8-2 御心文書2
「すみません遅くなりました!」
そう言って黄泉路が駆け込んだ室内には4ヵ月前とほとんど変わらない顔ぶれが勢ぞろいしていた。
会議用の大部屋に設置された円卓、その席にぐるりと座っているのは三肢鴉の各支部長達だ。
明らかに殴り倒された痕が目立つ勇未子を俵担ぎにした黄泉路の姿にぎょっとする面々の視線に、当事者である所の黄泉路が気まずさも割増しと言った具合でなんと釈明しようかと視線を泳がせていれば、
「構わない。開始時間までまだ少しある」
会議室入口の丁度対面の席に腰かけたリーダー、神室城斗聡がさらりと事情を纏めて流す様な一言で助け船を与えてくれ、黄泉路はこれ幸いと室内へと一歩踏み込む。
「あ、黄泉路君こっちこっち。勇未子君渡して」
「薬研さん、お願いしても良いですか?」
「勿論だよ。俺はこういう時の為に居るんだからね」
勇未子を担いだままというのもどうしたものかと思っていた所に掛かった声。黄泉路はそちらへと顔を向ければ、支部長ではないものの、同等に重宝されている医療系能力者である薬研が壁際で手を振っていた。
黄泉路と初めて会った時と比べれば幾らか白髪の割合が増えた物の、そのふくよかな身なりは依然変わりなく健康そのものと言った具合で、黄泉路は会釈をしながらそちらへと寄って行く。
「見た感じ打撲だけみたいだね。まぁ、ちょっと激しい訓練って事にしとこうか。治療しとくから黄泉路君はもう行っていいよ」
開業医として営業する傍ら、三肢鴉の要請によって方々に飛び回っては自身の能力である【治癒力強化】と通常の医者としての技能を併用してけが人や病人の治療を行ってくれている薬研がこの場にいるのは何も偶然ではない。
今回の招集内容は前回の事にも大いに関わりがあり、事後処理として作戦に参加した薬研も報告の為に参加しているのだ。
「はい、ありがとうございます」
謝意を述べて廻と共に既に揃っている夜鷹支部の面々の下へと向かい出せば、すれ違う他の支部員達が黄泉路に対して会釈する。
黒雪岳火災事件と世間で呼称されている戌成村防衛戦以来、縁の薄かった支部でも黄泉路の認知が進んだ結果と言えるだろう。
気恥ずかしさも合わさって視線を巡らせながら人と人の間を抜けて行けば、以前とは違う点が嫌でも黄泉路の目に付くようになる。
ほとんど変わらないとはいえ、多少の面子の入れ替えはある。支部長の護衛や傍付きとして同行してきている支部員達だ。
全く顔ぶれが違う支部もあれば、数人ほど前回と違う支部もある。その法則性に気付いてしまえば、黄泉路は気恥ずかしさなどさっと引っ込んでしまい、自身の引く廻の手を軽く握り返して早歩きになり夜鷹支部の面子に合流を急ぐ。
――ここに居ない顔ぶれ。それは4ヵ月前の防衛戦で重症または、死亡してしまった人達だ。
中には黄泉路がもっと早く駆けつけていれば魔女――黒帝院刹那に殺されずに済んだ人も居たかもしれない。
すべては仮定の話だ。悔やんでも仕方がなければ、こうして罪悪感にも似た感情を抱く事が侮辱になり得る可能性もある。
故に、黄泉路は誇るでも負い目を感じるでもなく、ただ自らの居場所に収まるべく足を急かせる。
黄泉路と廻が夜鷹支部の支部長席後方に並んだ美花とカガリの間に並べば、リーダーがぐるりと円卓を見回してから口を開く。
「これより三肢鴉緊急会合を始める」
――緊急会合。そう、本来であれば支部長会合を行うにはまだ聊か期間があるはずの時期にも拘わらず、御心紗希の時同様に各支部の面々が顔をそろえている理由であった。
リーダーの口から明確に発せられたそれは室内の空気を震わせ、僅かに残った個々の呟きを飲み込んで空間を静寂へと塗り替える。
「今回皆を集めたのは、先の一件からの各々の調査結果や見解、それらに関する対策についての話し合いだというのは事前に通達した通りだ。まずは調査結果から聞こう」
静けさの中に良く通るリーダーの声に促され、各自で行われていた調査が支部長の口から、または後方に控えた随伴員の口からなされる。
それらの情報は夜鷹でも情報担当にあたる標が調べており、重複するものもあったものの、一個人の情報網よりも組織として統合される情報の方が精度も幅も広いことは言うまでもなく、標の調査だけでは見えてこなかった全体像がはっきりと浮かび上がるにつれ、黄泉路は事の重大さに気が張り詰めるのを感じていた。
「……と、以上の点、また他支部の調査結果を踏まえて考えるに、ここひと月にかけて裏社会における能力者人口が増加傾向にあります。これは過去例を見ない変化であり、今後この傾向が続く場合に備えた対策が急務であると考えます。私からの報告は以上です」
円卓の席順に報告が一巡りし、最後の報告を行っていた小里井支部長の言葉が途切れ、会議室の中に沈黙が降りる。
それもそのはずだ。前回の支部長会合にて三肢鴉全体として取り組んだ大規模作戦――世間でいう黒雪岳火災事件は、超能力の原理と発生プロセスを解明し、人工的に能力者を作り出すことを可能とした研究を持つ御心紗希の保護を目的としたもの。
その当人こそは保護出来たとはいえ、多くの犠牲を払ったにも関わらずこうした大きな影響が出てしまっているのだ。
特に多くの構成員を失った支部の雰囲気は重い。
最後に報告を行った小里井こそが、最も犠牲を多く出してしまった支部である事も、報告後の空気を重くしている一因であろう。
十分な沈黙――黙祷にも似た静寂――が流れた後、リーダーが徐に口を開く。
「皆、ご苦労だった。……次の話に移るとしよう。とはいえ先ほどまでの報告と無関係というわけでもない」
そうした周囲の反応を見越してか、リーダーがさっと手を挙げる。
「というわけでーぇ。ここからは私が話をするとしようかーぁ」
間延びするようなゆったりとした女性の声がリーダーの背後に現れ、同時に、どうしてこの場に姫更の姿だけが無かったのかを黄泉路は理解した。
「世間では御心文書――まぁ、私の書いた論文が元になっているから間違ってはいないんだけどーぉ、こうして声にすると気恥ずかしい物があるねーぇ。……それはさておき。私の研究内容についての詳細を開示してほしいという要請があってねーぇ。どうせならという事でこの場を借りさせてもらったという訳だよーぉ」
姫更と手をつなぎながら、リーダーの後方から進み出てきた御心紗希が円卓を、会議室の壁際に沿って居並ぶ随伴員達をぐるりと一瞥する。
そんな紗希の視線が一瞬だけ黄泉路と合わさった所で止まり、黄泉路はその視線に対して小さく頷く。
前回、黄泉路は支部長である皆見の代理として会合に出席していた。しかし現在は支部長として本人が出席している以上、黄泉路がこの場にいる理由は皆無であった。
随伴員としてならばカガリか美花のどちらかが居れば良いからだ。
では何故黄泉路がこの場に居るのか。それは他でもない御心紗希からの指名があったからであった。
恐らくはこれから自身にも関係のある話が行われるのだろうと黄泉路が内心で身構えていれば、紗希の身振りによって会議室の照明が落ち、代わりに姫更が設置したであろうプロジェクターから画像が映し出される。
「さて、私が研究していた内容についてはご承知の通りだとは思う。“能力と呼ばれる科学法則の外側にある理”の解明と、その行使者――つまりは能力者についてだ。そして、私はこれらの研究の末にある存在に辿り着いた」
プロジェクターの映像が移り変わり、たった一言。文字が表示される。
「“想念因子”。科学においてこの世界を構成しているとされる波形、量子よりもさらに緻密かつ複雑な挙動を持つ極小存在、それが全ての源である事を突き止めた」
映像が切り替わり、科学の教科書に載る様な量子の波形が映し出され、更にその波を拡大した図形が表示される。
「量子がこの世界を形作っているというのは、科学知識を持ち合わせている者ならば触りくらいは聞いたことがあると思うが、私はそこにこう付け加える。世界は“認識によって存在そのものを変質させる微量子の塊によって作られている”と」
それは以前、黄泉路が自身の能力の拡張についての相談を持ち掛けた際に出された解答――その中で触れられていた内容であった。
「そしてこの因子の性質というのは一言で表わすならばまさに万能。観測者の認識によって如何様にも性質を変える不安定性こそがこの因子が今まで発見に至っていなかった最たる理由と言えるだろう」
プロジェクターに表示される細かなデータの推移や、同じく超能力研究を行っている研究者の論文からの引用などを示しながら発表する紗希の発言を正しく理解できるものなどこの場では限られているだろう。何故自身がこの場に呼ばれたのかという疑問が再熱するのを感じながらも黄泉路が内容を理解しようと意識を集中していれば、紗希の研究発表も佳境に入ったようであった。
「――つまりは、能力者はこの世界の人類が持つ共通認識によって変質した想念因子を極小規模で改変する事で能力という現象を発現させていると言えるわけだね。そしてその理論を実証する為に私が作成した試作機。君たちが“人工能力者生成装置”と呼ぶものを作成したわけだが、私が作成したのはあくまで2つ。サンプル自体はあの事件で行方知れずだが、昨今の能力者増加はこの2つで起きている物とは思えない分布をしている。……私の論文そのものからの再現品が使われている可能性が濃厚だろう」
プロジェクターの映像が終わる。
室内に再び明かりがともされるが、照らし出される各々の顔は晴れない。
より鮮明になった事態の深刻さに誰もが口を噤む中、リーダーが問う。
「朝軒廻。この件に関しては?」
視線は変わらない物の、ゆらりと。
室内の気配という気配が移ろい、隣に立った少年へと向けられるのを黄泉路は肌で感じた。
未来を視る者。その価値を認められ、先の一件では重要な作戦の要に据えられていた少年は、問いを先回りしたように、無言の重圧の中でやんわりと答えを口にする。
「――及第点。ですかね」
ざわりと気配が揺らぐ。その答えはまるで、初めからこの結果すらも受け入れていたようにすら聞こえたからだ。
「そうか」
しかし、リーダーが短い返答のみに留めた事でそれ以上の追究をする雰囲気ではなくなり、代わりに掛園紫が雰囲気を変えるべく口を開く。
「終わった事の良し悪しを言っても仕方がありません。研究についてはどうしようもなく、今後の情勢の大幅な変化は認めざるを得ないとはいえ、幸い、私達は御心博士の保護に成功しています。今後とも御心博士と協力体制を敷きつつ、当面の目標は紛失した試作機2つの回収と、新たに作られたであろう生成装置の回収ないし破壊。これらを念頭に、新たに増えるであろう能力者に対する対応を考えるべきでしょう」
話の筋が本題へと戻れば、先ほどまでの沈黙が嘘の様に会議が進行し、各々の受け持つ地域を主とした情報交換や提案がなされてゆく。
そんな中、流れを見守っていた黄泉路の視界の端。
リーダーの後方に下がって会議の流れを眺めている紗希の口元に微かな笑みが浮かんでいたのに気づいたのは偶然だった。
本当に微かな、ともすれば目の錯覚といえるほどのもの。けれど、紗希は黄泉路の視線に気づいたように視線だけを黄泉路へと向け――
「兄さん」
「廻君?」
「そろそろ結論が出そうですよ」
「あ、うん」
袖を引く廻に気を取られた黄泉路が再び紗希へと視線を向けた時には、既に口元からは笑みが消えていて、
「(気のせい……じゃないよね)」
黄泉路は内心首をかしげるものの、確認する程の事でもないだろうと、黄泉路は再び会議へと意識を集中させた。