2-6 ホームシック4
鞄の中からハンカチや財布がはみ出している事に気づいた様子もなく、出雲の母、奈江は出雲の事を凝視していた。
その瞳からは、死んだと聞かされていた息子が帰ってきたという喜びや安堵よりも、困惑が強く出ているようであった。
「――ただいま。母さん」
おずおずと声をかける出雲に、奈江は震える声で問い返す。
「出雲……あなた、本当に出雲なの……?」
「そうだよ、母さん」
「――出雲っ!!!」
駆け寄ってきた母親に抱きしめられ、出雲は体温とは別に、心の奥底が暖かくなるのを感じる。
自然とあふれ出した涙で嗚咽の混じった声でただいまと何度も繰り返しながら、出雲は母親の背に手を回してぎゅっと抱きしめた。
暫く抱き合っていた二人はどちらからともなく離れ、奈江はそっと出雲の頬に手を宛てる。
「今まで、何処に行ってたの。死んだって聞かされてたのに……」
「ごめん……なさい。でも」
「いいわ、早く中にはいりなさい。お父さんにも連絡するから。お父さんが帰ってきたら、話してくれる?」
「……うん」
中に促され、出雲はようやっと生家へと足を踏み入れる事ができた。
施設に監禁されている間、どれだけ望んでも叶わなかった暖かな家庭の香り。変わらないレイアウトの玄関口の下駄箱と姿鏡。
靴を脱いでリビングへと向かえば、そこは自身がよく知る自宅のままであった。
「出雲の部屋はそのままにしてあるから、その服、着替えてきちゃいなさい」
「わかった」
奈江に後ろから声をかけられて改めて酷い格好であった事を思い出し、出雲はそそくさと2階へと上がる。
自室へと向かう途中、妹である穂憂の部屋の前で足を止め、この時間に部屋にいることはありえないだろうとは思いつつ、一応のノックと共に扉を開ける。
足を踏み入れた穂憂の部屋は幼い頃しか知らない出雲にとってはまったく別人の部屋のように思えてしまう。
たくさんのぬいぐるみに囲まれていたベッドはすっきりとしていて、勉強机の棚に収まっているのは小学生の国語算数といった教科書から、高校の古典や数学といった物に様変わりしていた。
整頓された勉強机の上に、鞄の中から取り出した包装された小箱を置く。
とりあえず目的を達した出雲は、知らない女性の部屋にいるような居心地の悪さから、そそくさと部屋を出て今度こそ自室へと向かった。
廊下の突き当たり、穂憂の部屋の隣にある自室の扉を開けると、出雲が帰宅できなかった日のままの光景が視界に飛び込んでくる。
しんと静まり返った室内はカーテンが閉めきられており、扉近くの電源を押すと、部屋の主を歓迎するように蛍光灯が灯る。
帰ってから続きをしようと机の上に開きっぱなしにされたノートに参考書。本棚に収まった、常群に薦められるままに購入したライトノベルや漫画。
15年間過ごした部屋が、そこにはあった。
「……かえって、きたんだ」
緩やかな動作で勉強机の上のノートを除けて鞄を置き、クローゼットを開く。
自身が好んで着用していたパーカーやシャツ、ジーンズが綺麗にたたまれて収まり、ハンガーにかけられたコートも当時のまま、手にとって見れば長年仕舞い込んだ衣類にありがちな、防腐剤の匂いがかすかに鼻につく。
そんな衣服でも今の格好よりはマシなのは間違いない。
適当に黒のタイトなズボンと白いパーカーに着替えた所で、階下から奈江の声が響く。
「出雲ー! お母さんこれから買い物に行って来るから、それまでちゃんと家に居るのよ!?」
母親の言葉からは、目を離すとまた居なくなってしまいそうだという懸念がありありと感じられて、出雲は思わず苦笑しながら階下へと返事を返す。
やがて奈江の足音が遠ざかり、扉が閉まる音と鍵がかかる音の後、再び静寂が戻ってきた実家に取り残された出雲はベッドへと腰掛ける。
あとは父親と妹に会えれば出雲の当初の目的はすべて達成した事になるのだ。
そう考えた途端、出雲の中に迷いが生まれる。
どうしても、レジスタンスのメンバーの下へ戻らなければならないのか。
リーダーは世間的に出雲は死んだ事になっているというが、母親は、家族は、こうして自身を受け入れてくれたではないか。
そう考えてしまうと、このまま家族と共に家で暮らしたいという欲求が芽を出して、一人で悶々と考えているうちにそれは徐々に大きくなっていた。
出雲とて公的には死んでいるはずの自身が自宅でいつまでものうのうと暮らしていけるとは思っていない。
だが、それとは別に、理性ではなく感情の部分で自分が家に居てもいい理由を探してしまう。
考えれば考えるほど、父や妹に会いたいという欲求が強くなる。
思考の渦に飲み込まれ、瞳を閉じていた出雲は今までの逃走に逃走を重ねるような極限状態による疲労からか、気がつけばベッドの上で寝息を立てていた。
そんな出雲の意識が覚醒したのはそれから暫く経っての事。
階下から言い争うような声が聞こえ始めた時であった。