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7-49 かくして時代の幕は上がる

 世間では黒雪岳火災事件と呼称され、連日の忙しない消火活動がようやく終息した翌日。

 黒煙が暗雲の様に薄く広がっていた時とは打って変わったような青々とした空の遠方では未だに報道ヘリが数台、焼け落ちた後に何かネタが拾えないだろうかと行き交っていた。

 本来であれば緑と、これから来るであろう紅葉のシーズンには色とりどりの葉で鮮やかな色彩を見せたであろう山の斜面が一部、丸々焼け落ちて黒と灰で構成されたような異質な世界をカメラに収めていると、不意にTV会社以外のものらしきヘリコプターが真っ直ぐ火災で焼け落ちた地点へと向かって飛行している姿にパイロットが気づく。

 そのヘリは社名などの記載が一切なく、一目で同業者ではない事はすぐにわかった。だが、だとして民間のヘリであることはなおさら在り得ない。

 事件から数日、火災が完全に鎮火して終息宣言が出ている今をしても報道カメラすら一定の空域以上から先へは一切進ませてくれず、違反した番組はその事実を番組中に謝罪する等、明らかな政府からの圧力が掛かっている程に厳戒な体制が敷かれているのだ。

 その事実は既に各社が好き勝手に報じており、一般人であっても今回の事件の物々しさが推察できる。そんな場所を態々民間人――それもヘリをチャーター出来る程の経済力のある、言い換えれば社会的地位のある人間だ――が破る事はリスクでしかない。

 であればあのヘリは何なのか。報道ヘリに乗り込んだカメラマンは持ち前の好奇心でもってカメラを寄せようとした。

 しかし、瞬く間に駆け抜けていく謎のヘリの姿は異様の一言で、本来ならばまずは撮影し、後程上司と掛け合って番組のネタになるかを精査するべき案件であるにもかかわらず、カメラマンはすっと構えていたカメラを下してしまう。

 黒塗りのヘリ、しかも速度的や操縦の腕から、民間人が操作しているものとは思えない精度で報道ヘリが飛んでいた空域を突き抜けて行くそれは、ある種触れてはならない物のように感じられてしまったからだ。


 件の黒いヘリは報道陣の視界から外れると、緩やかに高度を落として行く。

 周囲に溶け込む様でありながらも明確な違和感を感じさせる区域にプロペラ音を響かせながら舞い降りてくる。

 山中ということもあり、本来であればヘリが着陸できるような傾斜の少ないなだらかな場所はないはずであるが、その場所だけはしっかりと均されたように平坦で――まるでそこに人の営みがあったかのような不自然さが浮き彫りになった地帯に、ヘリは足を付けてプロペラの回転が落ちて行く。

 程なくして完全に停止したヘリの扉が開き、姿を現した人物は、周囲の光景とはまた違った意味で場違いという印象を与える。

 焼けこげた残骸と重なる様な、墨のような黒髪を頭の後ろで纏めた、まだ成人していないだろうとわかる少女。

 服装こそ汚れても良いようにという前提なのか、ラフなジャージ姿であるものの、同時に降り立った黒服サングラスと言った、如何にもな服装の人間と並んでいればその違和感は殊更強調されるようであった。


「ここが村の跡地?」

「ええ。そう聞いています」


 降り立った少女が歳相応の声音を響かせ、煤けて見晴らしの良くなった一帯へと視線を向ければ、脇に控えていた黒服が首肯する。

 実戦を想定した筋肉の付き方をしていることが、スーツの上からでも見て取れる屈強な黒服と、反して、健康的な印象はありつつも、世間一般の女子高生と同程度か、その中でも可憐さに比重の寄った美少女の会話としては非常にちぐはぐで、言葉の端から察せられるのは、少女の方が立場が上だという両者の認識だ。

 報道陣が締め出されているこの場所は、現在警察が現場検証を行っている真っ最中であり、当然、ヘリで乗り付けるなどという目立つ方法で登場したふたりの存在に気付かない者がいないわけがない。


「ここは現在警察が捜査中ですので、勝手に入って貰っちゃ困ります。場合によっては公務執行妨害が付きますよ」


 そんなふたりの下へ作業用の制服に身を包んだ警官が駆け寄りつつ渋面を作れば、少女を庇う様に黒服が一歩前へ。

 そして胸の内側のポケットへと手を伸ばそうとすれば、唐突な、そして型破りな登場に警戒していた警察官はさらに警戒度を引き上げて身構える。


「我々はこういう者だ」


 しかし、そう言いつつ取り出されたのは一通の書類。

 黒服の恰好から、銃などの危険物が出てくるのではと警戒していた警察官は訝しみつつ、折りたたまれた書類を開く。

 そしてすぐさま書類を畳み、黒服へと返すと略式の礼とともに道を開けた。


「失礼しました! 特殊対策課の方でしたか。捜査委任状ということですが……」

「我々は少々確認したい事があるだけですので、それが終われば引き続きそちらで捜査していただいて構いません」

「了解しました。それで、確認とは?」

「焼け残った建物があるって聞いたんですけど?」


 警察官と黒服のやりとりを遮り、少女が問う。

 その外見、身なり的に同僚である事はありえないだろう少女の問い。答えて良い物かと、もしくは、この少女は何者かと問う様な目線を警察官が黒服へと向ける。


「彼女は所謂捜査協力者でして。身元については此方で保証しますし、捜査の邪魔になるようなこともありませんのでご安心を」

「……そうですか」


 黒服からの答えは単純かつ明快だ。詮索するな、質問に答えろと言外に伝えてくる柔らかくも有無を言わせない言葉遣いに、警察官は訝しみながらも少女からの問いに対する回答を口にする。


「向こうに少し歩くと見えてくるはずだよ。ただ、上からの指示で中の調査はまだしてないし、形が残ったとはいえ崩落の危険もあるからくれぐれも気を付けて」

「はい。ありがとうございます。それじゃあ行きましょうか葉佩さん(・・・・)


 警察官の返答に満足した様子で、しっかりと頭を下げた少女が黒服へと声を掛けて歩きだせば、葉佩と呼ばれた黒いスーツに身を包んだ一般人とは少し違った空気感を持つ男もその後に続く。

 ちぐはぐだが詮索するわけにもいかない警察官はそんなふたりをいぶかしみつつも、自身に割り当てられた仕事に戻るべくその場を離れていった。


 少女の歩幅に合わせて歩いている為、平坦とはいえ元は山中に紛れる様に存在していた立地であるが故に進みは遅い。これが葉佩だけであればとうに目的地に到着していても可笑しくないのだが、少女の斜め後ろを歩く葉佩の表情に不満はない。

 立ち位置の関係からして、やはりボディーガードのようにも見える葉佩の立ち振る舞いに向けられるのは作業している警察官たちの好奇の視線だ。

 葉佩だけならば正しい令状等があれば外見的にも大人である為口をはさむことはできないが、見るに、主役は少女の方である。いったいどうすれば未成年者の一般人にしか見えない少女がこの場における探索を許されるのだろうかというのが、このふたりを目撃した警察官たちの共通の疑念であった。

 しかしそんな周囲の視線に気づいているのか居ないのか。少女は足元の煤や灰が服につかないかななどと場違いな不満を漏らしていた。

 程なくして、少女の眼にも建物の跡だとわかる残骸が――というよりは、そこだけ更に規制線で区切られた厳重に現場保存をされている場所が見えてくる。


「ああ。あれですかね?」

「そのようです。何か気が付きますか(・・・・・・・)?」

「んー。もうちょっと、寄ってみても良いですか?」

「構いません。その為の私です」


 葉佩に確認を取った少女が規制線を軽々と潜る。

 その後を追う葉佩の足取りを背後に感じながらも、少女はまるで観光地を歩いている様なゆったりとした無警戒な足取りで焼け残った建物――かつては御心紗希診療所と呼ばれていた建物へと足を踏み入れた。

 中は火が自然に鎮火するまで燃え続けたのだろうと分かる程に壁面から床、天井に至るまでが黒く変色し、所々に色が違う事で家具があったであろう場所が辛うじて推察できる程度という有様であった。

 踏み入れた瞬間、焦げた空気が鼻腔に刺さる。


「……けほっ。ひっどいですね。ここ」

「マスクは要りますか?」

「お願いします」


 事前にそういった事を想定していたのだろう。葉佩がポケットから数枚入りの使い捨てマスクを取り出して少女に手渡す。

 それで幾分かマシになったらしい少女は不満げに目を細め、入口から待合室であった室内を一瞥し、


「こっち、かな」


 ぽつりと、マスクで曇った声で呟くと、ふらりとその足を診察室の方へと向けて歩き出してしまう。

 とはいえ葉佩もそういった少女の行動にはなれているらしく、当たり前の様に立ち位置を保ったままその後に続けば、少女が焼け落ちた扉を抜けて診察室の中へと至り――


「……ここ」

「隠し通路……」


 煤に塗れ、灰に隠れた瓦礫の中に、床の一部が崩れたような場所を少女が指差せば、葉佩の持ち前の洞察力がそこに通路がある事を理解する。

 瓦礫をどかし、人ひとりが通れるほどのサイズまで通路の入口を戻せば、少女は臆することなくその中へと入っていってしまう。

 当然、明かりも何もない。それでまた文句が出ては困るとばかりに葉佩は少しばかり足を急かせて追い付こうとしながら、ポケットの中から、所謂警務用と呼ばれる類のライトを取り出して先を照らす。

 通路はそこそこの長さがあるようで、篭った空気が重く肺を締め付ける様な不快感があった。

 やがてただの通路とは違う、部屋らしき空間に出たふたりは、ライトが照らすままに室内の様子を観察する。


「研究所……でしょうか?」

「あ、葉佩さん。そこ、ちょっと照らしてもらっていいです?」


 ふと、少女が何かに気が付いたとでも言う様に葉佩に声を掛ける。


「はい、ここでしょうか」

「えーっと、ちょっと左ー……ああ、そこですそこです」


 葉佩が少女の指示通りの場所にライトを当てれば、少女はライトで照らされた先へと歩み寄り、家具や機材の残骸らしきものをどかし始める。

 そういった作業はもっぱら葉佩の役割である為、葉佩は照らす位置がずれない様に気を付けつつ慌てて少女の作業を代わろうと近寄り、


「……ケース?」


 少女が引きずり出した、煤けた――しかし元の素材が頑丈だからだろう、へこみもしていない綺麗な箱に目を見開く。

 葉佩が硬直してライトが照らし続けているのをいいことに、少女は箱を開けて中身を覗き込むと感嘆を上げた。


「わ。綺麗。葉佩さん葉佩さん、見てくださいよこれ」

「……腕輪のようですね」


 少女が開けたジュラルミンケースの中には、2個の腕輪らしきものがクッションの上に安置されているようであった。

 ようであった、というのも、葉佩にはそれが辛うじて腕輪だという事だけが分かるという奇妙な感覚と共に、それがただの物ではない事だけが分かるという不可思議な光景に見えてしまったからだ。


真っ赤(・・・)なグラデーションでキラキラしててめちゃくちゃ可愛くないです?」

「え、ええ。そう、ですね、綺麗だと思いますよ」


 まるで自身には見えていない物が見えている様な少女の口ぶりにはさすがの葉佩も言葉を詰まらせるが、少女の言葉を飲み込んで改めて腕輪を見れば、それは確かにうっすらと赤みを帯びている様にも見えた。

 不可思議な物体である腕輪を手に取り、ライトに翳してみながら少女は問う。


「たぶんこれの事だと思うんですよね。どう思います?」


 ただ、それに対する葉佩の答えはいつも一定だ。


「上司からは貴方の意見を優先する様にと」

「んー。じゃあこれが正解ってことで。帰りましょう。こんな所に長く居たら身体悪くなりそう」

「了解しました」


 相談とも言えない会話の後、少女は腕輪を収めた鞄を葉佩へと預けて地上へと来た道を戻り始め、来た時と同様に葉佩がその後を追う。

 診療所跡を出れば、やはり煤や灰のにおいが混じる空気ではある物の、絶えず循環している新鮮さというものは何よりも大事なのだと告げる様な軽い空気が肺を満たす。

 気負ってはいなかったとはいえ閉塞感はあったのだろう、マスクを取り去った少女が大きく伸びをしながら深呼吸をして、自身が乗ってきたヘリの方へと歩いて行く。

 その最中、少女は歩きながらポケットから携帯を取り出すと、登録してある番号を呼び出して何コールか待つ。


『……どうでしたか?』

「ばっちり見つけましたよ」

『そうですか。それは良かった』


 電話越しに、明らかに感情が揺れたように聞こえる男性の声に、少女は釘を刺す様に声を落とす。


「約束、ちゃんと守ってくださいね。我部さん(・・・・)


 それは歳相応の少女の声音であり、聞く者にとっては何のことはない言葉のようであったが、すぐ後ろで聞こえてしまった葉佩は分かり易い程に身を強張らせる。

 まるで、少女の言う約束という言葉が、こめかみに銃が宛がわれている状況と同等の危険度を孕んでいるとでもいうようなピリリとした緊張感。

 ややあって、電話口から諭す様な、殊更穏やかで理知的な声音を強調したゆったりとした男性の声が返ってくる。


『ええ。勿論ですよ、穂憂さん(・・・・)

「なら良いんです」


 少女――道敷穂憂は、うっすらと笑みを湛えた口元を隠しもせず、


「はやくお兄ちゃんと逢わせてくださいね?」


 それだけ告げると返答を待たずに通話を打ち切り、ポケットへと携帯を仕舞い込む。

 もう目と鼻の先に見えてきたヘリに歩み寄りながら、穂憂は自らの髪を留める安物らしき髪飾りに触れ、


「今度は、もうちょっと良い髪飾り、欲しいな」


 経年劣化によって所々塗装が剥がれ、欠けが出てしまっている髪飾りだが、それでも大事に使われている事が分かる。

 けれどやはり長持ちはしないだろうと使い手故に良く分かってしまう穂憂はそうつぶやくと、小さくため息をついてヘリに乗り込んでいった。

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