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8-18 狭き門

 己刃が退室した後、暫くして黄泉路がひとり覗き込むタブレットPCの画面に変化が訪れた。

 複数のカメラで捉えているらしい幾度も切り替わる映像。リアルタイムで編集されているかのような臨場感はプロさながらの撮影技術を持っているように感じられ、黄泉路はこんな所でも終夜という組織の大きさを見せつけられたような気になりつつも、映像に映るひとつひとつを記憶に刻み込む様に目を凝らしていた。


『此度もやってまいりました。月に1回の登竜門! 今月こそは新たな能力者が誕生するのか――注目の一戦が始まります!』


 会場アナウンスというよりは、格闘技の実況解説。事実よりも煽りを多分に含み、会場を沸かせる事を目的とした口上が響く。

 応じるように会場の客席を舐める様に映像が移り変わり、そのいずれもが仮面で顔を隠した貴人と思しき男女が談笑しつつも視線だけは清掃が終わったばかりの闘技場へと注がれていた。


「まず登場致しますのは南側! 先程のトーナメントを勝ち上がった挑戦者!!」


 司会の大ぶりな手振りを伴った紹介と共に、深くくりぬかれた円形闘技場の壁面に対になる様に設置された扉からひとりの男が姿を現す。

 先程の乱闘ともいうべき殴り合いの末に勝利を勝ち取った男だ。

 大きな怪我は治療された跡がある事もあり、恐らくはある程度休憩を挟んだのだろう。殴り合いに興じている時と比べればギラついた瞳を湛えた顔も幾分か血色も良い様に見える。

 とはいえ、衆目が注視しているのはその様な些細なことではない。


「ただいまより始まりますエキシビジョンマッチは無制限――あらゆる武器・道具の使用が認められております! 御観覧の皆々様! 流血や暴力沙汰に耐性の無い方は今のうちに近くの係の者までお申し出を、後になって倒れたと言われても我々は保証いたしかねますので! はい、ありがとうございます! エキシビジョンマッチは挑戦者と門番、1対1の対戦となっております! 挑戦者が勝利すれば晴れて上位――この後行われますトーナメントマッチへの出場権が与えられ、勝てば巨万の富と力を手に入れる事が出来ます!! 挑戦者の奮闘に皆様盛大な拍手をもって、そして、先ほどのトーナメント以上の血沸き肉躍る試合にご期待ください!」


 男の手には、先ほどの戦闘までは持っていなかった直剣が握られていた。

 装飾はなく武骨。それでいて鋭さだけは誇示するかのように闘技場の眩いばかりの照明を受けて刀身を輝かせている。

 持ち方こそ素人のそれで、とてもではないが剣術を習っているようには見えないものの、この場に至ってはさほど意味がないだろう。

 直剣の長さはそのまま男の致命打が届く距離を意味しており、素人同士の血生臭い殺し合いであればそれは十分に決定的な脅威足りえるのだから。


「喧嘩上等なストリートから借金の末に成り上がり、今さらなる力を求めて試練へと挑む彼に、皆さまどうか、惜しみない喝采を!」


 大きな歓声が上がる。歓声というには野蛮な言葉が入り混じり、先のトーナメントで賭けに負けたらしい客からの罵声や、逆に勝った者からの喝采が溢れた会場の熱気は画面一枚挟んだ黄泉路すらも肌にひりつく様な感覚を抱くほどであった。

 飽和する様々な声が仄かに薄くなったのを敏感に感じ取った司会が再び大きな身振りを交えて衆目を男が出てきた扉とは逆――未だ閉じたままの扉へと導く。


「続きましてー北側より登場致しますは我らが門番(ゲートキーパー)!」


 喝采が沸く。ナニカを期待した熱が空間を席巻する。



 ――殺せ!

 ――壊せ!

 ――切り刻め!

 ――悲鳴を聞かせて!

 ――拷問はまだか!?



 おおよそ、現代の――それも日本で聞くことになるとは思わなかった悍ましい歓声が坩堝の様に混じり合ってひと塊の熱と化す会場に、ひとりの青年が姿を現す。


「やーやー。みなのしゅー。今日もゴキゲンでなによりだぜー。皆のアイドルやみっきーだよー」


 けらけらと。舞台用なのだろう、血の様に赤いバタフライマスクを着用したパステルカラーで彩られた髪色の青年が口元にロリポップを銜えたまま、明るい声音を響かせて観衆に手を振る。

 これから命のやり取りが始まる。それも自身の命をチップにした殺し合いが始まるにも拘わらず、控室で黄泉路と談話していた時となんら変わらない、緊張など欠片も無いと態度で示しながら己刃がファンサービスを行っていれば、司会が乗っかる様にマイクを強く握った。


「彼こそは音に聞こえた殺戮有段者(アークエネミー)! 数多の挑戦者を惨殺するその手法はまさに芸術! 現代が生んだ切り裂きジャックとは彼のこと! さぁさぁ皆様お手元の端末からどちらに賭けるか入力をお願いします!」


 司会からの案内が終われば、マスクで顔を隠した客たちが一斉に手元の携帯ほどのサイズの専用端末に指を走らせる。

 その中身は100万、1000万は安い物。中には己刃に対してのサービスなのだと、頬を上気させた令嬢が数千万にもなる賭け金を入力する姿さえも見受けられた。


「はい、ありがとうございます! 配当金の一部は舞台に立つ華麗なる勝利者への報奨金ともなりますので、どうぞ皆様イチオシの方には惜しみない投資を!」

「いえーい。俺に賭けてねー。お小遣いほしーんだー。んーまっ」


 慣れた様子で司会の煽り文句に乗っかって己刃が投げキッスを壇上へと振りまけば、歓声に交じる黄色い声援が増す。

 それを見て苛立たし気に直剣の先を床へ叩きつけるのは対戦相手の男だ。


「人気者気取りも今日までだ」

「あっはっはっ。気取りも何も、俺ってば人気者でしょー?」

「手ぶらだからって手加減してもらえると思うなよ。こっちにゃ人生懸かってんだ!」

「あはっ。いーね、俺そーゆーの、好きだよ」

「ほざけっ」


 ヒートアップする応酬は収音マイクによって綺麗に拾われ会場に拡散する。

 両者の口論もまた舞台を盛り上げるスパイスであると知る司会者はタイミングを見計らい声を張った。


「ではでは! 現時刻を持ちまして今試合のベットタイムは終了とさせていただきます! 勝利の栄光を掴むのは! 敗者として惨めに骸を晒すのは! どっちだ!! それでは――試合開始!」


 ――カァン!


 甲高いゴングの音が響く。

 鳴った瞬間にノータイムで駆け出したのは紅い仮面に水色混じりの薄桃色の髪。


「っ!」


 直線で駆け込んできた己刃へと大ぶりな薙ぎ払いが奮われようとするも、直剣の間合いぎりぎり、コートの端に剣先が掠るかどうかという絶妙な距離にてぴたりと身体が止まる様に急制動をかける。

 しかし、己刃は振り抜いた直後で見るからに隙だらけの男に手を加える事無く舌で口の中のロリポップを転がしながら声を掛けた。


「なーなー」

「――」

「キミってなんでそこに立ってんの?」

「な……ん……!?」


 大きな隙を晒したはずの自身へと攻撃を仕掛けるでもなく――恐らくは初速からして攻めようと思えば手が出せたはずだと想像する事は男にとっても容易であったにも拘わらず――顔を覗き込むような紅いマスク越しの瞳に無機質にも思える無邪気さを滲ませて問いかけてくる己刃に、男は困惑して身を強張らせる。

 これとて、大きな隙である。けれどしかし、やはり己刃は無手を構える事もなく、何かをするでもないままに再び口を開く。


「いやー。だからさー。どーしてこんなクソみてーな掃き溜めまで堕ちてきてんの? って。何かトクベツなじじょーでもあんのかなーって気になってさー。そしたら殺し合いもクソもねーじゃん? 気になって眠れねーよ!」

「……」


 けらけらと。ホラー映画を途中で投げ出して後からオチが分からない恐怖で寝付けなくなるのと一緒だとでもいう様な。もしくは、家を出る前に鍵はしっかりかけたか気になると言ったような軽い調子で語る己刃に、男は今度こそ絶句した。


「んー? おーい。聞こえてるー? 質問してんだけど答えてくんねーの?」

「ふ……」

「うん?」

「っざけんじゃねぇぞゴラァ!!」

「あはっ」


 男が激昂するのも無理はない。打ち所が悪ければ死んでいたのは先ほどまでのトーナメントでも同じこと。男にとってはこの場所に行きついた時から己の命を賭け続け、漸く元が取れるという大一番なのだ。

 その様な大事な場所でよもや、挑発する様に派手な見た目で軽々しい――本当に命がけなのを理解しているのかすらも怪しい程に――態度で気安く事情に踏み込まれては、先程失敗したばかりの大振りで再び斬りかかろうというのも自然の成り行きと言えた。加えて、


「理由!? んなもん金に決まってんだろ!!」


 男に大した理由などない。あるのはただ、遊びに費やす金がどんどん膨れ上がるにつれ、返済の目途もない借金に手を出したというだけ。

 元々素行が悪かった事もあって、金など適当に周囲から恫喝すれば集まるだけの腕っぷしがあった事もなお悪かった。

 気づけば誘われるままに危険な賭場に出入りを繰り返し、負けが込めば借金と恫喝と、男が軽挙な強盗事件など起こして貸した金の回収が出来ない事態を避けるために極限までは締め付けずに貸し続けた闇金によってどんどん首が回らなくなった男に持ち掛けられたのが、終夜が開催するショーの見世物になること。

 上手くいけば莫大な賞金が手に入り、今までの借金が全て帳消しになる。

 手元に握った理由がそんなどうしようもないものである自覚のある男にとって、己刃の無遠慮な問いかけは煽りに等しかった。


「へー。びょーきの娘さんでもいる感じ―?」

「んなわけぇねだろバカがッ!」

「あ、でもそんな歳でもねーか。チャラそーだし子供ひとりふたりは産ませてそーだけど」


 相も変わらずけらけらと。子供好きの面倒見のいい青年が幼稚園児を相手にしている様な微笑ましさすら感じさせる笑い声を交えて己刃が言葉を紡ぐ。

 その間にも奮われ続ける直剣のフルスイングを巧みに――しかし決して一般人に不可能な身体能力などは一切みせず――間合いの見切りのみでかわし続ける姿は傍から見れば異様の一言だろう。

 事実、開幕からの激しく血みどろな殺し合いに期待した一部の客は困惑と苛立ちからブーイングが出始めているが、それでも半数以上の客は固唾を飲んで集音マイクによって場内に拡散されるふたりのやりとりを見守っていた。


「っつーかさー。金っていうならさっきの優勝でけっこーな額入ってんじゃん。何でこっちに来よーと思ったん? 教えろよー。気になるじゃんかー。わくわく」


 ひょいひょいっと剣先を避け、口の中でロリポップを転がす様子は余裕そのもの。何から何まで人の神経を逆なでる様な己刃の態度だが、男もここへきて漸く己刃に攻撃が当たらない事への不審感と、自身への仄かな不安、普段握らない直剣という武器に振り回され続けて疲弊した肉体からくる疲労感に足を止めて、体力回復を図る為に会話に応じようと口を開く。


「……力だ(・・)

「へー」


 ぽつりと短く放たれた男の言葉に応じる己刃の声音が仄かに変化していた事には気づかず、男は続ける。


「上の試合に優勝すればもっとスゲェ力が手に入るんだ……これ以上の力が! ――“燃え盛れ”《バーストフレア》!」


 切っ先を己刃へ、まるで照準のように向けた男が吼える。

 同時に男の頭上でごぅっと大気が揺らめいて、みるみるうちに照明によって照らし出された場内にもう一つの光源が顕れる。

 人の頭部よりもやや大きいかという炎が空中で渦を巻いて球体を作り出し、瞬く間に己刃へと疾駆する――だが。


「はぁ!?」


 思わず頓狂な声を上げてしまうのは、炎を放ったはずの男の方。

 己刃はといえば、男の話など語り出した時には既に興味を失っていたらしく、暇を持て余したようにロングコートのポケットから取り出したスマホを弄っている所であった。

 迫る炎に、己刃は一瞥するのみでゆっくりと横に数歩ずれる。

 それだけで炎の弾はコートの裾を掠めるのみで空を切り、己刃の後方にあった壁面へと花を咲かせる。


「な、んなバカな……!?」


 驚き、今度こそ驚愕から目を見開いて動きを止める男の耳に、己刃の手に持つスマホから軽快な爆発音が響く。


「はぁ……。もう良い」

「ッ」


 ――不意に、己刃が顔を上げて男を見た。

 目が合った瞬間、男は背筋どころか全身が総毛立つような、氷で満たされた水槽に足を踏み外したような錯覚に溺れる。


お前嫌い(・・・・)


 ガリッ。己刃の口の中でロリポップが噛み砕かれる音を聞いた瞬間、男は反射的に叫んでいた。


「《バーストフレア》ァアアァア!!」


 熱を帯びて膨れ上がった大気が圧縮され、炎と化して己刃へと迫る。男は再び横に避けるだろう己刃に追撃を掛けようと足を踏みしめ前へと――


「なっ!?」


 真正面から姿勢を低く、炎を掻い潜る様に突っ込んでくる己刃に男は再び目を見開く。

 だが、駆け寄って叩き斬るつもりで振り上げていた直剣を咄嗟に振り下ろさんと腕に力を籠める。


「――“あげる”」

「っ」


 目の前に飛来する――黒いナニカ。

 男の思考が濁る。だが、振り下ろし始めた直剣は止まらず、地面を滑るように近づく己刃の脳天に、間違いなく当たる――


 ガギッ――ン。


 振り下ろされる刀身の横っ面を張り飛ばす様に振るわれた己刃の平手が硬質な音と、何かがひび割れて欠ける音を響かせて剣の軌道を逸らす。

 直剣は横合いから与えられた衝撃によってあらぬ方へと弾かれ、一番初めの薙ぎ払いの時以上の大きな隙を晒した男の懐へと己刃が到達する。


「なぁ――!?」

「しッ!」


 見開かれた男の右目に、己刃の拳が突き刺さる。


「ぐ、ぎゃああああああぁああぁああぁあぁああッ!?」


 一瞬あけて、吹き飛ぶでもなくたたらを踏んで、あまりの痛みに剣を取り落とした男が顔を押さえて悲鳴を上げた。

 その顔からはだらだらと異物の混じった涙が零れ落ちており、男が痛みにのたうち回る度に舞台の床に体液が飛び散る。

 男の悲鳴に歓声が沸く中、己刃は追撃するでもなく男から離れ、先ほど剣と自身の手のひらの間に滑り込ませていた液晶の砕けたスマホ(・・・・・・・・・)を拾い上げる。


「あーあ。壊れちゃってら。あーでも安心してくれていーぜ? ソシャゲの引継ぎはばっちりだ」

「で、めぇえええッ!! おれ、俺の目、目がッ……!!」


 指先で角を摘まんだスマホを示してにこやかに笑う己刃に、顔から放した手で落とした剣を鷲掴みながら吠える男の顔には、先の一瞬では男がただ殴られたようにしか見えなかった観衆にも一目でわかる変化が穿たれていた。


「あっはっはっ。持ち手の方だから俺の唾液はついてねーしセーフセーフ?」

「ふ、ざけんなぁああああああ!!!!!」


 白い合成樹脂製の棒。飴を支える為の何の変哲もない棒が男の右目を穿ち、そこからあふれ出した涙と一緒にどろりとした硝子体が頬を伝う。そんなグロテスクな光景を前にてへぺろと舌を突き出して悪戯げに笑う己刃という存在は異常の一言につきるだろう。

 激昂が痛みに勝った男が言語としての意味をなさない咆哮と共に複数の炎を宙に浮かべて己刃へと突撃する。


「ああぁあぁああぁあぁああぁああ!!!」

「ほいっと」

「おごぁっ!?」


 けれど冷静さを失った男など己刃にとってはカモでしかないと示す様に、火の玉を左前方へと走りながら避けつつ右目を潰した事によってできた死角へと潜り込んだ己刃が男の手首を――剣を握ったままだったその手を掴んで捻る。


「うぎィっ!!!」

「慣れねーことしてんのバレバレなんだよなー」


 柄ごと握って捻り上げた事で男の手首が悲鳴を上げ、握り込んだ力が緩んだところを器用に己刃の手が剣を掻っ攫う。

 持ち主を変えた直剣が照明の下で煌めいて――


「第一、人斬る覚悟とかもってねーだろ? 人って斬ったら死ぬんだぜ? こんなふーにさ!」

「げァ――あ、ああがああああああああぁあぁッ!?」

「あっはっはっはっはぁっ! 人間スプリンクラーだー!」


 身体を捻る事で間近に対して勢いをつけた直剣が折れたばかりの男の腕を切りつけ、その鋭さと重量、勢いのままに男の腕を切断すれば、ブツンとはじけ飛んだ手首が宙を舞い、今度こそ痛みに気が狂ったように床に倒れ込んで悲鳴を上げる男の手首から垂れた血液が、男の身振りによって舞台の上にまき散らされる。


「やーやー。せーえんありがとー! ファンサービスはほしーかにゃー?」


 完全に勝敗が決した空気が流れる中、返り血を物ともせずに剣を掲げて客席を見上げる己刃に、観客からの熱烈なラブコールが注がれる。


「殺せ! 殺せ! 殺せ!」

「こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!」


 悍ましい熱量が会場を席巻する中、己刃はちらりと男を見下ろす。


「あ、ああぁあ……ああぁあぁぁあっ」


 もはや痛みと精神的重圧から嗚咽の様な声しか漏れてこない男に、己刃は詰まらなそうな――ひどく乾いた視線を落とし、


「もーおわり? 能力(スキル)だってあるのにさ。もったいねー」

「――」


 態々剣を遠くへと放り投げた己刃はしゃがみ、尻餅をついた態勢で嗚咽を漏らす男と目線を合わせて笑いかける。

 乾いた瞳に、いっそ慈愛すら感じられるような柔らかな笑み。相反した表情が紅い蝶のマスクの上下で分裂した顔が男の耳元に宛てられ、己刃の身体が男を抱きしめるように寄せられる。


「せっかくだからサービスしとこーぜ?」

「……ぉ? ――ひ」


 男を抱きしめた己刃の声がにやりと嗤うと同時、男の投げ出された足の間――股座の間に滑り込んでいた膝がめり込む。


「あははっ! 暴れんなよー。せっかくだからぷちぷちくんつぶそーぜー?」

「うぎ、げっ、ぎゅぇえぇああぁあああぁあ……ッ!!!!!」


 背に回した手で男の後ろ髪を掴んで上を向かせた己刃はそのまま全体重を掛けるように膝を押し込み――


 じわり……。


 男の股から生暖かい物がズボンに深い染みを作って己刃のスキニーパンツの膝を汚した。

 悲鳴がぶつりと途切れ、残った左で白目を向いた男の耳元から顔を離した己刃が、後ろ髪を掴む手とは逆の手で男の腰から探り当てた拳銃の撃鉄を起こす。


「気が利くよなー。使えもしねーもん持ち込んでバッカみてー」


 じゃあねー。などと、ひとしきり友達と遊び終えた日の別れのような気安さで、己刃は男の口に上向きに押し込んだ殺意(じゅう)の引き金を引く。


 乾いた音。そして同時に弾けた男だったモノの残滓がべしゃりと舞台に広がる。


 先ほどまでの喝采が嘘の様な静寂が発砲音の余韻によって作られる中、気だるげに身を起こす己刃が立てる水音だけが衆目の耳朶を打つ。


「……はい、ごせーえんありがとーございましたー」


 丁寧にマガジンを抜いて暴発の危険を取り除いた拳銃を投げ捨てれば、遅れて終わり(・・・)を認識した観客がこぞって席を立って拍手に沸く。

 爆発的に膨れ上がった熱気を意にも介さず、己刃は自身が登場した北門へとしっかりした足取りで退場してゆく。


「決着ぅううううう!!!! 勝者は皆様ご存じの通り、我らが殺戮者! 挑戦者に賭けた皆様はご愁傷様でございます! 配当と場内の清掃が終わり次第続いての興行に参りますので少々の間、余韻に浸りながらのご歓談にてお待ちください!! 次の興行は皆様お待ちかね、選りすぐりの能力者達(・・・・・・・・・・)による血沸き肉躍るトーナメントマッチでございます!! お手元に軍資金が残りの方は引き続きよろしくお願いいたします!」


 どこまでも燃え盛る欲の熱を背に、己刃の背は締まる扉と共に完全に見えなくなるのであった。

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