混乱していたと言っても良い。
簡素な白いワイシャツの上からニットのカーディガンを羽織り、ゆったりとしたカーゴパンツを穿いた己刃を観察し、改めて衣装棚に目を向ける。
「……あそこにあるの、全部派手なんだけど、着なきゃダメかな」
「あっはっはっ。いーんじゃねーの? 似合いそーだし!」
「……僕、ファッションセンスはないからなぁ」
「じゃー俺に選ばせてー。着せ替えにんぎょーっぽくて楽しそー」
「なら、その代わりこれからの事について教えてくれない? さっきの配信でなんとなくは理解したんだけど、それじゃダメだろうからさ」
「ん、おっけー!」
どうにか話の流れを本来行うつもりだった調査の方向へと傾けた黄泉路は、早速とばかりに衣装を物色し始める己刃の様子を観察しながら内心でそっと息を吐く。
ややあって、衣装を選ぶ為に背を向けたままの己刃が口を開く。
「んーっと、まずはさっき俺がやったやつのせつめーからな?」
「うん」
「あれ、さっきまでのトーナメントってのは所謂前座ってやつで、アマチュアリーグっつーのかなー。最後まで生きてた優勝者を終夜が能力使用者にすんのな」
「――っ!」
言質、というには弱いが、それでも内部を知る人間からの断言に黄泉路は僅かに目を瞠った。
けれど己刃はそんなことはどうでもいいとばかりに話を続ける。
「ほんとーならその時点でゆうしょーしょーきんか能力、どっちか貰ってはいサヨナラでいーんだけど、能力選んだ奴にはもーひとつ選択肢が与えられるんだよ」
「それがやみっきーとの?」
「そーゆー時もあるし、そーじゃねー時もある。俺と当てられんのは、まぁ、終夜からしたらいらねーって事になるんだろーな」
要らない。つまりは優勝者に賞金も、能力を与えて野放しにする気もなく、この場で処分しきる為の仕組みなのだと他人事のように語る己刃に、意識を切り替えた黄泉路は話の続きを促すべく合いの手を入れて行く。
「司会の言い分とやみっきーの言葉から察するに、この後始まる上位リーグって言うのに参加できるっていう餌で釣る訳だよね? その上位リーグってどういうものなの?」
「まー、雑に言えば、アマチュアリーグが非能力者のゴロツキ共が素人同士で殴り合うのを眺めるお祭り。で、上位リーグは能力者達が殺し合うのを眺めるお祭りって感じかなー」
予想していたとはいえ、あまりにも悪趣味な趣向に思わず眉を顰める黄泉路の耳に、己刃の呟きが届く。
「ただ、それだけじゃねーけど」
「うん?」
「あー。聞こえてたならいーか。……んっとなー。能力者って作るのけっこーコストかかるらしーんだよ。それを興行で使い潰すってのもワリにあわねーだろ? だから、一部の上客にだけは賭博以外の選択肢も用意されてんだってさ」
「……」
これ以上何が出てくるのだろうと身構える黄泉路に、漸く着せる服を選んだらしい己刃が楽し気に振り返る。
「優れた能力者を見定めて、裏で競りにかけるんだよ。んで、買い取った能力者を自分の護衛にしたりするんだ。なんて言うんだっけ? 人身売買? 傭兵雇用?」
けらりと笑いながら、これなんてどーよと己刃が手渡す深い青色をした燕尾服を思わず受け取ってしまった黄泉路に、己刃は楽し気な様子のまま、面白い冗談のように告げる。
「一部じゃこーゆーらしーぜ? 実戦競売ってさ」
終夜の闇の淵が、黄泉路のすぐ傍に迫っていた。