7-47 灼け堕ちた夜明け2
暗い夜空の静寂を裂くように、バララララララとけたたましい音を奏でながらプロペラを高速回転させて同じ空域を幾度も往復する様に複数のヘリが飛び交う。
開かれたヘリの扉から身を乗り出す様にして構えられた大型の報道カメラがズームで映し出すのは、眼下に広がる焼けた――否、まさに焼け拡がり、山はおろか近隣の人里すらも焼き焦がすのではないかと思われる様な未曽有の大災害だ。
「放水もっと強めろー!!」
「皆さんー! 指示に従って速やかに避難して……」
山と人里の境界では慌ただしく警察が、消防が、野次馬まで混ざった民間人が山ひとつが燃えるような、登りくる太陽すらも霞む火の海の明るさを前に慌ただしく蠢いていた。
サイレンと雑踏とプロペラ音とアナウンスが入り乱れる混沌。それを報道機関が逃すはずもなく。
「ご覧ください! 地元でも名峰として親しまれていた黒雪岳の大規模火災はなおも燃え広がっており――」
「火元はここより数キロ北上した先の山中とのことですが、報道機関に対し政府からの立ち入り禁止が下され――」
「消防が決死の消火活動を行っておりますが、完全鎮火には未だ目途が立っておらず――」
各社の報道ヘリに乗り込んだ、または最寄りの人里から山と人里の境界――規制線と消防・警察の人員によって封鎖された先を映すカメラの前でリポーターが捲し立てる。
消防車や消火剤を搭載したヘリが忙しなく動き回り、濛々と黒く空を染め、山の斜面を黒く染め上げて行く猛威に対抗する様に白を散布してゆく。
非現実的とも言える、史上数える程しか類を見ない程の大火災はその場所に村があった痕跡すらも覆い隠し、その木々の間に多くの人が居た事実すらも焼き消して、本物の太陽が頭上に君臨し、再び闇が空を覆い尽くして……。
それらの光景を記録した映像が打ち切られ、場面が報道番組のスタジオへと移り変わり、カメラを意識した半円型の長テーブルにずらりと並んだ男女が議論を交わす。
「政府発表によると今回の大規模森林火災による被害は、周辺の村の家屋が20棟ほど全焼ないし半焼、死傷者は無しとのことですが――」
「一説によると能力者が関わっているという話がありますが、敬晴大学教授で超常現象研究家の大峰先生にお話を伺ってみようかと思います。大峰先生、如何でしょうか?」
「一口に能力者と言いましても規模や発現現象は様々で、このような大規模な災害につながる例は過去に数度とない物です。ですからこれは個人による物というよりも集団、組織的な犯行とみるべきだと私は思いますね」
「ではかつての“能力者カルト教団テロ事件”と同様の?」
「そこまでは分かりません。ですが、今後能力者に対する警戒度は否応にも上がるでしょうね」
前傾姿勢でテーブルに腕を組み、尤もらしく語る大学教授に対して合の手を入れるコラムニストに、大学教授は緩やかに首を振ってカメラを意識した、意図して聞かせる様な確信的な声音で結論を付け加える。
話が一区切りついたと判断したアナウンサーが水を向ける様に視線を映せば、カメラがそれに追従して視点が切り替わり、歳の所為か表情筋がたるんだ、ここ最近では引っ張りだこの老記者へと画面が寄って行く。
「ありがとうございました。続いて政府の能力者事情に詳しい政治ジャーナリストの今田さんにお話を伺いたいと思います。今田さん、今後政府対応としてはどのような対策が取られるとお思いですか?」
「そうですねぇ。現在政府内でも対応が割れている所ですが、総理の側近筋の話ですと今週中には方策を提示するつもりだとのことです」
「ありがとうございました。この後は“増える能力者犯罪、今後の社会への影響は?”国際社会の対応例も交えて引き続き有識者の方々にご意見を伺っていきます」
進行役のアナウンサーがそう告げると、寄り気味だった画面が引くと共に軽快な音楽が流れ、コマーシャルへと映像が移り変わる。
流れ始める各社の宣伝文句。不安を煽り立てるような報道内容とは打って変わった、平和な日常がそこに確かに続いている様な緊張感のない音が画面の中で繰り返されていた。
「……はぁ、大事になったもんだねぇ」
そんなアンバランスなテレビの画面を眺めながら嘯くのは、バーカウンターの内側に持ち込まれた椅子に腰かける妙齢の女性だ。
いつ来店しても変わらない、当人のこだわりを感じる明るい茶髪のボブカットの毛先を指先で絡めてため息を零す。その表情は無責任に画面越しに囀っていたコメンテーター達の憶測を嘲笑う様な調子が多分に含まれていた。
開店前だからか、はたまた無人だからか。普段であれば厚めとも取れる化粧が施されている顔は素がさらけ出されており、恰幅の良さも相まって気怠さに拍車がかかっている様にすら見える。
そんな女性――孤独同盟において仕事の斡旋や仲介を生業としている女店主【計画仲介人】の独り言に応じる声があった。
「大事にしたのはあの魔女よ。確かにアレじゃなかったら突破自体難しかったかもしれないけど、あんなの反則よ反則」
「ま、アンタ含めてあたしが目を掛けてる人材が無事だったんだ。良しとしようじゃないか」
「よく言うわよ。単に便利なだけでしょうに」
カラン、と。グラスの中で氷を転がして【領域手配師】郭沢来見が白い目を向ければ、女店主はその言葉自体は否定する事すらせずに自身のグラスを傾ける。
「私の他っていうと、魔女はまぁ、無事なんでしょうけど。他は?」
「おや、気になるのかい?」
「まぁね。あれだけ大きな騒動だもの。顧客の顔が変わってるかもしれないんだから情報収集くらいはしておきたいじゃない」
「それもそうか。……そうさね。魔女のやらかし以前に身を引いていた【落星】に【潮騒】、それとふたりに引き摺られて運良く助かったのが十数人。あとは連絡が付いたのは……」
すらすらと指折り数えて上がる名は確かに来見も聞き覚えのある、所謂裏社会における有名人のもの。その内の幾人かは来見自身も場所提供という形でかかわった事もある。
しかし、あの日大仕事を受けた際に集められた人数からすると、やはり少ない。あの場以外でも声を掛けられ、各地から動員――または女店主の様に計画立案や仲介を生業とする同業者が女店主の独り勝ちにしないためにと送り込んできた競争相手など、数えたらきりがない程の無法者たちが集っていたはずであるが、それでも女店主が名を読み上げ終えるのにはさほど時間はかからなかった。
「……で、計画終了から今まで音沙汰なかった癖に、一体どういう風の吹き回しだい?」
回答を終えた女店主が、今度は此方の番だとばかりに来見へと問いかける。
その視線は若干の咎める様な調子が含まれており、心当たりのない来見は思い切り顔をしかめる様にしつつも口を開き、困ったような声音で応じた。
「どうもこうも、成功報酬を貰いに来たに決まってるでしょう」
「……博士の拉致には失敗したんだろう?」
「ああ、そうね。ずっと隠していたから、忘れているのも無理ないか」
ゴトリとカウンターに前触れもなく置かれたジュラルミンケースを認識した女店主はぱちりと目を瞬き、気だるげな表情が見る見るうちに驚き――それから苦い物を噛んだようなものへと変わり、その視線は横に倒したケースの上に手を置く来見へと向けられる。
「……あんた」
「これでも急いだほうなの。文句は聞きたくないわ。売り手と買い手の立場くらいわかっているでしょう?」
山道を歩き這う這うの体で逃げかえってきて筋肉痛なのだと、本気の恨み節を付け加えた来見に、女店主も本気らしいと分かれば出掛かっていた言葉を飲み込んで口を噤む。
歯に衣着せぬ物言いが性分の女店主であるが、その内面は拝金主義の成果主義である。ここで来見に機嫌を損ねられ、文字通り雲隠れされてしまえばだれにも追う事が出来ず、あれだけの大規模な作戦を立案しておきながら収益が取れないという最悪のパターンを引いてしまいかねないと嫌という程理解していた。
故に、女店主は盛大なため息を吐いた後にカウンターの裏から小切手を取り出し、ジュラルミンケースの横へと滑らせる。
「事前契約通りの金額だよ。文句ないだろ?」
「……ええ。確かに。ああ、これでやっと休めるわ」
ケースの上に置いた手を小切手へと移し、自らの方へと引き寄せるのを留める様に女店主が来見のぼやきに待ったを掛ける。
「ちょいまち。あんたにゃまだもう一仕事頼みたい所なんだ」
「……冗談」
「じゃあないんだねぇこれが。で、内容なんだけど――」
「ちょ、ちょっと待って! 私さっき帰ってきたばっかりなのよ!? 今だってもう足パンパンで会社にも有給無理やりねじ込んできた所なんだからぁ!!」
「そうはいっても、ほれ」
必死の抗議も虚しく、女店主は先ほどから付きっぱなしだったテレビへと来見の意識を誘導する様に示す。
そこに流れているのはコマーシャルが明け、再び先の事件に関する続報や、根拠もない飛ばしの入った推論で盛り上がる論客達の姿が映っていた。
『ですから能力者を取り締まる法案を強化すべき――』
『能力者もいち人間な訳でして……』
内容が内容である為、来見も他人事とは言えずに憮然とした表情で女店主へと視線を戻せば、女店主はやれやれと面倒臭そうに煙草に火をつけている所であった。
「判ったかい? アンタの持ってるそれは、持ち出すだけであれだけの騒ぎになってんだ。売り買いに持ち歩く為には万全を期したいのさ」
「……要は、いつもの場所提供をすればいいんでしょう?」
「そういうことさね。小切手にその分の手付金も含んでるから確認しな」
「分かったわよ。もう」
今後、社会情勢すらも揺るがしかねない特大のネタを抱え込んだというにも拘らず、バーの中で交わされる会話には緊張感がない。
自信があるというよりは、来見にとっては話が大きすぎて現実味に欠けるという方が近いだろう。
今の来見にとっては慣れない下山やバーまでの往路で全身に巡った筋肉痛こそが逼迫した事情なのだ。
「で? スケジュールはいつなのよ。明日明後日なんて言ったら治療代とマッサージ費も別途で請求するわよ」
「こういうのは水物だからね。早ければ早い方が高値が付く。……とはいえ、ブツがブツだ。内容を確認していくらか持ち掛けて、その中で条件に合う相手を探してからの取引になる。どんなに早くても今週中はありえないから安心しな」
「そ。朗報を期待してるわ」
席から立ち上がる最中にも全身にビシビシと針が刺さる様な特有の痛みに顔をしかめた来見を、女店主は苦笑交じりに呼び止める。
「仕方ないねぇ。ええっと、あの店はどこだったか……あったあった。ほれ、この店に行きな」
「……何の店?」
「アンタご所望のマッサージ店だよ。ちょいと早いがボーナスって所だ」
「気前が良すぎて気味が悪い……」
「なぁに、アンタにゃこれからも替えの利かない仕事をごまんと仲介するんだ。こういう気配りが仲介役の腕って奴さね」
「……そういう事にしておくわ。今から行っても?」
「あそこは基本紹介制で予約は取ってないからね。今の時間行っても問題はないだろうさ」
1回限りで女店主へのツケを容認するサインが付いた名刺を受け取った来見が今度こそバーを出れば、夏も終盤に差し掛かったというのにじりじりと照らす様な日差しが真上へと至り始めていた。
冷房の効いたバーから出た途端にじわりと汗をかいたような気になり、日陰を求めて痛む足に極力負荷を掛けない程度の速度で歩き出した来見はポケットから振動する携帯を取り出して耳に当て、
「――――」
「……」
通話先と何事か会話を交わした後、蜃気楼の様にその姿を滲ませて姿を晦ますのだった。