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8-11 夢見る少女の夢無き事情2

 ◆◇◆


 地上より遥か空。天を突く双塔が如き豪奢なビルの最上階で、ひとりの男が広々とした室内の柔らかなカーペットを惜しげもなく踏み荒らして同じ場所を行ったり来たりしていた。

 パリッと形の決まった撫でつけられた艶やかな黒髪と鷹を思わせる鋭い眼光の男。室内の調度品に勝るとも劣らない品の良く纏まった身なりに、こんなときであっても揺らがない芯の通った背筋は。本来ならば総括して威厳と捉えられるべき美点だが、今この場において、この男に威厳があると認める者はいないだろう。

 何せ男はホテル最上階、自身の為だけのスイートルームの広間の一部だけを忙しなく行ったり来たりし、時に期待と不安が入り混じった視線を廊下側の扉へと向けたかと思えば、すぐに歩き出しては広々と取られた窓の外に映る下界の街並みを憎々し気に睨みつけるといった一貫性に欠ける行動を繰り返しているのだ。

 とはいえ、それが真に一貫性がないかと言えばそうではない。男の胸中にあるのは常にひとつだけだ。


「報告に上がりました」

「入れ」

「失礼します」


 控えめなノックの後に掛かる声に飛びつくように、男は間を置かず入室許可を出す。


「それで、見つかったのか?」


 入室するなり恭しく頭を下げる使用人に対し、礼儀よりも先にとばかりに問いかける男に、使用人は姿勢を起こして主へと向き直る。


「いえ。ですが階下での聞き込みや監視カメラ映像から、どうやら唯陽お嬢様が町に出たという所までは確実のようです」

「……そうか」


 男の声に宿る抑揚は乏しい。内心に渦巻く物を外に出すことを辛うじて堪える様な短い応答だが、指示だけは的確に滑る様に音を紡ぐ。


「引き続き商業区画で聞き込みと映像を洗い出し行き先を突き止めろ。並行して都内の警備部門を動員して捜索に当たれ。唯陽に傷一つ付ける事は許さん。それと、くれぐれも月浦に悟らせるな」

「畏まりました。そのように」


 使用人が手早く退出すると、男は再びその場を行ったり来たりしては、ため息を吐いては窓の外を見やる。

 自身が現時点で打てる手はすべて打ち尽くし、それでもなお待つしかない現状に男――終夜(よすがら)(つかさ)は普段であれば苦とも思わない待つという状態に苛立ちを感じていた。


「唯陽がひとりで外まで行けるはずがない。何処の手引きだ……! くそ、俺の唯陽に何かあってみろ……どんな手を使ってでも……」

「旦那様」


 恨めしく言葉を募らせる司に声を掛けたのは、部屋の壁際にずっと控え続け、司の醜態を見続けていた老執事であった。


「何だ」

「如何に手引きがあったとして、お嬢様が不埒な輩に態々同行したりするでしょうか?」

「どういう意味だ」


 司も老執事の存在には当然気が付いており、誰よりも長く近しい間柄であったが故に取り繕うことなく娘への不安を吐露していた。それ故に今回の一件を俯瞰して見ていた老執事は唯陽側の事情(・・・・・・)を推察しつつ言葉を重ねる。


「お嬢様の格好はクローゼットから無くなっていた地味目の配色の外出用のお洋服でした。最後にお嬢様をお見かけした際、お嬢様の格好は部屋着だった事を旦那様も確認していたはずです。……この階まで誰にも悟られず侵入する事が出来、かつお嬢様の誘拐を企てるのであれば、態々お嬢様を部屋着から外出着に着替えさせるなどと言った手間を作るでしょうか」

「つまり唯陽は自分から目立たない服を着たと?」

「あの直後です。お嬢様ご自身が旦那様の決定を不服に思い、意趣返しをしたかったのではないかと」


 唯陽の教育係として、自身以上に唯陽を知る唯一の人物と言ってもよい老執事の言葉にはさすがの親バカであり誰よりも唯陽を理解していると自負している司も一瞬押し黙る。

 おおよそ初めてと言ってもよい大喧嘩。唯陽にあれだけの反発をされた事で冷静さを欠いていたかと自身を振り返るものの、司にはとんと自身の落ち度が見当たらない。


「だが、あの縁談は唯陽の為のものだ。何が不満だ。月浦の息子は学業もスポーツも評判が良いし顔だって唯陽の好みに――」


 そう。司は自身の伝手と権力を全て使い、亡き最愛の妻が残した唯一の光(ゆうひ)が最も幸せになれるだろう相手を見繕った。そのはずだ。

 何が不満なのかと首をかしげる司に、老執事は静かに息を吐く。

 司とは幼少期から、唯陽に至っては生まれた時から世話をしてきた老執事からすれば、この親子はあまりにも似た者同士であった。


「なぁ、何が気に食わなかったんだ? まさか唯陽は俺の事を嫌って……?」

「……旦那様。唯陽様は真実、旦那様の事を敬愛しておられます。むしろ、それ故の反発ではないでしょうか」

「……何故だ?」

「旦那様や私共は常日頃、唯陽様に愛情を注いできました。その際、奥様が居ない分までと、お嬢様には如何に旦那様が奥様を愛していらしたか、奥様と旦那様がどのように知り合い結ばれたのかなど華美な程に語り聞かせてまいりました」

「――おい、まて。まさか」

「はい。お嬢様は旦那様を敬愛するが故に、旦那様のような(・・・・・・・)恋愛結婚(・・・・)がしたかったのでございましょう。それも、お家騒動になるような駆け落ちする程の恋を」


 あまりにも浮足立った唯陽の行動原理に、終夜当主である前に唯陽の父親であるという自認を持つ司は思わず唖然となり、しかし、すぐに老執事の口にした推理が自身にとって大事なことを押さえていた事もあって口元に余裕が戻る。


「つまり、なんだ。唯陽は俺が好きなんだな(・・・・・・・・)?」

「ええ。勿論でございます」

「俺は唯陽に嫌われている訳ではないんだな?」

「そうでしょうとも。お嬢様が旦那様を愛しておられるのは周知のことでございます」

「……は、ははは……ならば、いい。後は遊びに出た唯陽が無事に戻ってくるのを待つだけだ」

「お嬢様の家出を手引きした者はどうします?」

「捨て置け。唯陽が無事に戻ってくるならばよし。傷一つでもあればその時は――」


 指示を受けた老執事が退出し、先ほどの指示に新たな文言を追加する様に手配し始めると、司は漸く先ほどよりも苛立ちの抜けた顔で椅子に腰かけるのであった。




 ◆◇◆


 改めて逃避行を続けることに決めた唯陽と黄泉路であったが、


「これで歌いたい曲を探せばいいのね?」

「うん。タイトル、歌手、ジャンルとかで検索できるから、覚えてる曲とかがあれば入れてみると良いよ」


 そこはそれ。既に一度巡回があったことで暫くの安全を確保できたカラオケから離れる理由もなく、1時間を指定して入っている事もあってふたりは未だカラオケ店に居た。

 タッチパネルを付属のペンで押しながら、目の前の初体験に楽し気に質問を重ねて行く唯陽にその都度答えながら、黄泉路は念話を繋げて巻き込んでしまった今作戦のメンバーに詫びを入れていた。


「(すみません。大事にしてしまって)」

『あっはっはっはっ、よみちん、マジ、マジで王子様じゃないですかーやだー!』

『笑いごとじゃねぇんだよなぁ。……ま、お嬢様の家出に加担しちまった以上仕方ない。責任もって納得いくまで連れ回して無事にかえしてやりゃあ問題ないだろ』

『どうですかね。当主の終夜司は大変な子煩悩だと聞きましたので、終夜唯陽の説得に賭けるというのは、ええ。悪くない選択肢なのでしょうが』

『さすがにホテルの外まではフォロー出来ない。そっちはそっちで頑張る』

「(了解しました)」


 囃し立てる標と呆れつつもあえて楽観的にとらえてくれるカガリなど、方々から聞こえる声にホッと息を吐いた黄泉路は、ふと唯陽が静かな事に気が付いてそちらへと目を向ける。

 丁度黄泉路の事を覗き見ていたらしい唯陽と目が合うなり、唯陽は一瞬だけ目を見開くと共にわたわたとマイクに手を伸ばす。


「え、えっと、これでも私、ネットの使用は制限されて居りませんでしたから、それなりにサブカルチャーには詳しいんですのよ」

「そうなんだ。僕は逆にあまり詳しくないから、良ければ教えてよ」

「私でよろしければ喜んで」


 取り繕う様にかかり出した曲の前奏に触れる唯陽に、追究する必要もない黄泉路はあえて乗っかって話を広げれば、唯陽はホッとしたように流れ出したメロディに合わせてマイクに声を乗せる。

 唯陽が歌ったのはその出自からすれば意外とも言える、近年の若年層に人気なネット発信のポップな曲調の楽曲であった。

 ここ数年は特に依頼で各地を転々とし、同い年との交流も先の嶺ヶ崎学園での数ヵ月に渡る潜入ぐらいしかそうした娯楽と触れ合わなかった黄泉路は当然知らない物の、ストレートな歌詞と乗りやすい曲調に小さく体を揺らして唯陽の曲に耳を傾ける。


「……どう、だったでしょうか?」

「初めて聞いた曲だったけど、上手だと思うよ。これ、何の曲?」

「動画サイトで話題の曲だったんですのよ。……まぁ、少しばかり古めの曲なのですけど」


 はにかみながらも黄泉路の感想には満更でもない様子で歌ったばかりの曲に対する蘊蓄を語る唯陽に相槌を打つ。

 その後も何曲も曲を入れては歌い、時々黄泉路が学生時代に流行っていた曲を入れて歌ったりとを繰り返し、1時間が過ぎる頃には当初店に入った際の緊張は何処にもなくなっていた。


「延長は出来るらしいけど、どうする?」


 まだ歌っていくかどうかを確認する黄泉路に、唯陽は少しばかり悩んだ後に首を振る。

 名残惜しくはあるが、まだほかにもやりたい事がある。そんな葛藤の垣間見える様子に黄泉路は苦笑しながら声を掛ける。


「カラオケなら、またの機会に来たらいい」

「また……ですか」

「別に今生で最後って訳でもないしさ」

「……そうですね」


 折り合いが付いたのだろう。黄泉路を追い越して先に部屋を出る唯陽に、黄泉路は小さく肩を竦めながら伝票を片手に部屋を後にするのだった。

 支払いを終えた黄泉路が唯陽を連れ立って外へと出れば、どうやら内部に居るうちに天気が崩れてきたのだろう、ビルの合間に見える狭い空は濃い灰色が覆っていた。

 日差しがない事で冷え込みも増す中、唯陽は白い息を吐きながらふるりと少しばかり身震いして黄泉路へと振り返る。


「さぁ、天気が崩れる前に次に行きましょう!」

「何処に行きたいの?」

「うふふっ、それはね――」


 楽し気に語る唯陽と並んで歩きだした黄泉路のすぐ傍で、黒塗りの車が止まった。

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