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7-44 不死の法則

 “勝利宣言には、少しばかり早いんじゃないかな”


 そう告げた黄泉路の声だけが、虫の囁きすらも途絶え、風さえも凪いだように静まり返った広場に不自然なほどによく通った。


「バ、バカな……」


 さも当然の様に、悠然と姿を現した黄泉路に刹那は一歩後退る。

 黄泉路の姿は戦闘開始時と変わりない。月光を吸い上げて宵闇に溶ける様な黒々とした髪も、世界の何処よりも昏く落ち込んだ魔女の陥穽にも似た漆黒の瞳も、全身を消し飛ばされようと蘇る時には何故か再現される黒い学ランも。

 何もかもが事象の逆回しの様に同一な黄泉路の存在に、刹那は戦慄したように肩を震わせた。


「そんな、はずはない」


 我知らずぽつりと呟いた、普段ならば在り得ないだろう発言すら自覚できない刹那は左右で違う金と赤の双眸いっぱいに黄泉路を映す。


「我が行使できる封印系の中でも最強の魔法だぞ!?」


 まるで、そこに黄泉路が存在する事そのものがありえない(・・・・・)とでも言う様に刹那が頭を振る。

 揺れる銀髪は月光に反射して尾を引くような、先ほどの銀色の残滓を思わせる神秘性すら感じさせる色相であったが、その下に覗く表情はとても神秘とは似ても似つかない、苦しみを堪える様に強張った表情。


「魂すら封じる魔法が破られるはずが――いや、まさか、まさか貴様!」


 ぶつぶつとうわ言の様に呟いた刹那がふと、何かに気づいたようにがばりと手を挙げる。

 大仰な身振りで顔の一部を隠す様に、翳された指の間から覗く金の瞳が黄泉路を見据え――


「貴様もなのか……?」


 ぎらり。刹那の左目、金色に変色した瞳が揺らめくように光った。

 夜の闇に浮かぶような視線が黄泉路の奥底までをも見定める様に瞬いたかと思うと、刹那は得心行ったとばかりに顔に翳していた手を離す。


「そうか、そうであったか……。判ったぞ、貴様の不死の法則(・・・・・)の正体――! 貴様もまた我と同じ“始源の業を持ちし者”」


 そのまま指先を黄泉路へと向け、


始りを司りし(プライマル・)常夜の王(グリムリーパー)! それが貴様の真なる業か!!」


 カッ、と。左右で違う両の瞳を見開き、突き付けた指の先までピンと伸ばされた堂に入った立ち仕草で刹那は吼えた。


「……」


 しかし、刹那が期待した様な反応はなく、ともすれば呆けたようにぼうっと立っているだけの様ですらあった。


「どうした、見抜かれぬとでも思うたか?」

「……ごめん。ちょっと、聞き取り辛くて……」


 気持ちよく自身の世界に入り込んでいた刹那であったが、さすがにこの段になってまで反応がないというのは不自然であると思ったのだろう。挑発混じりに声をかけるが、それでも黄泉路の反応は鈍い。

 心ここに在らずとでも言えばいいだろうか。戦意こそ落ちておらず、刹那の方へと視線は向けられたままだが、刹那の封印魔法以前まであった様な集中力が途切れている様であった。


「何か、言ってたように見えた……けど?」


 ふわりと、そのまま溶けて消えてしまうのではと思う程に儚げな印象のまま、黄泉路が問う。

 だが、それは刹那にとっては自信満々に宣告した台詞を無視されたという事実に他ならず、


「――ッ、あくまで貴様がしらばくれるのであれば……その本質をも貫くわが魔導にて引導を渡してくれる!!」

「っ」


 激昂した刹那の指、黄泉路へと突き付けられていたそれを振り払う様に――


「黒よ!」


 もはや何度聞いたかわからない程に黄泉路の耳に馴染んだ、省略された呪文の発動句(キーワード)を叫ぶ。

 手の動きに呼応する様に、刹那の能力が発動しようとしているのを知覚した黄泉路は右足に力を込めて左へと跳ぶ。


「黒よ、黒よ! 我が敵を呑め! 冥府より(きた)るかの王を虚無へと還せ!」


 激しく、しかし旋律に乗せる様な少女の声が響く。一瞬遅れて発生した常闇の陥穽の合間を潜る黒い影。

 黒と黒の鬼ごっこは周囲に僅かに残されていた樹木の残骸すらも飲み込み、山中という地形すらも更地へと書き換えながら破壊を振りまいて行く。


「どうした! 我を倒すのではなかったのか!? 逃げているばかりでは勝負にすらならんぞ!!」


 烈火のごとく吼える刹那に対し、黄泉路は無言のまま足を速める。

 刹那の振る舞いを無視するという形で地雷を踏み抜いた黄泉路であったが、実際意図して行ったわけではない。


「(く、そ……っ、さっきから、うるさくて(・・・・・)……刹那ちゃんに集中できない!)」


 ただ単に、今の黄泉路(・・・・・)には刹那に応じるだけの余裕がなかったのだ。

 素早く地を駆け、宵闇に紛れるその容姿をフルで活用しながらも回避に専念しようとする黄泉路は片手で頭を押さえて小さく呻く。


「(ああ、もう……、刹那ちゃんの弱点(・・)を引き出す為にも、前に出ないといけないのに――!)」


 頭の中を埋め尽くす勢いでガンガンと鳴り響く、




 ――死■■■な■!!! ■す■■■れ!! ■……あ■……■■……■ん■■■、■■る■■■■か―― 痛■、■い■■……っ……お■さ■……た■■■――■や■……■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■……




 ――声。

 それらは老若男女区別のない雑多な声だ。大きさも高さも明瞭さも、全てが全てバラバラなそれらに唯一共通するのは、


「(僕だって、死にたくないに決まってるだろ……!)」


 死にたくない(・・・・・・)。断末魔にも似た今際の言葉だけを切り抜いて集めた悲鳴の束が、黄泉路の頭脳をズキズキと責め立てる。

 まるで頭の中に大都市の雑踏がある様な、それらの音源が絶えず脳内に大音量で鳴り響いている様な。魂にまで染み込もうとするが如き声の群れが齎す鈍い痛みを堪え、黄泉路は乱され続ける思考を無理やり纏めようと大きく息を吸って吼える。


「うる、さい……うるさい!! お前等(・・・)一体何なんだ!!!」


 思わず口をついて出た言葉は傍から見れば脈絡もない。


「なっ、に……?」


 当然、刹那は困惑したように、足を止めてしまった黄泉路は恰好の的であるにも拘らず攻撃の手を止めてしまう。

 余裕と言えば聞こえはいいが、この場に限っては決してしてはならない類の油断であっただろう。


「さっきからずっと死にたくないばかりで、そんなの皆同じじゃないか!!!!」

「黄泉路、貴様先ほどから何を言って――」



 ――ぶわり(・・・)



 叫ぶ黄泉路が両手で頭を押さえ蹲ると同時に、黄泉路の足元から湧き上がったのは赤い塵。

 流砂の様な細やかなそれは大気に降れて固まった血液の様に赤黒く、同時に沸き上がる腐肉と錆びた鉄の様な刺激臭に刹那は咄嗟に口元を手で覆って数歩後退りする。


「……■■■■■」


 赤黒い塵が風もないのに巻き上がり、緩やかに渦を巻いては宙へと昇って消える。先ほど刹那が行った銀の粒子が齎す光景と対を成す悍ましさすら感じられる光景の中心、蹲った黄泉路の口から零れる音を、刹那は理解できなかった。

 辛うじて声だと分かるそれを、刹那は本能的に拒絶した。

 それは人が、命を持つ者が効いてはいけない類の呪詛。望まざる死を押し付けられた者達のうわ言は幾重にも重なり合った不明瞭な音。


「ひっ」


 刹那は短く、それこそ普段纏っている自身の在り方すらも放り投げて悲鳴を上げ、更に数歩後ろへと足を退いた。

 普段の刹那ならば唾棄すべき行為であるが、しかし、現時点においてはそれは正しい行いだっただろう。


 ――ざり、ざりざり。ざり。


 黄泉路の足元に広がった赤い砂を踏みしめる足音。だが、本来ならばそこにあってしかるべき足音の主は姿形すらなく、あるのはただ湿った砂地を踏みしめる様な、体重も大きさもばらばらな足音ばかりだ。


「く、黒よ!! 我が名において命ずる!! 目の前の、目の前の者を呑み伏せろ!!!!」


 幾分か引き攣った声音が迸る。しかし刹那の魔法(スキル)は当人の欲求を正しく反映し、黒い陥穽は赤黒い渦の中心に現出する。

 全てを圧縮して収束する黒き星は黄泉路諸共赤い塵を飲み込み、跡形もなく消し去る――はずだった。


「……ばかな」


 刹那の視線の先、一瞬たりとも放されていない視界の中にある黄泉路の姿は依然健在だ。

 いや、正確にはブラックホールは正しく効果を及ぼしている。けれども、吸い抉る端から赤い塵によって肉体が補填されることによって一切の損害が内容に見えていた。


「――ああ、そうか」


 不意に、黄泉路の口から聞き取れる言葉が零れる。

 酷く抑揚に乏しく、感情の削げ落ちた声音だがしかし、名状しがたき音源のみを聞かされていた刹那にとっては明確な変化と取るには十分な音であった。


「……ごめんね、刹那ちゃん。待っててくれたみたいで」


 大きく頭を振りながら立ち上がった黄泉路が、元あった地形を上書きする様に敷き詰められた赤い流砂を踏みしめる。

 さり、さり、と。黄泉路の足音だけが湿った砂ではなく、乾いた砂地を踏みしめるかのようなさらりとした音を奏で、踏みしめられた砂の色相が赤から銀にも見える蒼へと変じて行く。


「“静かにして”」


 黄泉路が足を踏み鳴らす。その瞬間、黄泉路の足元だけでなく、周囲を埋め尽くすようであった赤黒の砂地も、そこから天を目指そうとするかのように巻き上がっていた赤い塵も、それら一切が銀に澄み渡る蒼色の流砂へと色を変え、宙に解ける様に消え始めた。


「さぁ、刹那ちゃん。続きをしよう」


 鳴り響いていた声が凪ぎ、黄泉路の思考に明瞭さが戻ってくる。

 膜を張った様に薄ぼやけていた視界が澄み、黄泉路の瞳にも蒼が灯る。


「ふ、はっ。なんだ今のは、何だったのだ……! 貴様、一体何をした(・・・・・・)!?」

「何……か。僕でも良く分かってない事ばかりだから何と答えたらいいか分からないけど……」


 そうだね、と。黄泉路は小さく頷いて言葉を区切り、静かに微笑む。


説き伏せた(・・・・・)だけ、だよ」


 対して説明になっていない言葉、だが、黄泉路はそれで説明は十分だとばかりに、土が露出した地面を踏みしめて一歩、刹那へと向けて歩みだす。


「っ、黒き星よ!」 


 ――空間がうねる(・・・)


 予兆(・・)。先ほどまでよりもわかりやすいと感じるようになったそれを頼りに避ける――でもなく、黄泉路はただ、一歩一歩を踏みしめる様に刹那へと直進する。

 直後に現れた漆黒の孔が黄泉路ごとその場を飲み込み圧縮を始めれば、大気も空間も捻じ曲げる強烈な内向きの重力に抗う事も出来ずに黄泉路の姿は瞬く間に捻れ崩れて黒い孔へと吸い込まれてしまう。しかし、


「……なんとなく、掴めてきたよ」


 孔がふさがるよりも前に、孔を背にした黄泉路が蒼い塵を身から僅かに尾を引かせながら姿を現す。


「それが、貴様の本気という訳か?」

「さぁ。こうなったのは初めての事だから……うん、でも、今の状態が全力という意味なら、間違ってはいないね」


 ざり、ざり、ざりり。

 黄泉路が歩を進めるたびに、蒼銀の塵が足元に舞う。砂地を行くような足音、だが、それは黄泉路ひとり分のものだけではない。


 ざっ、ざっざっ、ざっ……。

 たった一歩の足音が何重にも、そこに何人もの人が居るかのように音を立てる。


「《地獄に佇む静けき女帝(ヘイルタナトス)》!!!」


 白き霧の女帝が黄泉路を抱く。

 しかし、次の瞬間には腕をすり抜けた黄泉路が涼やかな顔で冷気の余波に髪を揺らし、蒼銀の粒子を零しながら再び一歩を踏みしめている。


 止められない、止められない、止められない。 


 目の前を近づいてくる存在の足は決して速くない。それどころか、ゆったりと散策でもするかのような緩慢とした歩み。

 しかし、一歩、また一歩と近づいてくる圧力は刹那が今まで一度も感じた事のない様な、静かに凪いだ水面のようでありながら、海よりも深い圧を感じさせるものであった。

 黄泉路の拳が届くであろう距離まで、あとほんの数歩という所で、黄泉路が再び口を開く。


「どうしたの刹那ちゃん。さっきから見た事のある魔法ばかり。品切れかな?」

「くっ、言わせておけば……! ならば見せてやろう! “吹き荒ぶ風、大いなる者の息吹よ――”」


 平然と紡がれた黄泉路の言葉。だがそれは刹那の逆鱗に触れ、直前までの異様な雰囲気に呑まれかけていた刹那を結果的に奮起させてしまう。

 刹那が新たな呪文だろう詩を紡ぎ始めたのを聞くや、


「(ここだ)」


 黄泉路は緩やかな足並みから一転、姿が霞むほどの素早さでもって残りの数歩を一足で詰め―― 


「大海を超え、丘陵を駆……」


 呪文の完成が近づく、だが、黄泉路の方が一瞬早く刹那に到達する事は両者共に正しく理解していた。

 故に――


「っ、詠唱破棄!」

「しッ!」


 鳩尾目掛けて振り抜かれた黄泉路の拳から逃れようと、刹那は完成しかかっていた詩を中断して防御の呪文を唱えようとする。


「盾よ!」


 刹那の服に黄泉路の拳が当たったと同時に、服としてはありえない感触が黄泉路の拳に伝う。

 それはこの戦いの中で幾度も経験した不可視の壁、刹那を守る盾に阻まれた時のものだ。

 だからこそ黄泉路は一撃が決まらなかったことに落胆を持つでもなく、躊躇なく次の一手に打って出る。


「盾よ、盾よ! 女帝――きゃあ!?」

「魔法は使わせない」


 立て続けに打撃を放ち、反撃の為の口上を唱えようとしたのを見て黄泉路は脅す様に顔面へと拳を向ける。

 すると刹那は読み通り出掛かっていた呪文を飲み込んで両腕で顔を庇う。

 そこへ突き刺さる黄泉路の拳、しかし、直前で盾が間に合ったらしく大したダメージを与える事は出来ない。


「盾、盾よ、盾盾盾盾――!!!」


 黄泉路は刹那の口が動くのを注意深く観察しながらも攻め手を緩めることなく刹那を追い立てる。


「――やっぱり、刹那ちゃんは戦えるタイプの人間じゃないよ」


 今までとは打って変わって一切攻めに出られない刹那へと、黄泉路は攻め手を緩めることなく諭す様に語る。


「刹那ちゃんさ。確かに能力は一見強力だけど、前口上を一度は唱えないといけないって言うのは、どうかと思うよ」

「くっ、貴様に何がー―盾よ!」

「それに省略した単語でも何をするかが分かっていれば、この距離なら潰せる」


 黄泉路が見定めた弱点。それは、刹那の魔法は必ずしも万能ではないという事。

 最初に気になったのは、黄泉路がカガリや美花と共に戦場に駆けつけた際の所作。手を振り上げ、振り下ろそうとする。それだけには恐らく何の意味も無いが、あの時刹那は詠唱を省略して黒と呼んでいた魔法――極小のブラックホールを発生させる能力を発動させようとしていた。

 だが、黄泉路と1対1の戦闘になった途端、刹那は長ったらしい前口上――詠唱を使いだした。

 この両者の差異は何であるかを考察した結果、黄泉路は対象に対して一度は詠唱を聞かせているか否かだと判断した。

 前者の場合、黄泉路やカガリ、美花の他にも戦場で先んじて刹那と矛を交えていた者もおり、それらを対象とした場合は詠唱は必要ない。後者――つまり黄泉路との1対1においては、始めて繰り出す物に限ってはすべての口上を唱え、以降は簡略化した宣言で済ませている事から、黄泉路はその推論に至ったのだ。

 それさえ解っていれば、新たに魔法を唱えさせさえしなければ、既に発動してしまって居る技にだけ気を付けていれば突破口は自ずと見えてくる。

 能力(・・)が分からなくとも効果(・・)はある程度事前にわかってしまうという点が、黄泉路が思う刹那の能力の欠点と言える部分だからだ。

 刹那の能力は強力の一言であることは黄泉路自身体感し、認めている。本来であればひとつの魔法ごとにそれぞれの系統に特化・習熟した能力者が辿り着ける出力を誇る。それはつまり、刹那単独で呪文の数だけの能力者と同時に相手をするという事に他ならない。

 情報戦という向きのがより顕著に表れる対能力者戦においては、如何に相手の能力の形質を分析し、その対処法を如何に突いて――ないしは自身の能力の強みを押し付けて勝つかというのが肝となる。

 刹那はそうした読み合いを非常に難解に、そして一答でも間違えれば即、死を与えうる能力を持っていると言っていい。

 しかし……


「今までこんなに近距離で殴り合う事もなかったんじゃないか、なっ」


 現時点において、その優位性は機能しない。

 多種多様な攻め手を見せる前に、黄泉路が刹那の次の行動を“無彩色の無業たる盾(カラミティアウト)”という防御のみの技に限定させてしまって居るからだ。


「くぅ……我は、我は魔術師だぞ! 殴り合いなぞ――」


 辛うじて反論を唱えた刹那を、黄泉路は否定しない。

 確かに刹那の持つ能力、魔法を用いれば、今までであれば戦闘にすらならないただの一方的な殲滅戦だっただろう。

 それ故に、刹那はこうした拮抗する能力者同士の争いに慣れておらず、そうなってしまった場合の自分だけの対処法(・・・・・・・・)を確立できていない。

 これは刹那が元々“戦闘”という分野についての素人で、ここまで戦いらしい戦いというものを経験していない事に起因している。


「でも現に、こうして僕に近距離に押し込まれてしまったら言葉よりも僕の手の方が早いわけだし、どうしようもないよね」


 蒼銀の塵が淡く軌跡をなぞる拳が数度不可視の盾を叩けば、空間そのものがひび割れる様な物理的な音ではない、錯覚の様な音が響く。


「降参してくれないかな。これ以上は不毛だよ」

「きっ、さまァッ――!!!!!」


 ――ピシピシ。


 刹那の咆哮と障壁が崩れる音が重なり合い、そして、


「痛いと思うから、先に謝っておくよ」


 黄泉路の拳が障壁を貫く。

 勢いはややそがれたものの、それでも常人の中でも速いと言える速度で刹那の鳩尾目掛けて拳が駆け抜ける。


蛇の指(・・・)――こふッ!!!」

「っ」


 黄泉路の拳を受けた刹那が大きく息を漏らしながら後方へと吹き飛ばされる。

 しっかりと、障壁ではなく人体の柔らかさを拳で感じた黄泉路であったが、直前に刹那が口走った文言が盾ではなかった事にハッと息を呑んで後方へと吹き飛び、まだ下がり続ける(・・・・・・・・)刹那を追いかける。


「ふ、くぅ……ははっ、詰めが、甘かったな常夜の王!」

「何を――」


 黄泉路が再び間合いに捉えようとする直前、刹那はその進路を後方ではなく()へと向ける。


「(しまった! 逃げられ――)」

「……此度は、我が敗北を受け入れよう」


 ふわり、と。宙へと飛び上がった刹那は落下することなく、木々よりも高い位置で月光を背に黄泉路を見下ろし告げる。


「だが、ただでは退けぬ。魂をも焼き焦がす我が終焉を司りし魔導の一端をその身に刻むがいい!」

「――っ!」


 刹那の宣言を妄言や大言の類と一蹴する事は簡単だ。だが、黄泉路は背筋――否、身の内までをも凍らせるような強烈な悪寒を感じ、刹那の行動を阻害しようと地を蹴る。


「万象を照らす焔の王、それは苛烈なる原初の叡智にして鮮烈なる終焉の担い手。天高く輝く絶対者よ、天理を侵す傲慢を焦がし、四方に蔓延る悪逆を焼き払え。我が手に来たれ、背徳を灰に、人理の塵にて新たなる理を生み出さん!」


 だが、如何に普段以上に出力が上がり、一瞬にして十数メートルを超える超人的な跳躍力を見せたとしても、刹那が詠う滅びの方が僅かに早く……


「――《白く輝く黄金の理(プラネットセイヴァー)》!!!!」




 瞬間。頭上で太陽が弾けた(・・・・・・)




「ぐ、ぁあああぁああぁ――ッ!?」


 一瞬で目の前が白く染まった黄泉路が痛みに声を上げる。

 すると声と共にごぼぼぼと大きな気泡が口から溢れて、黄泉路はそこが自身の内の蒼銀の世界である事を一拍遅れて理解する。


「一瞬、で……殺された……?」


 死んだ時のみ訪れる場所に知らずのうちに戻されているという事は、つまりはそういう事。だが、


「いや、あの時確かに破棄は間に合った(・・・・・・・・)はずだ」


 黄泉路は自身の拡張された能力において発現した新たな応用でもって、刹那の齎した破壊を回避できていたはずなのだ。

 しかし現実にはこうして、癒え始めているとはいえ焼き焦がされる様な痛みが内なる世界でも続いている。


「戻らなきゃ」


 何が起きたのか、確かめなければならない。そう決意した黄泉路は完全に癒え切った身体に残る熱を吐き出す様に蒼銀の流砂を蹴り、再び現世へと舞い戻る。


 蒼銀の塵が寄り集まり、現世で黄泉路が形成されれば、初めに感じたのは息苦しい程の熱(・・・・・・・)だ。


「――な……っ!?」


 思わず声を上げた黄泉路の肺に一瞬で熱が回り、焼け落ちては再生してを繰り返す。

 見開いた目の水分が枯れ、瞬きと共に再生する視界が映す情景は一変していた。


 ――赤。

 あらゆるものが区別なく、熱によって溶かし落とされ、今もなお赤々と色を放つ灼熱の大地に、黄泉路は立っていた。

 足元から上がるしゅううううという煙とゴムが焼ける様な不快な臭いは見るまでも無く、黄泉路が復活したと同時に着用していた革靴が焼き焦げているがためのもの。

 山であった形跡すらもない程に溶かされ、均された大地は融解した土がマグマとなって煙を上げる。そんな景色が周囲数キロに渡り広がる異様な世界に、黄泉路以外の者の声が降る。


「さすが、さすがは常夜の王。我が好敵手よ」

「――刹那、ちゃん」


 パチパチ、と。純粋に称賛しているらしい拍手と共に降ってきた刹那の声に黄泉路が顔を上げれば、刹那は正しくそこに居た。

 黄泉路が詠唱を止めようと飛び上がり、届かなかった位置から微動だにしていない様子の刹那は黄泉路の反応に気を良くした風に大仰に両手を広げる。


「迎坂黄泉路、我が好敵手にして対なる者! 此度は我が敗北として身を引こう! しかし、貴様とは何れ決着をつける!! それまで首を洗って待っているがいい!!!」

「刹那ちゃん――」

「《幻を渡る魔性の虚像(アナザーアバター)》! ――ふははははっ、ふはははははははっ……」

「待っ……行っちゃったか……」


 景色という水彩画を滲ませる様に姿を消した刹那へと伸ばしかけていた手が力なく垂れさがる。

 刹那という危機は、恐らくはあの性格からしても完全に撃退できたと言って差し支えないだろうと脳内で結論を出す黄泉路であったが、


「……これ、どうしよう」


 パチパチと音を立てて燃え盛る、攻撃範囲からぎりぎり逃れた樹木達を遠目に眺めながら、黄泉路はどっと押し寄せる疲労感に立ち尽くしてしまうのであった。

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