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8-13 夢見る少女の夢無き事情4

 人でごった返す歩行者天国へと足を踏み出したふたりは忙しなく行き交う楽し気な人々に交じり、一見すると普通のカップルの様に観光を楽しんでいた。

 唯陽がパッと目に付いた店舗へと足を運んでは、あれは何だろう、このお店はどういう店なのか等、初めての光景に心躍らせる度に、黄泉路がその解答や体験してみると良いと言って甘やかす様は、どちらかと言えばカップルというよりは落ち着きのない妹と甘やかし気味な兄といった印象が強いが、その印象も外見上の年齢差がほぼない事で若い男女という印象に落ち着いており、ふたりへと向けられる視線も店員からの温かい物がある程度。追手に見つかった気配もない事で、唯陽はのびやかに観光を楽しんでいると言えるだろう。


「黄路さん、黄路さん。どうでしょうか?」

「うん、可愛いと思うよ」

「まぁ。ありがとうございます。――あ、こちらなんて黄路さんに似合いそうじゃありませんか?」

「そうかな。……どう?」


 唯陽に付き合って入店した小物中心のブティックの一角、サングラス等のファッション用の眼鏡が置かれたコーナーでレンズ自体に淡い色の入った眼鏡を掛けて問う唯陽に黄泉路は微笑みながら言われるがままに差し出された――こちらも淡く色の入ったレンズが特徴的なサングラスもどきだ――を掛けて見せる。


「見立て通り、良く似合っていますわ」

「なら、そっちのも合わせて買ってこようか」

「……ええ、はい。お願いしてもよろしいでしょうか?」

「気にしないで」


 黄泉路としても、薄い色であっても目元を隠せるアイテムは有用である。

 さすがに雰囲気に水を差すと分かっていたのでその辺りは口に出さず、会計を終えた黄泉路は唯陽と並んで歩道を歩く。


 変わった色合いの綿あめに目を輝かせ、口に含んだと同時に味に対して首をかしげ。

 チープな小物を中心とした小売店の混沌とした品ぞろえを嬉々として覗き込んでは、用途不明の器具の説明を求め。

 既に何件目になるか分からない洋服店に入っては、流行りの服を眺めて自身の周りで着ている人が居ない事を不思議に思ったりと。

 どれもこれもが直接目にするのは初めてのものばかり。


「雑誌で見て知った気になっていましたけれど、やはりこうして直に体験するのとは大違い……」

「楽しめたようなら良かったよ」

「あの、ですね……」

「うん?」


 竹下通りを堪能し終えた唯陽が次に行きたいと口にしたのは都会のど真ん中に存在する有名水族館だった。

 目まぐるしい程の人の波と熱気によって保たれていた高揚の波が過ぎれば、再び自身の立場を思い返して遠慮がちになる唯陽の要求。

 黄泉路が嫌な顔一つせず水族館へのアクセスを手元の携帯で調べて先導を始めれば、唯陽は自身の胸中に宿る感情を抑え込む様に両の手をぎゅっと握り、一歩先を行く背を追って歩いて行く。


 水族館の中は外が12月の曇天という事もあり、先の竹下通りにも勝るとも劣らない盛況ぶりを博していた。

 とはいえ雑多に人が行き交う歩道とコーナーごとに別れた水生生物を鑑賞する水族館では静けさが違う。

 人が多いにもかかわらず喧騒は一定の域を出ず、水槽の中を見やすくする為に仄暗くなった館内は独特の雰囲気があった。


「こちらのお魚はあまり泳がないんですのね」

「みたいだね。説明にも、砂の中の小さな生物を食べるってあったし」

「上についた目がちょっと可愛いですわ」


 場所が場所の為に声は抑えられている物の、唯陽の様子は先ほどの観光と同様に楽し気で。

 次の水槽へと移るまでの間、黄泉路はふと思った事を口に出す。


「水族館だったら今までも来た事があったんじゃない?」

「そうですわね。この水族館は初めてですけれど、もっと規模の大きな所でしたらありますわ」

「じゃあ、どうしてここに?」


 いくら生粋のお嬢様――加えてこれまでの言動から徹底した箱入り娘――だとは言え、水族館の様に閉じられた鑑賞スポットであれば護衛でも連れていれば何の不自由もなく訪れる事はできただろう。

 今までの観光は唯陽が知らない初体験を求めての道程だった為、今更初めてでもない場所に行きたいと言ったのは何故なのか。

 そう問いかける黄泉路に、唯陽は暗がりの中で少しばかり恥じらう様に顔を俯けて答える。


「……誰かと一緒にという経験が、ありませんの」


 語られたのは、唯陽の唯陽たる所以。お嬢様の中でもさらに一握り、最上位のお嬢様故の事情であった。


「私が行きたいと言えば、お父様はきっと叶えてくださるわ。……でも、そこはいつも私ひとり。私の為の劇場、貸し切られた博物館、人払いのされた遊園地。こうして、誰かと一緒に感想を言い合ったりしながら楽しむのは、初めてなんですの」

「……護衛の人とかは?」

「居りましたけれど、それでも、護衛は護衛ですわ。有難い事ですけれど、彼らの職務に私の話し相手は含まれておりませんの……。下手に私に取り入ろうとしたと思われると、その……お父様がお怒りになられますから」


 唯陽の経験談に黄泉路は思わず言葉に詰まる。

 想像すればするほど、その寂しさや虚しさが分かる様で。今まさにこうして歩いている水族館から人が消えて、黙して語らない護衛に囲まれながらひとりで巡る様を想像してしまった黄泉路は、そっと唯陽の手を握る。


「唯さん」

「――っ」

「今日は独りじゃない。だから、楽しもう」

「……ええ!」


 館内を流れる人の波に乗る様にして、明るい吹き抜けエリアや浅瀬の生き物が集められた区画を歩く。

 そうして時間が過ぎるうちに始まったイルカのショーを眺め、一通り巡り終えた水族館を後にした黄泉路たちが次に向かったのは東都を一望できる展望台だ。

 タワー型の建築物の最上階付近に設置された展望スペースは日暮れも近い事もあってそれなりに集客もある様で、電飾やビルの室内から漏れ出た灯りによってライトアップされつつある都内を映す窓ガラスの周囲には各々に散らばった来場客が点在していた。


「ここでよかったの?」

「ええ」


 高い場所からの眺めならば、ホテルの自室からでも望めただろう。けれどこうして展望台に来たいという理由も、おそらくは先ほどの水族館と同じなのだろうと察した黄泉路は窓の外を眺める唯陽に並んで景色へと目を向ける。

 観光するには不安だった曇天もここまで良く持ったものだと、町の眺めではなく、黒く染まった空を見上げていれば、ふと、空から降り落ちてくるものに気づく。


「唯さん」

「?」

「雪が降ってきたみたいだ。ほら」

「――本当ですわ」


 そういえば今日は寒かったですものね。などと、唯陽が小さく笑う。


「あまりにも楽しくて、寒さなんて忘れてしまっていました」

「それは良かった」


 控えめに降り始めた雪の量が増えて行き、本格的な雪空へと変わって行くのを眺めているふたりの周囲は気づけば人気もなくなっていて、自然、互いの小さな声もはっきりと聴きとれる様な静けさが広がる中、唯陽は降り頻る雪を眺めていた視線を隣の少年へと向ける。


「(本当に、楽しい時間でした。……でも)」


 正直な所を言えば。

 唯陽の結論は既に出ていた。

 カラオケを出た直後。明確に、追われているという期限という現実(タイムリミット)を突きつけられたあの時には既に。

 けれどそれを口にしなかったのは、自身の我儘と衝動に巻き込んでしまった黄路と名乗る少年への名残惜しさから。

 少年が齎してくれる、父親以外からは受け取った事のない暖かさを手放す事への不安から。

 それでも良いと言ってくれる優しさに甘えてしまっていた。

 でも、それではダメなのだ。その為に、この場所に来た。


「……黄路さん、あの――」


 意を決して、感謝と別れを告げようと口を開きかけた唯陽であったが、黄泉路の表情が何かを警戒する様に強張っている事に気づいて言葉が止まる。


「唯さん。ごめん、気づくのが遅くなった」

「えっ……?」


 シンと静まり返った展望室。――唯陽はこういった空間に慣れてしまっているが故に、一瞬何のことかわからなかったが、黄泉路が視線を巡らせているのに合わせて室内を見回し、気付く。


「人が――」


 さきほどまでは疎らに存在していた他の観光客の姿が、この区画だけは見事に消え去っており、これではまるで、


「人払いされているのですか……?」


 ここまで大規模な人払いができ、かつこの場で行う意味がある者など限られていた。



 コツ、コツ、コツ、コツ。



 階段を昇ってくる複数の足音だけが遠くから聞こえる。

 不安と申し訳なさが募る唯陽を庇って立つ黄泉路がサングラスもどきを改めてかけ直せば元々の暗さに拍車をかける様に視界が黒く染まる。


「(逆に言えば、向こうからもこっちの顔は見えづらくなるって事だよね。うん、あって良かった)」


 あとは眼鏡が外れない様に立ち回るだけ、そう内心でどう動くかを再確認する黄泉路の耳に、ふたり以外の足音が階段を登り切った音が響き、


「唯陽お嬢様。お迎えに上がりました。家出ごっこ(・・・・・)はここまでにしてお戻りください」


 フロアに姿を現した黒のスーツに身を包んだ男の内のひとりの声が静寂を裂く。

 その後ろから階下への通路を塞ぐように並んでスーツ姿のふたりの男が横に並んだ。


「……護衛の人?」

「おそらく、最近新しく入った方――だったと思います」


 黄泉路が小声で本当に護衛なのかを確認する。

 その意図を察したらしく小声で返答する唯陽には目を向けず、黄泉路は目を細めて男達を観察する。


「(護衛って言う割には……何というか)」


 ――派手だ。

 黄泉路がそう思うのも無理はない。

 仕立ての良い黒のスーツにサングラスという格好は昼間、逃走の際にも見ていた格好だ。しかし今黄泉路達の前に立つ3人はその黒服たちと比べ、明るい茶髪に金髪、ピアスと、護衛というには聊か自己主張が激しいように感じられた。

 先ほど聞こえた声からして若いのは確かだろう。それこそ、黄泉路の実年齢とそう変わらないのではないかとすら思える。

 そんな、護衛として見るにはややちぐはぐ感のある男達を前に、黄泉路があえて唯陽に問いかけた理由は他にもある。


「(どうみても、戦いなれてるように見えないんだよね)」


 男達の格好は護衛という立場ならば納得できるものであるし、多少派手なのもまぁそういうものかと流せる部分もある。

 けれど、護衛として必要な戦闘能力という観点から観察するに、その水準に達しているかと言われるとやや疑問が出るのも事実であった。

 それ故、黄泉路はこの場を突破するだけならば可能だろうと結論付ける。

 無論その為には唯陽を巻き込まない様に離れていてもらう必要があるが、それは相手も承知の事だろう。


「お嬢様。こっちへ」


 再度、唯陽に帰還を促す護衛の青年に、唯陽はぎゅっと手を握り、迷った視線を黄泉路へと向ける。


「私……は」

「唯さんに任せるよ」


 どういう結末に辿り着きたいのか、自分の意志で選べ。言外に黄泉路がそう言っていると感じた唯陽は再び口を噤み、考える。


「(元々、ここで別れるつもりでした。けれど、私はこのままで良いの……? 自分の足で帰らず、お父様の迎えに連れられて帰って、私は、私の意志を伝えられるの? ……私は――)」


 護衛を、そして黄泉路を見つめ、唯陽は静かに息を吐く。


「わかりました。もうじき帰ると、お父様にお伝えください」

「我々はお嬢様を無事連れ戻す様に命じられてますんで、ついてきてくれないと困るんすよ」

「ですから、護衛は不要です。私は自分の足でホテルに戻ります」

「いやいやお嬢様。話聞いてました? 俺達の仕事はお嬢様を連れ帰ることなんすよ。そりゃ聞けない命令ってやつです」


 やはり、無理矢理連れ戻すつもりでの命令だったのだと、唯陽は唇を噛む。

 会話してもらちが明かないと踏んだ男たちが歩み寄ろうとした時、間に割って入った黄泉路に、男たちの足が止まる。


「……何の真似だよ?」

「いや、唯さんがこのまま帰るって言うならそれで良かったんだけど、僕も約束してるからね」

「何言ってやがる」

「――唯さん」


 視線をちらりと、男達から唯陽に向けた黄泉路は、



『僕で力になれるなら、君に手を貸すよ』



 そう微笑んで、改めて男たちに相対する。

 会話までは聞こえないらしいが、立ちはだかる気らしいと理解した護衛のひとり――茶髪の男が砕けた調子で笑い声をあげた。


「はははっ。マジ、こいつ王子様気取りかよ!」

「笑えねーって。さっさと連れ帰ってボーナス貰いてぇんだよこっちは」

「っつーわけでさ。邪魔なんだわ。イキッて恥かきたくなきゃとっとと失せてくんね? 俺達別にお嬢様の捕獲……保護しか命令されてねぇからお前をどうしたって許されるって理解してる?」


 茶髪に続いて耐えがたかったのか、口々に言葉を吐き出す男達の護衛らしからぬ言葉の数々に黄泉路と唯陽は目を丸くしつつも、黄泉路は先ほどから抱いていた男達への違和感をなんとなしに理解する。


「ああ。なるほど」

「あ?」

「唯さん。もう一度聞くね。――君はどうしたい(・・・・・・・)?」

「……黄路さん。私、あの人たちに連れられて帰りたくありません!」

「だってさ。交渉は決裂、本人も嫌がってる事だし、僕が責任もって唯さんを連れていくよ」

「だからんな話聞いてねぇって――」


 落ち着いた声音で淡々と宣言する黄泉路に対し、金髪の護衛が距離を詰めようとする最中、


「唯さん、少し離れていて」

「は、はい!」


 短い指示。けれど、これまでの経験から黄泉路がそう口にする時はそれなりの理由があると理解していた唯陽は右側へと走り出す。


「な――テメ……!」


 突然の護衛対象の逃走に動揺した護衛の男、しかし――


「君らの相手は僕だよ」

「がっ!?」


 一拍置いて前方、護衛の男達へと走り出していた黄泉路が即座に肉薄し、注意がそれていた所へと的確に打ち込まれたアッパーによって脳が揺れて一瞬で意識を刈り取られる。


「テメェ!」


 すぐに残るふたりが黄泉路に対して注意を向け、


「誰に歯向かったか思い知らせてやるぜ!」


 手にごぅっと火が灯った(・・・・・)


「知ってるよ」

「――ごはっ!?」

「なっ!?」


 男の手元に火球が生まれるのも無視し、黄泉路はそのまま体を捻りながら勢いをつけて男の側頭部を蹴り抜く。

 乾いた音と共に火が立ち消えると、一瞬だけ明るくなった室内が再び闇に包まれ、そのお陰で最後に残った男は手元に生み出した氷を射出する目測を誤る。


能力使用者(スキルユーザー)、だろ? でもさ。能力って結局は使い所だよ!」

「ぐぎっ――」


 返す刀と言わんばかりに跳躍し、空中で縦軸に身を捻った黄泉路の踵落としが最後のひとりの脳天に刺されば、後には床に刺さった氷の槍と、気絶した3人の男。

 無傷で着地し、服の乱れを直す余裕すらある黄泉路と、その一連の流れを見ていた唯陽だけが残されていた。


「終わったよ。唯さん」

「黄路さん……」


 明らかな異常事態。そしてそれに動揺ひとつなく対処できてしまった少年に対し、唯陽は固めた覚悟を確かめる様に一歩一歩踏みしめて黄泉路へと歩み寄って行った。

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