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2-5 ホームシック3

 がむしゃらに走り続けた出雲は、いつしか懐かしい場所にたどり着いていた。

 そこは、出雲がかつて能力者に襲われ、人生の歯車を盛大に狂わせてしまった原因の袋小路。

 自然、走った後の疲労や息の乱れとは関係のない鼓動の早まりを感じて、出雲は静かに路地の壁面に背を持たれて座り込む。


 「……常群……」


 思い返すのは、先ほど目が合った青年のこと。

 とっさに逃げ出してしまった出雲であったが、結果的にはそれでよかったのではないかと思ってしまう。

 記憶の中にある姿を少しばかり成長させ、垢抜けたらああなるだろうなという風な容姿をした青年が、知らない友人だろう青年に常群と呼ばれていた。

 常群、などという珍しい苗字はそうそう多くはないだろう。ならばあれこそが出雲の良く知る常群幸也であったのだと、出雲は深く息を吐く。


 「……幽霊でも見たような顔って、ああいうのを言うんだろうなぁ」


 自嘲気に呟いた声が、しんと静まった路地裏に反響して溶けて消える。

 視線の先、自身の手に目を向けて、出雲は再び大きく息を吐いた。

 視界に映る出雲の手は何の変哲もない。15年間慣れ親しんだ自身の手だ。

 しかし、それではおかしいのだと、常群の姿を見た今となっては現実を認めざるを得なくなっていた。

 施設に監禁されてから、少なくとも常群がああした成長を遂げる程度には時間が経っていたのだ。出雲自身、多少なりともの成長は遂げていなければ不自然なのだ。

 にも拘らず、出雲の体は監禁された当時に着用していた制服を難なく身に纏え、それがまったくの違和感を感じないほど成長の跡がない。

 施設に入っていた間の時間がそのまま止まっていたのではないかと思えるほどの変化のなさであった。

 明らかに異常である自身の身体にいよいよもって人外になってしまったのだと自覚した出雲の瞳からは、収容所内でいくら流したかも分からない涙が溢れ出してしまう。


 「……ぅ、ぅ……っ」


 袖口で拭っても拭っても溢れて来る涙にぼやける視界。

 その端にちらりと映ったのは、いまだ掃除をしても落ちきらない自身の血痕。

 認識してしまえば、いかに人外へと変貌してしまったとして、自身が生きていられるのもそのお陰なのだという事実を否が応でも突きつけられてしまう。

 人外となった自身を認めたくない心境と、そうでもなければ今こうして生きていないのだという事実との間での葛藤で再び視界が滲む。

 漸く泣き止んだのはそれから暫く経った頃で、ゆるゆると壁伝いに立ち上がった出雲は改めて鞄を抱えて重い足取りで歩き出す。

 実家へと顔を出すという目標へのハードルは急激に上がってしまったが、少なくとも、ここでホテルへと引き返すという選択肢は出雲の中には存在しなかった。

 ならばいつまでも路地裏でなき続けていても仕方がないのだと、保留と言う形で一応の折り合いをつけた出雲はだいぶ高くなった日の光が差す方へと歩を進める。

 がむしゃらに走り、感情を整理していた間に時間もだいぶ過ぎていた様で、先ほど常群と遭遇した場所とは違う路地裏の終わりから表通りに面した場所へ出た頃には日は既に天高く昇っており、街頭のテレビに表示された時刻は13時40分を指す頃合であった。

 予想外に時間をかけすぎてしまった事を理解した出雲は通勤、通学ラッシュも一段落がつき、人通りも少なくなった大通りを足早に横断する。

 もはやすぐそこに住宅街が広がっており、町並みに多少の変化はあれど自身のホームと呼べる領域を歩いている事に間違いないのだと確信して心なしか足取りが速くなっていった。

 さすがに白昼の住宅街だけあって人通りは皆無に等しく、閑静な住宅街という表現はこういう時に使うのだななどと割とどうでもいい事を考えることで問題から思考を逸らして出雲はブロック塀に挟まれた道を走る。

 息を乱す事もない出雲は、かつてならば数十分をかけて歩いた道をものの十数分まで短縮し、とうとう自身の生家が見える位置までやってきていた。


 「――あ、はは……っ」


 零れた笑い声は酷く複雑な感情を孕んでいた。

 無論、家へと無事に帰れた喜びと自身の家がかつての記憶と変わりなく存在していた安堵もある。

 逆に、死んだと告げられた自身が変わらぬ姿で顔を出したら受け入れてもらえるのだろうかという不安や恐怖、戸惑いといったものも含まれ、すべてが闇鍋状態となった結果として漏れ出した笑みであった。

 自然と駆ける足が緩やかになり、自宅の前まで来る頃には足取りは歩いているのと変わりなく、敷地の前で立ち止まって自宅を見上げる。

 記憶の中にあった自宅は都心から離れているとはいえ都内の一軒家で、住宅街の中では特に目立つ事もないベージュの壁面に傾斜のゆるい屋根、小さな家庭菜園がある極々一般的なものであった。

 出雲の目の前には当時と変わらない自宅の姿がある。

 ベージュの壁面は経年劣化によって多少色褪せ、家庭菜園の種類も違っていたが、それを差し引いても常群の時のような衝撃はなかった。

 にも拘らず、出雲は敷地の前、あと一歩踏み出せば敷地内に入るという位置で固まってしまっていた。

 この期に及んで足が竦むなどとは出雲自身ですら想像もしていなかった。

 ただ一歩、踏み出すだけで言いというのに足は一向に前へと動いてくれない。

 内心の葛藤のままに立ち尽くす出雲の耳に、ガチャリと扉が開く音が聞こえる。

 出雲が視線をそちらへと向ければ、今まさに自宅の扉が開き、中から誰かが出てくるところであった。


 「――い、ずも……?」


 掠れた様な母親の声と、母の手に持っていた買い物鞄が玄関に落ちる音が微かな音を立てたのは同時のことであった。

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