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8-10 夢見る少女の夢無き事情

 黄泉路が事態に気が付いたのは、丁度唯陽が食事を終えた頃。

 食後のコーヒーを嗜んでいる唯陽を横目に、今後の予定を思考していた黄泉路は視界の端にある存在が映り込んだ事で、雑談と変わりない調子で唯陽に声を掛ける。


「唯さん。ちょっと窓の方を向いて」

「え?」


 脈絡なくそう切り出した黄泉路に釣られ、唯陽は今までの経緯もあって疑問を口にするよりも先、反射的に顔を窓の方へと向ける。


「何か見えますの?」


 純粋に、何か珍しい物が見えるのかと僅かに声を弾ませた少女に対し、黄泉路は自身に責任がある訳でもないにも関わらず多少の罪悪感を内に宿しながら声を落として理由を口にした。


「通路側に怪しい動きの人が居る。まるで人探しをしてるみたいな、ね」

「――ッ、それって」

「静かに。そのまま窓の外を眺めていて。不自然に動かなければ服装も違うから大丈夫」

「わ、わかりましたわ」


 反射的に通路側へと顔を向けそうになった唯陽に待ったをかけ、努めてゆっくりと話しかける事で慌てない様に制止すれば、唯陽はそわそわとしつつも指示には従う様で、俯きがちに窓側へと視線を向けたまま黄泉路へと問いかける。


「良く分かりましたわね」

「たまたまだよ」

「それで……その、どうしましょう?」


 顔の向きはそのままに、通路側を歩いていた体格の良い男達が歩き去ってゆくのを視界の端で見届けた黄泉路は改めて唯陽に視線を向ける。


「唯さんはどうしたい?」

「え……?」

「今回の外出は君が望んだことだろ?」


 黄泉路は自身でもどうしてこんな事を言っているのか分からない。捜索の手はホテルの外にまで――恐らくは薄くとも東都全域に伸びている現在、黄泉路自身の安全や今後の活動を考えるならば早急に離脱した方がいいことくらい重々承知していた。

 けれど、身の安全を理由に目の前の少女に自首(・・)を促すのは、何かが違うような気がしていた。

 だからだろう。唯陽自身に、どうしたいのかを問いかけたのは。


「私……は……」


 ややあって、唯陽は迷う様な調子で窺う様に黄泉路を見つめながら、言葉を選ぶように口を開く。

 黄泉路に否定されるのではないか。拒絶されるのではないかという不安と、まだ甘えてしまっても良いのだろうかという思惑が入り混じった瞳で黄泉路を捉えつつ、遠慮がちな本心が音となる。


「まだ、帰りたくありませんわ!」

「そっか」


 しかし、黄泉路の返答は短い。

 てっきり何か言われることを覚悟していた唯陽が拍子抜けしたように目を瞬かせていると、黄泉路は伝票を手に席を立ち、


「次は何処が良い?」

「え、えっ!?」

「最初に言ってたし、カラオケにする?」


 話は終わりとばかりに話題を切り替えた黄泉路に目を白黒させつつも、唯陽は置いて行かれぬように後を追う。

 支払いを終えて待っていた黄泉路は唯陽が追い付いてくるのを確認すると、先ほどまでと同様に気負いなく歩き出す。

 人の波の間を抜けて歩くふたりに向けられる視線は少ない。

 元々娯楽施設同士が近い事もあり、程なくしてアミューズメント施設を抜け出して近場のカラオケ店へと入れば、ゲームセンターとはまた違った曇った喧騒が上階から響く。


「とりあえず1時間で良かった?」

「ええ。勝手がわかりませんし、黄路さんにお任せしますわ」


 部屋へと向かう間、黄泉路が苦笑交じりに話しかければ、唯陽は先ほどまでの少しばかり緊張した顔色が少しばかり和らいだ様子で個室の扉が並ぶ廊下を時々中を覗き込む様にしながら答える。

 追跡者によって遠のいていた弛緩した空気が戻ってくる――かに思われた時だ。


「唯さん」

「え? ――きゃっ」

「静かに」


 唐突に空き部屋へと唯の手を引いて連れ込んだ黄泉路は室内の灯りも灯さぬままに唯陽の口を塞ぐ。

 咄嗟の事に悲鳴混じりの戸惑いを見せる唯陽に言い聞かせるように、そして扉からは死角になる様に身体を密着させた黄泉路が耳元で囁けば、唯陽は火を噴きそうなほどに赤らめた顔で小さく頷く。

 そうして密着する事、1秒、2秒と、唯陽は高鳴る鼓動が普段とは違った秒針を刻むのを自覚しながらも息を止める。


「(殿方に抱き寄せられるなんて……それにこんな暗い部屋で……)」


 扉のから隠れるように位置している所為で外の様子が分からない為、自然と唯陽の視線と意識は自らを抱き留める黄泉路へと向けられる。

 黄泉路の方が僅かに高いとはいえ、黄泉路の身長は高校1年の時から変わっていない事もあり唯陽とさほど変わりなく、唯陽は黄泉路の顔を間近で覗くこととなる。

 今までは状況の方に気を取られ、さほど気にしていなかったものの、黄泉路の首筋や輪郭、通路の方に意識を向けているらしい真剣な眼差しなど、唯陽にとっては間近に見る機会のない男の顔がそこにはあった。

 意識してしまえばしてしまうほどに高鳴る鼓動を押さえつける様にぎゅっと目を瞑る唯陽の様子はなんとなしに気が付いている物の、廊下の端に見えた追跡者に意識を向けていた黄泉路はその緊張が自身へと向けられているものであったことには気づくことはない。

 思うのは精々、この逃避行に付き合うことを決めたものの、どこまで手を課すべきだろうかという悩みくらいなもので、


「(それほど連れ戻されるのが嫌なのか……)」


 服を強く掴まれる感触を感じながら黄泉路は廊下の動きに注目し続けていた。

 やがて、騒音に紛れていた規則正しい足音が次第に近づき、黄泉路達の隠れる部屋の前を通り過ぎて、再び喧騒の中へと消えてゆく。


「……」

「……もう大丈夫そうだね」


 そっと息を吐きだした黄泉路が一歩退けば、先ほどまでの密着ぶりが嘘のように距離が開き、唯陽は塞がれていた口から思わず小さな音を漏らす。

 その音は黄泉路が追手から隠れきれたことへの安堵よりも、黄泉路が離れてしまった事にたいする物が強いようで、口に出してから慌てて自らの手で口を塞ぎ直す唯陽に、黄泉路は小さく首をかしげるのだった。


「あ、あの」

「たまたまさっきレストランで見かけた人たちの行き先と被ってたみたいだ。これでしばらくは安全だろうし、部屋に行こうか」

「え!? あ、はい、そうですわね」


 てっきり、今度こそ危険や、追われている事そのものに対しての言及がある物と、冷静になった頭で言い訳を考えていた唯陽は黄泉路の発言にあっけに取られてしまう。

 とはいえ扉を開けて歩き出そうとしている黄泉路をあえて引き留めてまで自ら踏み込む話題でもない為、唯陽は乱高下する内心を飲み込んで後を追った。


 黄泉路がとった本来入る予定だった部屋に辿り着いたふたりは一旦ソファに腰を下ろす。

 扉が閉まっていればそれなりに防音性が保たれることもあり、ふたりしかいない無言の空間は唯陽の内心の迷いを助長させるように静寂が横たわっていた。

 カラオケルーム自体は先ほど、偶発的には言え入っている為驚きが少なく、代わりに動き出した機器を興味深く覗き込みながら唯陽は意を決して口を開く。


「……黄路さん」

「何?」

「なにも、お聞きになりませんのね」


 聞きようによっては催促する様にも取れる問い掛けに、黄泉路は少し間を置いた後に唯陽に顔を向ける。


「唯さんが聞いてほしいならそうするけど、唯さんは黙って居たかったんじゃないの?」

「……」


 黄泉路の反応は至極当然――というより、唯陽からすれば願ってもない気遣いだ。しかし、


「私は……どうすればいいんでしょう?」


 ぽつりと零されるのは紛れもない本音。

 逃げてきたは良いが、いつまでも逃げ続けることなど不可能だと、唯陽には分かっていた。

 けれどどうしても、直面した現実をはいそうですかとそのまま飲み込む事だけはしたくなかった。

 それ故の、一世一代の大きな反抗。着地点など決めずに飛び出した自身の浅はかさが、フォローしてくれる見ず知らずの男性にのしかかってしまっている申し訳なさを潤滑油に吐き出されてゆく。


「お父様の言う通り、結婚はいずれしなければならないのは分かっておりますの。けれど……私は、お父様の決められた通りの、顔も知らなかった殿方と添い遂げるなんて納得がいかなくて。だってそうでしょう!? お父様はお母様と大恋愛の末に結ばれたと聞いておりますのに、私にはそれを許さないなんて納得出来る訳がありませんわ!」


 堰を切った様に流れ出す唯陽の不満に、黄泉路はただ静かに耳を傾けていた。

 次第にお見合いへの不満から、父親への尊敬交じりの――敬愛しているからこその、同じことを望んではいけない不満へと移り変わって行き、不満という不満を吐き終えた唯陽は少しばかり疲れた様な声音に目尻に涙を湛えた瞳を黄泉路へと向けて問う。


「私……どうすれば良いんでしょうか」


 初めに口にした問いと同様の言葉。けれど、続く言葉もない静寂の中、黄泉路は自身が何故、立場の危険を冒してでもこの少女の逃亡劇に付き合おうと思ったのかを理解していた。


「(ああ。そっか。――この子は、本気で悩んでたんだ)」


 初めは、夢見がちな少女の軽はずみでやんちゃな逃避行ごっこだと考えた。けれど、本当に真っ直ぐな、いっそ清々しいまでの性根の少女にとって、今回の騒動は家出を決意するほどの重大事件だったと、それを漠然と認識できていたからこそ、黄泉路は手を貸そうと考えたのだと自覚する。

 その上で事情を聴いて、黄泉路の考えは固まった。


「――唯さん」

「黄路……さん?」

「唯さんがお父さんの事が大好きだっていうのは良く分かったよ。でも、だからこそ、このまま逃げ続けるわけにもいかないってことも、唯さん自身がよく理解してる事もね。……だからその上で、僕はこう言おう。君は帰るべきだって」

「……」


 唯陽の表情は変わらない。元より、自分でもいつかは醒める夢だと分かっていた。それ故に、目の前の少年の意見も至極真っ当な物だと、観念するような気持ちで受け止める事が出来た。しかし、


「でも、それは今じゃなくても良いと僕は思う」

「――えっ」

「真剣に悩んで考えた結果なら、君のお父さんは――もしかしたら怒るかもしれないけど、全く無視するって事はないと思うんだ。だから、君自身が悩んで、考えて、父親に伝えるべき自分自身の言葉を探すと良いんじゃないかな。少なくとも、それまでは。僕は君に手を貸すよ」


 続けて口にした黄泉路の提案に、唯陽は目を瞬かせて一瞬思考が止まった様に、けれど浸透する様に言葉が意味を伴って胸の内に染み込んでくるにつれて、唯陽は自身の口元に手を当てて、震える声で確認する。


「……私、こうしていて、良いのでしょうか」

「無理に帰ってただ怒られて終わりになるなら、せめて意味のある物にした方が良いと僕は思うよ」

「私、貴方にこれまで以上の迷惑をかけるかも知れません」

「ホテルを連れ出した時点で、覚悟してる」

「私――」


 言葉に詰まりながらも、震える声で唯陽が問う。


「まだ貴方に助けてもらっても、良いんでしょうか」

「僕で力になれるなら」

「……ありがとうございます。私の、王子様(・・・)


 黄泉路の差し出すハンカチで目元を拭った唯陽は、嬉し気に、気恥ずかし気に。その名の様に笑った。

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